英彦山は大分の山にして修験の霊場である。
私は引越し、行政手続き、古巣の病院への挨拶回り、彼女を私の親に引き合わせたりして、枯れた。実家、新しい居住地、近江湖東をなんども車で往復し、引越しは赤帽の気さくなオッチャンを手伝って荷物を運んだ。
疲れが高まると体が駄目だと言い始める。
私はしばらく停止した。貴重な予定を停止して不義理を行った。
そうする内に体が動くようになったので、私は英彦山に参ることに決めた。
英彦山は古くからの修験の山であり正勝吾勝勝速日命を祀る。
小倉から日田彦山線に乗る。香春岳の一の峰がセメント採取により消滅している。香春岳もまた古くからの信仰の山である。人の営みは山を削る。
添田駅に着いたら代行バスに乗る。日田彦山線は災害のために中途で断線し、この夏から鉄路に代わってBRTになるのだ。
彦山駅からは交通手段が絶無に近い。
駅から山に向かって歩く。アスファルトを歩くと車がつぎつぎと私を避ける。歩道の無い道を歩く。春の空はおだやかで日が暖かい。遠くに見えるのが英彦山だ。桜の白色が山のあちこちに見える。
旧参道に入ると一気に石段の道になり、一段一段を超えていく。山に登るのは、私の場合はどうしても山に助けてもらわねば登れるものではない。ハアハアと肩で息をしながらそれでも足が前に進むのは、山の神の許しがなければできることではない。参道にはミツマタの花が咲きこぼれている。淡く黄色い花がたくさんこぼれているのはとても可愛らしい。
ながながと伸びた斜度のきつい石段を超えきれば英彦山神宮の朱色の巨きな社殿だ。山は水が湧き、風がやわらかで空が近い。
私は祈った。いろいろなことを祈った。素朴な人の願いはただちに叶わないが、しかし祈ることで人の思惑と全然関係なく良いものとなりうる。人の望む形と同じではないが良いものとなりうる。
私は感謝してお山を去る。
遠足のこどもらがキャッキャとはしゃいでいる。
桜が咲いて里に山の神が降りて来ている。
今年もつつがなくありますように。
空谷子しるす