星田

星田神社と星田妙見宮は大阪は交野の土地にある古社であり、饒速日命を祀る社である。

初期研修が修了した。個人的にはできることは全てやった。一人でルンバールができるようになった。他にもいろいろとできるようになった。できないままのことも多く残った。

星田妙見宮は小高い丘の上にある。その丘は馬蹄型にえぐれた谷がある。これは隕石が墜落した跡なのだ。弘仁7年、弘法大師が交野の獅子窟にて修行の折、北斗七星にわかに三つにわかれ地上に降った。ひとつは今の降星山光林寺のあたり、ひとつは星の森、そして最後がこの妙見宮の丘に墜落して爆散した。

星田の名が示す通りこの土地は空と関わりがある。

天皇の一族に先駆けて高天原から降りたのは饒速日命である。彼は巨大な乗り物である天磐舟に乗って、生駒山麓北端の哮が峰に降り立った。その岩は今も磐舟神社とて大切に祀られている。その磐舟神社のあたりから流れる川が天野川といい、この星田の地を潤して淀川に合流している。

天野川というからには七夕の伝承もあって、

星田妙見宮は織女、天野川を挟んで対岸の天田神社には牽牛を祀るという。星田妙見宮の山頂には巨岩があり、これを織女石(たなばたせき)と言う。

この星田の地は他の土地と同じくとても古い。祖先のまた祖先から延々と人が暮らしてきた土地である。

人はどこから来てどこへ行くのか知らない。

春日大社の元宮司の葉室頼昭氏は、自らがむなしうなったら神霊の仲間入りをし、人々の助けとなることを思っていた。

私も自分がそうなればいいなと思う。

空谷子しるす

老師講話③

子宮は他者のための唯一の臓器
閉経していて、手術でとらないといけないということなら、神様に返したらいい。

あわれみはヘブライ語でラハミームという。
ラハミームはレーハムの複数形
レーハムは子宮のこと。
つまり、ラハミームは子宮の集まったところ
子宮は他者を拒まないところ。どんな人でも受け入れる。命を与える、育む。
レイプという悲劇的なときでも拒まない。それくらいすごいところ。
その子宮が集まったところ、それをユダヤ人はラハミームと表現する。
聖書の世界はヘブライ語からギリシャ語に翻訳されているが、
ラハミームをギリシャ語に翻訳するとスプラングニゾマイ(σπλαγχνίζομαι)となる。
スプラングニゾマイは、はらわたがちぎれる思い。それくらい憐れみの感情を持つ。
それくらい可哀想に思う。上から目線ではない。
その臓器を返す。
手術で子宮をとらないといけないのであれば、神様に返すと考えればよい。

以前、骨肉腫で足を切断した人が、それを神様に返すと言っていた。
失うのではなく返す。
手術でとらなあかんではなく、それを神様に返すととる。
ほんまにそうやなあと思った。
そう考え方を変えると生き方が積極的になるでしょ。

命は神様に委ねましょう
体は医学に委ねましょう
あなたは生きることに専念しましょう
私は病人にはそのように言ってる。

命はどう逆立ちしたって自分の自由にできへんやん。

いやカトリックにはご聖水がありますから。
ルルドの水やら。
そんなんアホじゃ。

老師講話②

姦淫はダメです
伝統的なプロテスタントの信者はすぐにそう言う。
だって罪でしょ、と。
聖書は罪を犯したといっぱい書いてる。
それに捉われて視野が非常に狭くなっている。
そんなんキリスト教ちゃう。
神様は人間を非完全なものとしてつくったんですよ。
だから、非完全でいいんです。だから宗教がいるんです。
もっと宗教から、親から離れないと。

老師講話①

聖書は文字通りにとったらあかんねん
イエス・キリストが盲目の治した話が聖書にある(ヨハネによる福音書 第9章)。
あれは奇跡だというが、奇跡でもなんでもないと私は考えている。
眼が実際に見えるようになったのではなく、心の眼が開いたということや。それで感動して、見えるようになったと騒いだわけや。
そういうことやねん。人生開眼っていう方向にならなあかんねん。
俺の人生これでいいんや、と。
無理にがんばらなくっちゃと思うと、たつもんもたたん。
50歳まで生きられるなら、それでええやん。
それを喜ばなくっちゃ。

骨流し

長崎、坂の町。
港に山が迫っており、斜面にもわずかな平地にもところせしと建物がひしめき合っている。

8時半に京都を発ち、博多と乗り継ぎ、長崎に降りた。
リレーかもめ号は深い紺青が格調高い。かもめ号は打って変わって、上品な白を基調とした列車であった。
5時間の移動に、娘は疲弊した様子であった。
この子は疲れは知らぬが、退屈を内省に使うことはまだ知らぬ。
終末期の患者同様、退屈は強い苦痛をもたらす。

港が近いからか、雨が近いからやや蒸し暑かった。
特急の発着する駅構内の美しさと対照的に街の雑居ビルは色褪せて汚かった。

26聖人のレリーフは長崎駅にすぐに迫った坂の途上にあった。
街にはところどころに防空壕があった。
しかし、その防空壕はどれも小さいもので、多数を収容できるものではない。
投下されたとき、防空壕内に避難していた人たちのうち、助かったのは奥にいた人たちだけであったようだ。
平和公園には平和を希求する願いをこめて各国からモニュメントが寄贈されている。中国からのそれには、時折心なきいたずらがされるという。

我々は、骨をまきにここまできた。
戦争末期、幼かった骨の持ち主は兄弟でよくU川にうなぎをとりにきていた。
その日も兄はうなぎの仕掛けに行き、彼は姉と防空壕に避難していた。
姉は用事があると家に向かった。
まさにその時、かの無慈悲な爆弾が投下された。
両親、兄、姉は一瞬で吹き飛んだ。
U川は水を求める人で地獄と化した。
彼は世界でただ1人取り残された。
手に職を身につけ、彼は大阪に出た。
ある人物が貸した金を返さないことにカッとして殺めてしまった。
余生を四国の刑務所で過ごすこととなる。

長らくあるシスターが彼と文通をしていたが、そのシスターは高齢となり、Y神父に託した。
彼が獄中で病死した時、身元引き受け人であった神父が呼ばれることとなった。
教誨師としてではない。一般人としてである。
神父は所属する地区以外の教誨師にはなれない。

彼の哀れな生い立ち、Y神父は彼の骨を彼の遊んだ川に撒いてやろう、そう思い立ったのだ。
それではお供します。娘も伴います。
という段取りになった。

我々はM夫妻に案内されまずJ学校の聖母像の前で祈りを捧げた。
私は祈りに馴染みはあるが、クリスチャンではない。
ましてや初めて司祭の祈りに参加した娘は周囲をおもんぱかりながら、殊勝に手を合わせていた。
聖母像には、原爆でなくなった生徒や教員の遺品が納められているという。

その後、U川に赴いた。
昨日の雨のため普段なら対岸へと渡れる小石群は半ば水流の中であった。
U川の川幅は非常に狭い。
市内にはこのような川が二つしかないという。
よって、雨が急に降ると一挙に増水し、氾濫しやすい。
「殉教、原爆、水害とこの土地は3つの大きな災難に見舞われたんです」と案内人は言った。
M夫人の祖父の家は浦上天主堂の真ん前にあったが、これも一瞬で灰燼に帰した。
その浦上天主堂の真下には、爆風で吹き飛ばされた鐘楼の一部が武骨に突き刺さっていた。

幸い晴れた。
1週間前までは予報は雨であった。
しかし、晴れた。
対岸にはサクラやユキヤナギが咲いていた。
対岸を色で染めていたわけではない。寂しい灰色の背景に、一つ、二つと寂しそうに咲いていた。
川の中には一つの石があった。
ちょうど大人1人が立てる程度の面積の石が、岸から一歩の距離にあった。
Y神父はその石に定め、川上の人となった。
銀の十字架を一つ落としてから、白いさらさらの骨をまいた。
わずかに白濁した流れは、やがて透明となり、それは川と一つとなった。
その後小雨が降り始め、我々が稲佐山にたどり着いた時には本降りとなった。

M夫妻は望んだが子が得られなかった。
M夫人は若くして持病を持ち、維持透析をしている。

我々は、生まれる土地、時代、親、性別、何も選べなかったんです。
でもな、ホイヴェルス神父という人が、究極的必然性はない、と言いましてん。
とY神父はよく言う。

両者は矛盾する概念ではない。
前者は過去のことを、後者は未来のことに言及している。
自由意志のことでももちろんない。
自由意志はおそらく自力の別称だろう。
自由意志が存在しないほどに自力というものはしょぼい。
自力のしょぼさを自覚せぬ人間の自力をうんぬんする妄言には辟易する。
グランゴワールは自由意志をうっちゃって、奇跡御殿に達した。
自力と他力のバランスを目指さねばならぬ。
ああ、バランス!
あの聡明なキルケゴールも達することができなかったあのバランスよ。

せっかくなので翌日は原爆資料館を訪れようかと思ったが、娘が怖がるのでやめた。
私はなんでも覚えちゃうから、と苦しそうにしていた。
爆弾が怖いとなかなか寝付かなかった。
夜半、雷鳴におどろかれぬる。