豚足と肺のない大阪

息子@4歳7ヶ月の憤り

息子)今日行ったとこには豚足も肺もなかったよ!大阪なのに!
父)ああ、あそこは鶴橋ちゃうからな。
息子)え、大阪じゃないの!?
父)いや、そこも大阪やで。大阪の中に、鶴橋もあれば、今日行ったところもあるねん。
息子)なんで!
父)・・・

この背景には、次のようなやりとりがあった
息子)お父さん、豚足と肺、今から買いに行こ!
父)いや、ここは京都やから、豚足売ってるとこないんよ。鶴橋じゃないと。
息子)じゃあ、今から鶴橋に行こ!
父)いや、鶴橋は大阪で遠いんや。ここは京都なんよ。
息子)なんで!今から大阪に買いに行く!
父)いやいやもう夜やから><
息子)今から行こ!
父)・・・

我が家では鶴橋で売っている豚足と肺(ほっぺ)が大人気である。
特に子供らはほっぺが大好きで、家に帰るのを待ちきれず電車の中で食べてしまう。
電車の中で嬉々として肺の肉を喰らう子供達・・・
安くてうまいのでおすすめします♡

<わたし>

シフターについての話題

7歳娘:えな(2歳3ヶ月)、最近、自分のことわたしって言ってるんよ
父:へー
7歳娘:あの歳の子がわたしっていうのなんか変よね
父:うーん
父:ももちゃんが自分のことを私って言うと変なの?
7歳娘:変じゃないけど、とにかくももちゃんはももちゃんと言っていたいの

じゃあ、死んでもいいの?

車の助手席を取り合う子供達
今は妹が助手席に座り込んでいる

兄:そこはダメだよ、警察にみつかったらたいほされるよ
妹:ダメなの!
兄:じゃあ、死んでもいいの?
妹:しんだらだーめな-の!
兄:じゃあ、警察に見つかってもいいの?
妹:だーめ
兄:ゆびきりげんまんはりせんぼん、ウソついたらはりせんぼんの-ます♪
妹:なにゆーてんえん!

兄は4歳で妹は2歳1ヶ月
2歳で死について理解しているか不明だが、少なくともツッコミはできるらしい。
我が家唯一の教育目標、3歳にしてツッコむ、をすでに達成している。
もはや教えるべきことはなにもない。

ずるいでしょ?

最近、7歳、4歳、2歳の子供たちの間でずるさ自慢が流行っている

同じ食事でも、大きさや味のよい部位などでより優れたものを手にしている時に、嬉々として自分がずるいポジションにあることを顕示する

ずるいでしょ?
と承認を求める

子の誰かを抱っこしている時も、羨望のまなざしが刺さる
ずるいという声なき声が聞こえてくる

このように、他者の欲望としての<私>の欲望(ラカン)は自然な家庭で容易に観察される

同胞は親の愛を奪い合うライバルである(フロイト)
自然状態では万人が万人に対して闘争する(ホッブズ)
それでは身がもたぬ
争いは辛い。痛い。血が流れる。
よって、現実原則が上からふってくる、父に委ねる(去勢、フロイト)
自然権を国家、リヴァイアサンへ譲渡する(ホッブズ)
快感原則から現実原則へ(フロイト)
争いから平和へ、現実の美しき妥協へ
やはり対話しかない
マスターベーション(のみ)ではなく、交歓も
モノローグ(のみ)ではなく、ダイアローグも
高まった緊張を対話でドレナージしなければならぬ
全ては循環のなかにある

だって、そうでしょう
権力は監視しなければ、などと言う時、
ダイアローグをしましょうなどと、ぬけぬけと言う時、
それはセクハラだとか、パワハラだとか、喫煙はダメだとか他者に言う時、
あなたは、あなた自身の権力を自覚していますか、
と、私は気になる
卑近な場面で言えば、あなたが父親である場合、あなたは子に発揮している権力に自覚的ですか
私は私が日々行使している権力のあれこれに、日々うんざりしている(だからなんだという話なのだが)
私が怒った時に、子のまなざしが、いの一番に私に注がれるとき、やりきれぬ思いがする
そのようにまなざさないで欲しいと願う
(随分と身勝手な権力だこと。そしてそのことにまたうんざりする)
子と接するのみならず、誰と話す時も、権威的な自分が立ち上がる様が自覚されるとき、その刹那、ないし事後的にうんざりする

かくして王様は孤独である

だから植物がよい
植物には権力の無自覚性がない
また同じ場所で私に挨拶をしてくれる。同じまなざしで。
今年もヤマボウシが、アジサイが咲き始めた
タチアオイという佇まいの美しい、気品高い花とも出会った
愛おしい

王様でなくとも、権力はあらゆる場面でやはりある
地位や立場、人生経験の差などといった差異だけではない
方言の差といった瑣末な差異ですら生じる
情報の非対称性はポジションに関わらず常にある
<私>と<あなた>の差だけ、そのままある

2者が話すときdia(2人の間で)logueにならないのは、どちらか一方が、あるいは両者がmonologueしているからである
我々はみな王様なのである
王様は孤独で最も退屈なのだ(パスカル)
ユゴーの描くルイ11世も退屈にうんざりしている(ノートル=ダム・ド・パリ)
孤独な王様たちがなんやかんやとtweetしている

モノローグもよいのだ
もちろんよい
自分と対話をすることは耕すことだ
マスターベーションもよい
おのが想像力を自由に発露させればよい
しかし、この我が身我が土地という必然性を離れれば絶望が待っている(キルケゴール)

他者と交わるのであれば、
ヤマアラシ同士が暖め合うことを意図するならば(ショーペンハウアー)
お互いのトゲでもって傷つけ高まる緊張をドレナージしなければならぬ

それは、一方的に一者が勝ち、他方が負けることではない
それでは、快感原則に身を任せた自然状態にすぎぬ
めいめいの小さな王様が、おのが土地の取り分を争って悲喜交々しているに過ぎぬ
王位を維持する限り、交歓は起きない
そこに支配はあっても愛はない
玉座から離れぬ者の前戯はさぞつまらんだろうな
相手が本当にイったかどうかも分からんのだろう
それはマスターベーションである
同様に、抽象のモノローグはマスターベーションである
交歓が必要なのだ、具体的な愛のある交歓が
愛し合わければならぬ
自我の玉座からおりたマイノリティ同士が愛し合うのだ(近頃の若者はそれを脱構築と言うらしい)
私はマイノリティである
しかし、あなたもまたマイノリティなのだ

ぶつぶつ病院

4歳息子の顔面に小丘疹ができたので、皮膚科クリニックに診てもらった。

おそらくは、私が「顔のぶつぶつをみてもらいにいこう」と言ったのだろう。
息子はクリニックの前で順番待ちをしている見知らぬママに
「ここ、ぶつぶつ病院なんやで知ってる?」
と嬉しそうに話しかけていた。
そのママは苦笑いとも愛想笑いともつかぬ表情をみせていた。

帰りみちのこと
父:ぶつぶつ病院ってなんなん
息子:ぶつぶつ病院でしょ。さっき行ってたとこでしょ
父:ほんで、ぶつぶつ病院は何するとこなのよ
息子:さっき行ったとこでしょ。知ってるでしょ!

ちなみに、ぶつぶつはとびひであった。
抗菌薬の内服でものの1日で目立たなくなった。

氷と雨と晴れだったら、どうする?

4歳息子:雨と晴れだったら、どうする?
父:なんて?
4歳息子:氷と雨と晴れだったら、どうする?
父:全部?
4歳息子:うん
父:うーん・・・傘をもってくかなあ
4歳息子:ぶー、地震だよ
父:地震?地震だったら、雨と氷が降って晴れにもなるの?
4歳息子:うん
7歳娘:地震はただ地震だけだよ
父:地震怖いの?
4歳息子:うん、怖い。地震もおばけも怖い。

まつぼっくりの木

4歳息子と
父:この木なんの木か知ってる?
息子:知らん
父:まつの木やで。まつぼっくりのやつ。
息子:この木なんの木って聞いて
父:この木なんの木?
息子:まつぼっくりの木!
息子:この木なんの木って聞いて
父:この木なんの木?
息子:まつぼっくりの木!
息子:この木なんの木って聞いて
父:この木なんの木?
息子:さくらの木
父:んーこれはももの木かなあ
父:この木なんの木?
息子:まつぼっくりの木!