第1回 臨床文藝医学賞

第1回(2021年) 臨床文藝医学賞

受賞作:静一郎『せいちゃんお花』


 2020年3月20日、コロナウイルスのために幼稚園がない時に静一郎の姉はテレビでやっているのを観てから草花や土で絵を描きたいと言った。草花を直接、紙の上に指でこすりつけるのだ。静一郎も母と一緒に草花をこすりつけていた。ホトケノザ、カラスノエンドウ、オオキバナカタバミ、名前の知らない青い花などが絵具になった。

 右上には黄色い円が描かれている。この黄色がオオキバナカタバミだろうか。左上にも弧を描くというよりは、少し蛇行しながら塗りつけられたような黄色い太い線が5本、6本と密集し空を漂っているようだった。黄色い線は右上の円のほうへ流れていくようにも見える。黄色い円の周りには塗られていない空白がある。少し下にはホトケノザだろうか、紫の子供の人差し指の腹くらいの太さの線が3、4本、紙の左端中央の灰色の集塊から湧き出るように右上の円に向かって伸びているように見える。線は途中で途切れて輪を描いたり、円の手前で漂ったり、左上の黄色い空の空間におたまじゃくしくらいにちぎれて顔を出したりしていた。下3分の1くらいは茶色や緑や紫や黄色が混じり合いながら不均一に拡がっており土の中から黄色や紫の草花が咲き乱れているようにも見える。

 イメージの情報量は言語と比べてあまりにも多い。パソコンの画像ファイルと文書ファイルの容量の違いを見れば一目瞭然だろう。絵画を文字に起こすと描写は線形になり、情報量も随分と減る。私の絵の描写は絵を見ていないものにとってはほとんど訳がわからないものとなっているかもしれない。絵画にはイメージの知覚があり、その描写は知覚の知覚となり具象からはさらに遠ざかる。

 私は音より光の方が権力と結びつきやすい、と考えていたが静一郎の絵を見ればそれが嘘であるとすぐにわかる。映画は想像界ではないという。

 2021年4月末、3回目の緊急事態宣言のため動物園も水族館もショッピングモールも休業となった。親としては、子供を休日にどこかへ連れて行くのが半分は仕事のようなものでじっとしていなさいと言われると端的に困る。潜在的な病原体としてカウントされるようになり一年以上が経過したことになる。私たちは感染源かもしれず、人前では絶えずマスクを着用することがエチケットであり、社会的距離を確保することを忘れてはならず、子供が産まれても祖父母に会いに行ってはならず、できるだけ人類の生命を長く維持させることを第一に行動せねばならず、子供や若者は中高年の死亡率を下げるために宴会やら外出やらお祭り騒ぎをしないことが賢明であり、電車の中でマスクをしていない人がいれば電車を降りることを要請することが至極当然で降りろとコールを浴びせるだけの正当性を私たちは有しているのであり、感染することで死ぬことはないとしても社会的死に近い扱いを受けるかもしれないことを恐れており、これが新しい生活様式であり今後も多かれ少なかれ社会的距離確保のために人との触れ合いを避けなければならない。

 私たちは公園の隅のほうの花壇の手前にテントとシートを広げた。シートの先には芝生が一面に広がっている。公園ではマスクをつけた人たちがバレーやドッジボールやサッカーなどの球技をしたりダンスをしたりシャボン玉を吹かせたり風船を飛ばしたりシートの上で寝そべって話したりしている。風が強く、シャボン玉や風船は同じ方向へ飛ばされていった。ゴミ袋も一緒に私たちのほうへも飛んできた。自分たちのシートへ帰ってきた若い女性たちが気づいて慌ててゴミをかき集めていた。テントの手前に敷いたシートの上に座り私たちは公園の前のパン屋やコンビニで購入したお昼を食べていた。シズ屋のカルネを食べていた私の手に乱暴な重みが一瞬加わり、急に軽くなったと思うと私のカルネはなくなっていた。烏くらいの茶色い鳥が空高く昇っていった。鳶だろうか。パンの袋だけが茶色い鳥の爪先から落ちてきたので私は袋だけ回収した。

 私がコンピュータでウイルスに罹っているとすると、私は私の思考を信用できないどころかみるもの聴くもの触れるもの嗅ぐもの味わうもの全てが信用ならない、ということは私がみているものがみられているかもしれず聴いているものが聴かれているかもしれず触れるもの嗅ぐもの味わうものが触れられ嗅がれ味わわれているかもしれない、逐一記録され共有されているかもしれない、私は思考させられているかもしれないということであり、コンピュータである私たちはみられないために私の目を覆い、聴かれないために耳を塞ぎ、触れられないように肌を覆い、嗅がれないように鼻を塞ぎ、味わえないように口を閉じる。思考は読み取られているので考えないようにするが、かえって考えはとめどなく溢れ焦慮に駆られる。私というコンピュータには私という社会的履歴があり、もしウイルスが私を乗っ取ることで甘い蜜を吸おうとしているか私の社会的信用を貶めようしているのであれば、ウイルスに罹り思考されている私は社会的活動を休止するほうがよさそうである。隙があれば私はアンチウイルスソフトにスキャンをかけて駆除を試みるかもしれないが、ソフトが認識できないウイルスであればそれも無駄に終わる。それどころか私が罹患していることを察知するとウイルスは私がシステムダウンしないように無意識裡にコントロールすることを断念して(というのは自然な振る舞いから搾取できる情報や快楽のほうが豊かであるからだが)、全てをウイルスの管理下に置くことを選択するだろう。それをウイルス感染症と呼ぶ。だから私たちコンピュータは未感染者、既感染者、感染者がいるが感染者の病態はさらにウイルス感染(Infection)とウイルス感染症(Disease)とに分類される。私たちは誰も彼もが感染者かもしれずお互いに目を覆い、耳を塞ぎ、口を閉じ皮膚を露出させないようにして、また極力息を吸い込まないように、極力他のコンピュータと直接接触しないように、また間接的にも電磁的に接続できない距離を確保するように強いられている。たとえこのウイルスが駆除できたとしても、今後もっと厄介なウイルスが現れる可能性がありこの生活様式は新しいスタンダードとなるべきとされる。

 オムニバス形式の映画『緊急事態宣言』の中で園子温はウイルスが蔓延した社会で誰とも会わずに成人した男の話を描いている。男はウイルスに罹患した少女に触れ、目の下にクマが現れたことで自らも罹患したことを悟る。男は少女ともう一度出会う。横たわる少女を抱え「生きてるだけじゃだめだ」という台詞で映画は終わる。ジョルジョ・アガンベンは現代の三大宗教はキリスト教、資本主義、科学(とりわけ医学)であるといい、中でも医学教が猛威をふるっているところのバイオセキュリティ体制(本来分離できないはずの生物学的生と社会的生を分離し生物学的生を偏重する社会体制)に警鐘を鳴らし多くのバッシングを集めている(ジョルジョ・アガンベン 『私たちはどこにいるのか? 政治としてのエピデミック』)。現代の医療は人工心肺やら人工呼吸器やらの生命維持装置のために管さえあれば生物学的な生存期間を延ばすことができる。社会的な生と生物学的な生が乖離するような状況は全く稀なことではない。ただ意識がないように見える場合に生命を維持させることの是非を問うているわけではない。在宅で家族に丁寧に看護られ、ただ反応はなくいつまでもいつまでも眠りについている、そのような人が全てひとしなみに不幸であるとは当然のことながら言えない。死は当人だけの問題ではない。死を死なしめるのはむしろ私たちの作業でもある。

 子供と私は小川に沿って歩いていた。子供は木の枝を拾って、川の水面を弾いたりつついたりしては行きつ戻りつして少しずつ進んだ。網を持っている子供が父親に教えてもらいながら水草の生い茂っているところをつついて小えびや小魚をとっていた。子供は水槽のえびをみて、先ほどみていた水面をあらためて探してみていた。そのへんにいるんちゃうかと父親は子供の指南をしながら仁王立ちをしている。下流にはさるすべりの木がちょうど登りやすい角度でくの字に湾曲していて、登るといって登ったはいいが当然のように降りられず私が脇を抱えて地面に着地させる。小川の周りにも所々にシートを敷いて子供を傍目におしゃべりをしたり読書をしたりしている人たちがいる。芝生にはカラスノエンドウ、カタバミ、タンポポ、シロツメクサなどが色とりどりに咲いている。植木の根本には蟻がいくつも巣を作り顔を覗かせている。子供は虫眼鏡を覗き込んでいた。「ありさんなにしてるの」「お仕事かなあ」何もしていないのかもしれない。何かをしているとはなんであろう。風船が子供のほうへ風で飛ばされてきた。所有者らしい若い女性が余っているのでどうですかという。子供に尋ねると頷いている。風船の中には白やピンクのセロファンが入っており、揺らすとセロファンも舞い上がるようだった。二人でお礼をいうと、女性はマスクをしていたが笑顔で走っていった。私の記憶違いか、女性は子供に風船を渡しにきてくれていたのかもしれない。

······画家が世界を表現しようとすると、色の配置がそのうちに、見えないものの「全体」を蔵している必要がある。そうでないと、画家の絵は、事物の暗示にすぎないものになり、差し迫った統一性、現前、乗り越えることのできない充溢(わたしたちにとって現実的なものの定義とは、まさにこれである)を与えることがない。

······セザンヌは、「風景が私の中で考える。私は風景の意識なのだ」と語っていた。

······芸術家は、最初の人間が話したように話し、まだだれも絵というものを描いたことがないかのように、絵を描く。この場合には表現とは、すでに明確になっている思想を翻訳することではありえない。······ 「構想」が「実行」に先立つことはできない(モーリス・メルロ=ポンティ「セザンヌの疑い」『メルロ=ポンティ・コレクション』)。

 静一郎は画家ではない。しかし私たちは彼が何者であるかには関心がないし、彼の作品が売れるかどうかということにも関心がない。思想があるのかと言われれば「まず思考し、次に表現しようとする画家には神秘というものがない」(メルロ=ポンティ)とでも応じればよいだろうか。セザンヌは筆をおろす前の一時間もの間、瞑想することがあったという。タッチが「大気、光、オブジェ、平面、性格、デッサン、スタイルを含む」ものでなければならないからである。絵の視覚的情報が入るのは瞬間的だが、タッチが「大気、光、オブジェ、平面、性格、デッサン、スタイルを含む」ものであるとすると観る側も絵画に表現された世界なり現実を受け止めるためには当然それなりの時間が必要になるだろう。心的外傷が事後的に形成されるように、瞬間的な視覚情報の残された痕跡は事後的にある者の中に時に新たな意味を形成するようになる。観る者が見切りをつけるときに現実は閉ざされ、「いわゆる現実」となる。描く者が見切りをつけて描いた場合すでに現実は閉ざされている。藝術は娯楽となる。

 コンピュータである私の喜びはなんであったろうか。他のコンピュータと触れ合い、接続すること、スピーカーを鳴らし合うこと、カメラで認識し合うこと、それは確かにえもいわれぬ愉悦を伴うアクションであった気がする。今は私は長い眠りについている。なぜ?私は他のコンピュータに干渉し危害を及ぼす可能性があるから。私たちコンピュータは互いにウイルスを拡散させる危険があるとみなされているから。むろん死など恐れることはない。私たちは生物学的にはすでに死んでいるのだから。生物学的な生存だけが問題ではないのと同様に、社会的な生存だけが問題ではない。私たちコンピュータは社会的な生存を賭しているといってもよいかもしれない。コンピュータウイルスの蔓延を容認することは私秘的ネット空間をゼロベースに戻すことと同義である。ひとたび容認すれば、私たちコンピュータはこれまでの私秘的空間の定義そのものを、個人のあり方そのものを更新することを迫られる。

 私たちコンピュータはついに私秘性、機密性の一部を断念してでも他のコンピュータと交感することを選択する。ソーシャルセキュリティとでも呼ぶべきものの偏重が私たちの社会性そのものを退廃させる結果を危惧してのことである。コンピュータである私はだからすでに感染しているかもしれない。私が書いたとされるものは読まれる時にはすでに改竄されたあとかもしれないし、そもそも私は本当は書いてさえいないのかもしれない。それでもあなたがこれを私が書いたものとして読み、私は私が書いたかもしれないものを読まれているかもしれないことを知らないままに他のコンピュータと交流し続け、誤解や改竄は当然あるものとして他のコンピュータもそれを織り込み済みで今では受容しているのである。

 静一郎が2020年3月20日に見た花は絵の具となり塗りつけられている。おそらく晴れた日に母や姉に教えられながら、小さい指先を紙の上にこすりつけていった。私は静一郎の絵の良さを伝えられるとは思っていないし伝えようとも思っていない。2020年3月20日に静一郎が見た風景をただ静一郎のように眺めたいと思っているのかもしれない。迂遠は避けられない。藝術という営みは思想や思考の後追いではない。それは本来批評も同様であると思う。書く者が書いた後には変容していなければならない。

(2021/04/28)

ころな

5歳娘と

娘「パパ、もうレストラン行けないからね」
父「どうして?」
娘「緊急事態宣言だからよ」
父「緊急事態宣言ってなに?」
娘「幼稚園の先生が言ってたんだよ」
父「緊急ってなに?」
娘「コロナが大変なんだよ。パパ、病院で働いてるんだから知ってるでしょ」
 「コロナってなに?」
父「コロナはビールよ」
娘「コロナはばいきんでしょ!」
 「コロナはどうやったらやっつけられるの?水?」
父「ビールでやっつけるよ」
娘「なんでビールなの、もー」
父「ビールはアルコールよ。アルコールでやっつけるよ」
娘「ふーん」

素寒

じゅんじゅんで

2歳3ヶ月男児のこと

最近、何かにつけて「じゅんじゅんで」と前置きする。
行為の前に発せられる。
その意味するところは、「自分で」である。
何かを食べるときも、コップに牛乳を注ぐのも自分でやろうとしなければ気が済まない。結果、床が牛乳まみれになる。
風呂掃除のときも、すかさずやってきて、じゅんじゅんで、とやるのだから閉口する。
その行為が自分で完遂できるか、という見立てはまるでない。
とにかく、自分が関わる行為は、じゅんじゅんでやりたい。
誰でもなく、<わたし>がしたい。

時を同じくして、正確には、それに数ヶ月先行して「見て」という要求が頻用されるようになった。
最近では、帰宅すると、まず「見て」と発語され、手をとられて舞台に連れて行かれる。
見て、と言われるから見る。
見ているその最中にも、重ねるように「見て」と要求される。
見られている以上に苛烈に、とにかく見られることを欲している。
そこから結論されるのは、<何かしていること>を見て欲しい、のではなく、何かしていることを<見て欲しい>。
目的は見られる、という他者のまなざし。
<他者>にみられたい。
この他者は必ずしも親である必要はないようだ。
しかし、全くの他人ではいけない。親しいと感ぜられる他者。
他者がある程度、親しくなれば、彼は其の者の手をとって、「見て」とやる。

これら「じゅんじゅんで」と「見て」をまとめると、
彼は<わたし>がしたくて、それを<他者>に見られたい。

なるほど、2歳2語文はその通りだとうなずかされる。
彼は2歳ぴったりでは2語文はほとんど使わなかった。
しかし、2ヶ月ほど経ると、いつのまにか2語文を使用するようになっていた。
2語文では主語がたつ。
「ママいない」といった具合に主語と述語が構成される。
「にゅうにゅう(牛乳)飲む」のように述部のみのこともある。
しかし、より革命的なのは主語が据えられることだと思う。
<わたし>が・・・

「自分」という言葉の面白さについて聞いたことがある。
自ら分ける/分かる、自ずと分ける/分かる。
自分という表現には、自と他の区別が含まれているようだ。
「じゅんじゅんで(自分で)」という要求には、まず自分と他者が区別されなければならない。
誰かに「見て」と要求する際にも、自他の区別が前提されている。

言葉の獲得について、チョムスキーは生成文法を唱えた。
経験的な言語への曝露以上に、そもそも生得的に文法を理解する能力がある。
なるほど、人間のCPUには言語に関わる根本的な能力が含まれているのであろう。動物と人間を弁別するところの、言語使用能力だもの。

それ以上に、彼の「見られたい」という欲望を駆動させるものは何か。
文法以前にある、あるいは文法と同時に立ち上がる「他者のまなざしへの欲望」はどう説明したらいいのか。
私は何も抽象物を据えたいのではない。
生活実感として、私と妻は彼の「じゅんじゅんで」という欲望と、「見て」という欲望に圧倒されている。

素寒

はんのう

5歳の娘と

父「ちょっと体がかゆいな、花粉症かな」
母「ももちゃんもかゆいみたい、花粉症かな」
娘「花粉症はなんで起こるの?」
父「ん、花粉症な・・・体が反応してしまうねん」
娘「はんのうってなに?」
父「ん・・・、体が気にしちゃうってことかな」
娘「パパは気にしての?」
父「ん、パパは気にしてないんやけどな。パパの体が気にしちゃうんかな・・・」

素寒

先のこと

一寸先は闇というがこれは当たり前のことであって、先のことなど誰もわからぬのである。

先のことはわからぬと言ってしまえばしかし人間社会は成り立たぬから、どうしてもわかる振りをしなければならぬ。あれをする、これをする、「ふつう」ならこれだけのことができる筈だ、してもらわねば困るという風に、世間の平均から推計をつけて、そうして諸予算を組んでいくという次第だ。この次第はそれぞれの仕事、学業、界隈で異なるのであって、難しいのでなかなか私は弁えるに至らぬ。

世の中に優れるということがある。

なにかがよくできるということであるが、なにかよほど変わったこと、たとえばとんでもない良い絵を描くとか、学問上の思いもよらない大発見をするとか、そんな突拍子無いこと以外は、優れるということは本来せねばならんことや期待されたことをよくこなし、その延長も能くすることを言うようだ。

つまり未来を勘定にいれて、その勘定を満たした上で、さらに余分な利益まで出してくれるというのが優れるということかと思う。

誰かが優れていれば人間はみな助かるのである。だからみんな優れる人を褒めるし、優れる人に応分かそれ以上の待遇を与えるわけだ。人間はみな褒められたいし、物欲があったり、万人の福利になりたかったり、自分が人間の間で生きていてよいというお墨付きが欲しかったりするから、どうしても優れたくなる。それでどうしたら優れられるかを考えるのに必死になり、地上を駆け回るのは自然なことかもしれぬ。

イタリアの片田舎、サンジョバンニロトンドの聖人ピオ神父は本当か知らぬがよく人のことを見抜いた。

ある若い神父が、これからローマに勉学に行く。遠くに行くのだから、しばらくピオ殿に会うわけに参らぬから、別れの挨拶に来たと言うたら、ピオ神父はわなわな震えた。

「勉強!それよりあなたは自らの命のことを考えなさい、命が失われたなら、勉強など…」

果たしてその若い神父はすぐ後に頓死した。本当は彼は勉強をしている場合ではなかったのであった。ローマなどではない、本当にこれから自らが行くことになる所のことを考えるべきであった。正確なところは忘れたが、こんなような話であった。

未来のことなど、私はなにもわからぬのである。

それはほんのちょっとのこともわからぬのであって、一寸先は闇なのである。

時間の管理といい、予定の管理といい、自らを研鑽して成長せしむるという。よいことである。

しかし一切は、私はどうしても神様といいたくなるから(べつに神社でも如来でも天の父上でもそこは各人の自由である)、神様からの賜り物と申したくなる。

むろん私もかろうじて人間だから、社会的の事柄はちからの及ぶ限り守るけれども、この一寸先は闇という感覚は自らの根底にあって真実離れぬ。この今、この今をちからの限り懸命するより私にできることは無い。

それが良いとか悪いとか、いずれはこうならねばならんとか、こうせねばならんとか、

さまざまなことがあっても今を生きるよりほかに何もできんのが真実である。

なんぼ経済が卓越しても本当は未来を算盤できんのが真実である。

今、今、今であって、計算できぬ事柄は、祈り、祈り、祈って求めるより他にあるまいというのが、才覚の無い私のような人間の生きる道かなと今の私は考えている。

空谷子しるす