会うて

彼女の家族に会うた。

朝、家を出る前にfm cocoloを聴いていたら、安室奈美恵のheroがながれ、僕は自分が冴えなかった平成時代が大嫌いだから、アムラーのシノラーの言うていた時代にいいことがなかったから、すこし気色が悪くなった。

そのあとに爆風スランプのランナーが流れた。

ランナーは大好きな曲だからすこし気色がよくなった。たとえ小さく弱い太陽だとしても、のフレーズがとくに好きだ。

このラジオはおれに合わせて曲選んだるんかいなと、自他の境界があいまいな僕はなんとなく気をよくした。じっさいはDJがマラソン大会に出るので、heroもランナーもそれをはげますリクエストだったのだ。

今日は晴れた。伊吹山がきれいだ。

Googleマップが、琵琶湖線が架線点検で遅れていることを警告した。

よりによってなんでこんな日に点検しよんねんとまた気色がわるくなった。あさめしもひるめしもまだだった。コンビニでにぎりめしを買ったがレジ袋をもらうのを忘れ、めしをくってもゴミ袋がないやんけと思い絶望した。彼女の家にいくのに、かばんに握り飯のつつんだフィルムをつっこんで、見つかったらどないすんねんと思った。

結局にぎりめしは食った。フィルムはかばんのなかの目立たないところにおしこんだ。

家族にお会いし、駅まで彼女に見送られ、

帰りの電車でYouTubeのてきとうな動画を流したら、動画がかわって森山直太朗の御徒町ブルースがながれた。

高校のころに大好きだった歌だ。

茨木駅を電車が通過する。だんだん夕日が傾いてくる。

そうだ、おれは森山直太朗の歌が好きだったんだ。むかし森山直太朗の青い空に気球がとんでいるベスト盤ばっかり聴いていたことを思い出した。

僕のスマホはそのまま森山直太朗の歌を流し続けた。

電車は滋賀県にむかって走り続けた。

空谷子しるす

とても面倒な

京大に出す書類をとりあえず出し、臨床研修修了証や健康診断書の発行を待ち、

まだなおも、大学から指定された外勤先への書類や、コロナにまつわる誓約書、結婚相談所の契約破棄の書類、

さまざまなことがあってそれはとても面倒なことだ。

いまから彼女の家にあいさつにいく。

それは面倒というより気の使うことだ。

おとついパンペリの緊急オペに入った。

たまたま麻酔科の先生とめしを食べていたら、連絡が麻酔科の先生に入った。

私は興味本位でついていき、手伝いと称してうろちょろしていた。

ほんとうに私は迷惑かけたのだと思うが、まずいい経験だった。とくになにかを学んだわけではないが(ホットラインの組み方やケタフォールがわりとイケているトレンド麻酔なことを教わった)、いい経験だった。

いい経験だったがつくづく4月からやっていく体力に自信がない。でもやっていくだけしかない。

ヒマラヤを見に行きたい。3月末は休みをとったが、冬のネパールは大変だろう。

ヒマラヤのかわりになにを見に行こうかと思う。なにも見に行かないかもしれない。金もかかるから。

2週間皮膚科を回った。来週から2度目の脳外科を回る。

初期研修最後は脳外科である。

空谷子しるす

さようなら

昨夜は当直だった
珍しく4時間ほど眠れた

開始の17時、
ひどい時は、ERフロントに患者が溢れている
昨日はそうではなかった。
カルテの救急一覧を見ていると、
ふと馴染みの名前が目に止まった。
あれ、どうしたの。
カルテを開ける。
Stanford A型急性大動脈解離、高齢でありBSC方針。
造影CTをみる。
これはだめだ。

彼女は私の外来で定期通院している患者であった。
2年ほど前、感染症科にいる頃に、感染性心内膜炎で入院し、以来外来で診ていた。
認知症がある。
それを発達障害のある息子が支えていた。
つい、先日、別れを告げた。
私が退職するからである。
息子は、「先生だけですよ、こんな風にいじってくれるのは。次の先生にもよろしくお伝えください」と寂しがってくれた。
彼女はよく笑ってくれた。
デイサービスでは麻雀を楽しんでいたらしい。
「雀士のたかこ言うたら、この界隈で知らんもんはおりませんもんなあ」
と私がふっかけると、彼女も、息子もゲラゲラ笑っていた。
私もその笑いをゲラゲラ笑っていた。

たまたまその時間は都合よくERに患者が少なかった。
私は2階に彼女を訪れた。
青息吐息の彼女は、私の呼びかけに応答できなかった。
A lineの血圧は50だった。
あの時と同じであった。
なりたが旅立った時のように、私は肩を撫でながら「大丈夫、大丈夫だからね」と連呼する以外能がなかった。
「雀士のたかこ言うたら、この界隈で知らんもんはおりませんもんなあ」
と私はふっかけてみた。
A lineの血圧は60に上昇した。

また一人、私と笑った人が旅立った。

なりた、かっちゃん、
私を愛し、私が愛した人たちよ
あなたたちは神なのか
神になったのか
だから私の問いかけに答えないのか

一人、また一人、あちらに行き
やがて、私の親しい誰もが私の問いかけに応じなくなる

さよなら。
ありがとう。

覚書14

今日はどうもありがとう。

現実的なことと非現実的なことと。

帰宅してBrahms Symphonyを聞きながら、より一層非現実的な彼岸に浸っています。

君とのお話しを思い出すと、それが現実に起こったことなのか、夢のできごとなのか、井戸でのできごとなのか判然としなくなります。

いずれにせよ君と変わらずに非現実的なことをお話しできてよかった。

たとえばウクライナ侵攻のような現実的なことではなく(あれはあれで漫画のような非現実的な現象ですが)。

非現実的な、井戸のようなお話。めくるめくお話。

君が現実に現実的な素敵な伴侶を得つつある。大変に素晴らしい。

皮肉ではなく本当に、現実に。

良き夫婦の秘訣はなんでも語り合うことです。

君が一方でそれを目指しつつ、僕も他方でそれを目指しているのがとても面白かった。

そもそも語りえぬものを語り合うとはいかなることか、矛盾の出発点はそこにあるようです。

その矛盾を見つつ見ないのは非現実的な僕の現実的な落とし所だと慰めています。

そのような現実的なこととと非現実的なことの落差を、最近は悲しくも美しいことのように思っています。

おやすみなさい。

備忘録3

昔ひとりの男がいた。
彼は子供のとき、きびしいキリスト教教育を受けた。
彼は普通、子供たちの聞く話、キリストの嬰児のときのこと、天使たちのことなどについて、あまり聞かなかった。
そのかわり、それだけ十字架にかけられた人の姿が彼の眼前に示されることが多かったので、この姿が、彼の救世主についてもっている唯一の姿となり、唯一の印象となった。
まだ子供なのに、彼はもう老人のように老いていた。
十字架にかけられた人の姿は、その後、彼の全生涯を通じて、彼につきそいつづけた。
彼はけっして若くなることがなく、その姿からけっして解放されることがなかった。

                          

さようなら

知人が旅立った。
彼は私の人生の先輩であり、具体的なことを具体的に生きている美しい市井の民だった。
大学時代、彼の元でアルバイトをした。
お酒の飲み方や飯の食い方を教えてくれた。
私の姉もお世話になった。
私と私の妻は彼の兄弟の子供の家庭教師となり、彼の親戚一同と旅行にでかけた。
私と妻が結婚する時にも非常に有益で具体的なアドバイスをくれた。
寡黙だが、話すと直ちに本質を射抜く野に埋もれた賢人でもあった。
時に厳しく生意気な私に迫ることもあった。
時に人なつっこく笑うあの顔を忘れられない。
「君はな、面接のとき、飯だけは腹一杯食わしたる、って言うたら、ニカってしおったんや」と久々に会うと必ずそう言って、破顔した。
父親というには若いが、兄貴のような存在であった。

私は長く連絡を取らなかった。
時に心の中で話しかけることはあった。
それは、近々連絡をとろうと思うことができる前提があった。
今も、会えないが心の中で話しかけることができる。
しかし、会える可能性は絶えてない。
この不可能性が悲しい。
なぜ連絡をとらなかったのか。

彼のレストランには色んな好人物が集まった。
F氏という老舗の顔料屋を営む老紳士もいた。
カウンター越しに彼は私に問いかけた。
「遊びが何か、知っているか」
「・・・・遊び、ですか・・・・労働していないこと、というのでは不十分だと思いますが・・・・ちょっと考えつきません」
「遊びというのはね、そんな消極的なことじゃないんだよ。」
「はい・・・」
「遊びというのは、クジラの潮吹きなんだよ」
「潮吹き・・・はい・・・」
「クジラは普段、海の底で、あれこれやってるだろう。ところが、ある時に海面にあがってプシューっとやるだろう。」
「はい・・・」
「人間も生きている中で、悲喜こもごも色々やってるだろう。それはそれでいいんだよ。でもそれだけじゃなくて、ある時、意識して上昇してプシューっとやらんといかん。それが遊びだよ」

私が滋賀医大に合格したとき、F氏は嬉しそうに言った。
「君、滋賀医大にはいいヨット部があるよ」
「分かりました。ヨット部に入ります。」

その他、篆刻作家のM氏もいた。
仙人のように髭を蓄えていた。
M氏もうぶな私をよくからかってくれた。
彼はアルコール性肝硬変で吐血して遂げたと聞く。

私は素直に他力にすがって生きてきた。
私を支えた大きな他力の一つが旅立った。

常なるものは何もない。
昨日、沈丁花の香りがした。
しかし、花は見えなかった。

ありがとうございました。
さようなら。

大量出血

先日膀胱全摘のopeで3800 mL出血した。

はじめは血圧が落ちてきて心拍数があがったのだった。血圧を維持できなくなった私は上級医を呼んだのだが上級医はすでに当該ope含め4件を並列しており、べつのopeでSBPが60という手の離せない事態になっており、彼は電話でCVにふたつつないだボルベンを全開しネオシネジンなどで持ち堪えてくれと指示した。

出血が3000を超えたとき、私はもっとさわぐべきだった。

私は、「これは術野を洗う生理食塩水のぶんを計上しているだけではないか?」と思い、致命的な出血とは考えなかった。なぜそう思ったのか?私は大量出血を認めたくなかったのだろうか。私はさらなる電話を上級医にかけなかった。彼は忙しいから呼べないと思ったのだ。

ボルベン全開でもエフェドリンもネオシネジンも反応しなくなった。

私は輸血のオーダーを自己判断でしたことがない。そもそも恐ろしいことに、輸血が必要だと判断できていなかった。

結局はその場にべつの上級医が来てくれて、さまざまに組み立てて事なきを得た。そうしている間に、もともとの上級医がきてくれて、さらに残りを組み立ててくれた。

もともとの上級医に「先生は言われたとおりにしてくれたから落ち度はない」と言われた。しかしきっと、他施設の研修医ならこんな場合でも自分で処理できる知識と経験があるだろう。自院でもほかの研修医ならもっとうまくやっただろうことを思うと、私はまた気色が悪くなった。

人とくらべることが習い性になっている。いい年をしているのだから、自分の能力をただしく評価して人と比べることをするなと兄に以前叱られた。これからますます責任と能力を問われることになって、たしかに他人と比べて落ち込むような無駄な不利益はならないことだ。

外科の先生が控え室におり、駆けつけてきてくれた方の上級医と私に言った。

「止まらない出血はあるけど、終わらないオペは無い」

私と上級医は笑った。上級医はアドレナリンで昂奮したいきいきした笑いで、私は水分のぬけた乾いた笑いだ。

世の中の事象のことごとくが私の無能と無価値を証明していく気がする。なにかが思ったとおりにいったことは、今までの人生で国語の試験だけはわりと思い通りにいった。ひとつでも思い通りにいくならいいのかもしれない。

苦しいときにはなにも考えたくなく、音楽を聞きたいと思う。しかしほとんど全ての音楽は優れた人や普通のくらしをする人の共感を呼ぶように思われる。聞いていても駄目な自分と乖離するような気しかせず、気はまぎれない。

それで江利チエミの「串本節」の、軽快で現代的なリズムを耳に流しながら私は電車に乗った。

京都に借りる部屋を見に行くのだが近江八幡の畑からは雪が溶けて、青々した麦の葉が伸びてきている。

「はだしのゲン最強ランク」で常に最強者の座をほしいままにするのは麦だ。麦は原爆にも克つからである。冬から春にかけて青々したみずみずしい葉を伸ばしていくのがとても美しい。「はだしのゲン最強ランク」は示唆に富んでおり、さまざまな馬鹿げたことがあってもぶち壊しにせんばかりの勢いをゲンが有していたことは私たちを勇気づけてくれる。

さいきん「じゃりン子チエ」を読んでいる。5巻「大阪カブの会ポリ公が来たらはいビスコの巻」のチエの祖母のセリフはすばらしい。

「人間一番悪いのは腹がへるのと寒いゆうことですわ 長いこと生きてますとな ほんまに死にたいちゅうことが何回かありますのや そうゆう時メシも食べんともの考えるとロクなこと想像しまへんのや ノイローゼちゅうやつになるんですわ おまけにさむ〜〜い部屋に一人でいてみなはれ ひもじい…寒い……もう死にたい これですわ いややったら食べなはれ ひもじい 寒い 死にたい 不幸はこの順番で来ますのや」

これは真実だ。

世の中の一部の人間は、自分の無能を証明する事件が発生すると申し訳なくて飯を食いたくなくなる。そうするともう死ぬしかない気がしてくる。追い詰められて飯を食えなくなるとほんとうに死んでしまう。

夏より冬のほうが死にたくなる。冬が好きというのは恵まれた人間のことばである。雪がいたく降り、水道は凍り、いてもたってもいられぬ寒さが肝をえぐるのが冬である。死にたくなる寒さが本当の寒さである。

めしと暖かさは大切なものだ。医療職というのは殺伐としたもので、死んだの死なないの、せん妄で暴れるの外来患者が暴言を吐くの、さまざまな事件が他職種と同じく発生するものだ。だからめしと暖かさは他の人と同じように医療職にも大事だ。

万人はめしを食べて暖かくしなければならぬ。そんな大切なことすら人間の多くは忘れてしまったり、あるいはどうしようもなく手に入れられなかったりする。

神の国はほど遠い。

空谷子しるす