石上

私の母は私が二十歳のころ自己免疫性肝炎になり天理よろづ相談所病院に入院した。

私は死にかけた彼女の病室に見舞いに行っては、陽の落ちるまで傍に座っていた。

私の父は私が高校生のとき天理よろづ相談所病院で腹膜透析を導入した。以後、血液透析の導入、心筋梗塞の治療、バイパス術なども全て天理よろづ相談所病院であった。

私は何度も天理よろづに通った。何度も通い、何度も懐かしさと感傷を味わった。

石上神宮は伊勢とならんで唯一神宮の名乗りが許された神社であった。今でこそ神宮の名は各地にあるが昔は伊勢と石上しかなかった。

石上神宮は天理市の山のふもとにまします。

天理教本部はもともと石上神宮の里宮の跡とも言う。石上神宮周辺は代表を布留遺跡と申し、縄文、弥生、古墳時代、後の時代に続く古代遺跡が広範囲に広がる。天理教の神はもともと石上の神ではないかと言う人もいるにはいる。もとより神の世界の話、人の身に分かることは少ない。

私は幼少のころ、また祖先のころより石上神宮にお世話になっている。物部氏の祖神と伝わる石上神宮と私の家とは明確なつながりは無い。ただ古くからつながりがある。こうしたつながりを蔑ろにしたから私の家はことごとく滅んだと私は思っている。

信仰とはたしかに強迫の一種と説明づけられるだろう。

病的な強迫と異なるのは強迫の対象が正しい神か誤った神かの違いしかない(もっとも正しい神への信仰もいわば病的であるかもしれない。聖イグナチオの放浪や役行者の修行は表面的には病的だったろう)。その違いはどこかと言えば、聖書にいわく「結んだ実でその木の良し悪しを判断する」ことしかないと私は思う。

石上神宮は日本最古の宮のひとつである。

そのふもとに天理よろづ相談所病院がある。

布留の刀の身を切るように、私の悪は詣でるたびに戒められる。

私の悪は戒められるが、私を馬鹿にする人間は戒められない。

私には何もわからない。私が正しいのか間違っているのか、なぜ私を馬鹿にする人間が栄えて私はうらぶれるのか、なのに私はなぜ今もまだ死なずに生きているのか、

全てわからない。

神への信仰云々自体が誤りと言うのは現代においてはたやすい。そのことを論理的に反駁することは私の知能ではできない。

「神ながら」という言葉は単なる信念ではない。楽観のみでない。苦しみが伴った実感である。

空谷子しるす