皮膚科

ツァンク試験、尋常性天疱瘡、皮膚生検、ボーエン病の手術、Stevens Johnson、KOHの検鏡がたくさんと様々なことが起こり、一か月は流れていった。

皮膚科は必ずしも楽しくはない。しかしこれならもしかしたら自分にもやれるかもしれないとも思う。

四月から月二回義務の一人当直が始まった。

私はなんとか二回を乗り越えた…指導医の消化器内科医は「よく一年でここまで育った」と裏で私のことを誉めてくれていたらしい。

とても嬉しいことだ!知らないことは知らないと開き直り、臆病さと共に進んでいく…

大学の皮膚科には知り合いが多い。

皮膚科もありだな!と軽薄な私は考える。

ともあれ私は寝たい。素敵な人と結婚したい。楽しいことを探したい。

私は何が楽しいのか?

空谷子しるす

患者さんのことなど9

当直中に病棟から電話があった。患者さんが亡くなったので死亡診断してくださいと言うのだ。死亡診断書は主治医の先生が書いていてくれて、日付と署名だけでいいです。

救急が落ち着いてから行くと、ご家族と患者さんと看護師の方々がいた。

おおここだここだと私が言うとご遺族はこっちです先生、と言って微笑んだ。

はじめてお会いした彼は亡くなった人特有の黄色い皮膚をしている。痩せており、頭蓋骨のかたちのままの顔をしておられる。

私は死亡診断をし、たまたま手持ちの時計がなかったので看護師さんの時計から死亡時刻を告げた。

コロナの感染防御をしたまま、私は地下に随伴して患者さんを見送った。

私はまた救急に戻った。

私はいまだに彼がどんな人であったかを知らない。

空谷子しるす

患者さんのことなど8

「この気持ちはなってみないとわかりません」

と彼女は言うのだ。

「さびしい気持ちですか?」

彼女は遠くの山を見ながら言った。

「そうとも言えん」

彼女は89歳で拡張型心筋症にICDが埋め込まれている人だ。もともとB型肝炎もあり、今回は著明な腹水貯留で入院した。

彼女はもう自宅に帰れそうになかった。

「早く死にたい」と彼女は言うのだ。

「最近、よく実家と弟の家とが思い浮かぶ。自分の家はまったく出てこない」

それだけ実家や弟さんが馴染み深かったのかと聞くと、「そうかもしれない」と言う。

彼女の病室から低い山が見える。

その山は弥生時代の遺跡や古墳があり、山頂に荒神様を祀っている。その山に彼女の実家の歴代の墓がある。

「息子はよくやってくれてる…」

彼女は弱い声で息子を誉めた。

彼女が息子を誉めるのは私は初めて聞いた。

「珍しいですね」と言うと「そうやな」と言って笑う。

「早く死にたい」とまた言うのだ。

そのたびに私は「人の命は人は決められんですからね」と言う。

「そうやなあ」と彼女はうなずいてくれる。

伊勢の大神様や多賀の大神様がいいようにしてくれますよ、とも言う。いつも祈っています。だからあなたも僕のために祈ってください。彼女はそれらの神様への崇敬がある。彼女は私の独身を心配してくれている。

「ありがとう」と彼女は言う。「先生のことも祈ってます」

彼女はものが食べられなくなり、せん妄を起こすようになって亡くなっていった。

彼女がのぞましい死を得られたかだけが気がかりである。

私は自由になりたくなった。

空谷子しるす

二年目

初期研修に入って一年経った。

なにかをやる時にそれほど恐れなくなっているのは、ある程度進む科を決めたからであろうか。私は確定ではないものの小児科に進もうかと考えている。小児科が一番居心地がよかったからだ。子どもらのために医療を行うことは少なくとも今の日本の環境では自然なことに思える…私には今の日本は誰も死や命について思いを巡らさないように思える。患者の家族が必ず生かせと詰め寄る。しかし患者はもう90歳近くて認知症も重く意思疎通ができないのだ。カルテには膨大な数のプロブレムが並んでいる。その全てをガイドラインに正しくのっとって治療することを指導医に言われる。しかし患者は家に帰りたがってせん妄を起こし、仕方のないことだが口腔も肛門周囲もいくら清拭しても汚れてしまう。

私たちがこの日本でおそらく考えるべきなのは高齢者の人々をいかに治療するかではなく、彼らといかに対話し、よく生きることを考えるかなのだ。

大阪で働く同期が言われた。

「おまえ、赤ひげ先生気取りかしらんけどな。自分の臨床力のないのを患者の機嫌取りでごまかしてへんか。赤ひげとか寄り添うとか言えるのは治せる疾患を治せて、治せない疾患を緩和できるようになってからの話や。おまえは間違ってる。おまえは医者に向いてない。辞めろ」

おお、正論。あらゆる正論を私は憎む。

人の世の正論ほど致命的な誤謬は存在しない。

だんだんと割り切ってくる。救急の現場は最終鑑別をつける場ではない。自分の時間が過ぎるまで生かせばよい。それは有用な考え方だ。しかし素早く捌く中で副産物が精神の中に生まれる。長っちりの患者を疎み始める。暴飲暴食で体調を崩した患者を疎み始める。糖尿病、精神疾患、認知症、救急現場を阻害する諸問題を冷めた目で見るようになる。それは私の力が足りないからだ。私の父が糖尿病患者だったのに、糖尿病患者を疎む医療者の感情を私は理解できるようになっている。

この一年で何かしらできることが増えたことは嬉しいことだ。しかし同時に失ったこともある。その矛盾を私は忘れてはいけないと思う。矛盾を矛盾のまま保持するためには、私には祈りが必要なのだ。

難しいことを単純にするのももしかしたら祈りによって可能になるかもしれない。

空谷子しるす

脳神経外科

「ここの研修医は三年目が心配になる」

と脳神経外科の部長先生は言うのだ。

しかし私の兄は、

「おれの仕事も似たようなものだけどそんな言葉は嘘だと断言できる」

と言うのだ。

埋没縫合せよと言われ、してみたところ、無言で切断され、

「もっといっぱい救急でナートさせてもらいなさい」

と言われた。

しかし皮膚科で縫うと、「べつに二年目ならこんなものだろう」と言われた。

当院は救急車が到着してから頭にカテーテルがつっこまれるまで二十五分くらいである。

とても早くて腕が立ち、そして脳神経外科医たちとしては破格に優しい。

しかし生の脳を見ることを期待した私は、あまりその機会が無いことを残念に思った。

脳神経外科医たちは常に病院にいる。

「僕が初期研修医のときは、自分で希望して胆摘をひとりでやった」

と部長先生は言うのだ。

「もっと積極的にきなよ」

しかし未熟な私には、万全の力を身につけた上で積極的に前線に出よという要求に応えることはできなかった。

少なくとも私は脳神経外科医には向いていないことがはっきりわかったのでとても有意義であった。

同時に病院や医者の考え方がますます嫌いになってきた。

空谷子しるす

近況

『プライマリ・ケア』という学会誌に、2020年に訪れたパリの記事が掲載されることとなった。
近況を150字で書けと編集部から指示されたので認めた。
せっかくなのでここにも載せておく。
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枝雀の提出した緊張と緩和が単に笑い話ではすまされないと最近考えている。
(身体を含めた)環境とライフステージの変化により主体に緊張が生じる。
高じればゆとりがなくなり乱数もでたらめも笑いもなくなる(中井久夫)。
統合失調症やPTSDではそれが極まる。
感染症、育児(発達障害でも定型発達でも)、終末期においても時に減圧が必要となる。
一切は循環の中にあるのだろうか。

素寒

一生遊ばないよ?

6歳娘が3歳の弟を説き伏せていた。

ねえ、それ返して
ねえ、貫ちゃん、それならもう一生遊ばないよ?
一生遊ばないっていうのはね
お母さんみたいになってもね
おばあちゃんになってもね
天国に行ってもね
ののさまのとこに行っても
もう一生遊ばないってことなんだよ
それでもいいの?
じゃあ返して

素寒

『現象学の理念』

3年ほど前のプライマリケア連合学会でビブリオバトルに参加し、本書を紹介した。
その時の原稿を残していたので掲載する。
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みなさんは患者さんをケアするとき、寄り添うとき、どうすればケアになるのか、寄り添うことになるのか、困ったことはありませんか?

私は、非常に困っています。
訪問診療で例えば終末期ガン患者さんと向き合うとき、
手を握って傾聴したり、関係性に着目したり、自律性に着目したり、痛みには麻薬で調整したり、家族と医療従事者と連携します。
しかし、十分に寄り添えている、などとは決して思えません。
思ったとたん「お前はこの苦しみを経験したことがないから分からないだろう」という心の声が直ちにわきあがってきます。

例えば、家庭医療で有名なマクウィニー先生は死にゆくひとに注意を払いなさい、と指摘しています。
それもただの注意ではなく、完全な注意を、と指摘しています。完全な注意とはなんでしょう。
非常に抽象的です。しかし彼はわざわざ言い直しています。
イギリスのジョン・フライ先生は16世紀の外科医のアンブロ・パレを引きつつもケアの重要性を再三指摘します。
科学には限界があり、キュアにも限界がある。しかし、キュアはできなくてもケアは常にできると。
この学会はプライマリケア連合学会ですが、プライマリキュアではなくプライマリケアです。

でも、ケアがなんであるかを端的に明言したものは私はみたことがありません。
従って、普段はわたしは、例えば終末期がん患者さんに接する時、非常に困ります。
はて、よりそうとは?完全な注意を払うとは?

でもそれは、もしかしたら本来的に概念として定義できないもの、であるからかもしれません。
そのような時、この本はヒントを与えてくれるかもしれません。

この本の著者エドムント・フッサールは現象学の創始者です。
皆さんも最近ケアの領域で間主観性という言葉を聞かれたことがあるかもしれませんが、あれはもともとフッサールの仕事です。
この本は彼の仕事の最初期のものです。
彼は、認識とは何か、を非常に深く深く問い考え抜きました。
彼は認識とは、直接に、明晰に、直観することだ、と繰り返し指摘します。
その時、その認識から概念は排除せよ、とも指摘しています。
なぜなら、概念は、外側にあるからです。
ではなくって、直接的に知覚されるもの、目の前にあるものをしっかりつかんで、そこに注意を払え、と言っています。

例えば、私が、自分は何者かと考えた場合
男性で日本人である私、2000年代を生きる私は〜と記述してもよいでしょう。
愛国心ある自分として記述することもできます。
自然に考えるとそうなるだろう、でも哲学的に考えるとは、そのように考えることではないとフッサールは言います。
私は日本人でなくたって私だ。私は男でなくたって私だ。
日本人だとか男性だとかは、外部の概念であり色眼鏡にすぎない。
そういった外部の概念に頼ら判断を一旦中止してみよ、現象をそのまま直観せよ。
色眼鏡を外しなさいと言っています。
これが現象学的還元です。

この本は哲学書ですから、もちろんケアについての本ではありません。
しかし、フッサールによると、苦しむ患者さんに寄り添うとき、どんな教科書にあるどんな概念で、この人に向き合えばいいのか、と考えるのではありません。
外部に頼らず、内へ内へ。
今認識していること、患者さんとの間で起きている現象をそのまま掴む。
目をそらすな、完全な注意を払え。そうですマクウィニーの指摘する完全な注意と重なってきます。

ケアが定義できないかもしれないと言いましたが、現象学的に言えば、ケアは相手ありきです。
ケアとは何ですか、と言った場合に、それは誰のケアですか、誰との間でおきている現象のことですか?という問いが立ち上がります。
したがって相手不在の簡潔な定義はできません。

哲学書はだいたいそうですが、読むのが非常に困難です。
僕はこの本を30回くらい読みました。
10回読んで薄ぼんやり
20回読んでなんとなく
30回読むと、ああなるほど
非常に難解で、時に放りたくなりますが、頑張って読んでみてください。
哲学は実学としては役に立たない、なんてことは全くありません。
必死にしがみついてみてください。
苦しむ患者さんに寄り添う時、逃げるな、退くな、今起きていることをしっかり見よ、感じよ、そんなフッサールの息遣い、励ましが聞こえてくるでしょう。

素寒