二年目

初期研修に入って一年経った。

なにかをやる時にそれほど恐れなくなっているのは、ある程度進む科を決めたからであろうか。私は確定ではないものの小児科に進もうかと考えている。小児科が一番居心地がよかったからだ。子どもらのために医療を行うことは少なくとも今の日本の環境では自然なことに思える…私には今の日本は誰も死や命について思いを巡らさないように思える。患者の家族が必ず生かせと詰め寄る。しかし患者はもう90歳近くて認知症も重く意思疎通ができないのだ。カルテには膨大な数のプロブレムが並んでいる。その全てをガイドラインに正しくのっとって治療することを指導医に言われる。しかし患者は家に帰りたがってせん妄を起こし、仕方のないことだが口腔も肛門周囲もいくら清拭しても汚れてしまう。

私たちがこの日本でおそらく考えるべきなのは高齢者の人々をいかに治療するかではなく、彼らといかに対話し、よく生きることを考えるかなのだ。

大阪で働く同期が言われた。

「おまえ、赤ひげ先生気取りかしらんけどな。自分の臨床力のないのを患者の機嫌取りでごまかしてへんか。赤ひげとか寄り添うとか言えるのは治せる疾患を治せて、治せない疾患を緩和できるようになってからの話や。おまえは間違ってる。おまえは医者に向いてない。辞めろ」

おお、正論。あらゆる正論を私は憎む。

人の世の正論ほど致命的な誤謬は存在しない。

だんだんと割り切ってくる。救急の現場は最終鑑別をつける場ではない。自分の時間が過ぎるまで生かせばよい。それは有用な考え方だ。しかし素早く捌く中で副産物が精神の中に生まれる。長っちりの患者を疎み始める。暴飲暴食で体調を崩した患者を疎み始める。糖尿病、精神疾患、認知症、救急現場を阻害する諸問題を冷めた目で見るようになる。それは私の力が足りないからだ。私の父が糖尿病患者だったのに、糖尿病患者を疎む医療者の感情を私は理解できるようになっている。

この一年で何かしらできることが増えたことは嬉しいことだ。しかし同時に失ったこともある。その矛盾を私は忘れてはいけないと思う。矛盾を矛盾のまま保持するためには、私には祈りが必要なのだ。

難しいことを単純にするのももしかしたら祈りによって可能になるかもしれない。

空谷子しるす