「その時」がきた。
逆転につぐ逆転、混沌に混沌を重ね言語に絶する膨大のなエネルギーが天から降り注いだ。
見慣れていたはずのぐるぐる回るその回転に、私も取り込まれ、よもや誰が正気を保っていたろうか。
厳しい高山の、気象は激しく変わり、森林限界を超えた先の、鋭く切り立った稜線を、際どくも歩いた。
そして、頂上にたどり着いた!
その頂点では、驚くべきことに存在の全てが私を包んだ。
気が触れたのではない。
虚言でも妄言でもない。
私は彼とよくsailingした湖、よく晴れた空の光に照らされた湖を見ながら、解放された彼と対話した。
私の存在における、私の人生史のアンバランスがたちどころに顕在化した。
私はこれまでのアンバランスに和解を試みた。
彼は早くも私に力を与える存在となった。
ありありと見える、聞こえる。

まだ言語にできない。
しばし温める。


帰宅し手を洗っていると娘が話しかけてきた
「今日は大変だったでしょ~」
「え・・・なんで分かるの?そう、お父さんは今日大変だったんよ」
正しく虚を突かれた私は、1秒泣いた。
「分かるに決まってるでしょう~』
「そうなのね・・・お父さん、今日頑張ったんよ」
「そんなこと分かってるよ!頑張ったってこと!」
茶目っ気たっぷりにまたどうして・・・
「お父さん、泣いてるの」

妻は娘に何も伝えていなかった。
このように問われるのは初めてだった。
遅く帰ったわけではない。
分かるのだろうか、この子には。

明らかに変わった。
彼は今や「その時」を知っているのだろうか。

これまで一貫して不屈の人であった。
黙って今の戦いに耐えていた。
マラソン走者が黙々と走り、時折遠くを見やる。
ゴールはまだ遠い。

しかし、どうだろう。先日は違った。
ほとんど構音ができないながらも、しきりと感謝の意を表現しようとしていた。
加えて、「大好きです」と。
彼はこれまでも、事態が極まると、そんな風に茶目っ気たっぷりに振舞うことがあった。
事態をうっちゃってしまって、後は寝て待て、酒を飲んで待て、というような。
頑なな彼が他者に委ねて<わたし>を開放する時。
アタラックスPの頻回使用で嘔気が緩和された影響もあるとは思う。
しかし、より正確には、彼は「その時」を知るに至ったのではなかろうか。
<わたし>を包み込む「その時」を知り、他者に向かって<わたし>を開いているのではなかろうか。

友としてそれは幸いのことのように思う。
死が?
実のところ私はそればかり祈っていた。
死を?

家族によると、私に全て任せると言っているようだ。
この全幅の信頼は、逆説的に私を打ちのめす。
ああ、私に何かできたらいいのに。
私に技術さえあれば、この信頼をもって、彼を治癒せしめ・・・

私は治療する者としてまなざされていた。
私は巧みに、治療する者としてまなざされる分だけ治療する者であった。
しかし、一貫して私は祈る者として存していた。
機は熟した。
私は治療を撤退する治療者としてまなざされている。

これは奇跡に違いない。
いな、彼の死が奇跡だなどとばかげた話だ。
いな、死は奇跡だ。
生が奇跡なら、生の原因であるところの死も奇跡だ。
私はそこに、祈る者として存する場を、辛くも得た。

「その時」は近い

病院と在宅療養の違い

① 医療者が患者のもとへ行くまでにかかる時間
 ・病院:ナースコールを押して数分
 ・在宅:看護師に相談してから30〜1時間後(夜間は特に)

② 点滴の種類、在庫
 ・在宅では3,4回/日の点滴は困難
  従って、例えば抗菌薬の場合、ペニシリン系はまず使えない。
  もっぱらセフトリアキソン。
 ・基本的に末梢ルートはとらない。
  ルートをとった後に、自己抜去のリスクが病院より高い。
  脱水補正目的であれば、皮下に留置し、生食などを500ml/日滴下する。
  しかし例えば老衰なら浮腫などデメリットのため数日で中止となる事が多い
  例外)CVポートがある場合
 ・たくさんの在庫を抱えられない

③ 病棟と違って、カルテの共有ができず、方針を伝えづらい
 ・難しいケースは朝礼後に毎朝カンファレンスをした方がい
 ・その内容を簡潔にまとめ、訪問看護STや薬局など関係各所に送った方がいい

癌性髄膜炎
なんとも酷い病だ。
そばで見るに、おそらくは、ひどい二日酔いのような頭痛と嘔気が続いているのだろう。
我が子の泣き声ですら、時に痛みを増す原因となっているようだ。

1週間以上前から少し話すだけで息は切れていた。
それでもまだわずかにリビングで食事はできていた。
ここ数日は臥床が続いている。食事は何もとれない。
今日はトイレにも行けなくなっていた。

2日前はまだ笑う余裕があった。
僕は彼に偉大なお説教をした。
僕「お前が弱音を吐かずに一人で戦ってるのは、よう分かってる。言いたいこと色々あるやろうに。こらえて戦ってるんやな。きついな。大丈夫大丈夫。何があっても大丈夫なんや。大いなるものにゆだねてごらん。」
N「Iさん、松岡修造みたいですね。ありがとうございます。Iさんのちんぽこに拝んどきます」
僕「俺のちんぽこにか?けったいな奴やな。ええけど。ちゃんと賽銭置いてけよ」
病床に笑いの花が咲いていた。
(ちなみに、Nは松岡修造と言って僕をバカにしているのではないことを付言しておく。彼は病床で松岡修造の言葉をよく聞いているのだ。)

今日は呼びかけにごくわずかに応じるのみだった。
表情はとても穏やかだった。
点滴は減らされさなければならない。

終末期のスピリチュアルペインだと?
死の苦しみに寄りそうだと?
誰が寄り添ってほしいと言った?
彼の懊悩を医療化しようというのか?
彼が孤独に死ぬ権利を奪うというのか?

いよいよ本丸に攻め入った
そして「その時」もまた近づいている
私は諦めていた。彼を在宅で看取るということを。
そこには非常に強固な越えられぬ岩盤が存在していた。
さよならは言いようもなかった。
しかし今や機はあるポイントを目指して熟しつつある。
私はこの事態を予想していなかった。最終的に彼を病院に送らずに在宅で看取るということを。
あのそびえる岩盤を目前に、それは単に私の願望であり、ロマンに過ぎないと思われた。
そのように私は私を諌めていた。

しかし、事実は異なるように分泌されつつある。
1週間前に始めた点滴は、今や動けなくなった彼には苦痛となっている。
高エネルギーの点滴は彼と家族に希望の灯火であった。
今やその点滴が彼の苦しみの原因になっていることを彼は訴え、家族はそれを理解しつつある。

彼は頑なに進軍を続けた。常にその意志を周囲に示していた。
彼のその不屈の意志を前に、私は焦燥感にかられていた。
私は軍師として死の行軍に役割を得た。
千の軍略をめぐらし、あらゆる看守の目を盗んだ。
あろうことか、私は現実に彼の主治医になってしまった!

そして、今、ようやくあの関所にやってきた。
ここでは膨大なエネルギーが注がれ、事態が混沌とし、天がぐるぐると回る。
私は在宅医としてこれまでに天がぐるぐると回るその様を何度も目撃してきた。
てこはこの関所にこそ出来する。
今や私にはてこの支点が見える。

私は軍師としてこの関所は通れないと思っていた。
その前に在宅療養を断念し病院での治療になるだろう、と思っていた。
彼と家族の進軍の意志と、さらにやっかいな父親という越えられぬ岩盤が明瞭に私の密かな、しかし重要な軍略を阻んでいた。

今この関所で、私の視界に、てこの支点が現れた。
五里にもわたる霧が今晴れつつある。
ギアがチェンジされつつある
キュアからケアへ
進軍から退軍へ
足し算から引き算へ
言えるはずのない、さよならが発語されようとしている
ぐるぐると天が回り始め、新たな世界線が引かれつつある。
私はそれを凝視している。

この邂逅をどう考えればよいのか
われわれはなぜ出会ったのか
私が彼をヨット部に引き込んだのはなぜなか
私の魂が彼の魂と濃密に交流するに至ったのはなぜか
私がこの時にここに在籍しているのはなぜなか