癌性髄膜炎
なんとも酷い病だ。
そばで見るに、おそらくは、ひどい二日酔いのような頭痛と嘔気が続いているのだろう。
我が子の泣き声ですら、時に痛みを増す原因となっているようだ。

1週間以上前から少し話すだけで息は切れていた。
それでもまだわずかにリビングで食事はできていた。
ここ数日は臥床が続いている。食事は何もとれない。
今日はトイレにも行けなくなっていた。

2日前はまだ笑う余裕があった。
僕は彼に偉大なお説教をした。
僕「お前が弱音を吐かずに一人で戦ってるのは、よう分かってる。言いたいこと色々あるやろうに。こらえて戦ってるんやな。きついな。大丈夫大丈夫。何があっても大丈夫なんや。大いなるものにゆだねてごらん。」
N「Iさん、松岡修造みたいですね。ありがとうございます。Iさんのちんぽこに拝んどきます」
僕「俺のちんぽこにか?けったいな奴やな。ええけど。ちゃんと賽銭置いてけよ」
病床に笑いの花が咲いていた。
(ちなみに、Nは松岡修造と言って僕をバカにしているのではないことを付言しておく。彼は病床で松岡修造の言葉をよく聞いているのだ。)

今日は呼びかけにごくわずかに応じるのみだった。
表情はとても穏やかだった。
点滴は減らされさなければならない。

終末期のスピリチュアルペインだと?
死の苦しみに寄りそうだと?
誰が寄り添ってほしいと言った?
彼の懊悩を医療化しようというのか?
彼が孤独に死ぬ権利を奪うというのか?

いよいよ本丸に攻め入った
そして「その時」もまた近づいている
私は諦めていた。彼を在宅で看取るということを。
そこには非常に強固な越えられぬ岩盤が存在していた。
さよならは言いようもなかった。
しかし今や機はあるポイントを目指して熟しつつある。
私はこの事態を予想していなかった。最終的に彼を病院に送らずに在宅で看取るということを。
あのそびえる岩盤を目前に、それは単に私の願望であり、ロマンに過ぎないと思われた。
そのように私は私を諌めていた。

しかし、事実は異なるように分泌されつつある。
1週間前に始めた点滴は、今や動けなくなった彼には苦痛となっている。
高エネルギーの点滴は彼と家族に希望の灯火であった。
今やその点滴が彼の苦しみの原因になっていることを彼は訴え、家族はそれを理解しつつある。

彼は頑なに進軍を続けた。常にその意志を周囲に示していた。
彼のその不屈の意志を前に、私は焦燥感にかられていた。
私は軍師として死の行軍に役割を得た。
千の軍略をめぐらし、あらゆる看守の目を盗んだ。
あろうことか、私は現実に彼の主治医になってしまった!

そして、今、ようやくあの関所にやってきた。
ここでは膨大なエネルギーが注がれ、事態が混沌とし、天がぐるぐると回る。
私は在宅医としてこれまでに天がぐるぐると回るその様を何度も目撃してきた。
てこはこの関所にこそ出来する。
今や私にはてこの支点が見える。

私は軍師としてこの関所は通れないと思っていた。
その前に在宅療養を断念し病院での治療になるだろう、と思っていた。
彼と家族の進軍の意志と、さらにやっかいな父親という越えられぬ岩盤が明瞭に私の密かな、しかし重要な軍略を阻んでいた。

今この関所で、私の視界に、てこの支点が現れた。
五里にもわたる霧が今晴れつつある。
ギアがチェンジされつつある
キュアからケアへ
進軍から退軍へ
足し算から引き算へ
言えるはずのない、さよならが発語されようとしている
ぐるぐると天が回り始め、新たな世界線が引かれつつある。
私はそれを凝視している。

この邂逅をどう考えればよいのか
われわれはなぜ出会ったのか
私が彼をヨット部に引き込んだのはなぜなか
私の魂が彼の魂と濃密に交流するに至ったのはなぜか
私がこの時にここに在籍しているのはなぜなか