須賀

須賀神社は聖護院のあたりの鎮守様である。

康治元年に美福門院の建てた歓喜光院の鎮守として岡崎のあたりに創建され、その後場所を聖護院の前に移して今に至る。

須賀というのは素戔嗚を祀る宮のことだ。出雲の須賀に素戔嗚が至り、「吾が心此処に至って清々し」とのたまったのが須賀のはじまりと言う。

このところ当直が続いたり、期限の過ぎた症例発表の準備をしたりで私はとても疲れている。当直明けに聖護院まで来て、五大力さんと須賀社にお参りするのが常のことである。

この近所にはちいさな蕎麦屋があり、そこの中華そばが何とはなしに滋味深くて好ましいのだ。

めしを食べて部屋に戻ると寝る。仕事のこと、結婚のこと、これから生きられるか、さまざまに気になることは多いが、「客観的の」立場に立てばすこし気持ちは楽である。

客観的の立場というのは正岡子規が「飯待つ間」か「墨汁一滴」かに書いていたことだ。正岡子規は結核で床にふせって褥瘡もできて痛くてたまらなかったわけだが、「死」を主観的に見ると恐ろしくてたまらないというのだ。しかしその見方がふと客観的になることがある。客観的の死というのは、自分が棺につめられて、野辺の送りをやって、埋められたあとは小さな石を墓標にして皆が帰っていく。その有様を見ると、なんだか落ち着いて静かで、むしろ滑稽味さえ出てくる。恐ろしさも苦しさもしばらく忘れると言うのだ。

正岡子規の命の瀬戸際に及ぶことはないが、この客観的の見方というのはいいもので、私のようにその場その場で相対的に劣る人間にとってはありがたいことだ。主観的に見ると周りが圧迫して、蔑み、要求された仕事ができないという思いで苦しまなければならない。

客観的に見ればできぬものはできぬのである。できぬなりにおのれの利益になるようにやれるだけやるしかない。なんにしても他人の言うことは意味がない。客観的に見れば、私は私に利益になればなんでもよいのだ。

しかし自分のことだけを考えるというのは主観的なようにも思える。正岡子規の客観的と私の言う客観的は全然違うものかもしれない。かもしれないが多分同じものだ。

空谷子しるす

難波

難波神社は第十八代のみかどである反正天皇が、父君である仁徳天皇を祀ったことに始まるという。

結婚式の相談に本町まで来た私は早く着きすぎたのであった。

小雨が止まない。大阪の街はしとど濡れ、船場の高層建築は勤め人もおらず北御堂も雨の中である。

御堂筋を車が行く。ひどくうるさい音の二輪車が行く。ベントレーの店の中では高そうな車が睥睨している。親しみ深いのは御堂筋のイチョウの木で、銀杏はもうほとんど回収されたがまだいくつか地面に落ちているから鼻を凝らすとかすかに嗅ぎ慣れた臭い匂いがする。

イチョウはまだ緑色である。

延々と街を歩いて、瀟洒な革鞄の店や、マリメッコの店や、ゴルフ用品の根明な店やを見ていくと、私もしだいに普通の人間の感性が刺激されるようだ。私は街にも慣れず、自然の中で生きるほど強くない。どこにいてもイマイチだ。だから祈る。

難波神社は多くの大阪の寺社と同様、空襲で焼けたから本殿は鉄筋コンクリートでできている。境内のクスノキは奇跡的に焼けなかった。巨きな木姿はとても力強くて美しい。さわるとやんわりとして優しい。

神道はしばしば人間を神に祀るが、それは人間信仰にならぬ。どこか土地の霊や神の霊とへだてが無くなってくるようだ。

何もかも全てがうまく行きますように。

空谷子しるす

白山

京都の洛中に白山神社がある。

治承元年、加賀の白山比咩神社が都へ強訴した。神輿を担いだ僧兵が押しかけたのであったが、訴えは聞き届けられなかった。それで僧兵どもは担いできた神輿をその場にうっちゃって加賀に帰ってしまった。うっちゃられた神輿を祀るようになったのがこの神社の始まりという。夫婦和合に験があり、歯痛にも効く。

私はコロナに罹患した。COVID-19という鹿爪らしい名前の不愉快な病気である。一週間、私は熱と咽頭痛と強い倦怠感、めまいなどに悩まされ、一日中部屋の中にいてはyoutubeを見ていた。

それがどうにか治ってきたので私は白山神社に参ることにしたのであった。

外はもう秋であった。小雨が降りかかる合間に木々はようやく色づいて、軒先の大きな萩の花がやや散りかかったのが匂やかだ。近所のデュランタの花は終わろうとしていた。季節は徐々に巡っていた。

私は大学の業務に圧迫されていて、院内の症例発表の準備をしなければならない内に病を得たのであった。発表の準備は、上の医師たちの求める水準には到達しないが、これ以上は無理なようである。私には何がしかの学びになったからよいと素直に思う。上の医師たちは私のことを使えぬ奴と烙印を押すのだろう。

私は病床にあって、助平なことを考えるか、ある卑しい配信者(おそらく軽度の知的障害がある)に憎しみを燃やすか、そんなことばかりしており、あとは世界樹の迷宮というゲームをやってはようやく終幕まで来たのであった。私が祈りに行くのは一つのバランスかもしれないし、あるいは私の行いの全てが祈りかもしれない。

小雨の中で白山神社は街中に寓居せられており、きれいに整えられた境内はどこかかわいらしく、やはりこれは白山宮なのだと、うっすらと懐かしい気持ちを嗅ぐ。白山はまことに尊く美しくておわします。

お参りが終わり、また帰路につくのであったが小雨はやむことなく中京の街中に降るのである。私はとても白山にまたお会いしたい気持ちがあるが、なかなか果たせそうにない。その雪も、草も木も、清らかな川、きびしい大岩、全てが美しく、あそここそは本当に人間の住むべき場所なのだ。ここいらは、街中というところはいずれの街中だとしても、今の時代にあっては人の住むべきところではないように思えてくる。極楽も地獄も無い人間は本当の地獄にいる。極楽も地獄もなく神も仏もいない真の地獄だ。そのような地獄にいる人間たちが集まって生きる算段をつけるのはいいが、主客が顛倒しては生きられない。

空谷子しるす