呼吸器内科

「コモンな症例がなくてごめんね」

と、呼吸器内科の部長先生は私に仰ったのだ。

2年前からつづく世界的な悪疫は日本の田舎の研修医にも波及している。

呼吸器内科の先生方は主にコロナを診ることになり、他科の診れそうな疾患は他科に分担されることとなった。

しかもどういうわけか、先月はそれなりに来ていた胸水や気胸といったありふれた疾患も、この5月は全く来なかった。

私は賜った患者の方々を見にいっては、呼吸数や心拍数をとって、著変がないことをたしかめ、カルテを散漫に見て、業務上には存在意義のないカルテを書いて、

はなしがしたい患者さんがあれば、

行ってお話を伺っていた。

私はなにをやっているのであろうか。

相変わらず、薬の指示も、静脈のルートとりも、定期処方の継続すら、できぬままである。

入職前に上の先生から聞いたことがある。

「CVを何本いれたとか、挿管を何回やったとかは、たいした問題ちゃうんやで」

また六ヶ所村の松岡先生は仰ったのである。

「ハイパー病院とか行っても、行っただけになる人が多い。行った先で何をするかなんだ」

行った先で、ちからの及ぶかぎりはやるつもりでいたのである。

いまも常にやれる限りのちからは尽くしている。他人がどう思おうが、天地神明に照らして嘘偽りのないことである。

しかし、なんぼ初期研修の、手技のいくつかをやるとか、仕事がすこしできるようになったとかが、先達の仰るように大したことでなかったとしても、

私はやはり無能ではないかという思いが強くなる。

肺音を毎日聞く。

副雑音なしとカルテにかく。

同日の昼頃のカルテにて、オーベンが、捻髪音ありと書く。

夕にきけば、吸気終末に、わずかに捻髪音をきくようである。

私はいまどうなっているのか?

無能の駄目研修医なのか?なにかやり方を変えねばならないのか?

それともこのままちからを尽くしてゆくので大丈夫なのか?

なにかができるようになった訳でないまま呼吸器内科が過ぎていく。

空谷子しるす

糖尿病内科

4月から始まった研修は糖尿病内科からであった。

オーベンは早口であった。

オーベンというのは指導医という意味の業界用語であり、obenとはドイツ語にて「上に」という意味らしく、研修に入ってはじめて聞いた。じつに化石じみた言葉だ。一体、ドイツ語というのは、森鴎外のように権威的でえらそうに聞こえるから嫌いだ。カタカナ語やアルファベットの略語はなんだかわからぬからきらいだ。

オーベンは早口であった。

早口であったが、怒ったりはしなかった。

「あの、先生、ね、メトホルミンですね、下痢をおこすことはありますが、メトホルミンイコール下痢という図式がね、先生のなかで固定されてはね、それは気の毒と思いますから…」

2型の糖尿病、教育入院の方がはなはだ下痢をしておられたのであった。

ビグアナイド系の薬がときどき消化器症状をもたらすというのははじめて知ったが、一日に十遍以上も下痢をするのは困った。その下痢は結局、メトホルミンを減量したらひいていったのではあったが、よくわからぬことだ。

まったくよくわからぬことばかりだ。

薬の指示も、輸液の指示も、まだするを得ぬ。

なにかが起きても、それが何故のことか、見当がつかぬ。

医師免許がきたら少しはモテるかと思うたが、別段モテはせぬ。

しかし持病の胃食道逆流症ばかりは、

就職したがため、給金が入るようになって、

差し当たり飢え死にの心配がなくなったから、

すこしましになった。

空谷子しるす

ばばたんに言うの?

今回はfunnyではなく、interestingでありthrillingでもある言葉

2歳4ヶ月の息子、5歳の娘と早めの夕食を終え、まだ日が暮れる前にスーパーに買い物にでかけた。
今回始めて、子供を乗せないシンプルな買い物カートを選んだ。
カートを押しながら買い物をしている横を子供達はキャッキャと踊りながら、歌いがながらついてくる。
と思っていたら、息子がいない。
ざっと、周囲を見渡してもいない。
その間、おそらく1分もないと思うのだが、とにかくいない。
娘と名前を呼びながらスーパー中を買い物途中のカートを押しながら足早に探し回った。
もし外に行っていたらと、焦燥感にかられながら、娘と名前を呼んでいた。
肉売り場にもいない、おやつ売り場もいない。
これはいけない。
ひとまず、サービスカウンターに相談しようと向かうと、そこに女性に抱えられた息子がいた。
特に泣くでもなく平然としている。
その女性は親切にも息子がスーパーを出て一人でしばらく歩いているのを不審に思い、抱えて連れて来てくれたのである。
もし何かがあれば、立ち上がっていたかもしれない別の世界線が、瞬時に脳裏によぎった。
これはどうしようもなく私に非がある。
なんという不注意。
とにかく無事であることに安堵した。
息子に詫び、女性に深謝し、辞去した。

その後、買い物の途中、娘はしきりに「危なかった~~」と繰り返していた。
買い物を終えて、いよいよ帰るというときに、娘が唐突に「ばばたんに言うの?」と聞いた。
同様のことを考えていた私は驚いた。

説明を加えると、
まず、いま我が家には母親(私にとっての妻)がいない。
3週間前に生まれた娘(この子たちにとっては妹)が、発熱して入院することとなり、母親も付き添いで入院している。従って、妻の母がピンチヒッターとして遠路はるばる来てくれている。

話を戻して、あの問いである。
私はちょうど、「もし、今のことを義理の母(ばばたん)に言うと相当心配するだろうな」と考えながら帰途に着こうとしていた。
不意をつかれた私は戸惑った。
私は娘に心持ちを見透かされたような気持ちにもなった。
「ん~どっちでもいいんじゃないのかな」と誤魔化した。
かわいそうに、娘の問いは答えられることなく棚上げされてしまった。

スーパーから5分のところにある我が家まで帰る途中、娘はもう一度、同様の問いをした。
私は「言いたかったら、言ったらいいと思うよ」と。
娘の問いは虚しくも再び棚上げされた。

マンションの玄関に着いて、娘はいつになく部屋番号を間違えて押してしまった。
その間違えたことを私が指摘すると、顔に不安がたちこめ、指を咥える退行が始まった。
エレベーターで移動しながらも不安気に、しきりに指を咥えている。
4本の指を全て口に入れ込んでいる。
私は間違えたことは気にしなくていいよ、と繰り返した。
しかし、指しゃぶりは収まらなかった。
私は娘の指しゃぶりはこれまでに見たことがなかった。
よほど大きな不安がこの子に今、あるのだろうか。
ここまできてようやく、娘が切実に問いかけていたあの問いを棚上げしていたことに気がついた。

おそらくは、娘にとっても、弟がいなくなるかもしれないというのは恐怖体験だったのだろう。
当然である。
買い物を続けながら、「危なかった~」と連呼していた。
そのペースでいけば、当然、彼女の心は家でも連呼することとなる。
しかし、ばばたんは、この事件を知らない。
それを、言うのか、言わないのか。
言うのであれば、誰が言うのか、私は言い出しにくい。
という問いがが帰る間際の娘に生じた。

私が言うべきかどうか打算したのとはおそらく別の風景から同様の問いを持っていた。

われわれ大人は、と一般化するのが適切か不明だが、
少なくとも私はこのレベルの嘘(大人風に誤魔化して言えば、情報の制限)は常日頃からなんの躊躇もなくしているのだろう。

その後、家に着いた時には19時を過ぎていた。
風呂にも入っていなければ、明日の幼稚園の準備もしていない。
娘の指しゃぶりは風呂の中でも続いた。
私は娘に「お風呂をあがったら、ばばたんにちゃんと言おうね。パパが言うからね」と告げた。
それでも娘の表情は硬かった。
これは体を動かさなければと私は直観した。
入浴後、ばばたんと出来事を共有し、娘も「ほんとに危なかった~」と言った。
すでに寝る時間を過ぎているが、どすこい(すもう遊び)と、ダンスをしてから寝た。
どすこいの時には、娘はいつもの娘になっていた。

反省することの非常に多い買い物であった。
あの時、娘は何を思って私に問いを発したのだろうか。

2021/05/30 素寒居士

とーろく

今回はおもしろい言葉ではなく、おもしろくない言葉

「とーろく、と-ろく、と-ろく♪」
5歳、2歳の子供たちが嬉しそうにと歌っていた
耳から離れぬリフレイン

その意味は「チャンネル登録」とのこと
YouTubeを見てみると、HikakinというYoutuberがなんとも言えぬ顔で視聴者にチャンネル登録を促していた
子供たちにキャッチーな歌を用意してまで登録数を稼いでいるのか・・・・
なるほど、彼の番組は一見して子供向けと思われる企画が多そうだ
彼のチャンネル登録者の相当な割合で未就学児が含まれているのではなかろうか
スマホ子育てに一役買っているに違いない
それで彼は巨万の富を得ている

スマホ子育てを反省するキーワードを2つ挙げておく

一つは関心経済 1)
コンテンツの情報の正確性や質を高めることではなく、閲覧数を稼ぐためあの手この手で利用者の感情を刺激してクリックさせる。
このような、関心の獲得が経済的価値をもつ状況を、関心経済(アテンション・エコノミー)などというようだ

もう一つは、自動再生機能 2)
この機能のため、YouTubeをみていると、自分で選択したのではない情報に満足する状態に慣れてしまい、ネット中毒のリスクがあるという

あな悲し
2歳の息子の数少ない豊かなボキャブラリーに、Youtuberの営利のための語彙が侵入するとは

それにしても、Youtuberの度し難い貪欲さ
なんとも憐れな

では、見なければよいだけだろうに、
と彼は臆面もなく言うだろう
関心が生じているのはそちらであって、私ではない、と
正しい
したがって、私は見ない
万が一ご覧になる場合、彼が登録を促すあのえもいえぬ表情には催吐性があるためご注意を

子供というフィールで何が起きているのかを把握するのは難しい
フロイトやピアジェの観察もそのフィールドワークと言える
親業でもそのフィールドを垣間見る可能性があるにはある。

YouTube利用に対して注意喚起する臨床心理士の言葉を紹介しておく3)
ちなみに、読者のプレイセラピストの方々は現代の子どものカルチャーには敏感だろうか。いまや幼稚園児がYouTubeやニコニコ動画を垂れ流しのように見ている時代である。保護者もYouTubeやニコニコ動画を見せることに抵抗がない場合が多い。ご存知だろうか。小学生の多くが日曜朝の30分の子ども番組を見続けることができないことを。3分~5分程度の動画を次々にザッピングしていく習慣を身に着けた子どもにとって30分は長すぎて集中力が続かないのであろう。ご存知だろうか。一部のユーチューバ-たちは、小学生は知らなくても良いような、悪質な情報や知識を伝え、それが元になってトラブルが起こっていることを。そんなユーチューバ-にものすごく入れ込み、夢中になっていることを。ご存知だろうか。小学低学年の子どもたちが普通に大人向けのアダルト動画や、死体を写したグロ動画や、悲惨なエレベーター事故動画を何度も繰り返し見ていることを・・・

参考文献
1)山本龍彦「ネット時代の報道倫理、確立急げ」、朝日新聞 2021年5月18日、朝刊 
無料電子版 https://www.asahi.com/articles/DA3S14907336.html  
2)ドミニク・チェン「わかりあえなさと共に」、朝日新聞 2021年5月14日、朝刊 
3)丹明彦. プレイセラピー入門. 初版. 東京都:遠見書房;2019. 20

素寒