里親という関係性の処方

日本で唯一の治療的里親という土井高徳氏の講演を聞いた。

支援者と違って、里親は親なのだ、と彼は控えめに言った。
私は社会的な親になろうとした、と。
翻って、お前に親業をする覚悟はあるか、と問われているような心持ちになった。

彼は京都では朝の挨拶はどんなですか、とフロアに問いかけてから
土井ホームでの朝の風景を紹介した。

A:おい、殺すぞ
B:なに、埋めるぞ
A:なに、沈めるぞ

これまでホームレスや精神障害者、発達障害児・者、薬物の依存者、少年院や刑務所から社会復帰を目指す人など、ともすれば社会から排除され、行き場のない人たちを引き受けてきました。(寄付を募る書面より)

自立、退所して7年たった青年が窃盗をしたと警察から電話がくることもままあるようだ。
親として30万円をだせないか、と。
もう退所して縁はないのだから、と言ってしまえるところだろうが、
それでも唯一の頼れる存在として自分を名指したその絆を絶つわけにはいかないと、彼は30万円を立て替えてやったという。

薬でしか対応できなかった子供たちが、暮らしの中で関係性を築いていくなかで薬が不要になる。
私は関係性の処方をしている、と彼は朗らかに言った。

このような子供たちにドイツは26歳まで社会支援をするが、日本は15歳で社会に出してきた。
土井ホームはいつでも帰ってきなさい。いつでも帰ってきていいよ、いつでも腹一杯食べたらいいということでアパートをたてた。
退所は子供が決める。そうした方が帰って自立しやすいのだという。
24時間の生活を共にすると、サポートする者として逃げ場がなくなるのではとよく問われるが、むしろ24時間観察してケアもでき、それが強みになる。

これは日本の福祉への挑戦なのだ、と彼は強く言った。
行き詰まったら、お酒を飲んで、明日のことはまた明日、と寝てしまうという。
神業のようなことをやってのける彼はやはり神ではなく、一個の酒好きの人間らしい。

彼にかかれば統合失調症者も発達障害者も変わらない。
皆それぞれに凸凹がある。
周囲はボコが気になって、幻覚でも妄言でも問題行動として修正しようとするが、
デコをこそ評価せよ、さらに、彼の内面がどうなってるかを想像せよ、という。
前者は病者の健康な部分をみよ、という中井や神田橋を思い起こす。
後者はビンスワンガーが記述的現象学派を批判して現象学的人間学を展開したことを思い起こす。

症状や問題行動があるからこそ、周囲が助けようとする。それでいい。
自立は適切に依存すること。迷惑をかけずに生きることはできない。迷惑をかけることに日々感謝すればいい。
だから、症状や問題行動はなくそうと躍起にならなくてよい。
これは中井が妄想がなくなると寂しいと指摘したことや、サリヴァンが病気はもっと悪い事態 からその個体を守っているのではないか、と指摘したことと重なる。そして私はそのことを享楽、念仏として先般記事に書いた。

自分が疲弊しないために、彼が日々自分に言い聞かせて自分をイメージ操作する手法がとても面白くすぐに臨床を助けてくれそうだ。
・弓はいっぱい引く。大きな問題であればあるほど、ぴゅーっと飛ぶ。
・島は一つずつしか渡れない。
・コップの8割まで水が入っている状態をどうみるか。2割足りないとみるか、8割もあるとみれるか。
・面接室に入る前に、自分は硬質のゴムになると言い聞かせる。風で倒れもしないし、相手の心の動きにも合わせられる。
・小池に小石を投げるつもりで接する。土井ホームは朝の挨拶は「おい、殺すぞ」「なに、埋めるぞ」「なに、沈めるぞ」。そういう子にも、めげずに普通の挨拶を繰り返す。心の底に、私の投げた小石が少しずつたまるかな、とイメージして毎日投げる
・時熟、マラソン。結果が早く出ないと待てない。施設に入れろ、病院に入れろ、と向こうの世界にやろうとする。成熟を待ってやらないと。マラソンの伴走をしてやらないと。子供、利用者の成熟を待ってやる。
・まっすぐは成長しない。ぐるぐるぐる回って、円環的に成長してく。支援も円環的に。
やはり彼は中井や神田橋をよく読んでいるようだ。

我々は精神病院を解体することに関心を持っている。
ドキュメンタリー「精神病院のない社会」を見て、しかしディテールが描写されていないことに不満を抱いた。
バザーリアはいかにそれを実現したのか。
精神科薬はさまざまにあるが、結局どれもその人をぼんやりさせる薬であることに変わりはない(『精神科の薬について知っておいてほしいこと』)
薬物をなるだけ使わずに、つまりなるべくその人をぼんやりさせずに、拘束もせずに社会で生きるサポートをするにはどうすればいいのか。
そのディテールの一部を土井氏に見たように思う。
我々に親業をやれるか。理屈ではなく親業を。
子にイライラする自分に日々うんざりしているこの私に。

石上

私の母は私が二十歳のころ自己免疫性肝炎になり天理よろづ相談所病院に入院した。

私は死にかけた彼女の病室に見舞いに行っては、陽の落ちるまで傍に座っていた。

私の父は私が高校生のとき天理よろづ相談所病院で腹膜透析を導入した。以後、血液透析の導入、心筋梗塞の治療、バイパス術なども全て天理よろづ相談所病院であった。

私は何度も天理よろづに通った。何度も通い、何度も懐かしさと感傷を味わった。

石上神宮は伊勢とならんで唯一神宮の名乗りが許された神社であった。今でこそ神宮の名は各地にあるが昔は伊勢と石上しかなかった。

石上神宮は天理市の山のふもとにまします。

天理教本部はもともと石上神宮の里宮の跡とも言う。石上神宮周辺は代表を布留遺跡と申し、縄文、弥生、古墳時代、後の時代に続く古代遺跡が広範囲に広がる。天理教の神はもともと石上の神ではないかと言う人もいるにはいる。もとより神の世界の話、人の身に分かることは少ない。

私は幼少のころ、また祖先のころより石上神宮にお世話になっている。物部氏の祖神と伝わる石上神宮と私の家とは明確なつながりは無い。ただ古くからつながりがある。こうしたつながりを蔑ろにしたから私の家はことごとく滅んだと私は思っている。

信仰とはたしかに強迫の一種と説明づけられるだろう。

病的な強迫と異なるのは強迫の対象が正しい神か誤った神かの違いしかない(もっとも正しい神への信仰もいわば病的であるかもしれない。聖イグナチオの放浪や役行者の修行は表面的には病的だったろう)。その違いはどこかと言えば、聖書にいわく「結んだ実でその木の良し悪しを判断する」ことしかないと私は思う。

石上神宮は日本最古の宮のひとつである。

そのふもとに天理よろづ相談所病院がある。

布留の刀の身を切るように、私の悪は詣でるたびに戒められる。

私の悪は戒められるが、私を馬鹿にする人間は戒められない。

私には何もわからない。私が正しいのか間違っているのか、なぜ私を馬鹿にする人間が栄えて私はうらぶれるのか、なのに私はなぜ今もまだ死なずに生きているのか、

全てわからない。

神への信仰云々自体が誤りと言うのは現代においてはたやすい。そのことを論理的に反駁することは私の知能ではできない。

「神ながら」という言葉は単なる信念ではない。楽観のみでない。苦しみが伴った実感である。

空谷子しるす

覚書8

彼女は絵を描いているといい、Twitterのアカウントを教えてくれた。漫画だった。どんな絵だったかはすでに覚えていない。酒を飲み、無料の音楽をパソコンで流していただろう。笑顔は少なく、視線の交わりも少ない。体に触れるでもセックスをするでもなく、ただ時間を潰していた。

フィールドワークといえば聞こえは良いが、そうではないだろう。私にはそうするしかなかった衝動があった。

学生時代にわからなかったのは、学生の従順さであった。学生同士はコミュニケーションをとり、答えを導き出すには教科書より何よりも人との交流が必要である、ということは勉強はしなくても仲間内で同じことをしている人が得をするし人と違うことをしていればどんなに頑張ろうが評価されない、ということに不満も不平も違和もなく当然のこととして互いに排他性を強めていく。

こんなことを書いている私はずぼんもパンツも履いておらず、シャツも着ておらず、気づけば涎のような液体が顎や胸元にひろがり少し鼻を突くようなにおいがするのだが、不思議と嫌な心地はしない。田中さんか山田さんか、忘れたが待っていれば彼女が私のお尻を拭いておむつをはかしてくれるに違いない。もうどのくらい待っているかしれない。待っていることさえ忘れているのだから待っているということにすらならないし、待たれているのかもしれないし、少なくとも待たされて怒るのはこの際見当違いだろうと思った、というのは待っているのか、待っているとすればどのくらいなのか、あるいは待たせているのか、待たせているとすれば私は彼女を待たせないために何をすればよいのか全くもって見当がつかないのだから。

金木犀も落ちかけている。空気が張り詰めてきた。鼻の奥が痛いくらいだ。寒い。裸であるからなおさら、寒い。私は待っているのか待たせているのか、どちらでもよいが清々しい気持ちで裸のままで寒いままでいた。

馴れ合いも好まず、いがみ合うのも性に合わず陰謀めいたことにも馴染めず徒党を組むわけでもなく孤立無援で奮闘するわけでもなく変わり映えのしない哲学思想宗教に嫌気がさしかといって誇大的に自説を披瀝する若さと驕りからも遠ざかり、かといって生理的な欲求がないわけではないからしまりが悪いとなればおむつをしないわけにはいかない、と独り言を呟きながら鴨川の河川敷に寝そべり芝生についた露の冷たさを感じワインをラッパ飲みしている。

携帯電話の下書き保存された文書をひとつ読んでみる。数年ほど前に書かれたものらしい。送信はされなかったのだろうか。

つらかったですね

辛口でとのことですがやはりあなたは悪くないと思いますよ

ハーマンの心的外傷と回復という本があります

心に傷を受けた人が加害者に愛着を持っていることはよくあることで、傷つけたという事実はあなたが先生のことを好きかどうかとは関係ないと思います

あなたが好きだったのなら先生はなおさら罪深いことをしたなと思います

実際に訴えたら強制わいせつ罪や傷害罪に問われると思います

あなたが罪の意識をもってしまうことも、よくあることなのですが、何も悪くないですよ

憧れている人に会いたいと思うのは自然な感情です

被災者でも生存者罪責感というのがあります。自分だけ生き延びてしまって申し訳ないと感じてしまうという

レイプされた方もそんな夜道を一人で歩いてたほうが悪いと人から言われ自分でもそう思ってしまうことがあります

そうして最初の傷を軽くしたい、どうせ自分が悪かったのだからという気持ちもあって、新しい傷を自分から受けに行くような行為を重ねることがあります

たとえば男性からセクハラを受けるような状況に自分から飛び込んだり、DVする男性と付き合ったり風俗で働いたり

私が心配してるのはそういうことです

必ず弱った心に付け入ってくる人がいて、そういうことにまた巻き込まれてしまうことがあります

あなたはまだ若いですし人生も長いですから、変な悪循環には巻き込まれずに希望をもってほしいです

傷は皆言わずとも一つや二つ持ってることがあります

一つの区切りとして先生とは連絡をとらない、訴えるなど、どうするかは答えはないと思いますがあなたが次に進むためにどうしたらよいかを第一に考えて決めたらよいと思います

これは個人的な意見ですが 傷を愛せるようになれるといいと思います

傷ついた気持ちはどうしても残ります。消そうと思っても消えないから別の傷を重ねて深みに落ちてしまうことがあります

あなたはこれからがありますから最初の傷だけで十分です。先生が好きだったように、その傷だけを大切にして次に進めばいいと思います。

普通に考えたらいくら好きと言われても嫌がる未成年に繰り返し性的な行為をするのは犯罪ですしその子の気持ちを考えた行為とは言えないのですべきことではないです

あなたは何も悪くないですよ

これを書いた人間が誰だか今の私にはわからない。

私は本棚から『傷を愛せるか』という本を探して読み直してみた。

傷のある風景から逃れることはできるかもしれない。傷のある風景を抹消することはできるかもしれない。けれども傷を負った自分、傷を負わせた自分からは、逃げることができない。記憶の痕跡から身体が解放されることはない。(p224)

傷のある風景が残りつづけることによって、人はときに癒される。終わらない、長い「戦後」がそこに記されている。

くりかえそう。

傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷のまわりをそっとなぞること。身体全体をいたわること。ひきつれや瘢痕を抱え、包むこと。さらなる傷を負わないよう、手当てをし、好奇の目からは隠し、それでも恥じないこと。傷とともにその後を生きつづけること。

傷を愛せないわたしを、あなたを、愛してみたい。

傷を愛せないあなたを、わたしを、愛してみたい。(p226)

(宮地尚子『傷を愛せるか』)

傷つきに気づく。ということが実はなかなかお互いにできない。

傷自体を覆いたくなる。

何も今私が裸でいることの言い訳をするためにこんな話を始めたわけではないだろうが、私は何を言っているのかさっぱりわからない。やはり裸でいることの言い訳をしたかったのかもしれない。私は果たして待たれているのだろうか。だとすれば申し訳ない。

中とろウィルス

6歳娘、3歳息子
父:受診してどうやったん?
母:ニュートロ?ウィルスって言うてはったかな
娘:中とろウィルス?え、中とろを食べるウィルスなの?
息子:中とろ食べるウィルスなんじゃない

ヒトメタニューモウィルスが正解であった。
おそらく医師の説明は次のようだったろう。
「Neutro(Neutrophil; 好中球)が少なくウィルス性ですね。抗体陽性だから、ヒトメタニューモウィルスですね」
これらは妻の中でニュートロウィルスとなったのだろう。
そしてそれが、子供たちによって中とろウィルスへと至った。

坐摩

坐摩と書いて「いかすり」と読む。坐摩神社は摂津国一宮であり大阪メトロ本町駅15番出口上がってすぐのところに鎮座まします。

昨日は繁昌亭で落語を見、天神橋筋を彼女と歩いた。仲がいいのか良くないのか?私に女性の気持ちはわからない。一年目の女医からもすっかり嫌われた。なにかどうでもよくなる。白山の比咩神様から承認を得た上は、誰に嫌われてもしばらくは心は平気だ。おみくじには「恋愛 愛情を与えよ 縁談 他人の言動に惑わされるな」とあった。

私は侮辱されていると思うとてきめんに不機嫌になる。最近「男の星座」と「KIMURA」を読んだ。力道山は大スターで、無邪気で人を魅惑するが、反面自分に関心が向けられることを強く欲し、よく不機嫌になったようだ。

私は力道山のような英雄でないが周りよりも軽い扱いを受けたら露骨に不機嫌になる。

それが周りは唐突に怒っているように見えて、それで周りは私にどう接したものかわからなくなるのだそうだ。

私は寂しい。人間とうまく付き合えない。ごくわずかに良くしてくれる人たちがいる。嬉しくなる。しかし普段の生活に戻ると、大抵嫌われる。寂しくなる。神様が仲良くしてくれるから生きていられるのだ。

私はデートの翌日有給を取った。

ノラ・ジョーンズのライブがあったのだ。

彼女は5年振りの来日だ。当日券があることをFM COCOLOが宣伝していた。

その前に時間があるから坐摩神社にお参りした。

上方落語の寄席がはじめてできたのはこの坐摩神社である。

江戸時代に初代桂文治がここに高座を作った。

雨が柔らかく降る中に鉄筋コンクリート製の社殿と三輪三鳥居は優しく迎えてくれる。

大阪の社殿は鉄筋コンクリートが多い。先の戦争で焼けたものかと思う。焼けた記憶が人に鉄筋コンクリートを建てさせる。名古屋城も大阪城も鉄筋コンクリートなのは単に予算の都合ばかりではないと思う。焼ける名古屋城を見るのは辛いことだったと私の祖母は語った。

戦争は優れた若者を死なせてしまう。芸術が怒りと憎しみと悲しみで歪む。文化が潰える。

坐摩神社は古式のしるく、御祭神はとても特殊だから調べてみると面白い。

大阪のビルの合間に歴史が狭隘している。

私は行宮の整備に奉賛した。行宮とは坐摩神社の旧社地である。一万円したが満足感がある。

空谷子しるす

石徹白

石徹白は美濃の奥にして霊峰白山の入り口である。

美濃禅定道と申し、越前、加賀、美濃にまたがる白山に美濃側より至る信心の道である。

山間の道を川に遡って歩くと道なりにはいくつか白山信仰の社や寺が点在して、そこを越えて石徹白の集落に至り、山に踏み込めばまずは別山の峰、そこから尾根を白山の御前峰へと辿っていく。

石徹白は白山のふところである。

白山中居神社なる古社あり。もともと石徹白には縄文初期の有舌尖頭器の出土あり。上古の昔より人の住みたれば神への崇敬は以来途切れることなく続いている。

日は高く青空一片の翳り無し。

山々に囲まれた大きな手のひらのような土地に田畑が広がり、高原の別天地だ。

白山中居神社の区域に至る道路はしめ縄が張られ、車がくぐると見事な一の鳥居の姿が見える。

青銅の鳥居の見事さは類い稀にて、黒く渋くくすんだ本体の継ぎ目にところどころ緑青が青く閃くのは清水に光が照り映えて深い青が見えるような心地がする。一の鳥居をくぐれば次には大杉の二本並ぶのが見える。これが二の鳥居かと思われ、その間を人々は砂利踏みながら進むわけだ。

そうすると清冽の川の音が耳に近くなり、沢に降りるとビロードのような滑らかな水面の川の向こう側に巨きな拝殿が見える。風雪に磨かれて白に褪せた匂やかな木の拝殿が、人々の信心で積み重ねられた堅固な石垣の上に立っている。

川には石とコンクリートで固めたしっかりした橋がかかり、人の二人すれ違うばかりの幅を歩いて渡る。渡って石段を登れば白山中居神社の拝殿、さらに石段があってその上に本殿がまします。大岩の磐境がある。かつて縄文の昔よりこの磐境でまつりが行われたと言う。

白山の神様はまことに優しく美しい。

私は比咩神様の承認を頂いた。

まことに如何に下界にて人離れ、侮蔑されるといえども白山の神様の心持ちを頂くことを忘れなければ生きることは遥かにたやすい。問題は私が弱いためにこの心持ちを忘れることにある。人の承認を大切なものと誤認するところにある。私がいかに身体、頭、心が弱くとも、神様から承認されているなら問題は無いのである。

常に「私と神様」「あの人と神様」なのであって、人の間の毀誉褒貶などは神様からの承認の前には意味のないことだ。

私は定期的にやはり白山に、登れずともお会いしたく思った。

冬タイヤにそろそろ変えようと思った。

空谷子しるす

冨波

冨波というのは近江の野洲の土地でいくつか5世紀頃の古墳がある。

冨波に思い入れがある訳ではない。祇王の伝説がこの辺りにある。8号線を車で走ると妓王の文字を良く見る。祇王というのは清盛の白拍子である。寵愛を受けたが後に清盛の心が離れて出家した。今も祇王寺が京都奧嵯峨に残る。

その祇王の出身がこの辺りで、祇王が清盛に訴えたから祇王井川と童子川という水路ができたというのだ。伝説にいわく当時には野洲の地は水不足であった。祇王は清盛に故郷の渇水を助けることを願いそれがために水路が開鑿せられたというのだ。

水路開鑿の折に水が行き詰まり工事が蹉跌した。すると謎の童子あらわれ「我の引く縄の後を掘れ」というから言う通りにしたら水路が通じた。それで水路の上流は祇王井川、下流を童子川という。水路は野洲川から日野川の間を走っているがそんなことはどうでもいい。

近隣に菅原神社や屋棟神社あり。屋棟神社は昔は妙見宮といった。やや離れたところに見星寺あり。由緒はわからない。見星というのは釈迦が十二月一日から座禅三昧に入って八日目、暁に流星を見て大悟徹底されたことを見星悟道と申すことに端を発する。というのは大分の見星禅寺の由緒に書いてあった。

この土地には古くから星の信仰があったのかもしらん。妙見宮は北極星の信仰である。菅原神社があるのも雷神信仰がもともとあってそこに道真公の信仰が重なったのかもしらん。そもそも京都の北野天満宮も彼の地に雷神信仰がもともとあったという話をどこかで聞いた気がする。雷神信仰や星の信仰は渡来の人々の信仰だ。天満宮のある所は渡来の人々の土地であるかもしれない。大阪の服部天満宮は道真公以前より秦氏の信仰の土地であった。日本にも常陸の大甕神社のようにごく稀に星の信仰もある。しかし星神は日本の神社には稀なことである。雷神は日本には武甕雷命、鴨別雷命などおわします。

なんとはなしに祇王の伝説に心が惹かれてあれこれ調べていると様々なことを思う。本当のことは何もわからん。

縄文の人々が国津神なのか弥生の人々が天津神なのかもわからん。

しかしいずれかの国のいずれかの人の言うような縄文と弥生とどちらが優で劣ということはない。いずれもただなんだかよくわからぬ神の道というものに沿うことを思う。卑しむべきは人の欲や悪である。尊ぶべきは赤心である。外と内とにその違いは何もない。

空谷子しるす

小児科3

退院サマリーを非常に細部まで指導を頂戴した。書き直したが一部に見落としがあり、指導医が「二度目だよね」と怒りを滲ませたのは仕方ない。

指導医によってスタンスがちがう。

私はいい加減こうしたことに慣れないといけないが、生来の粗忽のせいなのかよく手抜かりがある。

担当していたこどもたちは幸いなことにみんな元気になり退院した。私は深く神様に感謝する。

しかし指導医から叱られたり(それがありがたいことはわかっている)一年目から嫌がられたりすると落ち込む。私は弱い人間である。褒められたり気にかけられたりしたい。

私は白山のことを考えた。

白山は日本を代表する霊山のひとつであり美濃と越前と加賀にまたがる。

生まれ変わりの山でもある。白山の神は菊理媛命と申し、伊奘諾命が冥府より戻ったときに現れた神である。

白山はとても特別な山で私は大好きな山だ。一番の山だと思う。

東の山々、美濃の山々が気にかかるので、何とはなしに色々地図で調べていたら美濃禅定道に行き合った。

白山に登るのは休みが取れない。しかし禅定道の社に参るのはあるいは可能かもしれない。

私はいつも答えを期待している。なにかこうしたらよいという方に導かれることを期待している。また、今後の苦しみが避けられることを期待している。仏に手を合わせる時は、キリスト教的に言えば煉獄にあるだろう私の先祖が救われることを期待して灯明を上げる。

私は知らず知らずのうちに白山の神に助けられてきている。登るたびに大きな慰めを得る。その気分のまま、下界で暮らし続けられたらいいなといつも思う。しかし私の心は揺れ動く。

私は週末、天気が許せば美濃禅定道に向かいたく思った。

空谷子しるす

備忘録1

いま考えごとをしてたでしょ
と女は言った。
あなたは何かしら手でいじってないと気が済まないのね
とも言った。

おそらくは軽い意識障害なのだろう。
時間と場所が分からなくなることはない。
我を忘れる程度でしかない。

忘れたことも忘れているに違いない。
こうして書き留めているいことも、いつからの習慣だったか思い出せない。
忘れたことを忘れないように、それを覚えている内に書き留めた最初のものなのか、8番目のものなのか、それも忘れてしまっている。

こうなると困ったことに、外界からの影響を受けやすくなる。
他者の感情が勝手に入ってくる。
他者の感情が分かるということでもあるのだが。

とりたてて騒ぐことでもない。
人間であれば誰にでも起こることだろう。
程度問題にすぎない。
テクニカルなことを言えば、自我境界をゆるめるということである。
右派はそれが苦手で、空間に遊びがなく緊張が強い。
左寄りな私は、その辺りがかなりルースになっている。
私という連続を疑うことはもちろんないが、時に不連続を自由に楽しむ遊びがある。

時に度を過ぎると、ろくでもないことをしでかすこともある。
射精を知らぬ幼少期の私は、時に女に尿を引っ掛けて恍惚としていた。
あるいはビルの上からジッポライターに灯した火を落としてドギマギとしていた。

人と話す時、
私の関心は、いつの間にやら、相手の主体の構成へと向かうようだった
相手の、その主体へ、その一なる切痕へ、一なる穴に吸い寄せられるように我が溶けていく
その時私は、私という連続性を保守しつつも時に不連続にジャンプし渾然としていく
私はそのように幾多の女と、それに劣らずたくさんの男と交わった。

あなたはただ女と寝たいんでしょ。
私は、一人の男に愛されたいの。
そう言った女は最初の女だったかもしれないし、8番目の女かもしれない。

そうやってあなたは誰とでも意気投合するのね
とも言った。
あるいは別の女だったかもしれない。

月経とその周辺1

正常子宮出血(月経)の定義

頻度,規則性,期間.量について理解する.正常についての記載であり,ピル(避妊や月経前症候群治療薬としてのエストロゲン・プロゲスチン製剤),GnRHアゴニスト(子宮内膜症,子宮筋腫,閉経前乳癌,前立腺癌等の治療薬),GnRHアンタゴニスト(子宮筋腫治療薬),アロマターゼ阻害剤(閉経後乳癌治療薬),選択的エストロゲン受容体超節薬(SERM:骨粗鬆症の治療薬)を内服している場合は,以下の記述は必ずしも該当しない.

頻度- 正常頻度は24日から38日ごとに月経出血が始まることである.

規則性- 周期はある生理の1日目から次の生理の1日目までの日数として定義される.周期変動(最も短い周期と最も長い周期の差)は年齢によって異なり以下の場合は正常(規則的)と判断する.

 -18〜25歳 -周期変動≦9日

 -26~41歳 -周期変動≦7日

 -42~45歳 – 周期変動≦9日

18歳未満および45歳以上の患者では排卵の頻度が低い,あるいは予測できないことが多くこの集団における正常な規則性の定義は困難である.

★つまり26歳以上41歳未満の女性であれば,予定周期から1週間生理が来なければ遅れていると判断する.

期間- 1回の月経における正常な出血日数は8日以下である.月経期間の短さに関連する特定の病態が存在しないため月経期間の正常値の下限に関するコンセンサスはないとされる.

月経量 – 正常な月経量は主観的なもので患者の身体的,社会的,感情的,物質的な生活の質を妨げない月経血量と定義される .月経血量(血餅を含む)の定量分析を伴う研究によれば,正常の定義は1周期あたりの月経血量が80mL以下であることである.

★過多月経を疑う問診:3cm以上(1.1インチ以上)の血餅,1時間間隔で生理用品を交換する場合,就寝中も生理用品を交換する場合は過多月経を疑う[2]

月経周期について

月経周期は卵胞期と黄体期の2期に分けられる.卵胞期は月経の開始とともに始まり黄体形成ホルモン(LH)サージの前日に終了する.黄体期はLHサージが起こった日に始まり次の月経の始まりに終わる.

[1] UpToDate®.“Normal menstrual cycle”.2022.UpToDate

[2] PMID: 15167821