冨波

冨波というのは近江の野洲の土地でいくつか5世紀頃の古墳がある。

冨波に思い入れがある訳ではない。祇王の伝説がこの辺りにある。8号線を車で走ると妓王の文字を良く見る。祇王というのは清盛の白拍子である。寵愛を受けたが後に清盛の心が離れて出家した。今も祇王寺が京都奧嵯峨に残る。

その祇王の出身がこの辺りで、祇王が清盛に訴えたから祇王井川と童子川という水路ができたというのだ。伝説にいわく当時には野洲の地は水不足であった。祇王は清盛に故郷の渇水を助けることを願いそれがために水路が開鑿せられたというのだ。

水路開鑿の折に水が行き詰まり工事が蹉跌した。すると謎の童子あらわれ「我の引く縄の後を掘れ」というから言う通りにしたら水路が通じた。それで水路の上流は祇王井川、下流を童子川という。水路は野洲川から日野川の間を走っているがそんなことはどうでもいい。

近隣に菅原神社や屋棟神社あり。屋棟神社は昔は妙見宮といった。やや離れたところに見星寺あり。由緒はわからない。見星というのは釈迦が十二月一日から座禅三昧に入って八日目、暁に流星を見て大悟徹底されたことを見星悟道と申すことに端を発する。というのは大分の見星禅寺の由緒に書いてあった。

この土地には古くから星の信仰があったのかもしらん。妙見宮は北極星の信仰である。菅原神社があるのも雷神信仰がもともとあってそこに道真公の信仰が重なったのかもしらん。そもそも京都の北野天満宮も彼の地に雷神信仰がもともとあったという話をどこかで聞いた気がする。雷神信仰や星の信仰は渡来の人々の信仰だ。天満宮のある所は渡来の人々の土地であるかもしれない。大阪の服部天満宮は道真公以前より秦氏の信仰の土地であった。日本にも常陸の大甕神社のようにごく稀に星の信仰もある。しかし星神は日本の神社には稀なことである。雷神は日本には武甕雷命、鴨別雷命などおわします。

なんとはなしに祇王の伝説に心が惹かれてあれこれ調べていると様々なことを思う。本当のことは何もわからん。

縄文の人々が国津神なのか弥生の人々が天津神なのかもわからん。

しかしいずれかの国のいずれかの人の言うような縄文と弥生とどちらが優で劣ということはない。いずれもただなんだかよくわからぬ神の道というものに沿うことを思う。卑しむべきは人の欲や悪である。尊ぶべきは赤心である。外と内とにその違いは何もない。

空谷子しるす