春日

春日若宮社が20年目の式年造替を果たし、そのしめくくりに境内に白砂をまく「お砂持ち」を行うと聞いたから母と赴いた。

お砂持ちには一般人の参加もさせてもらえるので、春日大社の駐車場に車を停めて若宮に向かう。

母は先週の椿大神社の神山入道が岳登山中に転倒し、大腿内側に打撲を負っていた。整形外科によれば著明な骨折認めず、脳外科によればいまだ頭蓋内に著明な血腫なし。しかし歩くと痛みを伴う。20年ぶりの行事だから無理をおしても行きたいようだった。

春日の空は晴れていた。

風もなくやわらかな光が御蓋山の原生林に差し込んでいる。

藤の老木が伸びて、化石のような力強い体躯を見せている。

私たちは手渡されたちいさな袋に灰白色の砂礫を詰めに詰めて、改まった若宮社に案内される。

朱。というものがある。赤い塗料だが、まことの朱はこの春日大社の本殿と若宮社にしか塗られない。日本の中でここだけの朱塗りである。

まことの朱は上等の紅しょうがのような色調で、しかも深くて淡い。香りたつようなその赤色は邪気を払う。

私たちは新しい若宮社のまわりに砂を撒いた。

陽は暖かく、世は改まりいよいよ力を増す。

空谷子しるす

誤診と信心

とうとう私は当直中に重大な誤診をした。絞扼性イレウスを見逃した。

80歳の男性は腹痛に苦しみ、前日朝から排便がないと訴えていた。私は便秘を疑ったが年齢が高いから、なにかで閉塞していたら嫌だなと思い単純CTを施行した。

画像を見た上で私は回腸の明らかな壁肥厚と横行結腸の狭小に気づかなかった。

男性の看護師が一言「造影CTの準備できていますよ」とだけ言った意味が理解できなかった。

他の患者対応に取り紛れている中で指導医が彼を外科に紹介した。

私一人なら彼は死んでいた。

私はこの経験で自分を責める真似はせず、ただの現象に還元しようと思っている。つまり「こういう画像が絞扼性イレウス」という一症例に還元しようと思っている。

しかし無意識は私を苛んでいる。特に私は周りが私を無能だと思うだろうことに恐怖を感じる。看護師が、上級医が、研修医が私を見下すことを恐れる。

私は北陸の妙好人のようなひとすじの信心の世界に憧れる。雪の冬の晴れた日に潤い冷たくわずかな気流が鼻を抜けるような感覚を感じる。小テレジアのようなひとすじの信心に憧れる。暗い部屋の中に光が差し込むようなひんやりとして温かい感覚に憧れる。

ただ信じる、ただ耐えることはとても難しい。私は疲れ、なぜ昨日はあんなにどの症例でも頭が動かなかったろうと疑問を持つ。等身大の私の実力だと思う。「もっと鍛える」必要はある。自力。自力の伸長。

他力に全てを任せるというのは自力の伸長を放棄することとは違う。

いわば自分の意識や素地が他力のことしか考えぬので、客観的には遅鈍ながら自力にてわずかに努力している。その努力の遅鈍なことはしばしば責められる。しかし、客観的な努力の向上すら、実は弱い者にとっては一切を他力に親しんだ方が良好である。頭の中には他力しか目に見えておらず、安心の境にあるのみなのに、客観的にはそちらのほうが仕事はしている。

ピオ神父は「不安や焦りは沢山の仕事をするように見えて実は何もしない。まず祈り、安心しなさい」と言った。これは真実である。

「夜と霧」の中で、歌を歌う人間や神に信心する人間がかえって生き残ったという話を読んだ気がした。

私は大きな危機があると、苦しみ悶え母や兄に恨み言を喚き散らした後、安全弁のように北陸の妙好人や小テレジア、ピオ神父のイメージが訪れる。

浄土教と、カトリックと、神道と、あるいは他の一筋の信心とが、互いに異なりながらどこかで同じものになることを期待している。

空谷子しるす

そんなこと言ってたら、あかなめから電話くるよ

6歳娘が、だだをこねる3歳息子をたしなめる
娘:そんなこと言ってたら、あかなめから電話くるよ
息子:ママ、こないよね?

母親が、風呂に入らない3歳息子に教え諭す
母親:お風呂入らないと、あかなめがきて舐め回すんだからね
息子:ママ、あかなめ来ないよね?
母親:お風呂に入ったらこないよ

3歳息子が母親におねだりする
息子:ママ、あかなめやって
母親:あかなめ-、なめなめ-
息子、娘:きゃー

やはり子どもには異界の言葉がなじむらしい

念仏三昧、症状三昧、つまり享楽

ある末期癌の高齢者は、沈静して欲しいと強く強く訴えた。
彼には多くの末期癌患者がもつ身体の痛みや呼吸困難がなかった。
じっとしていると不安で仕方がないから眠らせてくれと。
彼の訴えは我が国で禁止されている安楽死の希望ではなかった。
しかし沈静であっても、死期が迫っている状況でなければ実施できない、と我が国(の緩和医療学会の)の倫理は判断する。
私は何を思ったか「息が苦しい人も、痛みでしんどい人もいる中で、あなたは随分と気楽なはずですよ」と応じたが、病者には何も響かなかった。
振り返って反省するとともに、なるほど、症状がなければある種の苦痛が顕在化するのか、と気がついた。

ある思春期の少年は、コロナワクチンを接種後にさまざまな症状が出現し、学校に行きづらくなった。
元々周囲の刺激に対して過敏で、緊張・不安が高まりやすい性質であったのだろう。
その少年が、よく眠れた日は頭が働いて様々に考えて不安になってしまうから苦痛だ、と訴えた。眠れなかった日のぼんやりした感じの方がむしろ不安が少ないと。

私はかつて大学生であった頃に庭づくりのアルバイトをしていた。
春先に小振りのモモやサクラを皆で掘り起こし、運んで植えて見栄えを整えていた。
夏には北山杉に水やりをしていた。
今思えば優雅な日々であった。
様々な人間がアルバイトにきていた。
その中に、前職は警備員だったという寡黙な青年がいた。
その青年は、肉体労働と警備職を比較して次のように述べた。
警備員の仕事はきつかった。ぼーっと立っているだけで仕事になるから、あれこれ考えなくてもいいようなことを考えてしまう。その点、こうやって体を動かしていると時間を忘れるからありがたい。

緩和ケア医の岸本は、子どものみならず、がん患者もまた異界に接する言う。
従って、子どもだけでなく、がん患者においても言葉にならない、イメージを大切にしなければならない、と。

岸本の文章を読みながら、これら違うライフステージにいる、三者の訴えは全て同じことを指していることに思い至った。
彼らは皆、異界に触れたのである。
子どもや病者のみならず、人間が自由というものに接すれば、その時すでに異界が口を開けており、半分片足が入っている。
異界の歩き方を知らなければ、緊張を緩和できず、不安を惹起させるらしい。

我々は症状をもつことで、自由の緊張を、不自由を緩和しているのだろうか。享楽しているのだろうか。
異界を歩くには症状があったほうがいい。
埋没できる症状が一つはあった方がいい。
ガイドブックにはそう記載しなければならない。

症状なき者が異界の歩き方を知らずに不安と向き合うと、現代医学は貧しいことに病気にしてしまう。
全般性不安障害などさぞ使いやすかろう。
余分な名前だけ与えて緊張を緩和せぬ貧しさよ!

鎌倉初期に浄土門の念仏が普及したのは、そういう消息だろう。
念仏という日々の症状をもつ方が渡世によい。
念仏は症状であり享楽である。
統合失調症者の幻聴、一なる声は念仏かもしれぬ。
念仏がなくなれば寂しかろう。
われわれがここにしょっちゅうあれこれ書きつけるのも、症状であり、排泄である。
親鸞は念仏の行よりも信心の信に重きを置いた。
量ではなく、質であると。
一念、多念の差異など瑣末なことである。
親鸞は教義にこだわりこの点を見逃した。
臨床はすべからく、苦しむ者の具体的な困りごとに添わねばならぬ。
具体的な困りごとを差し置いて抽象をうんぬんするなど、エロスを解さぬむっつりスケベに任せておけばよい。

さて、かくいう私はいかなる症状を、いかなる享楽を処方しようか。
念仏を処方することは、この時代には困難である。
未熟者の私にはまだ答えがでない。
従って人様を批判できたものではない。

日々の緊張を緩和するにはいかんせん。
人々がセルフマッサージ、ストレッチができるような具体的手法はなかろうか。
やはり、緊張の緩和=笑いという枝雀の直観に魅了される。
ボケ、ツッコミ、笑いという舞台を現前せしめることが私の具体的な臨床アートである。
それは一つの運動で、緊張をほぐすマッサージとも言える。
思えば私はボケ病、ツッコミ病である。
常にボケようと頭が働き、常に何かにツッコんでいる。それを享楽している。
私が連続しているという信念に、保守に、ツッコミを絶えず入れようとしている。
緊張に笑いを。
この病を広げることが、宗教なき世の私の手練手管となるだろうか。