野菜、トマト、ウインナー

着替えの時、3歳の娘は時々私とどちらが早く着替えられるか勝手に勝負を始める。だいたい私のほうが早く着替え終わるのだが。

父:パパの勝ちだね。

娘:ちがうでしょ、パパは野菜でしょ!めいちゃんがウインナー、ママはトマト、ももかちゃん(0歳次女)は野菜。

2020/10/26

池のほとりで

いきしちに

最近
と言っても、ここ数日の話である

いきしちに
というフレーズが突如私の脳髄に出来した
いきしちに、いきしちに、いきしちにひみいりい
リフレインが止まらない
いきしちに、いきしちに
皆さんもご一緒に

そうだ、そうだ、
うくすつぬ、おこそとの
おっと、忘れていた
えけせてね

子供と言葉でじゃれていて出てきたのか
あるいは分析的母子関係に由来するものなのか分からない
それにしても、小学校だろうか、変なことを覚えさせられたものだ

学校の勉強は役に立たない、などと言う者がいる
しかし、私はそんなことは信じない
唾棄すべき弱者の強弁だ
国語にしても、数学、理科にしても、およそ学校で習ったあらゆる科目が役に立っていると実感する(しかし、その大半が忘却の彼方に!)

それにしても、である
いきしちに、うくすつぬ、えけせてね
と繰り返し暗唱させることに、教育的意義があるのだろうか・・・

ふむ、
暗唱は大事だ
暗唱こそが国語の基礎であり、国語こそ精神の涵養に不可欠だ
と私も思う

それにしても、である
なんだって、いきしちに・・・・
なるほど、世界史でも横軸的俯瞰は重要だ
1920年ごろ
第一次世界大戦を終え、日本は山東省権益を譲渡され抗日の契機となった
ロシアでは社会主義国家が生まれ、スターリンがソ連共産党書記長となった
中国では孫文が共産主義に傾き始めていた
私の祖父はその頃に生まれたのだろう
不勉強な私にはこれら横軸をうまく接続できない
今も昔も横軸的俯瞰は苦手である

しかし、
いきしちに・・・
この横軸に込められたる意義やいかん・・・

などと理性的に振り返っても栓のないことだろう
子供の学びを、わたしが今同様に楽しめるかどうか
足し算を覚えたての4歳の娘は3+4までは即答できても、4+5は数えなければ答えられない
4+5を数える娘の楽しみを、今の私が楽しむことは無い
わたしは計算できるようになった
さりとてそれで何を得たろう、何を見ているだろう
わたしは走ることを覚え、樹肌を見失った

素寒

うまいうなぎ

娘は鯛が好きで、1歳の頃からカブト焼きを食べていた。
もちろん食べさせた結果でもある。
鯛の骨は硬いから子供には危険だから食べさせないという家庭も多かろう。
しかし鯛の頭は安くて美味しい。2つで100円とか150円とか。
魚でも肉でもそうだが、骨の周りが一番うまい。
娘は特に目が大好きで、ペロリと食べて白目をスイカのタネのごとくペッとやる。

4歳になると鯛の刺身を好んで食べるようになり、ほとんど毎日のように食っていた。
妻と鮮魚コーナーで刺身を物色しながら「今日は白身にするか」と言いながら鯛を選んだのだろう。そしてそれを食って、たまらなくうまかった。かくして、娘の脳髄で「シロミ=鯛の刺身」の等式が完成した、に違いない。
スーパーに行けば「今日もシロミ食べたい」と言って聞かない。
シロミ=鯛の独占市場である。

ところが、である。 
それから数ヶ月後、スーパーでたまたま太刀魚の刺身が安くなっており、太刀魚に目がない私はすかさず購入した。
娘にとっては未知の白身であるが、娘は大いに舌鼓を打った。
食べた瞬間、「うま〜い」と。
そのあとも、全て食べながら「うまい!」とうなっていた。

その夜、布団で寝転びながら、「あのうなぎみたいなの、また食べたい」と言った。
はて、うなぎは食ったことが無い。太刀魚のことか。
うまい→うまぎ→うなぎ
なるほど。
美味なるシニフィエと、うなぎというシニフィアンが新たに接続した。

素寒

下顎呼吸のポジティビティ

あるお看取りから数日後のこと
「先生に下顎呼吸のことを教えてもらっていたので、もうすぐに(父が)亡くなってしまうと思い、家族・親戚で父親を囲みお別れの挨拶をすることができました」と娘さんが挨拶にきてくれた。

私は、医療従事者ではない一般の方が、下顎呼吸を適切に見抜き、心の準備をできたことにとても驚いた。
事前に下顎呼吸が何かをお伝えしたのはかく言う私ではあるのだが。

下顎呼吸は、顎であえぐような呼吸のことを言う。
われわれ医療者は下顎呼吸を見ると、この患者さんは後数時間で亡くなる、と判断する。
医療従事者でない一般の人から見れば、喘いでおり苦しいのだろうかとヤキモキする呼吸である。

その下顎呼吸のことを、高名な徳永進先生は、「死への旅立ちの呼吸のよう」と表現する。前述の通り、医療者にとって下顎呼吸は命がまさについえることを示すネガティブな兆候である。
しかし、徳永先生はそれを反転させた。死への旅立ちのポジティブな準備として。
一見、苦しんでいるように見えるけれど、実は苦しんでいるのではなくて、太古の昔から人間が生を終え、死の旅路へ向かう時にする準備の呼吸ですよ、と説明すると、家族は大変安堵される。

考えて見ればお看取りの際、医師の仕事は実にネガティブである。
医師が最低限確認しなければならないのは、いわゆる死の三兆である。
呼吸の音が聞こえ無い、心臓の音が聞こえ無い、目に光を当てても反射が無い。
これら三兆をもって、死がここにあると宣言する。
つまり、無をもって、無がここにあると宣言する。
医師は宗教者ではないから死後の世界を具体的に説く責務はない。
忙しい当直の夜に、これまで関わったことのない患者が亡くなるということもある。家族の前で、死の三兆をもって死を宣言し、そそくさと救急医療の現場に戻らなければならない場合も多々ある。
医師は臨終においてネガティブな役割しか果たすことができないのだろうか。

私は徳永先生の表現を参考にすれば、臨終においてもポジティブな役割を担うことができると考えている。
具体的に死後の世界について説くことはなくとも、漠然と「あちらの世界への旅立ち」と表現することはできる。
終えるのではなく、始まるのだと。

最近、ヒガンバナが咲いている。
彼岸(ヒガン)はそのまま「あちらの世界」である。
厳密にはこの「彼岸」はサンスクリット語からの翻訳で「悟りの地」を意味するから、われわれが漠然と思う死者がいく「あの世」のことではない。
一方で、ヒガンバナには曼珠沙華、死人花、幽霊花などの別名がある。
確かに群生するヒガンバナをみているとえも言えぬ心持ちになってくる。あの怪しげな紅。

曼珠沙華 消えて 大地に骨ささる (三谷昭)

日本語の「あの世」や「あちらの世界」は頻繁に使うことはなくとも、死語では全くない。
われわれがもつ素朴な「あの世」を想定しながら言葉を紡いでいくことは、ただちに「それは宗教的言動だ」として退けられるべきものではない。肯定表現が看取りを迎える家族に安心を与えることもあるようだ。
そのようなボキャブラリーを開拓することで、臨終において医師は否定に加えて肯定的な営みができるのではなかろうか。

素寒

1歳の世界

言い間違いではないのだが、息子@1歳の言語をまとめておく。
息子の世界はざっくりと以下の5つで構成されている。

ママ:母親への呼びかけにとどまらず、好きな人によびかけにも使われる。出会って3分間でも、好きになれば「ママ〜」と追いかける。色々困る。

ん〜ん〜:現状に満足できないときに発する。トランポリンでジャンプ遊びをしてほしいとき、寝る前にグミを食べたい時・ピルクルを飲みたい時などに発する。

ちっ:熱いものを指差しながら、とりあえず言う。とりあえず言いたいだけやろ、とツッコミを入れたくなるほど、必ず言う。

ち−ち:ちんちん。風呂上がりに触りながら「ち−ち」と嬉しそうに言う。寝る時に父のヘソを触りながら「ち−ち」と言うのは不可解。父は偉大である。

ない:1歳半頃に獲得。牛乳パックやコップが空ならば、「ない!」と勢いよくやる。

記録を参照し、まもなく5歳を迎える娘の歴史と比較してみよう。
娘は1歳4ヶ月頃には「落ちた」という動詞を覚えている。物をわざと落としては「落ちた」と発語し、楽しんでいた。
同じ頃、どこかに膝をぶつけたとき「ここ、ここ、ここ、が、ここに、がちーってした」と表現していた。動詞を使うどころか、主語と述語を組み立てている。
これは今1歳8ヶ月になった息子にもできない芸当である。
一般に、女児より男児の方が、言語習得が早いと言うが、我が家にもその傾向はみられる。
一方で、「無い」という形容詞を覚えたのは息子と同じく1歳半頃だ。
興味深い差異だ。

「無い」と言えば「死」についての娘との対話もいつか書こう。
娘が初めて死について自ら言及したのは、私の記録によると4歳になりたての頃だ。
ピアジェは7歳以降を具体的操作期とし、それまでを前操作期とした。
具体的操作期では言葉を巧みに利用できるようになり、抽象性がます。目の前に無いことも、言葉で持って考えられるという。
これから娘は死をどうするのだろう。
memento mori

2020/10/11 素寒