里親という関係性の処方

日本で唯一の治療的里親という土井高徳氏の講演を聞いた。

支援者と違って、里親は親なのだ、と彼は控えめに言った。
私は社会的な親になろうとした、と。
翻って、お前に親業をする覚悟はあるか、と問われているような心持ちになった。

彼は京都では朝の挨拶はどんなですか、とフロアに問いかけてから
土井ホームでの朝の風景を紹介した。

A:おい、殺すぞ
B:なに、埋めるぞ
A:なに、沈めるぞ

これまでホームレスや精神障害者、発達障害児・者、薬物の依存者、少年院や刑務所から社会復帰を目指す人など、ともすれば社会から排除され、行き場のない人たちを引き受けてきました。(寄付を募る書面より)

自立、退所して7年たった青年が窃盗をしたと警察から電話がくることもままあるようだ。
親として30万円をだせないか、と。
もう退所して縁はないのだから、と言ってしまえるところだろうが、
それでも唯一の頼れる存在として自分を名指したその絆を絶つわけにはいかないと、彼は30万円を立て替えてやったという。

薬でしか対応できなかった子供たちが、暮らしの中で関係性を築いていくなかで薬が不要になる。
私は関係性の処方をしている、と彼は朗らかに言った。

このような子供たちにドイツは26歳まで社会支援をするが、日本は15歳で社会に出してきた。
土井ホームはいつでも帰ってきなさい。いつでも帰ってきていいよ、いつでも腹一杯食べたらいいということでアパートをたてた。
退所は子供が決める。そうした方が帰って自立しやすいのだという。
24時間の生活を共にすると、サポートする者として逃げ場がなくなるのではとよく問われるが、むしろ24時間観察してケアもでき、それが強みになる。

これは日本の福祉への挑戦なのだ、と彼は強く言った。
行き詰まったら、お酒を飲んで、明日のことはまた明日、と寝てしまうという。
神業のようなことをやってのける彼はやはり神ではなく、一個の酒好きの人間らしい。

彼にかかれば統合失調症者も発達障害者も変わらない。
皆それぞれに凸凹がある。
周囲はボコが気になって、幻覚でも妄言でも問題行動として修正しようとするが、
デコをこそ評価せよ、さらに、彼の内面がどうなってるかを想像せよ、という。
前者は病者の健康な部分をみよ、という中井や神田橋を思い起こす。
後者はビンスワンガーが記述的現象学派を批判して現象学的人間学を展開したことを思い起こす。

症状や問題行動があるからこそ、周囲が助けようとする。それでいい。
自立は適切に依存すること。迷惑をかけずに生きることはできない。迷惑をかけることに日々感謝すればいい。
だから、症状や問題行動はなくそうと躍起にならなくてよい。
これは中井が妄想がなくなると寂しいと指摘したことや、サリヴァンが病気はもっと悪い事態 からその個体を守っているのではないか、と指摘したことと重なる。そして私はそのことを享楽、念仏として先般記事に書いた。

自分が疲弊しないために、彼が日々自分に言い聞かせて自分をイメージ操作する手法がとても面白くすぐに臨床を助けてくれそうだ。
・弓はいっぱい引く。大きな問題であればあるほど、ぴゅーっと飛ぶ。
・島は一つずつしか渡れない。
・コップの8割まで水が入っている状態をどうみるか。2割足りないとみるか、8割もあるとみれるか。
・面接室に入る前に、自分は硬質のゴムになると言い聞かせる。風で倒れもしないし、相手の心の動きにも合わせられる。
・小池に小石を投げるつもりで接する。土井ホームは朝の挨拶は「おい、殺すぞ」「なに、埋めるぞ」「なに、沈めるぞ」。そういう子にも、めげずに普通の挨拶を繰り返す。心の底に、私の投げた小石が少しずつたまるかな、とイメージして毎日投げる
・時熟、マラソン。結果が早く出ないと待てない。施設に入れろ、病院に入れろ、と向こうの世界にやろうとする。成熟を待ってやらないと。マラソンの伴走をしてやらないと。子供、利用者の成熟を待ってやる。
・まっすぐは成長しない。ぐるぐるぐる回って、円環的に成長してく。支援も円環的に。
やはり彼は中井や神田橋をよく読んでいるようだ。

我々は精神病院を解体することに関心を持っている。
ドキュメンタリー「精神病院のない社会」を見て、しかしディテールが描写されていないことに不満を抱いた。
バザーリアはいかにそれを実現したのか。
精神科薬はさまざまにあるが、結局どれもその人をぼんやりさせる薬であることに変わりはない(『精神科の薬について知っておいてほしいこと』)
薬物をなるだけ使わずに、つまりなるべくその人をぼんやりさせずに、拘束もせずに社会で生きるサポートをするにはどうすればいいのか。
そのディテールの一部を土井氏に見たように思う。
我々に親業をやれるか。理屈ではなく親業を。
子にイライラする自分に日々うんざりしているこの私に。