さようなら

知人が旅立った。
彼は私の人生の先輩であり、具体的なことを具体的に生きている美しい市井の民だった。
大学時代、彼の元でアルバイトをした。
お酒の飲み方や飯の食い方を教えてくれた。
私の姉もお世話になった。
私と私の妻は彼の兄弟の子供の家庭教師となり、彼の親戚一同と旅行にでかけた。
私と妻が結婚する時にも非常に有益で具体的なアドバイスをくれた。
寡黙だが、話すと直ちに本質を射抜く野に埋もれた賢人でもあった。
時に厳しく生意気な私に迫ることもあった。
時に人なつっこく笑うあの顔を忘れられない。
「君はな、面接のとき、飯だけは腹一杯食わしたる、って言うたら、ニカってしおったんや」と久々に会うと必ずそう言って、破顔した。
父親というには若いが、兄貴のような存在であった。

私は長く連絡を取らなかった。
時に心の中で話しかけることはあった。
それは、近々連絡をとろうと思うことができる前提があった。
今も、会えないが心の中で話しかけることができる。
しかし、会える可能性は絶えてない。
この不可能性が悲しい。
なぜ連絡をとらなかったのか。

彼のレストランには色んな好人物が集まった。
F氏という老舗の顔料屋を営む老紳士もいた。
カウンター越しに彼は私に問いかけた。
「遊びが何か、知っているか」
「・・・・遊び、ですか・・・・労働していないこと、というのでは不十分だと思いますが・・・・ちょっと考えつきません」
「遊びというのはね、そんな消極的なことじゃないんだよ。」
「はい・・・」
「遊びというのは、クジラの潮吹きなんだよ」
「潮吹き・・・はい・・・」
「クジラは普段、海の底で、あれこれやってるだろう。ところが、ある時に海面にあがってプシューっとやるだろう。」
「はい・・・」
「人間も生きている中で、悲喜こもごも色々やってるだろう。それはそれでいいんだよ。でもそれだけじゃなくて、ある時、意識して上昇してプシューっとやらんといかん。それが遊びだよ」

私が滋賀医大に合格したとき、F氏は嬉しそうに言った。
「君、滋賀医大にはいいヨット部があるよ」
「分かりました。ヨット部に入ります。」

その他、篆刻作家のM氏もいた。
仙人のように髭を蓄えていた。
M氏もうぶな私をよくからかってくれた。
彼はアルコール性肝硬変で吐血して遂げたと聞く。

私は素直に他力にすがって生きてきた。
私を支えた大きな他力の一つが旅立った。

常なるものは何もない。
昨日、沈丁花の香りがした。
しかし、花は見えなかった。

ありがとうございました。
さようなら。