大量出血

先日膀胱全摘のopeで3800 mL出血した。

はじめは血圧が落ちてきて心拍数があがったのだった。血圧を維持できなくなった私は上級医を呼んだのだが上級医はすでに当該ope含め4件を並列しており、べつのopeでSBPが60という手の離せない事態になっており、彼は電話でCVにふたつつないだボルベンを全開しネオシネジンなどで持ち堪えてくれと指示した。

出血が3000を超えたとき、私はもっとさわぐべきだった。

私は、「これは術野を洗う生理食塩水のぶんを計上しているだけではないか?」と思い、致命的な出血とは考えなかった。なぜそう思ったのか?私は大量出血を認めたくなかったのだろうか。私はさらなる電話を上級医にかけなかった。彼は忙しいから呼べないと思ったのだ。

ボルベン全開でもエフェドリンもネオシネジンも反応しなくなった。

私は輸血のオーダーを自己判断でしたことがない。そもそも恐ろしいことに、輸血が必要だと判断できていなかった。

結局はその場にべつの上級医が来てくれて、さまざまに組み立てて事なきを得た。そうしている間に、もともとの上級医がきてくれて、さらに残りを組み立ててくれた。

もともとの上級医に「先生は言われたとおりにしてくれたから落ち度はない」と言われた。しかしきっと、他施設の研修医ならこんな場合でも自分で処理できる知識と経験があるだろう。自院でもほかの研修医ならもっとうまくやっただろうことを思うと、私はまた気色が悪くなった。

人とくらべることが習い性になっている。いい年をしているのだから、自分の能力をただしく評価して人と比べることをするなと兄に以前叱られた。これからますます責任と能力を問われることになって、たしかに他人と比べて落ち込むような無駄な不利益はならないことだ。

外科の先生が控え室におり、駆けつけてきてくれた方の上級医と私に言った。

「止まらない出血はあるけど、終わらないオペは無い」

私と上級医は笑った。上級医はアドレナリンで昂奮したいきいきした笑いで、私は水分のぬけた乾いた笑いだ。

世の中の事象のことごとくが私の無能と無価値を証明していく気がする。なにかが思ったとおりにいったことは、今までの人生で国語の試験だけはわりと思い通りにいった。ひとつでも思い通りにいくならいいのかもしれない。

苦しいときにはなにも考えたくなく、音楽を聞きたいと思う。しかしほとんど全ての音楽は優れた人や普通のくらしをする人の共感を呼ぶように思われる。聞いていても駄目な自分と乖離するような気しかせず、気はまぎれない。

それで江利チエミの「串本節」の、軽快で現代的なリズムを耳に流しながら私は電車に乗った。

京都に借りる部屋を見に行くのだが近江八幡の畑からは雪が溶けて、青々した麦の葉が伸びてきている。

「はだしのゲン最強ランク」で常に最強者の座をほしいままにするのは麦だ。麦は原爆にも克つからである。冬から春にかけて青々したみずみずしい葉を伸ばしていくのがとても美しい。「はだしのゲン最強ランク」は示唆に富んでおり、さまざまな馬鹿げたことがあってもぶち壊しにせんばかりの勢いをゲンが有していたことは私たちを勇気づけてくれる。

さいきん「じゃりン子チエ」を読んでいる。5巻「大阪カブの会ポリ公が来たらはいビスコの巻」のチエの祖母のセリフはすばらしい。

「人間一番悪いのは腹がへるのと寒いゆうことですわ 長いこと生きてますとな ほんまに死にたいちゅうことが何回かありますのや そうゆう時メシも食べんともの考えるとロクなこと想像しまへんのや ノイローゼちゅうやつになるんですわ おまけにさむ〜〜い部屋に一人でいてみなはれ ひもじい…寒い……もう死にたい これですわ いややったら食べなはれ ひもじい 寒い 死にたい 不幸はこの順番で来ますのや」

これは真実だ。

世の中の一部の人間は、自分の無能を証明する事件が発生すると申し訳なくて飯を食いたくなくなる。そうするともう死ぬしかない気がしてくる。追い詰められて飯を食えなくなるとほんとうに死んでしまう。

夏より冬のほうが死にたくなる。冬が好きというのは恵まれた人間のことばである。雪がいたく降り、水道は凍り、いてもたってもいられぬ寒さが肝をえぐるのが冬である。死にたくなる寒さが本当の寒さである。

めしと暖かさは大切なものだ。医療職というのは殺伐としたもので、死んだの死なないの、せん妄で暴れるの外来患者が暴言を吐くの、さまざまな事件が他職種と同じく発生するものだ。だからめしと暖かさは他の人と同じように医療職にも大事だ。

万人はめしを食べて暖かくしなければならぬ。そんな大切なことすら人間の多くは忘れてしまったり、あるいはどうしようもなく手に入れられなかったりする。

神の国はほど遠い。

空谷子しるす