はたらきつづける

5歳の娘と

娘:あした、おしごとなの?
父:うん、そうよ
娘:え〜、なんで?
父:う〜ん、だって、毎日働かないとお金もらえないものね
娘:はたらきつづけないといけないの?
父:うーん、そうね。ももちゃんは、今日だけご飯食べるの?毎日ご飯食べるの?
娘:毎日たべるよ
父:じゃあ、今日だけ幼稚園に行くの?それともこれからも行くの?
娘:これからもいくよ
父:ご飯を食べるのにも、幼稚園に行くのにもお金を払わないといけないものね
娘:じゃあ、幼稚園のバスにもお金をはらってるの?
父:払ってるよ
娘:ガーン!
娘:お金チョコ買わないと
父:え?
娘:お金チョコ知らないの?イオンで売ってるよ

素寒

ぼちぼち

就寝時、5歳娘と

母:今日忙しかった?
父:ぼちぼちやなあ
娘:ぼちぼちってどういうこと?
父:まあまあってことかなあ
娘:まあまあってどういうこと?
父:うーん・・・ママァ!ってことや
娘:違うでしょ!
父:うーん。6割くらいってことかなあ
娘:6割ってどういうこと?
父:10あったら6くらいってことかなあ
娘:それってどういうこと?
父:うーん・・・
父:どないでっかって聞かれたら、ぼちぼちでんなって答えるねん
言ってごらん、ぼちぼちでんなって
娘:ぼちぼちでんな
父:ちゃうちゃう、ぼちぼちでんな、や。
娘:言ってるでしょ〜
父:いや発音がちゃうねん。ぼちぼちでんな、や。言ってごらん。
娘:ぼちぼちでんな。
父:ちゃう。ぼちぼちでんな、や。
娘:ぼちぼちでんな
父:そういうことや

素寒

こころのかぜ

帰宅後、5歳の娘と

娘:ダニアレルギーってどういうこと?
父:あ-・・・アレルギーかぁ
父:例えば、パン食ったら、ももちゃん、ぶつぶつでてくる?
娘:でないよ
父:中にはパン食ってぶつぶつでちゃう人がおるんよ。そしたら、その人は、パンにアレルギーをもってる、っていうねん。ほんで、ダニアレルギーは、ダニのうんことかにアレルギーをもっちゃうわけや
娘:じゃあ、ももちゃんはパン食べてもいいの?
父:いいよ。ももちゃんはパンにアレルギーないもん。
娘:ふーん。じゃあ、こころが風邪をひくってどういうこと?
父:うーん、心と体があるやん?
娘:うん。
父:心がくしゃみしたり咳したりすることかなあ
娘:ふーん。ももちゃん、こころ好きだよ。
父:あー、それ焼き鳥な。
娘:うん。

素寒

男と女とオーマイガ−

5歳娘と

娘:どうして男はおしっこの時、ちんちん拭かなくていいの?
父:うーん・・そういう形やもんなあ・・・
娘:どうして男と女は違うの?
父:うーん・・・
娘:どうして男の子にはおちんちんがあるの?
父:うーん・・・おちんちがあるから男の子なのかなあ・・・うーむ・・
娘:女の子にはおっぱいあるよ?赤ちゃんができたらおっきくなるんだよ
娘:先生に「みんな女の子なのにはたおり上手だね~」って言われたの
父:・・・・
娘:先生に「みんな女の子なのにはたおり上手だね~」って言われたの
父:それでどう思ったの?
娘:オーマイガ-!ってなった
父:・・・・・・そう言われて嫌だった?
娘:嫌じゃないよ

素寒

カブトムシ

カブトムシが出ちゃうからお片付けしないとと4歳の長女が言った。

床をはってるところを長女が見つけてベッドの部屋からおもちゃの方に行って見失ってベッドの部屋で発見したところを妻がやっつけたのだそうだ。

怖いね、お片付けしようね、と言った。

(2021.06.13)

わたし

今回もinterestingな言葉

5歳6ヶ月の娘
幼稚園の年長

ここ数ヶ月、娘の一人称が「わたし」となる時がある
それまでは「ももちゃん」と自称していた
妻には、幼稚園でみんなが使っているから、とその経緯を説明したようであった
一人称を軽やかに変化させたその軽やかさに憧憬を抱いた
数週間たって、同様の答えを期待して、聞いてみた
「どうして、わたしって言うの?』
すると、ナイーブな問いだったのか、「いや」と強く回答を拒否した
何かを侵襲しているように感ぜられたため、それ以上は問わなかった

考えてみれば、「わたし」ほど、主体性の純度が高い表現もない
しかし、娘においては、その使用は他者に大きく影響されている
主体性にしのぶ他者性の影
私にしても、「ぼく」から「オレ」への跳躍には随分と難渋した
最近は仕事での立場上「わたし」と自称する場面が増えたが、不協和音が響いている
随分と不自由な主体だこと

素寒居士

こわいの

今回はinterestingな言葉。


妹が出生する前後から2歳3ヶ月の息子に、例によって赤ちゃん返りがみられ始めた。
妹が家にやってきて以来、妹は母親の乳を吸いながら眠っている。
その妹と母親の間が、彼にとって意味のある空間として立ち上がってくる。
彼はしきりと母親にすがって、その間に入りたいと泣く。
こわいの、こわいの。

 母親が出産のために入院している間、彼は姉と私の間に分け入ってきた。
それに対して姉はもちろん抵抗した。
姉と言えどまだ5歳なのだ。
夜の闇のなか、私の横は簡単に明け渡し難い。
しかし、やがて弟が泣いて怯える様を見て、間という特殊な空間を譲った。

母親がまだ生まれて1週間の妹を連れて帰ってくると、今度は妹と母親の間が彼にとって切実な意味を帯びる。
たとえ生後数週間のかよわい体であることは、彼にとって意味をなさない。
かの特殊空間を求めて彼は叫び求める。
その時、私はふいに「あ、痛い!」と叫んでみる。
やはり息子は「どうしたの?」と応じた。

 私はこれまでも観察から、彼が甘えて泣いている時に、誰かがたまたま「痛い」や「うわ」などの言葉を発すると、すぐさま「どしたの?」とやってくることを見知っていた。
今まで泣いていたのが嘘であったかのような表情をしていた。
なるほど、彼の表現としての涕泣にはいくつかの意味があるのだろう。
身体的にないし精神的に強烈な痛みが彼を襲った時、彼はその時何をしても泣くだろう。世界が崩壊しつつあるように感じられているのかもしれない。
しかし、痛みの程度がさほどでもないとき、例えば甘えから泣く様な時、彼の精神にはまだ遊びがあり、容易に切り替えが生じうる。
私はその観察からの仮説を就寝時に彼がかの特殊空間を希求して泣くときに活用した。

 彼は私が「痛い」と叫ぶと、すかさず「どうしたの」とやってきた。
姉もそばにいる。
私は「ヨシヨシして」とリクエストする。
すると彼は「ヨシヨシ」としながら手でさすっている。
私はさらに「大丈夫?ありがとうって言って」とリクエストする。
すると彼は、その通りに言う。
そこで姉も私も笑う。
「なんでありがとうやねん」と。
すると、つられて彼も笑う。
しかし、すぐにまた彼はかの特殊空間を求めて泣く。
そしてまた私が「痛い」と叫ぶ、笑う。
繰り返しているうちに、彼は眠りについた。

お粗末なテクニックだと思う。
嵐が去るのをただ待つこともできたのかもしれないし、その方が良かったのかもしれない。
しかし、私はその夜、彼の中に生じたある種の刃を無力化し、私たちは穏やかに眠ることができた。

われわれの会誌「臨床文藝」創刊号がまもなく発刊される。
主に私はケアについて論じ、LINE座談会でもケアが話題にあがった。
急性期においては、あえてまなざしを注がないことが保護的になることも論じられた。
相手の内なる刃を見て見ぬ振りをする。もしくは、ずらす。
 子育てをしているときにも、子のうちに刃を見ることがあり、記録しておく。

追記)
発達障害の外来で心理士がオペラント条件付けの「消去」という対応法を紹介していた。
例えば、子供がお菓子売り場でお菓子を買ってくれないことにかんしゃくを起こしてその場で手足をばたばたとさせてしまう状況を考えてみる。
この時、かんしゃくに耐えかねて親がお菓子を買ってあげると、かんしゃくという行動の正の強化となる。今後同様の状況でかんしゃくを起こしやすくなる。
逆にかんしゃくに対して、「そんなわがままする子は今日はゲームなしだからね」とすれば、負の弱化となる。
ところで、そもそも相手にしないというのが消去。見て見ぬ振りをするといわけである。 
私の今回の対応は、単に見ぬ振りをしたのではなく、他の感情を喚起させるよう、他の現象を出来させた。消去とも少し異なるテクニックのようである。

素寒居士

おいしみがたまる

5歳娘
朝食後、幼稚園にでかける前のこと
娘「ねえ、パパ、梅の実食べてみようよ」
父「うーん、ちょっと早いんじゃないかなあ、砂糖もまだ溶けきってないし」
娘「え〜食べてみようよ」
父「じゃあ、幼稚園から帰ってきたらちょっと食べてみよっか」
娘「わ〜、おいしみがたまる〜〜〜」

素寒居士