骨流し

長崎、坂の町。
港に山が迫っており、斜面にもわずかな平地にもところせしと建物がひしめき合っている。

8時半に京都を発ち、博多と乗り継ぎ、長崎に降りた。
リレーかもめ号は深い紺青が格調高い。かもめ号は打って変わって、上品な白を基調とした列車であった。
5時間の移動に、娘は疲弊した様子であった。
この子は疲れは知らぬが、退屈を内省に使うことはまだ知らぬ。
終末期の患者同様、退屈は強い苦痛をもたらす。

港が近いからか、雨が近いからやや蒸し暑かった。
特急の発着する駅構内の美しさと対照的に街の雑居ビルは色褪せて汚かった。

26聖人のレリーフは長崎駅にすぐに迫った坂の途上にあった。
街にはところどころに防空壕があった。
しかし、その防空壕はどれも小さいもので、多数を収容できるものではない。
投下されたとき、防空壕内に避難していた人たちのうち、助かったのは奥にいた人たちだけであったようだ。
平和公園には平和を希求する願いをこめて各国からモニュメントが寄贈されている。中国からのそれには、時折心なきいたずらがされるという。

我々は、骨をまきにここまできた。
戦争末期、幼かった骨の持ち主は兄弟でよくU川にうなぎをとりにきていた。
その日も兄はうなぎの仕掛けに行き、彼は姉と防空壕に避難していた。
姉は用事があると家に向かった。
まさにその時、かの無慈悲な爆弾が投下された。
両親、兄、姉は一瞬で吹き飛んだ。
U川は水を求める人で地獄と化した。
彼は世界でただ1人取り残された。
手に職を身につけ、彼は大阪に出た。
ある人物が貸した金を返さないことにカッとして殺めてしまった。
余生を四国の刑務所で過ごすこととなる。

長らくあるシスターが彼と文通をしていたが、そのシスターは高齢となり、Y神父に託した。
彼が獄中で病死した時、身元引き受け人であった神父が呼ばれることとなった。
教誨師としてではない。一般人としてである。
神父は所属する地区以外の教誨師にはなれない。

彼の哀れな生い立ち、Y神父は彼の骨を彼の遊んだ川に撒いてやろう、そう思い立ったのだ。
それではお供します。娘も伴います。
という段取りになった。

我々はM夫妻に案内されまずJ学校の聖母像の前で祈りを捧げた。
私は祈りに馴染みはあるが、クリスチャンではない。
ましてや初めて司祭の祈りに参加した娘は周囲をおもんぱかりながら、殊勝に手を合わせていた。
聖母像には、原爆でなくなった生徒や教員の遺品が納められているという。

その後、U川に赴いた。
昨日の雨のため普段なら対岸へと渡れる小石群は半ば水流の中であった。
U川の川幅は非常に狭い。
市内にはこのような川が二つしかないという。
よって、雨が急に降ると一挙に増水し、氾濫しやすい。
「殉教、原爆、水害とこの土地は3つの大きな災難に見舞われたんです」と案内人は言った。
M夫人の祖父の家は浦上天主堂の真ん前にあったが、これも一瞬で灰燼に帰した。
その浦上天主堂の真下には、爆風で吹き飛ばされた鐘楼の一部が武骨に突き刺さっていた。

幸い晴れた。
1週間前までは予報は雨であった。
しかし、晴れた。
対岸にはサクラやユキヤナギが咲いていた。
対岸を色で染めていたわけではない。寂しい灰色の背景に、一つ、二つと寂しそうに咲いていた。
川の中には一つの石があった。
ちょうど大人1人が立てる程度の面積の石が、岸から一歩の距離にあった。
Y神父はその石に定め、川上の人となった。
銀の十字架を一つ落としてから、白いさらさらの骨をまいた。
わずかに白濁した流れは、やがて透明となり、それは川と一つとなった。
その後小雨が降り始め、我々が稲佐山にたどり着いた時には本降りとなった。

M夫妻は望んだが子が得られなかった。
M夫人は若くして持病を持ち、維持透析をしている。

我々は、生まれる土地、時代、親、性別、何も選べなかったんです。
でもな、ホイヴェルス神父という人が、究極的必然性はない、と言いましてん。
とY神父はよく言う。

両者は矛盾する概念ではない。
前者は過去のことを、後者は未来のことに言及している。
自由意志のことでももちろんない。
自由意志はおそらく自力の別称だろう。
自由意志が存在しないほどに自力というものはしょぼい。
自力のしょぼさを自覚せぬ人間の自力をうんぬんする妄言には辟易する。
グランゴワールは自由意志をうっちゃって、奇跡御殿に達した。
自力と他力のバランスを目指さねばならぬ。
ああ、バランス!
あの聡明なキルケゴールも達することができなかったあのバランスよ。

せっかくなので翌日は原爆資料館を訪れようかと思ったが、娘が怖がるのでやめた。
私はなんでも覚えちゃうから、と苦しそうにしていた。
爆弾が怖いとなかなか寝付かなかった。
夜半、雷鳴におどろかれぬる。

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