第4日目

今日は痙攣発作後状態(Post-ictal state)について調べたりしていたらついつい遅くなってしまい疲れたので眠ろうとおもいますが、やはり色々な人に相談などしているわけですが、病気しているとはいえ一番暇人なのですから、忙しい人にメールしたりやり取りしてもらって申し訳ないなという気持ちにはなります。

第3日

母:あなたは祈っていないし、聖書を読んでいない、そのような態度が果たして許されるだろうか、勿論出来ない人がしなくても何も問題はない、しかし、できるのにやらないのはおかしい、それは思い上がった態度だ、私は10年間教会を離れていたが、父のことと(新)宗教、淀キリのホスピスで教会員との再びの出会い、交通事故による罪の自覚というエピソードがあって深く懺悔し、神の元に戻された、そしてそこから、本当に祝福された日々を過ごすことができている、求めようとする下僕に対しては主人は与えようとするはず、祈りたくないのか、聖書を求めたくないのか。もしも今、時間が与えられたのなら、それは離れていた神様との時間に充てるべきではないのか。

私:確かにある時期から祈りや聖書の通読が私の日常から消えていった、私は、神様はすべてをご存知であり赦されている、そして私は神様がすべてを成功や良い方向に導かれるとは考えない、また祈りの程度や有無によって、その希望の実現・現実の結果が影響されるとは、考えていない、やはりすべて我々の目の前におきていることは神様が働かれた結果であって、神様の働きの結果僕が術中死することだってあり得ると考えられるし、だからといってその後に祈りが足りなかったから、とは考えたくはない、それから、私は祈りたくなかったり聖書を読みたくなかったり拒むような気持ちがあるのではなく、祈りが非科学的で無意味な行為だといっているのでもない、僕たちはともに祈り合うことで、祈らないときにはえられない感情を共有している、私はあらためて、祈り読む時間にしたほうがいいかと思う、ただつまるところ、そういう行為を私がとっているかどうか、他人には分かりようがない、なのだから母が私の行為を信頼できるかどうか、といったことの問題でもあるようにおもっている、私はこれを私が18歳くらいのころから母との間に問題として横たわっていると感じてきたが、今日の日までここまで大きく取り上げてこなかった、だがこうして指摘されることで非情に辛く感じることも事実であり、伝えることと行動を変化させることが必要であるように感じたため、伝えることとした

母:そのように神様のことを考えているとは知らなかった、悪いことがおきているのはサタンが働くからであろう、ただもうあなたには後がなく、言わば刃を突きつけられている状態なのに、神様がなんでも救ってくださるからなにをしても、祈らなくてもいい、という態度では許されない、祈るかどうかはあなた自身の問題であるため私にはわからないけれど、とるべき態度は唯一つであるようにおもう、牧師にも相談をしてはどうか

私:私の考えを伝えることができてよかった、また(何度もきかされた話も多かったが)母の考えをきくことができよかった、通読と祈り、そして牧師との相談はあらためておこない、このときを与えられたことの意味を神様にもとめていきたいとおもう。

第2日

朝希望していたパンが想像以上に美味く、やはりパン食の盛んな土地柄だけのことはある、などと感心した。検査としては脳血管造影CTだった。造影剤がながれると熱い感じがしますよ、などと、離島で造影CTを自ら撮影するときなどさんざっぱら説明してきたものだが、いざ我が身がうけるのは初めてであって(緊急入院したときもMRで造影剤を使用されたはずだったが、CT(ヨード系)はおそらく初めてのはずだった)、それなりに緊張しナースコールをもつ手に汗を握った。咳が出てしまったらアドレンリン0.3mgを筋注しなきゃ、でも今は患者だからオーダーできない・・・などと考えたが、杞憂に終わった。ただ、造影剤が血流に乗っていくとき、咽頭に「有機溶剤」の薫りを感じ、それに合わせて温かい液体が体内を駆け抜けていった。

第1日

正確には、転院第一日です。3週間前、私は高校の部活の同級生とともに、高校の部活の顧問が退職後にひらいていたで呑んでいたのです。その夜と、その夜までの事とは、今でもよく覚えています。うまい酒で、いい夜でした。そして、その日まで、記憶で困った経験は、ほんとうの意味では、ありませんでした。勿論、すっとぼけた性格をしていますので、約束が抜けてしまうことも、これまでの人生、一度や二度ならずありはしましたが・・・私個人の基準では、まあなんとか人並み(か、ややそれ以下か)に収まっているものと考えられていたのでした。ただ、それでも、成人後、慣れ親しんだ人以外の人とする対話、あるいは留学、学会、勤務先(病院)・・・そういった社会のつきあいは、私にとって、まあまあ、ハードルというかストレスが高いものでした。勿論人間は、我が身を振り返るときには、欠けたる所が目につく生き物であろうと思います。とはいえ、一方で、その状態を認識しながらも、少しでも欠けた所を補おうとする、そのような存在でもあると思うのです。そういう意味で、私もなんとか、外れがちながらも、なんとか人並みの範囲内ではなかろうかと、そう考えていたのでした。

しかし、今になってみると、一方で、どんどんとお酒が飲めなくなったり、コーヒーが飲めなくなったり、金遣いが変わったり(定額系サービスを2022年頃から複数利用するようになった)、といった変化があったようにも思います。それくらい普通、と言われてしまうとそれまでなのですが(そして自分でも、そうとも思うこともできますが)、・・・ただただ、そういう目で振り返って見ている、ということです。

そんななか、今からおよそ3週間前から記憶が曖昧になり、家でひっくり返っていた私は(このあたりもまた機会があれば詳しく書きます)、2週間前から勤務先に入院することになりました。診断は、脳腫瘍疑い。月並みですが、やはり驚きました。色々な方に報告、連絡しました。そして本日、大学病院に転院することとなりました。学生以来の大学病院です。場所としては生まれて始めて足を踏み入れる病院です。きれいな病棟でベッドも上等です。ただ、昨日まで職場のはからいで個室に入院していましたのが、今日からは4人の相部屋、総室入院となります。いまのところ、大事はおきていませんが、目下の問題として音(例えば自分の放屁等)が、気にかかります。プライバシー、は時代とともにその概念が移ろう、面白いものだと思います。基本的には、とはいえ、時代を経るごとに個々人の思想や信条、性的指向といったポイントは尊重されこそすれ、おざなりにされる方に進むことはなく、一方向的趨勢を感じます。そこに噛み合うのがコミュニティの論理です。いちコミュニティである病院の存在論理は、最大多数の病人が、癒しを得るための構造を提供することにあるのですから、どうしたって個人の領域が侵犯されます。そもそもケアするとか一緒にくらすこと自体が、ひとりでできることではなく、それは病院でも行われていますが、家庭とか、会社とか、ひとがひとりでいるのではない場所で日々営まれていることです。(H)