専攻医7

病棟の児はまた別の問題が発生し、しかもその病態は難しくてなかなかどの医師も分かりきることはないのだから、これは困ったことだ。

さまざまな化学療法の数々が治療期間の終わりに特定の検査を要求する。しかもそれらはすぐに予約できる類の検査ではなく、さまざまに調整しなければならない。ひとつずつ弁えればよいのだが、その余裕はない。自分の余力を削ればやれるかもしれないが、自分が死んでは何にもならない。

6月から中間医と研修医の先生が変わる。担当患者や病棟規則を知る人間が私だけになる。私もそれらを充分には認識していない。明日のことは知らない。そうだ。だから私は祈る。他の人々が祈らずに自力で生きていけることは私には信じられない奇跡である。私には不可能のことである。私は自力で生きていない。祈るうちに…他人からはなにか合理的に後付けで説明されるけれども…なにかの形で解決を見る。それは決して私や他人が望むような浅い形の解決ではない。

週末に比叡山に登った。比叡というのはもともとは日枝と申し、日吉大社の神山であった。その霊威はいまだ息づいている。西塔を遍巡り、明らかな初夏の日差しに緑苔がきらめく様は応えられないほど美しい。その落ち着いた雰囲気の中に伝教大師の御廟がある。つつましくも美しい空間は比叡の権威とは無縁なようだ。

伝教大師この世を身罷らんとし給う時に仰すには「我が志を述べよ」と。きっとまじめな人だったのであろう。

一切皆苦は変わらない。変わらない中に私はどうなっていくのか全くわからない。私は医者になれるのかわからない。いま私はどうなっているのかわからない。

彼女が私の優しさを愛すると言う。私は自分の優しいことを思わない。彼女は彼女の私を好きな理由を私が信じないと言って悔しがる。

世の中にはわからないことがあるということを私は知っている。人間だから当然同じだという前提がないことを知っている。彼女はもしかしたらその前提を信じられる人間である。幸福な人間である。私はそうした意味では人間ではない。

私は理解したい。私以外のものは全て私と異なっている。異なるものを理解したい。しかし私が他と異なることを信じられる人間はほとんどいない。私が同じでないことに気づくと、私の無理解や消極性をなじり、怒る。私は他者を理解したいと願っている。しかし自分の心身を犠牲にしてまで同化することはできない。

私には常に疑念がある。全ての他者が私を心の中で愚弄している疑念がある。それで常に全ての人間関係について割り引いている。常に信頼しきることがない。なぜならば私の能力を、全ての他者は大きく超えているからだ。私のあらゆる実務的能力を全ての他者は超えるからだ。

だからもし私より実務能力が劣る稀有な人間が現れたら私は無意識に笑みが止まらないだろう。本能的に見下すだろう。いままで見下された劣等感が原初の癒しと救いを求めて裏返り、渇いた魚のように貴重な優越感を貪るだろう。

私は優しい人間ではない。劣等の人間だから低姿勢でいる。弱者の身振りをして自分を全力で守るだけである。

見たまえあの大比叡を。元三大師の切なる祈りを見たまえ。浄土教の先駆者たちの切なる修行を見たまえ。日枝の神を拝見したまえ。

一切はわからない。一切は私の能力を超えている。祈ったところで何かを変えるわけではない。

しかし祈ることが何よりも重要で何よりも具体的で唯一有用な手段である。

祈ることだけが卑怯な私の持つ唯一の真実である。

空谷子しるす

A shivering chill

それは突然やってきた。
当直中の深夜近くに私はぼんやりしていた。
それは完全に不意に、しかし明らかにステージの変化を告げるファンファーレであった。
突如、がくがく震えて飛び上がった。
これが、戦慄かっ!!
布団にすべり込むが、なお寒い。
幸いこの施設の当直室の布団は立派な羽毛布団だった。
しばらくすると体幹は温まった。しかし、足はしっかりと冷えたまま。

発汗法で邪を追い出さねばならぬ。
葛根湯は数包常備している。
ベッドのすぐそばのデスクに取りに行けばよいのだが、このなんの造作もない動作がなかなかにできない。
意を決して這々のていで布団を抜け出し震えながら葛根湯2包を流し込んだ。
寒い寒い。
1包目は仕損じて6割程度しか内服できなかった。
暖を取るために白衣を着て布団に戻るが1時間待っても汗がでない。
足はまだ冷える。
葛根湯をもう1包飲む。
すると、しばらくして全身からじんわりと脂汗が出始めた。足もあたたまり始めた。
しめた。
その後は猛烈な熱感がやってきた。
今度はとにかくどうしようもなく熱く、全身から汗をかく。
排尿した。下着、白衣は汗でじっとりしている。
しめた、素晴らしい。経過は悪くない。

読者も覚えておくとよい。
葛根湯は常に持参しておきなさい。
寒気が来た時、風邪かなと思った時に、若ければ2包でよいから一気に内服し、布団にくるまって汗が出るまで待ちなさい。
汗がでればしめたものである。汗がでなければさらにもう1包飲みなさい。
間違ってもこの段階で病院に受診してはいけない。
待合で長時間待たされるなら風邪はより悪くなる。
風邪の初期に対して西洋医学は何もできない。

ちなみに、数千年の歴史が発汗法の偉大さを見出したが、私は20歳の頃に自分で天才的に発見している。
風邪を引いたと思った瞬間に①大量に水を飲む、②大量に食う、③大量に眠るの三つの実験系を組み自分で試したのである。
結果は①の圧勝であった。食わずとも寝ずとも、大量に水を飲んで汗をかいて小便を出せば治せるということに気がついた。以降、私は風邪を1時間で治せるようになった。
もっともその頃医学部生でなかった私は、大量の水でもってウィルスを希釈するなどという大胆かつとんちんかんな仮説に満足していたのだが。

ちなみに、読者諸氏に告げておくが、創傷に対する湿潤療法は小学生高学年の時の私の発明である。
特許申請をしておけば今頃億万長者であるのに、実際は大量の借金を抱えた貧者でしかない。しかし、心は明るい。ほっといてください。

閑話休題。
その時の私の脈は浮・緊のように感じられた。
汗は全くない。
葛根湯よりも、むしろ、麻黄湯がよかったろう。
体温計があれば体温を測りたいが、当直室には体温計はもちろんない。
体温が0.55℃上昇すると脈拍が10回/分上がると言われている。
脈拍は102回/分。
普段の脈を70回とするならば、+30回/分であり、体温は平熱より1.65度上昇している。36.5度と見積もると38度以上の熱があるのだろう。体熱感と矛盾しない。
呼吸も乱れていない。発熱以外のバイタルサインは悪くないのだろう。
発汗法を使って、なんとか邪の侵入を抑えられている。

しかし、出来るならば抗菌薬を直ちに投与したい。

これまでの経過からは副鼻腔炎に違いないと直感した。
風邪症状の後に、閉鼻・頭重感・倦怠感という典型的ないつものウィルス性副鼻腔炎の症状が出現したのが3日前である。
副鼻腔炎では抗菌薬は最初から使用しない。まずはウィルス性副鼻腔炎としてロキソニンなどNSAIDsや鼻うがいなどで改善することが多い。10日間はそうやって観察できる。
今回も、NSAIDsを内服すればおよそ30分ほどで、おそらくは抗炎症作用により、粘膜の肥厚が緩和され鼻の通りがよくなっていた。
しかし、今や悪寒戦慄をきたしたということは、菌血症に至ったか?
否、副鼻腔炎で菌血症に至るなど聞いたことがない。
しかし、何かフェーズが大きく変わったに違いない。
菌血症には至らぬものの、それでもウィルス性から細菌性副鼻腔炎に変わったのであろう。

残念ながら抗菌薬は常備薬としては持参していない。
できるならば、施設に置いてあるであろうセフトリアキソン2gを投与したかった。
使えばいいではないかと読者は思うかもしれない。
しかし、施設の常備薬は当然当直医用のものではない。
なにより、恥ずかしい。
私にも羞恥心というものがある。
もちろん、いざとなれば施設の薬を自分に投与することも、最悪の場合、救急車を呼ぶこともありうる。
しかし幸い、細菌との初戦は私が勝った、と兆候は言っている。
今後は抗菌薬がなければ敗血症で死に至るであろうが、なんとか今晩は東洋医学でしのげそうである。

暑すぎて寝ようにも眠れない。
目を閉じると忙しく、意味が騒ぎ始める。
何かの戦闘シーンのように、もう忘れてしまったが意味を担った何かが目まぐるしく活動していた。
おそらく夢うつつであった。
正しくは夢ではなかった。なぜなら眠っていなかった。
当直室で何か急変が起きた時の記録として妻に自分が何をしたかを正確に意図して報告していた。
時間感覚も見当識もおよそ保たれていた。
おそらく煩躁と呼べる状態であったろう。
であれば、強い実証と考えて麻黄湯よりも大青竜湯がさらによかったのかもしれない。

私は大量の水を飲み、計3回の排尿を得た。
すばらしい。
しかし、電解質が心配である。
できれば生理食塩水の点滴を受けたい。
なんなら塩でいい。塩昆布でもいい。
しかし、この当直室には塩っ気のあるものは置いていない。
そう、当直室は医師が待機する場所であって、患者を助けるための場所ではない。
幸い、私は天才的に他の当直時に余った味噌汁の素を2つばかり持参していた。

しかし、本当は塩が欲しかった。
温かい塩水でもって、鼻うがいをしたかったのである。
鼻うがいは皆さんにも是非おすすめする。
風邪で鼻の通りが悪い時にはとてもよい。
感染症は結局、流れが悪くなって圧が高まっておきる。よって、流すことが大事になる。鼻うがいは滞った鼻の流れよくする。
しかし。
それを真水でやってごらんなさい。
鼻がツーン、となって苦しい。
プールで不意に鼻に水が入った時のあの辛さですよ。

私は今回、大量の水摂取によるナトリウム低下を防ぐために味噌汁を使うべきか、いっそ味噌汁で鼻うがいをすべきか、数秒間は真剣に考えた。
味噌汁には気の利いたことにワカメや小さい油揚げが入っていた。鼻うがいでこれらを吸い込むことは不本意である。結果、失敗してしまう可能性が高い。よって、私はほとんど迷うことなく味噌汁2袋を正しく摂取することに決めたのである。
そして、鼻うがいの方は真水でやったのである。
辛かった。鼻がツーンとなった。あれはやはりやるものではない。

こうして私はなんとか当直を終え、抗菌薬に辿り着いた。
そこからの話もなかなかに面白いので記録しておこう。

翌日の第2病日は、血液検査をしておいた。
悪寒戦慄があり、抗菌薬投与せずに一晩経過した後の炎症反応を見ておきたかったからである。
白血球は1.4万、CRPは3。
やはり、ぼちぼち炎症反応が高く、細菌性感染症の初期を支持する結果であった。仕事を休む客観的な口実にもなった。
第2病日の夜、咽頭に違和感を感じた。
これはおかしい。
副鼻腔炎で咽頭に違和感を感じるはずがない。
鏡で自分の咽頭をペンライトで照らして見てみた。
すると、
両側の口蓋扁桃にびっしり白苔がついているではないか!
咽頭後壁にはリンパ濾胞もある。
右の耳管扁桃にはポツンと白い点がある。
おもしろい!

なるほど、細菌たっぷりの鼻汁が副鼻腔から咽頭に流れ込んで接触感染を起こしたのか。思えばいかなる感染ルートよりもこれほど直接的な暴露もなかろう。

Chat GPTにも、副鼻腔炎から両側口蓋扁桃炎へ波及することはありますか、と聞いてみたら、あると言っている。あるのだ。

これら白苔は第3病日には減少し、第4病日にはほとんど消失した。
おもしろい。

ちなみに、副鼻腔炎の身体所見として、前かがみで頭痛が増悪するというのがある。
副鼻腔炎で膿が充満した状態でうつむくと、空洞内の静脈圧が上昇し三叉神経への機械的刺激が増強し頭痛が悪化するという機序らしい。
私もこの所見は知っており、診察でも使っていたのだが、診察室でちょっとおじぎしてもらう程度では感度が低いと今にして思う。
もっとがっつりと腰を曲げなければ偽陰性となる。
90度の丁寧なおじぎでも足りない。
例えば「床に落ちてるコインを拾ってください」と指示してやってもらうのがいいだろう。もろもろの所見、全身状態が改善しても、この深いおじぎでの頭痛増悪は第5病日の今もまだわずかに残っている。

ぶつぶつ病院

4歳息子の顔面に小丘疹ができたので、皮膚科クリニックに診てもらった。

おそらくは、私が「顔のぶつぶつをみてもらいにいこう」と言ったのだろう。
息子はクリニックの前で順番待ちをしている見知らぬママに
「ここ、ぶつぶつ病院なんやで知ってる?」
と嬉しそうに話しかけていた。
そのママは苦笑いとも愛想笑いともつかぬ表情をみせていた。

帰りみちのこと
父:ぶつぶつ病院ってなんなん
息子:ぶつぶつ病院でしょ。さっき行ってたとこでしょ
父:ほんで、ぶつぶつ病院は何するとこなのよ
息子:さっき行ったとこでしょ。知ってるでしょ!

ちなみに、ぶつぶつはとびひであった。
抗菌薬の内服でものの1日で目立たなくなった。

専攻医6

ぐちが言いたくなる。

6月から中間医と研修医の先生が変わる。中間医はまったく新しいところから来るので、大学の電子カルテシステムがわからないはずである。

複雑なことばかりだ。

私たちは先のことを考えることを求められる。先のことは考えたくない。明日のことは明日自らが思い悩む。今日の労苦は今日だけで十分だ。

私は成長しているのだろうか。一般的な医師としての力はあまり増してはいないだろう。しかしなにかの流れで来たのだ。もはや目の前のことだけを考えるしかあるまい。先のことは考えたくない。多くの場合先のことを考えるのは不利益ですらある。

結局私はいつも同じなのだ。理知的でない。わけがわからないままに歩いている。わけがわからないまま求めて、あがいて、今こうして大学の当直室から東山を眺めている。わからない。私は正しいのかどうかわからない。人の普通歩まない道を歩きつづけている。私は正しく最後を迎えることができるだろうか。よい人生を生きたい。

彼女が結婚式は金がかかるねと言う。その通りだなと思う。しかしやれるだけでやるしかあるまい。

熊野の大神様、白山の大神様、何卒お守りください。

空谷子しるす

専攻医5

何日に一日はいよいよ頭が動かなくなる。

たぶん睡眠が不足するためで、夜中にだらだらとスマートフォンをいじるのが原因だろうと思う。

すべての児は可愛らしいものだ。彼らは全員人間である。人間だからいいところも悪いところもある。

奈良の長谷も紀伊の高野も山岳霊場であり、御霊がつどう山であったと五来重は「高野聖」の中で書いている。

高野も長谷も昔からの神の住む土地であった。長谷坐山口神社や丹生都比売神社の存在はいずれの土地の古さを物語る。

してみると、こうした山に祖霊が集まり、墓がたつのは仏教以前の話であり、その霊を祀るのには神の力のみならず仏の力が必要であったのだろうか。伊勢の神道は厳しく仏道を忌む。山に霊が集まる信仰と伊勢の神道とはどうも別のもののようだ。

山に霊が集まる。それはあるいは神霊であり、祖霊である。荒ぶる魂であるが、蕃神にあらず。このことは世界に普遍の現象だろうか。あるいはこのことが日本人の重要な要素なのかもしれない。

熊野もまた死者の国であった。大雲取峠を行けば死にたる者とすれちがう。

毎日の仕事は沢山あり、複雑で私の能力に負えない。負えないなりに生きているのみである。この先どうなるかなど神様以外誰も知らない。

空谷子しるす

大澤真幸・永井均、『今という驚きを考えたことがありますか マクタガートを超えて』、左右社、2018年

大澤真幸・永井均、『今という驚きを考えたことがありますか マクタガートを超えて』、左右社、2018年

マクタガート「時間の非実在性」

 本書は大澤によるマクタガート「時間の非実在性」についての論文の解説、大澤と永井の対談、大澤の「時間の実在性」についての論文という三部構成をとっている。

 便宜のため、私たちもマクタガートが何を述べたか、そこから確認していきたい。

 ジョン・エリス・マクタガートはイギリスの哲学者で、1908年に「時間の非実在性」という論文を書いた。彼はまず時間上の位置を区別する仕方、時間を表現する仕方には二つあるとし、A系列とB系列とに分けた。A系列は「過去(すでに)/現在(今)/未来(まだ、やがて)」という区別で、B系列は時間的に「より前(先)か、より後か」という区別である。具体例としては、A系列としては「かつて[過去]本能寺で織田信長は明智光秀の襲撃を受けて自害した」という言明が属し、B系列としては「大坂冬の陣の後に、大坂夏の陣があった」という言明が属すことになる。B系列はすべての時点が均質であるが、A系列には、特異点=現在があり、また現在に対して、過去であるか、未来であるかにも、根本的な質的相違がある(p14)。

 マクタガートはA系列はB系列よりも基礎的であるとした。時間が存在するためには、変化[ある出来事が未来である状態から、現在である状態を経て、過去である状態になること]が可能でなくてはならない、A系列においてのみ変化が可能である、そうした理由で彼はA系列が基礎的であるとしたのである。

 そこから、マクタガートはA系列には矛盾が内在しているから、という理由で「時間は実在しない」と証明する。証明の骨子は以下のようになる。

(1) 「過去である」「現在である」「未来である」は互いに両立不可能な術後である。つまり、これら三つの中のどの二つの組み合わせも両立できない。

 ある出来事に関して「過去でありかつ現在である」も「過去でありかつ未来である」も「現在であり未来である」も、いずれも成り立たない。

(2) どの出来事も過去であり、現在であり、未来であって、三つの性質のすべてをもつ。

 これは、次のような意味である。ある出来事が「現在である」とする。このことは、その出来事が「未来だった」ということでもあり、かつ「過去となるだろう」ということでもある。つまり、その出来事は、「現在」「未来」「過去」の三つの述語をすべてとる。

 同じように、ある出来事が「過去である」とする。そのことは、その出来事が、「現在だった」ということであり、「未来だった」ということでもある。

 ある出来事が「未来である」とする。そのことは、その出来事が「現在となるだろう」ということを、そして「過去となるだろう」ということを意味している。

 もともとA系列は、変化を可能にする、というところに強みがあった。変化が記述できるためには、すべての出来事について「未来である」「現在である」「過去である」という術後が付けられなくてはならない。

(3) (1)と(2)は誰がどう見ても矛盾している、それゆえ時間は実在しない。

(証明終わり)

 これに対する、素朴な反論としては、出来事が同時に過去であり、現在であり、未来であるならば矛盾だろうが、出来事は三つの性質を順番に帯びるのだから問題はないだろう、というものがある。その反論に対する反論は、上記の反論が時間の実在の証明をするときにすでに時間の実在を前提としてしまっているというものである。「かつて、未来だった」といった場合、「過去において、未来だった」ということだが、この「過去において」とか「未来において」とか言うことはそもそも仮定に仮定を重ねることであり、証明において禁じ手であろう。大澤はそうした素朴な反論に対し、マクタガートを擁護する立場からのダメットの再反論としての論証を紹介しているが、くどいのでここでは割愛する。

<私>は存在しないかもしれない

 第2部は大澤真幸と永井均の対談である。永井はマクタガートの議論を、<私>論、つまり人称の問題と関係づけている(p37)。マクタガートが論じた時間の問題と人称の問題は、ある意味で同じことなのだと。この場合、<私>に対応するのが、A系列における「現在」となる。

 永井は「神はすべてを知っているゆえに絶対にわからないことがある」と論じている。神は全知であるがゆえにわからないことがある。それは、「すべての人にとって世界があるはずなのに、この世界はなぜか<私>に対してだけ現れているという感覚、世界の存在と<私>の存在が同値であるという感覚」(p38)である。「神の無限の知においては、根本的に失われてしまうものがある」(p39)。

 「何であるか(〜である)」(本質)と「現にある(〜がある)」(実存)は別のことだが、「出エジプト記」で神は「私は存在するものだ」と答えた。それは、「私は実存することが本質である」、在ることそれ自体が本質であるものが神である、と言ったことになる。しかし、在ることそれ自体が本質であるのは実は<私>である、と永井は言う。デカルトが欺く神の攻撃に対して、「私が『私は存在する』と思ったなら、そのとき私は確かに存在している」と答えた。神とデカルトは合わせ鏡のようになっており、デカルトは、<私>の存在の問題が神の存在との対抗関係にあることをはっきり示した人であるという(p41)。

 <私>は、神でさえ識別できないような種類の、客観的には実在しないもので、ただその内側から「これだけが現実に在る」と捉えるしかないものである(p42)。このような事態を永井は「無内包の現実性」と呼ぶ。「内包」というのは、ある対象の集合に関して、その対象が共通にもっている性質を言う。この性質によって、この集合は他の集合から区別されるのである。例えば、痛みを考えた場合、胃潰瘍の痛みと膝の痛みは内包的に区別できるが、<私>の痛みを他人の痛みから内包によって区別することはできない(ベン図を描いたときの共通項がない、と考えるとわかりやすいだろうか)。<私>の本質が実存と一致してしまうというのも、「無内包の現実性」の一種であり、この場合、「本質」というのが「内包」に対応している(p43)。「<私>なるものを定義する内包(本質)は、それが現に存在しているということ以外にはない」。現実性(実在性)はあるけれども、その現に存在しているものを識別する内包(本質)は、その現実性(現に存在しているということ)以外には何もないのだから、これも「無内包の現実性」ということになる。

 <私>が<私>について知っていることは、ある意味で、神が神自身について知っていることと同じである。どうしてそうなるかというと、ほんとうは、<私>の持っている「ただ存在するもの」という本性を、人間は神に転移しているからだ。「実存=本質ということを、神に転移したおかげで、人間自身は<私>の存在に驚かないですむ」のである(p44)。

 <私>には、「どこまでもある他者との同型性と、それにもかかわらずどこまでもある落差、という二重性がある」(p45)。この落差、否定性を含めて、他人と話が通じてしまう(わかるような感じがする)ことこそが驚きであると永井は言う。

 この二重構造はマクタガートが指摘する時間の矛盾に近い。自己と他者の問題と時間の問題はきれいにつながるという(p47)。そして、永井は<私>と現在は同じだと考えている。<私>に言えることと、時間−厳密にはA系列の時間−について言えることがパラレルであると、時制と人称の間に同型の問題をみている。私と今とは同じものだ、同じものの二つの側面だ、とも言える(p55)。

 永井はある意味で不思議な矛盾を認めるところからスタートする。矛盾があるから存在しないというのではなくて、「まさにその矛盾がありつつ、存在している」ということろから始まる。マクタガート流に考えれば「時間も私も存在しない」ということになるが、永井としては「存在しないものが存在することが、驚きである」と考えている、と大澤は言う(p72)。

 「僕にはこう見えているけれど、君にはそう見えているよね」という視点の互換性を想定しているときの他者の現れ方は、過去的現れ方と似ているのではないか、と大澤は言う。ほんとうは絶対的な差異があるはずなのに、他者を私と地続きで同じような存在と見ている。しかしほんとうは絶対に互換性は効かない。そのように他者が他者性をあらわにしているときは、その他者は未来のあり方をしている(p81)。

 私たちの他者への接し方はこのように二種類あり、ほとんどの場合は過去的対し方をしている。このとき、私と他者との架橋不可能な差異が相対化されてしまっている。しかし、ときに、私と他者とのまったく定義できない差異が露呈する。そのときの他者は未来的なものとして現れている。同じ二重性が、時間のレベルでももちろんある、こう考えたらどうかと大澤は提案している。

 すべてがわかったときにこそわからなくなるものがある(p85)。永井の議論は、それが人間の最も基礎にあること証明している、と大澤は言う。さらに、永井は実は、神のほうが実在を捉えていて、<今>とか<私>とかは実在しないのではないかと結論づける。

大澤真幸「時間の実在性」

 第3部は大澤による「時間の実在性」の証明である。

 大澤は上述したような永井の洞察も踏まえ、<私>:他者=<現在>:過去(または未来)という比例式をまず示し、<私>(と他者)や人称性という角度から、時間に迫っていく。

 大澤の問いはこうである。どうして、<私>は、他者もまた<私>であることを知るのか。ここで、他者がまた、それ自体、独自の<私>でもあるような状態として現れているとき、その他者を<他者>と表記するとこう問うこともできる。この<私>にとって<他者>は端的に存在しない、ということは事実であろうか?

 ここで大澤はレヴィナスの<顔>を参照する。レヴィナスが<顔>と呼んでいるのは、一般に、<私>が眼差しているとき、この<私>を眼差す(眼差しを返してくる)対象の一般である。つまり、<顔>は、<他者>の一種である(p115)。<顔>の変奏が<皮膚>である。すなわち、<私>が触れているとき、<私>が触れる対象こそが、<皮膚>である。レヴィナスは、<顔>や<皮膚>においては、「そこにあるもの」が「そこにないものであるかのように」求められる、「現前(=現在)」と「現前からの退却」とが同じことになってしまう、と述べている。

 愛撫とは、<私>が触れる皮膚が、<私>の皮膚や指へと触れ返すものとして、つまりそれ自体、応答するものとしてある、ということである。だが、<私>が触れているそれを、何ものかとして把持し、同定したとたんに、「それ」は、<私>に触られるだけの対象へと転じてしまう。レヴィナスは「愛撫とはなにも把持しないこと」だという。<私>が触れ、そして<私>へと触れている「それ」を、<私>が何ものかとして同定し、<私>へと現前(=現在)させようとしたときには、「それ」は、もはやそこにはないものとして、つまり退却してしまったものとして現れるほかない(p116)。

 <顔>についても、<皮膚>と同様のことが言える。<私>が、他者の<顔>を見ているとき、<他者>は、つまり<他者>のまさに<他者>たる所以(他者の<私>)は、すでに、(<私>への)現前から退いてしまっている。このような<他者>の逆説的・否定的な現前の様態を大澤は「遠心化」と呼ぶ。他方、<私>に帰属している、知覚や感覚を含む心の働き、<私>が見たり、感じたりしている、この状態を<私>への「求心化作用」と呼ぶ。

 <他者>は、<私>に対して遠心化作用を通じて現れる。<他者>の痛みは<私>にとって痛くない(<私>は<他者>を直接には知覚できない)、このような不可能性を媒介にして、<他者>が、<私>に対して開示される。

 このような遠心化作用によって、<他者>はどこに去ったのか?<他者>はすでにいない。ということは、かつてはそこにいた、ということでもある。すなわち、<過去>へと去っていったのである、と大澤は述べる。ここで、時間という主題へと回帰する。

 <他者>の存在の様態−「すでに(去った)」という様態−が、「過去」なるものを存在せしめる。「過去」がまずあって、<他者>がそこに逃げ込むのではない。逆に、<他者>の、<私>からの退却のベクトルが、過去という時制を切り拓くのである(p119)。<他者>は、常に、<私>が見出す状態よりもわずかだけ余計に死に近づいている。<私>が直接に見るのは、<他者>が去ったあとの痕跡である(p120)。このように<私>と<他者>の間の差異は、「現在/過去」と、時間的なずれという形式をとる。この不可避に生じる時間的なずれを、レヴィナスは「隔時性(ディアクローニー)」と呼ぶ。

 上述したように、<他者>の逆説的な現れが、過去の存在を可能にする。こうして、過去を実在的な次元として言及、活用することができる地点に到達した(p120)。ここで、大澤はこれまでの考察の成果を、ジル・ドゥルーズの「純粋過去」の概念へと接続する。

 純粋過去とは、「すべての出来事が蓄積され、去り行くものとして記憶される、絶対的過去」である。純粋過去は、いわばヴァーチャルな過去である。どういう意味でヴァーチャルかと言えば、純粋過去は、まだ現在であるような出来事をすでに含んでいるのだ(p121)。

 たとえば、大澤が「私は今、マクタガートに対抗して『時間の実在性』を証明する論文を書いている」という言明をするとき、この言明には、すでにほんのわずかではあれ、過去の出来事の回想というモードが含まれている。つまり、現在の出来事は、自らを「過去」の一部として知覚する、まさにその限りにおいて、現在の出来事である自己自身を認知することができるのだ。同じことが、過去の出来事や未来の出来事についても言える。どの出来事も、自らを、「過去」の一部として認知するほかない。このカギカッコで記した「過去」こそが、純粋過去、あらゆる出来事の認定を可能にするアプリオリな形式としての過去である、という(p123)。

 そうだとすると、出来事は現在でありかつ過去である、ということになる。しかし、これこそ、マクタガートが指摘した矛盾ではないか、やはり、時間は実在しないと結論せねばならないのか?違う、と大澤は言う。「今やわれわれは、その出来事が現在であり、同時に過去である、ということをためらいなく堂々と言うことができるところに来ている」と。なぜか?それは、上述の「<他者>の実在性」についての証明があるからだ。<他者>の現前=現在)とは、その過去−「すでにいない」「かつていた」−でった。<他者>の実在において、われわれはもう、現在でありかつ過去である−過去であることにおいて現在する−という様態を認め、導入していた。ゆえに、「出来事に、現在であるという規定と過去であるという規定をともに付けることに何の問題もない」と。むしろ、そのことが、<他者>の実在と同様に、出来事の時間的な実在を可能にしていると。「出来事は、まさに現在でありかつ過去である。そのことゆえに、時間は実在する」と大澤は結論づける(p124)。

 さて、大澤はここからさらに、決定論に対する自由の優位性を回復すべく論旨を進める。自由と決定論との関係については、非両立主義と両立主義がある。非両立主義は、われわれの「自由」と「人間の行為もまた自然の決定論的な因果関係の中に組み込まれているという観念」とは両立できない、とする考えで、これは科学の世界観と整合性を保つことはできない。非両立主義は、自由が帰せられる何らかの実体−人間という主体等−が、因果関係のネットワークからなる現実の外部にいる、と見なしており、要するに、人間に創造神の性質を(部分的に)与えていることになる。これは、科学的な合理主義の受け入れるところではない、という(p125)。両立主義は、これに反対して、自由と決定論的な主張とは共存しうる、と述べる。しかし、その際に基礎をなしているのは、決定論のほうであり、決定論の中で、自由(という意識=幻想)に存在の余地を与えること、これが両立主義であるという。自由は決定論に対して従属的な位置に置かれる(p126)。

 大澤の論旨を振り返ると、現在の出来事は、自身を過去の一部として知覚することを通じて、まさに現在の出来事になる。このとき、現在の出来事そのものを「過去」として知覚する視点こそが、未来に属している。未来に措定された視点がなければ、現在の出来事が過去として現れることはない。ということは、未来の視点をどのように設定するかによって、現在の出来事の同一性(アイデンティティ)が、つまりこの現在に何が起きているのかということが、異なって現れてくる、ということでもある(p127)。

 「目下の現在を知覚する未来の視点は、すでに完了した現在−つまり過去の出来事−にも影響を与える。つまり、どのような未来の視点から現在を見ているのかということは、どのような過去の出来事があったのかという認識をも規定している。現在を過去の一部として見返す未来の視点は、その現在の出来事へと連なっている過去に何があったか、ということをも規定する」(p127)。現在の出来事が過去の出来事にトータルに因果的に規定されている、という決定論の主張は全面的に正しいが、「どの過去の出来事(たち)が現在のこの出来事を決定しているのか。どの過去の出来事の因果的な連鎖が、現在の出来事へとつながっているのか。このことを規定しているのは、現在の出来事と過去の出来事とを遡及的に見返す未来の視点である。どのように未来の視点を措定するのか、というところに、自由が関与している。原理的には、未来の視点はどのようにも設定できる。この未来の視点が、決定論的な連鎖そのものを選択している」。これは、「決定論を基礎にした両立主義ではなく、逆に、自由の方に基礎をおいた両立主義になる」。

 未来の未来たるゆえんは、絶対に還元できない不確定性である。どうしても解消できない不確定性があるということ、これが未来の定義的な条件である、と大澤は言う。この不確定性は<他者>を規定する条件でもある。そして、<他者>には、本源的に自由が所属している。こうして見ると、未来を未来にしている条件と、<他者>を定義する条件とは、同じものであることがわかる。とすれば、未来とは<他者>であり、<他者>は、その本来性においては未来なのだ、とこう断定してもよいのではないかという(p129)。

 「<他者>の他者性が生(なま)のままに現れているとき、<他者>は『未来』として現れている。その<他者>を同定し、その不確定性を縮減しようとするとき、<私>は、必然的にそれに失敗する。その失敗は、『過去』という痕跡を残す」(p130)。

 「自由は、現在と過去とを遡及的に見返す未来の視点を設定する営為のうちにある」。このことは、「自由が<他者>との関係のうちにこそある、ということを意味している」(p130)。

神の視点と人間の視点

 以上が本書の概要である。マクタガートの「時間の非実在性」の証明は神の視点からの証明、大澤の「時間の実在性」の証明は人間の視点からの証明と考えると見やすいだろうか。第2部の対談で大澤は「神の無限の知においては、根本的に失われてしまうものがある」と述べ、ここに永井の発見があるいう。この根本的に失われてしまうものが、時間であり、<私>というものだろう。

 「すべてがわかったときにこそわからなくなるものがある」という大澤の発言も同じ事態を示している。

 このような見方は、「この世界のすべてのものが、近くで見るとぼやける」と言うときの量子重力理論の研究者であるカルロ・ロヴェッリの発言とも共鳴するように思える。「わたしたちはこの世界を大まかに切り分け、自分にとって意味がある概念の観点から捉えているが、それらの概念は、あるスケールで『生じている』のだ」(カルロ・ロヴェッリ. 『時間は存在しない』. 冨永星(訳). NHK出版. 2019.)

 時間とマクロな平衡状態の関係を解釈する際には、標準的な理論では「時間→エネルギー→マクロな状態」となり、マクロな状態を定義するにはエネルギーを知る必要があり、エネルギーを定義するには時間の正体を知る必要があると考える。しかし、同じこの関係を別の角度から捉えることができるとカルロ・ロヴェッリは言う。「マクロな状態→エネルギー→時間」と逆に読むのだ。「マクロな状態を観察すると、この世界のぼやけた像が得られるが、それをエネルギーを保存するような混ぜ合わせと解釈することができて、そこから時間が生まれる」と。「時間が決まるのは、単に像がぼやけているからなのだ」。「時間の進展が状態を決めるのではなく、状態、つまりぼやけが時間を決めるのだ」。このように「記述の不完全さ」があればこそ、時間はあるものとして解釈できる。

 ある人は英語の過去形は「遠い形」と呼んだほうがいいと言う。過去形は「遠い形」で表現される中の一つでしかないと。そういう意味では現在形は「近い形」である。いずれも<私>を起点とし、<他者>との関係性、距離の取り方を問題としている、ということだろう。未来形というのは自由意志を前提としており、今の私の意志の表明でしかないとも言えるかもしれない。

 解離は<私>を起点とすることをやめることで、時間の非実在性を証明し、忘却の中に自ら飛び込む行為かもしれない。未来的未来は語りようのない、不確定なナルホイヤ的(イヌイット的)未来だろう。

 純粋過去としての未来、過去的未来(<他者>としての未来)を起点にすることで、私たちは自由を取り戻すことができる。別様の因果の連鎖を選択することで。

 純粋過去としての未来からの眼差しは、時間の非実在性を否定しているわけでもないだろう。遠い彼方で雨が降っているのを私が見るとき、それは現在であって、過去であって、未来であるとも言え、それを時間の非実在と言うこともでき、我に帰ると時間の実在でもある、ということだから、分析哲学的には反論の余地はいつまでもあるだろうが、実在しつつ実在しないということは全く不思議なことでもない。私が自由に眼差すときはいつも、過去として、未来から眼差すのであって、そこで私は他者であると同時に私であり、眼差しもまた他者であると同時に私であるものへと向けられつつ、向けているのだろう。