A shivering chill

それは突然やってきた。
当直中の深夜近くに私はぼんやりしていた。
それは完全に不意に、しかし明らかにステージの変化を告げるファンファーレであった。
突如、がくがく震えて飛び上がった。
これが、戦慄かっ!!
布団にすべり込むが、なお寒い。
幸いこの施設の当直室の布団は立派な羽毛布団だった。
しばらくすると体幹は温まった。しかし、足はしっかりと冷えたまま。

発汗法で邪を追い出さねばならぬ。
葛根湯は数包常備している。
ベッドのすぐそばのデスクに取りに行けばよいのだが、このなんの造作もない動作がなかなかにできない。
意を決して這々のていで布団を抜け出し震えながら葛根湯2包を流し込んだ。
寒い寒い。
1包目は仕損じて6割程度しか内服できなかった。
暖を取るために白衣を着て布団に戻るが1時間待っても汗がでない。
足はまだ冷える。
葛根湯をもう1包飲む。
すると、しばらくして全身からじんわりと脂汗が出始めた。足もあたたまり始めた。
しめた。
その後は猛烈な熱感がやってきた。
今度はとにかくどうしようもなく熱く、全身から汗をかく。
排尿した。下着、白衣は汗でじっとりしている。
しめた、素晴らしい。経過は悪くない。

読者も覚えておくとよい。
葛根湯は常に持参しておきなさい。
寒気が来た時、風邪かなと思った時に、若ければ2包でよいから一気に内服し、布団にくるまって汗が出るまで待ちなさい。
汗がでればしめたものである。汗がでなければさらにもう1包飲みなさい。
間違ってもこの段階で病院に受診してはいけない。
待合で長時間待たされるなら風邪はより悪くなる。
風邪の初期に対して西洋医学は何もできない。

ちなみに、数千年の歴史が発汗法の偉大さを見出したが、私は20歳の頃に自分で天才的に発見している。
風邪を引いたと思った瞬間に①大量に水を飲む、②大量に食う、③大量に眠るの三つの実験系を組み自分で試したのである。
結果は①の圧勝であった。食わずとも寝ずとも、大量に水を飲んで汗をかいて小便を出せば治せるということに気がついた。以降、私は風邪を1時間で治せるようになった。
もっともその頃医学部生でなかった私は、大量の水でもってウィルスを希釈するなどという大胆かつとんちんかんな仮説に満足していたのだが。

ちなみに、読者諸氏に告げておくが、創傷に対する湿潤療法は小学生高学年の時の私の発明である。
特許申請をしておけば今頃億万長者であるのに、実際は大量の借金を抱えた貧者でしかない。しかし、心は明るい。ほっといてください。

閑話休題。
その時の私の脈は浮・緊のように感じられた。
汗は全くない。
葛根湯よりも、むしろ、麻黄湯がよかったろう。
体温計があれば体温を測りたいが、当直室には体温計はもちろんない。
体温が0.55℃上昇すると脈拍が10回/分上がると言われている。
脈拍は102回/分。
普段の脈を70回とするならば、+30回/分であり、体温は平熱より1.65度上昇している。36.5度と見積もると38度以上の熱があるのだろう。体熱感と矛盾しない。
呼吸も乱れていない。発熱以外のバイタルサインは悪くないのだろう。
発汗法を使って、なんとか邪の侵入を抑えられている。

しかし、出来るならば抗菌薬を直ちに投与したい。

これまでの経過からは副鼻腔炎に違いないと直感した。
風邪症状の後に、閉鼻・頭重感・倦怠感という典型的ないつものウィルス性副鼻腔炎の症状が出現したのが3日前である。
副鼻腔炎では抗菌薬は最初から使用しない。まずはウィルス性副鼻腔炎としてロキソニンなどNSAIDsや鼻うがいなどで改善することが多い。10日間はそうやって観察できる。
今回も、NSAIDsを内服すればおよそ30分ほどで、おそらくは抗炎症作用により、粘膜の肥厚が緩和され鼻の通りがよくなっていた。
しかし、今や悪寒戦慄をきたしたということは、菌血症に至ったか?
否、副鼻腔炎で菌血症に至るなど聞いたことがない。
しかし、何かフェーズが大きく変わったに違いない。
菌血症には至らぬものの、それでもウィルス性から細菌性副鼻腔炎に変わったのであろう。

残念ながら抗菌薬は常備薬としては持参していない。
できるならば、施設に置いてあるであろうセフトリアキソン2gを投与したかった。
使えばいいではないかと読者は思うかもしれない。
しかし、施設の常備薬は当然当直医用のものではない。
なにより、恥ずかしい。
私にも羞恥心というものがある。
もちろん、いざとなれば施設の薬を自分に投与することも、最悪の場合、救急車を呼ぶこともありうる。
しかし幸い、細菌との初戦は私が勝った、と兆候は言っている。
今後は抗菌薬がなければ敗血症で死に至るであろうが、なんとか今晩は東洋医学でしのげそうである。

暑すぎて寝ようにも眠れない。
目を閉じると忙しく、意味が騒ぎ始める。
何かの戦闘シーンのように、もう忘れてしまったが意味を担った何かが目まぐるしく活動していた。
おそらく夢うつつであった。
正しくは夢ではなかった。なぜなら眠っていなかった。
当直室で何か急変が起きた時の記録として妻に自分が何をしたかを正確に意図して報告していた。
時間感覚も見当識もおよそ保たれていた。
おそらく煩躁と呼べる状態であったろう。
であれば、強い実証と考えて麻黄湯よりも大青竜湯がさらによかったのかもしれない。

私は大量の水を飲み、計3回の排尿を得た。
すばらしい。
しかし、電解質が心配である。
できれば生理食塩水の点滴を受けたい。
なんなら塩でいい。塩昆布でもいい。
しかし、この当直室には塩っ気のあるものは置いていない。
そう、当直室は医師が待機する場所であって、患者を助けるための場所ではない。
幸い、私は天才的に他の当直時に余った味噌汁の素を2つばかり持参していた。

しかし、本当は塩が欲しかった。
温かい塩水でもって、鼻うがいをしたかったのである。
鼻うがいは皆さんにも是非おすすめする。
風邪で鼻の通りが悪い時にはとてもよい。
感染症は結局、流れが悪くなって圧が高まっておきる。よって、流すことが大事になる。鼻うがいは滞った鼻の流れよくする。
しかし。
それを真水でやってごらんなさい。
鼻がツーン、となって苦しい。
プールで不意に鼻に水が入った時のあの辛さですよ。

私は今回、大量の水摂取によるナトリウム低下を防ぐために味噌汁を使うべきか、いっそ味噌汁で鼻うがいをすべきか、数秒間は真剣に考えた。
味噌汁には気の利いたことにワカメや小さい油揚げが入っていた。鼻うがいでこれらを吸い込むことは不本意である。結果、失敗してしまう可能性が高い。よって、私はほとんど迷うことなく味噌汁2袋を正しく摂取することに決めたのである。
そして、鼻うがいの方は真水でやったのである。
辛かった。鼻がツーンとなった。あれはやはりやるものではない。

こうして私はなんとか当直を終え、抗菌薬に辿り着いた。
そこからの話もなかなかに面白いので記録しておこう。

翌日の第2病日は、血液検査をしておいた。
悪寒戦慄があり、抗菌薬投与せずに一晩経過した後の炎症反応を見ておきたかったからである。
白血球は1.4万、CRPは3。
やはり、ぼちぼち炎症反応が高く、細菌性感染症の初期を支持する結果であった。仕事を休む客観的な口実にもなった。
第2病日の夜、咽頭に違和感を感じた。
これはおかしい。
副鼻腔炎で咽頭に違和感を感じるはずがない。
鏡で自分の咽頭をペンライトで照らして見てみた。
すると、
両側の口蓋扁桃にびっしり白苔がついているではないか!
咽頭後壁にはリンパ濾胞もある。
右の耳管扁桃にはポツンと白い点がある。
おもしろい!

なるほど、細菌たっぷりの鼻汁が副鼻腔から咽頭に流れ込んで接触感染を起こしたのか。思えばいかなる感染ルートよりもこれほど直接的な暴露もなかろう。

Chat GPTにも、副鼻腔炎から両側口蓋扁桃炎へ波及することはありますか、と聞いてみたら、あると言っている。あるのだ。

これら白苔は第3病日には減少し、第4病日にはほとんど消失した。
おもしろい。

ちなみに、副鼻腔炎の身体所見として、前かがみで頭痛が増悪するというのがある。
副鼻腔炎で膿が充満した状態でうつむくと、空洞内の静脈圧が上昇し三叉神経への機械的刺激が増強し頭痛が悪化するという機序らしい。
私もこの所見は知っており、診察でも使っていたのだが、診察室でちょっとおじぎしてもらう程度では感度が低いと今にして思う。
もっとがっつりと腰を曲げなければ偽陰性となる。
90度の丁寧なおじぎでも足りない。
例えば「床に落ちてるコインを拾ってください」と指示してやってもらうのがいいだろう。もろもろの所見、全身状態が改善しても、この深いおじぎでの頭痛増悪は第5病日の今もまだわずかに残っている。

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