素直なことは私の美徳だと思っている。そういうことは、普通、自分では言わない。だから、多くの素直で、かつよき人は、他人に評されるだけだ。だが、私は他人からも言われるうえに、このように自分でも、言っちゃうのである。
例えば、昨日WAIS-Ⅳ(知能検査)を行ったが、「長広舌」という言葉の意味を問われた。病気のせいではなく、私はこの言葉の意味を知らなかったので、「知りません」と答えた。ここがポイントではない。セラピストは少し意外そうにしながらも、「あとで検索してみて下さいね」とアドバイスしてくれた。今朝起きた時、この言葉を思い出した私は、スマートホンで検索し、結果を日記に貼り付けた。この、ちゃんと調べたのが素直ポイントである。まあ、大方の現代日本でネットに日常的に触れている人にとってはもう当たり前過ぎる話であり、言われなくてもやるのだと思うが、これを言われて思い出したうえでやっている、そう思うことで、私は自分が言われたことをそのとおりにやっていると、自分のことを捉えるのである。これは素質でもあるし教育の結果でもあり、技術の進歩の影響であるとも思われる。ネットは広大だわ・・・。
もうひとつ。私はいまレベチラセタム1000mg/日を内服していて、恐らくその副作用とは思うが、軽い倦怠感がつきまとっている。悪性腫瘍の終末期の患者さんの強い(しかし見当識は保たれている)倦怠感や、心不全終末期の会話もままならない程の苦しみとは比べるべくもない、もう塵芥に等しい軽微なものだが、なかなか本調子、といかない。昨日は主治医から予後の説明などがあったのだが、それの影響なのか、いつからか、少なくとも今日は、どうも気分も上がらない。看護師がラウンド時に調子を訪ねてくださるので、正直に答える。すると、「今日は予定もなくて、許可もでていますし、院内を散策されてはどうでしょうか」とアドバイスしてくれた。なので私は今、こうしてローソンで記事を書いているのである。これがワンポイント。あと看護師さん可愛かったです。
最後に、日曜日に素寒さんとお電話した際に、落語でもどうだいという話になり、桂米朝の地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)を勧められた。素寒さんのご家庭でも聞かれているようである。私は素直に、すすめに従って今日の午後はこの高座を楽しもうと思っている。
なお地獄八景は大変長い噺で、演者の体力を消耗するもので、米朝自身晩年は演じていない。これは同じく比較的長い噺である「百年目」も同様で、米朝は古典落語(上方落語-関西の伝統芸能としての落語)復興・発展の祖という立場からも、これらの作品には特に思い入れが強かったようである(根拠は、テープについているライナーノーツと、米朝のインタビューの本など・・・実家のどこかに眠っているはずです)。私自身は、祖父の趣味で家にあった米朝と枝雀のテープを、小学校に上がる少し前〜中学年頃まで(今ともうと、意識的に音楽を聞くようになるころまでだろうか、小学校5-6年生頃だ。)聞いて寝ていた。地獄八景は、尺としては長いのであるが、小噺の寄せ集め、という趣もあり、子供でも楽しむことができる。あと、どこの図書館や児童館にもおいてある絵本のシリーズに「吉四六(きっちょむ)さん」というのがあるが、これのひとつに、とてもよくにた地獄の噺(たとえば、クライマックスの大鬼に飲み込まれるシーン等が有名だろうか)が載っている。そういうのを読んだ私は、幼心に、童話や面白話などは、どこにでも似たような話があるものなのだと思ったが、ユングあたりが興味をもったのもそういう所なのかも知れないと思うものである。さて、今、聞き直す前に、ひとつ遊びのために、噺の筋を思い出して書き出してみようとおもう。まず枕ではとにかく長い噺であまりやりまへんのや・・・という言い訳がなされる。男がサバを食べて死ぬところから噺が始める(つまり、恐らくだが、アナフィラキシーショックではじまる物語なのである。笑。いやアニサキスかもしれないけど・・・)「おぉぉーーい」道を先ゆく知り合いを追いかけ、声をかける。道楽を尽くしたため人生最後の道楽としてふぐを食べきた大金持ちの若旦那が通り過ぎる。三途の川の渡しは前は婆がやっていたが、金が足りないから婆はソープランドでも働いている。「閻」魔様のお「触れ」で物の値段が上がって困ることをエンフレという。川を渡った後は念仏を宗旨ごとの店で買うが、よい念仏は80万円もする(地獄の沙汰も金次第でんなあ)。川端康成、太宰治、三島由紀夫の講演が予定されている(テーマは「自殺について」、ああーこれは聞かなあかんわ)。閻魔様の登場。(テープだとここでB面になる) お裁きがあるが、一芸があるものは地獄ゆきを免れる。4人の重罪人は大鬼に食べられてしまうが、4人のうち一人は医者で、腹のなかの腹痛を起こす場所を引っ張ることで鬼が苦しむ。下げは、大鬼が「こうなったら閻魔様あんたを飲まなあかん」「どうしてじゃ」「大王(大黄)のんで、下してしまうねや」
随分端折りました・・・切りがないですね。これ、ダイオウというのが、現在でも高齢者の方々ご愛用の緩下剤であるセンノシド(センナ)のことですが、それを分かってないと、全然わからないオチなんですよね。幼い私は流石に分からなくて、親にきいて教えてもらった覚えがあります。まあという感じで、今日は過ごしていきたいと思います。お昼ごはんの時間になってしまいました。(H)