小児科2

「僕が1、2年目のときは君なんかよりずっとくそ真面目だったよ」と指導医は言うのだ。

彼は20年目以上の医師であり神戸中央市民病院で初期研修をした人である。

黎明期の神戸中央市民のような卓越した病院で研修をしたならば間違いなく私は屑だろう。

喘息の患者が来て入院することになった。

「僕がやるか、君が全部やるかどうする」と言われ、

当たり前だが無能の私より有能の指導医がやった方が患者には好ましいのだから私は正直に「自信がない」と言った。

指導医は「2年目だろう」と言い呆れた。

しかしあるとき病棟でカルテを書いていると消化器内科のNo.2の先生が隣に来た。

「小児科で主治医になってるじゃないか。すごいな」と言われた。

なぜ彼が専門と関係ない小児科のことを知っているのかわからなかったが嬉しかった。その患者が何もやることのない退院待ちだとしても嬉しさを感じた。

誰だって自分を馬鹿だと思いたくない。

「いっときだって自分を馬鹿だと思っていられるか」と志ん生の『火焔太鼓』の主人は言う。

しかし明らかに私より同期や一年目の方が優秀であり、小児科指導医は彼らをよく褒め、私のことは褒めない。

こんな汚い無様な男が35歳の初期研修医なのだ。人から褒められないとかけなされるとかで精神の平衡を失う。小学生のような幼稚さを固持している。こんな醜いことがあるか。「大人の男」になれていない醜い中年男性というものはこの世で最も唾棄すべき存在だ。一体いままで何をしてきたのだと言われたら、わずかに生きていたとしか言いようがない。大量の言い訳はできる。背負わなくてもいい労苦ばかりだった。私に関係のない災難は大量に降ってきた。脆弱な体躯の私にそれらを跳ね返す力は無かった。しかし世の中は目に見えることが全てだ。私はこの世に生きている必要がない。無能の醜い中年男性だ。私のしてきた苦労だって、平均的な男性なら必ず克服できただろう。つまるところ私は生きるのに必要な資質がない。

私はよい医者になりたい。

しかし無能であればよい医者にはなれない。

私はどうしたらよいのか。35年生きてまだ無能の私はさらに無能として憎まれながら進むしかないか。

私はとても醜い。

空谷子しるす

覚書7

携帯電話に下書き保存されているテキストを読んでみると、ちっとも記憶にないことばかり書かれている。

私が書いたのか私のために誰かが書いてくれたのか、わからないが日付をみると何年も前に保存されているようで、ということは私は何年かしてようやく何やら書かれていることに気づいたことになる。

とても頭が冴えている日は、私は私が忘れていることを忘れていたことに気づいている。忘れている日はもうただ忘れているのだろう。

私は下書き保存されているテキストを一つずつノートに書き写していった。書かれたものの手つきはさまざまで、私が書いたようにもみえるがそうでないようにもみえるし見当がつかない、ただそれを写してみると私は確かに書いたに違いない!と思えたり、やはり気のせいかもしれないと思えたり、それをさっきもやったかもしれないと冴えている私は薄々気づいており、ページを戻ると同じテキストを3回ほど写したところであった。

テキストに私はと書いている私は、酒を飲むとデリヘルを呼んだ。彼は彼女を迎え入れて、ただ話を聞いていた。彼女は看護師になりたいという。目が明るくて、躊躇いがない。私はお札を何枚か取り出して彼女に手渡す。ある人はB型肝炎だという。彼女も看護師になりたいという。虚な目をしていた。舌は少しもつれている。私は話を聞いていた。お酒を飲んでいるといつのまにか90分が経っている。ベルがなり、私はお札を何枚か取り出し彼女に手渡す。指名するかしないかで金額がかわる。ランキングもありNo1だとそれなりの料金になる。私は、という私はNo1を指名してみる。

No1は確かにスタイルが良いとか器量が良いとか、そういうことでNo1ということには納得がゆく。私はしかしお酒を飲んでおり、彼女と90分何を話したのかほとんど、というかまったく覚えていない。話だけして帰ったことはあるのかと聞いたかもしれない。ただそういうこともあると言ったかそういうことは初めてだと答えたかは今の私にはわからない。

彼は何をしたかったのだろうか。彼女に触れないということをしたかったのだろうか。触れないという特別なことをしたかったのだろうか。彼は何を買ったのだろうか。金を捨てる行為を買ったのだろうか。

呼んだのに、眠ってしまったこともある。朝気づいたら何件も着信が入っていた。看護師を目指している彼女だった。それから会うことはもうなかった。

別の人を呼んだときは、酔ってはいたが部屋を開けることはできた。マッサージをしてあげようと酩酊状態でなければ言わないようなことを言い彼女の背中を指圧しているうちに眠気に勝てずにすぐ眠ってしまったらしい。私は財布を放り出し取って行ってくださいと告げた。彼女は最初から笑顔一つ見せず、ただ金を回収し去って行った。怯えたような目をしていた。

私はそれから数ヶ月後のテキストでは、百万遍を歩いている。交差点で信号待ちをしているフランス人のような女性の尻を一生懸命眺めていた。信号が青になれば私はフランス人の尻を追いかけた。貪るように私は尻を追いかけていた。途中で彼女が銀行に入れば私は前を歩きながら、後ろの尻を追いかけていた。尾行も前からするのだから、お尻だって前から追いかけることがあっていい。私は後ろのお尻を追いかけながら背中のリュックが重いので喫茶店に入りたいと思っていた。

交差点を過ぎたところに一軒、喫茶店があったが入ろうとすると、店員が近づいてきて、学生か否かと問うのでわからないと言えば怪しまれるだろうから、学生ではない、と私は言った。彼は申し訳なさそうに、このカフエは学生限定なんです、すみませんとそそくさと言った。こんなにすいてるのに学生限定にしているのはどういうわけかわからなかったが、限定ではしようがない。

店をあとにして、よたよたと歩いているとまたフランス人の尻が後ろから現れた。私はそれを一生懸命、そう見えないように追いかけた。

大学のキャンパスには銀杏の実がぱらぱらと落ち始めていた。やがてこの道は異臭が立ち込めることになるだろう。少し肌寒くなってきた。いつも通ったような道だった。

学生の頃によく立ち寄った古書店に入ってみると、当時は気にもとめてなかっただろう本が目に入ってくる。古書店巡りの醍醐味は絶版本との出会いにあるかもしれない。テキストの私は時間に追い立てられているようで、平積みの本まで物色する時間もないまま、『精神分裂病』という今は絶版になっている書籍を1000円で購入し店を出た。

地元の精神医学教室の教授は、「統合失調症というのはよくない」と学生向けの講義の中で言った。黒板に丸を描いて、それに斜線を引いてみせた。このように風船が裂けるように精神が分裂してしまうのが分裂病なのだという。ブロイラーの言った分裂病は精神の分裂ではなく、連合弛緩のように連想が分裂するということで分裂というのは単に統辞法の問題を指摘しているに過ぎないと聞いたことがあったが、そのようなことを指摘する学生もなく彼は「分裂病は治らないですね」と続けた。私は治癒した例を一例しか経験したことがない、と臆面もなくのたまっていた。

かれこれ18年くらい前に住んでいたキャンパス前のアパートは今でも外観はほぼ当時のままのように見えた。暗証番号の入力が必要な玄関の前にぼうっと立ち尽くしていると中から人が出てきた。不審者と思われないように私は慌ててアパートを離れたが、アパートから出てきた男性も私と同じほうへ歩いてくる。車道を横断し、私は何食わぬ顔で男性の前を歩いていた。私が行きたい方角とは反対になってしまったが今更方向転換して不審に思われてもいけないと思いそのまま私は歩き続けた。やがて男性は私を追い越してコンビニへ入って行った。なにやらATMの操作をしているようだった。ぷりぷりとしたお尻の男性だった。だからどうというわけではないが。私は一生懸命お尻を見ていたに違いない。

男性がコンビニに入って機械に気を取られているうちに私はそっと踵を返した。

街路に彼岸花が咲き始めた。コオロギやスズムシも鳴き始めている。大学には当たり前のように常に学生がいて、同じような風景が20年近く変わらず続いていたのだろうか。石垣のカフェはとうの昔に撤去されたようだったが。

秘密基地への憧れは常にある。秘密のアジト、アジールである。木や石でできた頼りない階段を昇り、暖簾をかき分けて入る暗く小さな部屋といえるかどうかわからないが小さなひと区画に、いつもいるような人がいて、ただ10年経とうが20年経とうが昨日のことのように迎え入れてくれる、そういう人たちや場所はどこにあるだろうか。

私の一日と持たない記憶が鮮明なうちに、鮮明と思っているうちにも薄れているだろう不確かなものをそのまま残して、書き留めているうちに、記憶を持たない喫茶店のマスターのことを不意に想った。彼には記憶がないが、彼自身がその店の記憶であり年輪だった。

場所の記憶は大地への信頼だろう。私の記憶などどうでもよい。

覚書6

女がいたのだが彼女はなんという名前だったのか私はつくづく記憶の弱いからよく覚えていない。

ブラジルの豆を挽いたコーヒーを飲んで彼女は言ったのだ。あなたはだからだめなのですね。

あなたはだからだめなのですね。私は街を歩きながら一体なにがだめなのだろうと考えたのだがそれが分からないから、夜明かしの店に入っては安酒を煽って考えるのだけどそれでもよくわからない。

みんな私のわきをすり抜けていく。誰もが何かを見ているようで見ていないのは、きっと酒か女のことを考えているのだ。店の並びは木綿と麻の服を売りつけるのは夏が近いからだ。みんなスマートフォンを見ている。みんなスマートフォンの中の夢を見ながら、でも今の目の前もどうして夢じゃないのか誰が言えるだろう?

夢なのか夢じゃないのか、私がいま人間なのか人間じゃないのか、人間と獣は足の数が違うだけなのか、わたしはわたしなのか他人なのか、そもそもその疑問じたいが形にはならないのか、なんだかだんだんわからなくなると尻のあたりがむず痒くなり、考えたくなくても考えてしまうから私は私を麻痺させる必要を感じた。それで私はまた夜明かしに入って安酒を煽ったのだけど塩味がするだけでなんの染み込みもしなかった。

私はまだ酔わない。

「ニーチェは釈迦の真似事だよ」とにやにやしていたのは市場の爺いだ。

傷んだ魚を売りながらにやにやする爺いは先生のつもりなのか。僕がどこにも行けないと思っているのか。酒を煽る僕を愚弄することは許さない。私は獣であっても私は人間だと思っている。その私を愚弄することを許さない。許さないけどどうしようもない。

お節介はやめ給え!君は僕に説教をするつもりなのか。きみは私よりも偉いかも知れないが、私のことをなにも知らないじゃないか。私を救うつもりもないのにめったなことは言わないでくれ。私はもう分かっているんだ。私は分かっていないことを十分分かっているんだ。

おんながくるくる舞っている。随分きれいだが全部水の中だから見えるものは曖昧で、僕も女も窒息するんじゃないかと思うが案外生きている。女は僕のために舞っている。どうかそのまま舞っていてくれ。僕の酔いが覚めるまでせめて舞っていてくれ。どこにも行けないように見えても、僕もあなたも進んでいるのだ。だからどうか見放さないでくれ。その証拠に全部水の中でも僕たちは生きている。生きていることだけは信じても文句は言わるまい。狭隘なビルの谷間にあっても、僕たちの命は確からしいと言ってください。

私はまがいものの夢から覚めた。

夢から覚めても酒は残っているから、夢が本当なのかそうで無いのか区別はつかなかった。

三輪

よく三輪に参る。

細かいことはよく知らないし改めて調べることも何となく今は憚られるから書けない。

三輪の大神は大物主命と申し上げて大国主命の別名と伝わる。三輪の大神神社は本殿を持たない日本最古の神社にして山を直接奉る宮である。

三輪山の麓には磐座が多くある。岩に山の神が宿るのか岩そのものが神なのかよくわからないが岩を祀る。

三輪の山もとには金屋という土地がある。金属加工者の渡来人たちが住まいしたと思う。また海柘榴市という日本最古の市場がある。さまざまな人が往来した。出雲という土地も山もとにあり。出雲のはらからが住まいしたか。すぐ北には穴師兵主社あり。相撲の起源の地であり著名な渡来人たる秦氏の祖、弓月君ゆかりの古社なり。

なんとはなしに日本はさまざまな人々が入り乱れて国を作ってきたように思う。

奈良の都には中国、朝鮮はもとよりペルシャやインドから人が来ていたようだった。

破斯清道という奈良時代の官吏はペルシャ人だという説があるし奈良の大仏を開眼したのは菩提僊那というインド僧であった。

縄文時代の人々の交通は日本中に及び、各地の出土物は入り混じっている。

延喜式内社の中には八丈島の神社がある。上古の昔にどうやって人々は八丈島に渡ったのであろうか。

私はものを知らないし頭が悪いからきちんと話すを得ないが、どうも私には日本の昔はいわゆる「犬神家」みたいな閉鎖的な空間には思えぬ。

丹生川上神社上社の旧社地はダムの底だがそこには縄文中期の祭祀遺跡がある。宮の平遺跡と申す。奈良南部の深遠な山中にまで縄文人は入り込んでいた。何を思って古代に人々がこんな深山に入り込んだのか分からない。なにか外敵に追われてこんな山中にまで逃げたのであろうか。怨敵の残虐はよく人を奔らしむ。しかしよくここまで入ったものだと思う。外敵に追われたとか元の村の人口が増え過ぎて口減らしのため追われたとかいうには山の中が過ぎると私は思う。

十津川村には上古の昔からの社である玉置神社がある。べつに縄文遺跡が出たわけではないがそもそもこんな山の中になぜ極めて由緒の深い古社があるのかわからない。

なんだかよくわからぬが人は霊威を感じて動くこともあろう。姫路に広峰神社という社がある。牛頭天王を祀り元八坂を名乗る。吉備真備が遣唐使から帰る途中に広峰山に霊威を感じて社の創建を奏上した。

縄文の人々も霊威を感じて深山に入った気がしてならない。また交易で日本各地を移動していた。同時に種々の人々がさまざまな土地から日本の洲々に入った気がしてならぬ。

神仏の道に沿うことが何より大事であり、神仏の道に沿うたならば異なる風はむしろ淀みを清めることと思う。

偏狭、村八分、奇妙な実力競争主義、根性、つまらぬ血族主義などはいかにも日本古来の在り方ではあるまい。それらは日本人以外の諸民族においても有害な思想であろう。万民これを棄つべしと私は思う。

マーク・テーウェンなるオスロ大学の先生は2017年vol.45-2の「現代思想」に神道をテーマとして寄稿している。いわく「『神道』が根源的な『和』への回帰というユートピア的構造をまとって現れた」とある。テーウェン先生の言葉はその通りかもしれない。“日本人”はある種の危機を感じると、無形式で無教義ゆえに可塑性があり、しかしながら一定の儀式的定式は認める確かさもある神道にすがり、ユートピア的な思想を紡ぎ始めるのかも知れない。

そうだと思う。私もある種の理想を神道から紡ごうとしている。私は明らかに非論理的で直観的だ。

ことばにすると間違うことがある。人をことばで恣意的に動かすというのは深刻な誤謬である。人は動かすことはできない。騙して動かしたように思っても必ず穢れ誤つ。思想はしばしば過ちの素になる。人は各々の直観で動くこともある。ことばが相手の知らない部分に響いて、その人間の意識しない内に自然に変わることはある。人は変わる。人を変えることは絶対的に不可能である。

ことばにするなら直観にもとづいてなるべく率直に成したい。

空谷子しるす

若狭

麻酔科の研修が終わった。

当院の麻酔科医師たちは破格に優しいが、麻酔の緊張感にいよいよ耐え難かったから研修が無事に終わったのはありがたかった。人間は確かなことはひとつもない。自分が入れた薬の動向を片時も目が離せない。それは私が低能の医者だからかもしれないがそんなことはどうでもよい。麻酔科の医師たちやオペ場の看護師たちに大変守られて私の研修は終わった。

若狭彦神社の上社と下社は若狭国一宮である。

鯖街道沿いにあり、上古の昔から往来があった。若狭神宮寺の由緒によればワカサというのは朝鮮語のワカソ(往き来)から来ているという。若狭神宮寺には印度から来たと伝わる僧実忠がかつており、彼が今に伝わる東大寺修二会を始めたという。前にも述べたが越前敦賀の名の由来も新羅の王子に端を発する。若狭も越前も大陸との往来が盛んであった。

若狭彦神社には彦火火出見命を上社に、豊玉姫を下社に祀る。彦火火出見命は神武帝の祖父であり、宮崎や鹿児島に多く祀る。若狭彦神社を下って海側に行くと常神半島があり、そのあたりには日向という地名があちこち残る。そのあたりの人々は祖先が日向国から来たと伝わるとインターネットで記事を見たが本当かはしらん。

台風が近づいていると聞いたが風は柔らかく水は清らかであった。

若狭彦神社の二社は不思議に巨きく、剛毅でありながらどこか優しげである。

二社のさらに上流に若狭神宮寺と鵜の瀬がある。

鵜の瀬というのは東大寺修二会の際にお水送りをする淵である。淵が水中洞窟となっており東大寺若狭井の水に通じているという。

東大寺の創建に関わった僧良弁はこの鵜の瀬の集落下根来の出身なのだと知る。

鵜の瀬の水は澄んでいて淵が青い。流れる川の水を眺めながら私はなぜ自身に気分の浮沈があるのかなと思った。

ひとすじに夢中になることができないのは何故なのであろうか。

自分のことはいよいよ分からない。なにかが分かるというのは幻想にすぎんのかもしれぬ。私は自らの認知機能の低下を疑うほど茫漠としている。叢雲が十重二十重に棚引き、山の上に蒼穹が雲間から見える。

私はいよいよ祈る。

空谷子しるす

筥崎 香椎

宇佐、石清水、筥崎の三つを称して日本三八幡宮と言うらしい。香椎は神功皇后の夫仲哀天皇の崩りましました地で古くから皇室の崇敬厚い。筥崎は応神天皇のへその緒を箱に入れて埋めたから筥崎と名前がついたという。

八幡神はいくさの神である。神功皇后の三韓征伐に端を発する。応神天皇、神功皇后、比売神の三神を一般には八幡神と申し、古くから仏教との習合が深い。応神天皇の代に弓月君という秦氏の祖先が日本に来た。歴史は複雑である。

昔のことを調べるのは楽しい。あたまが悪いのできちんと知識を整理できない。できないながらも神々をたずねるのは楽しい。

筥崎に至り、大きな楼門を仰ぐと心がのどやかになるようだ。

憎むべきは悪心である。尊ぶべきは赤心である。神様に祈れば私はましな人間になるのであろうか。

新幹線にて博多より関西へ帰る。

帰って病院に来ると相変わらず一部の研修医たちから挨拶もろくにされぬ。馬鹿にされている。

神社に詣でても仕方のないこともある。

空谷子しるす

覚書5

早朝の車内で人々は同様に物憂げに揺れていた。
草が風で揺れるように電車の揺れに揺らされていた。

恰幅の良い中年男は、熱心にTwitterを検閲していた。
もりかけさくらをどれだけ説明してもまだ説明を求める連中に何を言っても同じだ。
そう書き込むと、こぜわしくその他の記事のチェックを再開した。

座席では制服の小学生が、帽子をのせた頭を上下にしながら眠りこけていた。
ドアの右側の猫背の小男は、せっせとスマホゲームに耽っていた。
小男はシャツをズボンに入れ、どうも中学生か高校生のようだった。
痩せた小男の埋没はある緊張を周囲に伝えていた。

車掌は駅が近づくと半身を乗り出し、外を確認していた。
帽子の下の目は眠たげに細められていた。
列車が速度を落とすにつれ、いよいよ閉眼し、駅に着くと物憂げに開眼し仕事を再開した。

私は、シモーヌが眼球を舐め回し、眼球に見立てた卵に尿を引っ掛けようとしている場面を想像していた。

ある駅で、座席の小学生はふいに立ち上がり、ドアに向かった。
車内に入り込む乗客たちと逆流しながら、降り遅れまいとドアに近づいた。しかし、彼は降りずにドア近くで立ち止まり人々を困惑させた。

シモーヌはマルセルを想い、浮かんだ卵の上に小便をひっかけていた。

終点に近づき、ますます車内は混雑を深めた。
ドア近くの小男は傍若無人にゲームに埋没していた。
小男にとってゲームのために必要なスペースを確保することが小男に唯一必要なことであった。
やがて小男の突き出す前腕は乗り入れる乗客の干渉することとなり、人々は乗車のために小男の前腕を避けなければならなかった。老人は避けることなく彼の前腕と衝突した。
老人は罵りながら突き進み、彼の前腕を跳ね返した。若い小男は虫のような鳴きながら老人の手を払い返した。
老人もまた奇声をあげながら小男をドアの外へと押し返し、小競り合いとなった。
後から入った若者が器用に両腕を間に挟み込み仲裁を図った。
覚醒した車掌も様子を伺いに来たが、役には立たなかった。
小男も老人も声にならぬうめき声を発し、電車の揺れに身を任せた。
私も含めたその他の乗客は何一つ表情を変えずに、黙って見ていた。

やがて終点に到着し、小男を含めた乗客は物憂げに走り去った。

宇佐

宇佐八幡宮は国東半島の付け根にある。神武の帝にゆかりがあり、もともとは宗像三女神が御許山に降臨したのが始まりともいい、八幡神が大神比義の前に顕われた土地である。

大きな参道沿いに「ねぎ焼き」を売っていた。

「ねぎ焼きですよ。どうですか」と中年の女性が呼び込む。彼女ひとりで店を回している。

ねぎ焼きを食べながら宇佐とはどういう土地なのだろうとぼんやり考えた。

参拝は叶った。

八幡宮の広大な神域を後にして私は駅に向かって歩き始めた。

はるかに山々が聳える。かつては内陸深くまで海岸線があり、今に田畑に見えるところは恐らく全て海であったろう。

私は歩いた。台風が近づいているらしかったが雨も降らず、雲はむしろ次第に薄くなるようだった。

青い山を見ながら歩いていくと生きている気分になる。

世は揺れ動くようだが本当のところは動かない。

頭で考えるより(正しいことにあっては)素直に思ったほうが良いように思われた。

八幡神は不思議である。

空谷子しるす

鉄輪

鉄輪温泉と言うのは別府八湯の一にしていわゆる湯けむりの街として有名である。

貞観九年(西暦867年)に別府の高峰鶴見山爆裂せり。おそらくその噴火は辺りの野を焼き、火砕流、噴煙の類いが麓を焼きかつ埋めたのだろうと思われる。その惨状を治めたのが火男火賣神社の神だ。

由緒にいわく

「大音響とともに無数の岩石を吹き上げ、溶岩が流出して河川をなした。鳴動は三日間続き、人々は神の怒りであると恐れたが、これを止めたのが当社で読み上げたとされる『大般若経』であった。(中略)大般若経は九人の山伏に命じ三日間読み続けられたとされている。そしてこの時に出来たのが別府温泉であり、その守護神としても崇められている」(加藤兼司宮司「火男火賣神社由緒」)

この鶴見山の大爆発以後別府は今に至るまで人々の業苦を緩和している。噴火を鎮めた功績を讃えて火男火賣神社は延喜式の式内社に列せられている。大分県には式内社は6社しかないから朝廷からの認識の重さは並々ではない。さすが別府温泉だ。

台風が電車を止めたので別府に一日いることにした。

地獄めぐりをやってみようと思って鉄輪の方にバスで来たのだ。

鉄輪の近くに火男火賣神社が坐す。台風の強風が境内のイチイガシを大きく揺さぶる。空も海も青い。

私はなんだか湯に浸かってめしが食べたくなった。

「焼酎にかぼすを入れるとおいしいですよ」

と定食屋の女将が教えてくれた。

言う通りにするとたしかに爽やかでうまかった。

めしを食い、湯に入り、鉄輪の温泉街を歩くといろいろなことがぼんやりするようだった。

どうせ病院に戻ればまたはっきりしたことがたくさん出てくる。今はむしろ積極的にぼんやりしたい。

空谷子しるす

覚書4

扉を開けると虚な眼のあなたがいた。小さな白いテーブルにはグラスに注がれた赤ワイン、ノートパソコン。酔っていたのでしょう。顔が少し赤らんでいる。

私は一つ仕事を終えたところで、身体には異物の感触がまだ残っていた。洗い流してもそれは消えない。

私を注文する人がいる。お陰様で店内ではNo.1、指名料もそこそこ。

運転手は無口で助かっている。前の運転手はおしゃべりで、何も話したくない気分でもおかまいなしに話しかけてくる人だった。彼なりに気を遣ってくれているつもりらしかったがそれが妙に恩着せがましく厚かましく、気遣いというより下衆の勘繰り。

書いても覚えてないでしょう。あなたはすぐ忘れてしまう。読んだことも読みながら。だから読んでいるそのときのあなたのために。

私はこの仕事を始めてから切るのをやめた。傷つけることをしたいのは何故だか忘れた。上書きしたいことばかりというのは嘘。でも思い出さないために何度でも上塗りしていく。

あなたは何もしなかった。ただ椅子に座りワインを飲み、私の話を聞いていた。

聞き終わるとあなたは私にお礼をいい一万円札を4、5枚渡して玄関まで送ってくれた。指一本触れられなかった。

雨が降っていて、車内に流れる水滴を追ってみていた。恋でもないし愛でもないし友情でもないし、憐れみでもない、と願う。ただそれだけのことで、たまにいる客のひとり。

あなたはいま、靴を履き違えて子供に怒られている。

もう一度、そう履き直せばいいと諭されている。私はあなたにとってなんでもなくあなたも私にとってなんでもないが、なんでもない関係が続いていることが、しあわせです。

初夏、木漏れ日のなかであなたは空を仰ぎ見て忘れたことも忘れて思い出そうとしたことも忘れて、私が隣にいることも忘れて、ただ忘れ続けて、たまに私のことを見て、唇が赤いねと初めてのことのように何度もいう。

シャワーを浴びて滑りけをとる。汚れるためにまたとる。

あなたが呼んでくれた日は、シャワーも浴びずただ座っていた。ワインを傾けながら、話を聞いてくれていた。

私は悪い男でねとあなたは言った。笑みを籠らせて。後ろのカーテンが少し開いていて、雨音が聞こえてくる。

扉を開けた途端に押し倒すとか、殴りかかるとか、お尻を剥き出して思い切り引っ叩くとか、服を全部脱がすとか、そういうのは悪い男ではなくて、普通の男だった。

普通の悪い男だよ、とあなたは言った。飲み過ぎてゲロ塗れになってみな忘れてしまう。

綺麗だよとも、好きだよとも、愛してるよとも、嘘でもあなたは何も言わない。

言わなくていい。もう何も言わなくていい。

あなたは右の靴を履いて、また脱いで履いて脱いで履いてしている。神妙な面持ちで。

諦めたのか、靴をすっかり脱いでしまい、そばの木におしっこを引っ掛けて芝生に横たわった。蟻が何度か顔の上を横切った。あなたは微動だにしなかった。雲の行方を眺めているようだった。晴れていて少し眩しそうにしていた。次第に日は傾き、夜になった。あなたは股間を掻きむしっていて、起きているのか寝ているのかもはやわからなくなった。夜が明けて私はまた空っぽになる。