三輪

よく三輪に参る。

細かいことはよく知らないし改めて調べることも何となく今は憚られるから書けない。

三輪の大神は大物主命と申し上げて大国主命の別名と伝わる。三輪の大神神社は本殿を持たない日本最古の神社にして山を直接奉る宮である。

三輪山の麓には磐座が多くある。岩に山の神が宿るのか岩そのものが神なのかよくわからないが岩を祀る。

三輪の山もとには金屋という土地がある。金属加工者の渡来人たちが住まいしたと思う。また海柘榴市という日本最古の市場がある。さまざまな人が往来した。出雲という土地も山もとにあり。出雲のはらからが住まいしたか。すぐ北には穴師兵主社あり。相撲の起源の地であり著名な渡来人たる秦氏の祖、弓月君ゆかりの古社なり。

なんとはなしに日本はさまざまな人々が入り乱れて国を作ってきたように思う。

奈良の都には中国、朝鮮はもとよりペルシャやインドから人が来ていたようだった。

破斯清道という奈良時代の官吏はペルシャ人だという説があるし奈良の大仏を開眼したのは菩提僊那というインド僧であった。

縄文時代の人々の交通は日本中に及び、各地の出土物は入り混じっている。

延喜式内社の中には八丈島の神社がある。上古の昔にどうやって人々は八丈島に渡ったのであろうか。

私はものを知らないし頭が悪いからきちんと話すを得ないが、どうも私には日本の昔はいわゆる「犬神家」みたいな閉鎖的な空間には思えぬ。

丹生川上神社上社の旧社地はダムの底だがそこには縄文中期の祭祀遺跡がある。宮の平遺跡と申す。奈良南部の深遠な山中にまで縄文人は入り込んでいた。何を思って古代に人々がこんな深山に入り込んだのか分からない。なにか外敵に追われてこんな山中にまで逃げたのであろうか。怨敵の残虐はよく人を奔らしむ。しかしよくここまで入ったものだと思う。外敵に追われたとか元の村の人口が増え過ぎて口減らしのため追われたとかいうには山の中が過ぎると私は思う。

十津川村には上古の昔からの社である玉置神社がある。べつに縄文遺跡が出たわけではないがそもそもこんな山の中になぜ極めて由緒の深い古社があるのかわからない。

なんだかよくわからぬが人は霊威を感じて動くこともあろう。姫路に広峰神社という社がある。牛頭天王を祀り元八坂を名乗る。吉備真備が遣唐使から帰る途中に広峰山に霊威を感じて社の創建を奏上した。

縄文の人々も霊威を感じて深山に入った気がしてならない。また交易で日本各地を移動していた。同時に種々の人々がさまざまな土地から日本の洲々に入った気がしてならぬ。

神仏の道に沿うことが何より大事であり、神仏の道に沿うたならば異なる風はむしろ淀みを清めることと思う。

偏狭、村八分、奇妙な実力競争主義、根性、つまらぬ血族主義などはいかにも日本古来の在り方ではあるまい。それらは日本人以外の諸民族においても有害な思想であろう。万民これを棄つべしと私は思う。

マーク・テーウェンなるオスロ大学の先生は2017年vol.45-2の「現代思想」に神道をテーマとして寄稿している。いわく「『神道』が根源的な『和』への回帰というユートピア的構造をまとって現れた」とある。テーウェン先生の言葉はその通りかもしれない。“日本人”はある種の危機を感じると、無形式で無教義ゆえに可塑性があり、しかしながら一定の儀式的定式は認める確かさもある神道にすがり、ユートピア的な思想を紡ぎ始めるのかも知れない。

そうだと思う。私もある種の理想を神道から紡ごうとしている。私は明らかに非論理的で直観的だ。

ことばにすると間違うことがある。人をことばで恣意的に動かすというのは深刻な誤謬である。人は動かすことはできない。騙して動かしたように思っても必ず穢れ誤つ。思想はしばしば過ちの素になる。人は各々の直観で動くこともある。ことばが相手の知らない部分に響いて、その人間の意識しない内に自然に変わることはある。人は変わる。人を変えることは絶対的に不可能である。

ことばにするなら直観にもとづいてなるべく率直に成したい。

空谷子しるす

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