若狭

麻酔科の研修が終わった。

当院の麻酔科医師たちは破格に優しいが、麻酔の緊張感にいよいよ耐え難かったから研修が無事に終わったのはありがたかった。人間は確かなことはひとつもない。自分が入れた薬の動向を片時も目が離せない。それは私が低能の医者だからかもしれないがそんなことはどうでもよい。麻酔科の医師たちやオペ場の看護師たちに大変守られて私の研修は終わった。

若狭彦神社の上社と下社は若狭国一宮である。

鯖街道沿いにあり、上古の昔から往来があった。若狭神宮寺の由緒によればワカサというのは朝鮮語のワカソ(往き来)から来ているという。若狭神宮寺には印度から来たと伝わる僧実忠がかつており、彼が今に伝わる東大寺修二会を始めたという。前にも述べたが越前敦賀の名の由来も新羅の王子に端を発する。若狭も越前も大陸との往来が盛んであった。

若狭彦神社には彦火火出見命を上社に、豊玉姫を下社に祀る。彦火火出見命は神武帝の祖父であり、宮崎や鹿児島に多く祀る。若狭彦神社を下って海側に行くと常神半島があり、そのあたりには日向という地名があちこち残る。そのあたりの人々は祖先が日向国から来たと伝わるとインターネットで記事を見たが本当かはしらん。

台風が近づいていると聞いたが風は柔らかく水は清らかであった。

若狭彦神社の二社は不思議に巨きく、剛毅でありながらどこか優しげである。

二社のさらに上流に若狭神宮寺と鵜の瀬がある。

鵜の瀬というのは東大寺修二会の際にお水送りをする淵である。淵が水中洞窟となっており東大寺若狭井の水に通じているという。

東大寺の創建に関わった僧良弁はこの鵜の瀬の集落下根来の出身なのだと知る。

鵜の瀬の水は澄んでいて淵が青い。流れる川の水を眺めながら私はなぜ自身に気分の浮沈があるのかなと思った。

ひとすじに夢中になることができないのは何故なのであろうか。

自分のことはいよいよ分からない。なにかが分かるというのは幻想にすぎんのかもしれぬ。私は自らの認知機能の低下を疑うほど茫漠としている。叢雲が十重二十重に棚引き、山の上に蒼穹が雲間から見える。

私はいよいよ祈る。

空谷子しるす