小児科2

「僕が1、2年目のときは君なんかよりずっとくそ真面目だったよ」と指導医は言うのだ。

彼は20年目以上の医師であり神戸中央市民病院で初期研修をした人である。

黎明期の神戸中央市民のような卓越した病院で研修をしたならば間違いなく私は屑だろう。

喘息の患者が来て入院することになった。

「僕がやるか、君が全部やるかどうする」と言われ、

当たり前だが無能の私より有能の指導医がやった方が患者には好ましいのだから私は正直に「自信がない」と言った。

指導医は「2年目だろう」と言い呆れた。

しかしあるとき病棟でカルテを書いていると消化器内科のNo.2の先生が隣に来た。

「小児科で主治医になってるじゃないか。すごいな」と言われた。

なぜ彼が専門と関係ない小児科のことを知っているのかわからなかったが嬉しかった。その患者が何もやることのない退院待ちだとしても嬉しさを感じた。

誰だって自分を馬鹿だと思いたくない。

「いっときだって自分を馬鹿だと思っていられるか」と志ん生の『火焔太鼓』の主人は言う。

しかし明らかに私より同期や一年目の方が優秀であり、小児科指導医は彼らをよく褒め、私のことは褒めない。

こんな汚い無様な男が35歳の初期研修医なのだ。人から褒められないとかけなされるとかで精神の平衡を失う。小学生のような幼稚さを固持している。こんな醜いことがあるか。「大人の男」になれていない醜い中年男性というものはこの世で最も唾棄すべき存在だ。一体いままで何をしてきたのだと言われたら、わずかに生きていたとしか言いようがない。大量の言い訳はできる。背負わなくてもいい労苦ばかりだった。私に関係のない災難は大量に降ってきた。脆弱な体躯の私にそれらを跳ね返す力は無かった。しかし世の中は目に見えることが全てだ。私はこの世に生きている必要がない。無能の醜い中年男性だ。私のしてきた苦労だって、平均的な男性なら必ず克服できただろう。つまるところ私は生きるのに必要な資質がない。

私はよい医者になりたい。

しかし無能であればよい医者にはなれない。

私はどうしたらよいのか。35年生きてまだ無能の私はさらに無能として憎まれながら進むしかないか。

私はとても醜い。

空谷子しるす