異界医療ことはじめ

気がつけば私は異界にさまよう様々な患者と関わっている。
私の自由意志によるものか、運命がそうさせるのか。
どうも私は異界のことがことの他気になるらしい。
ないし、異界が私を呼んでいるらしい。

子どもは、大人の常識的な世界とはまったく違う世界を持っている。
(中略)
昔、子どもは育ちにくかったこともあって、「七歳までは神のうち」と言われ、「あの世」に近い存在と考えられていた。しかしそれは昔だけのことではない。今も子どもは大人の常識的な日常の世界とは違う世界−これを「異界」と呼ぶことにする−に近い所に生きている。この世の常識とは違う世界での体験を踏まえて子どもは大人になっていく。言い換えると、大人になるということは、異界と距離をとっていくということになるかもしれない。
(岩宮恵子『生きにくい子どもたち』)

私がこのブログに子どもの言葉を記録するのは、異界での視力が高い子ども達の世界を仰ぎみたい一心からである。
振り返ってそう考えると得心がいく。
否、ただの親バカの一心からなのかもしれない、と謙虚になっておく。
子どもはかわいい(特に私の子どもが!)

岸本寛史は、子どもに限らずがん患者が体験する世界もまた異界であるとして、「がんを患うと、感覚が鋭敏化し、兆候空間が優位となり、見える風景が変化してくるのではないか」と問題定義し、夢や絵を用いた心理療法を提唱している(岸本寛史『がんと心理療法のこころみ 夢・語り・絵を通して』)。

統合失調症者はもとより異界の住人である。

異界とちゃんとした距離をとれるようになるためには、まず、しっかりとその世界に浸ることが大切である。
(中略)
異界との距離をどうとればいいかわからなくなり、現実と異界が混乱し、妄想ともいえる世界に陥ってしまうこともある。
(岩宮恵子『生きにくい子どもたち』)

私は気がつけばこれら異界の住人全てに関わるようになっていた。
いつのまにか小児の発達相談に関わるようになり、いつのまにか緩和ケア病棟で勤務するようになり、いつのまにか統合失調症者の訪問診療をしている。
全て、医師になった時点では予見できなかった。
摩訶不思議な縁の力が働いているようだ。

このような異界を歩き回る専門科は存在しない。
臓器を超えて、ライフステージをまたいで、ということになれば家庭医療が似た領域を有するかもしれない。そいう言えば、私は家庭医の専門医ということになっている。
しかし、家庭医は統合失調症者はみないだろう。発達相談を受けているといえど、初診から心理士と協働してその後のフォローまで全てするということはしないだろう。
多くの家庭医は、それは我々の専門ではないと臆面なく言ってのけるだろう。
専門のないのが我々の専門であると諧謔を言う彼らが!

元より専門性などどうでもよい。
専門性に拘泥して徒党を組むあさましさにはうんざりしている。
徒手空拳で事象そのものに向かう他ない。
異界医療、と名づけるのがよかろうか。
あらゆるライフステージをと謳うのではなく、あらゆる異界をと謳う。

りんぶんには異界が溢れている。
O氏すでに詳細な異人論考を世に出しているし、彼の描く人物はみな異人である。そもそも彼の偉大な父上は明らかな異人で、その薫陶を受けたO氏は異界語が母語らしい。
M氏の思弁的な言葉も異界語に違いない。おそらく異人なのだろう。
「こどものちから」はこどもが見る異界を切り取っている。
臨床文藝医学会は、臨床異界医学会と言い換えてもよかろう。
略語として収まりがよいのは臨床文藝医学会であるのだが。

まあよい。
岩宮は、大人になるとは異界と距離をとれることと言っている。
われわれは今後も異界と距離をとりあぐねた様々な人間と出会うであろう。
いっそ異界で遊ぶと不遜に表明してもよかろう。
距離、空間、あそび。全て同義である。
異界にかどわされ生じた緊張から距離をとりあそんで笑うほかない。
いずれにせよ明日はわが身である。
ふむ、今日ではなく明日だと?

われわれは同情をもたねばならない。しかし同情というものは、一人の人におこったことは万人におこりうるものであることを、本当に心のそこからわれわれが認めた場合に初めて真実なのである。その場合に初めて人は自分自身に対しても他人に対しても益あるものとなり得る。もしもある気狂い病院の医者が、自分は永遠にわたって聡明であるであろうし、自分にわりあてられた頭脳が人生において損傷をこうむるというがごときは断じてないように保証されている、という風に思いこむほどに愚鈍であるとすれば、彼はある意味においてはなるほど狂人たちより聡明であるでもあろうが、しかし同時に彼は彼らよりは一層愚鈍なのであり、彼が多くの人を癒すというようなことも、またないであろう。
(キルケゴール『不安の概念』1844)

光りうしないたる 眼うつろに
肢うしないたる 体担われて
診察台にどさりと載せられたる癩者よ、
私はあなたの前に首を垂れる。

あなたは黙っている。
かすかに微笑んでさえいる。
ああしかし、その沈黙は、微笑みは
長い戦いの後にかち得られたるものだ。

運命とすれすれに生きているあなたよ、
のがれようとて放さぬその鉄の手に
朝も昼も夜もつかまえられて、
十年、二十年と生きて来たあなたよ。

何故私たちでなくてあなたが?
あなたは代って下さったのだ、
代って人としてあらゆるものを奪われ、
地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。

許して下さい、癩者よ。
浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、
そこはかとなく神だの霊魂だのと
きこえよき言葉あやつる私たちを。

かく心に叫びて首たるれば、
あなたはただ黙っている。
そして傷ましくも歪められたる顔に、
かすかなる微笑みさえ浮かべている。

(神谷美恵子「癩者に」1943)

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