多賀2

昨日は土曜日であった。午前中病棟に行くと部長先生がおり、彼の患者を共に診察して色んなことを教わっていたら午前が過ぎた。

私は自慰をすべきか否か悩んでいた。中学2年に精通して以来、自慰をすると自分が醜く、さまざまな能力が低下し、他者からもますます嫌われるような思いがしてきた。

南方熊楠いわく、南水漫遊という本に鉄眼なる高僧あり。雪中庵にて閑居しておれば一人の見目麗しい婦人来たりて宿を乞う。鉄眼若き丈夫なれば己の煩悩の火がつくをおそれて婦人に宿を貸すを渋ったが外は大雪だ。婦人は人の妾なれば本妻に妬まれて追い出され郷里に帰る途中の大雪なり。婦人このままでは野垂れ死すべしとて鉄眼に涙ながらに訴える、鉄眼もとより心清ければこの婦人の命救わざる能わず、やむを得ず婦人と一晩同じ屋根の下にいることになった。婦人命拾いしたりといえどもやはり若い男と同じ屋にいること不安でならず、床より鉄眼の様子伺えば鉄眼あろうことか己の屹立したる男根に自ら灸を据えて必死に仏念じては耐え居たり。夜が明け女出でて、本妻死にたる上に改めて自らが本妻になったる後夫にかの雪の夜の顛末語る。夫、大きに感心して鉄眼探し出し寄進することひとかたならず、寺が建ち一切経を出す手助けとなったと。

性欲を一生がまんしたら私も少しは立派な人間になれるだろうか。鉄眼のような立派な人間になれるだろうか。私の陰茎は勃たないのに性欲だけは多少ある。

貝原益軒の養生訓にいわく30代の男は8日にいっぺん射精すべしと。

貝原益軒が正しいのかどうかわからない。射精をがまんするのはむしろ体に悪いのか。

真剣に考えていたら腹が減った。卵と牛乳が尽きていたからコンビニに向かった。

外に出ると空は青く空気は澄んでいた。私はお多賀さんに参りたくなった。

夕に近くなりお多賀さんは閉門まぢかであった。

秋の夕の傾いた日に照らされてお多賀さんの檜皮はいよいよ美しい。

多賀の杜には人はまだいささか居り。女子中学生の群れがみくじを見せ合ってきゃあきゃあ騒いでいる。大型観光バスで来た高齢者たちが写真を撮っている。夫婦づれが並んで歩いている。

私は小あゆの煮付けと一合の酒を買って帰った。

結局その日私は自慰をした。筒井康隆がやってしまった後の背徳感があるから自慰はいいというようなことを書いていた気がする。筒井康隆の言うことはいつもよくわからない。

自慰をした私は日曜の当直を無事に乗り切れるだろうか。

自分のやれることをやり神様の御助けを期待するしかない。

空谷子しるす

春日

春日若宮社が20年目の式年造替を果たし、そのしめくくりに境内に白砂をまく「お砂持ち」を行うと聞いたから母と赴いた。

お砂持ちには一般人の参加もさせてもらえるので、春日大社の駐車場に車を停めて若宮に向かう。

母は先週の椿大神社の神山入道が岳登山中に転倒し、大腿内側に打撲を負っていた。整形外科によれば著明な骨折認めず、脳外科によればいまだ頭蓋内に著明な血腫なし。しかし歩くと痛みを伴う。20年ぶりの行事だから無理をおしても行きたいようだった。

春日の空は晴れていた。

風もなくやわらかな光が御蓋山の原生林に差し込んでいる。

藤の老木が伸びて、化石のような力強い体躯を見せている。

私たちは手渡されたちいさな袋に灰白色の砂礫を詰めに詰めて、改まった若宮社に案内される。

朱。というものがある。赤い塗料だが、まことの朱はこの春日大社の本殿と若宮社にしか塗られない。日本の中でここだけの朱塗りである。

まことの朱は上等の紅しょうがのような色調で、しかも深くて淡い。香りたつようなその赤色は邪気を払う。

私たちは新しい若宮社のまわりに砂を撒いた。

陽は暖かく、世は改まりいよいよ力を増す。

空谷子しるす

誤診と信心

とうとう私は当直中に重大な誤診をした。絞扼性イレウスを見逃した。

80歳の男性は腹痛に苦しみ、前日朝から排便がないと訴えていた。私は便秘を疑ったが年齢が高いから、なにかで閉塞していたら嫌だなと思い単純CTを施行した。

画像を見た上で私は回腸の明らかな壁肥厚と横行結腸の狭小に気づかなかった。

男性の看護師が一言「造影CTの準備できていますよ」とだけ言った意味が理解できなかった。

他の患者対応に取り紛れている中で指導医が彼を外科に紹介した。

私一人なら彼は死んでいた。

私はこの経験で自分を責める真似はせず、ただの現象に還元しようと思っている。つまり「こういう画像が絞扼性イレウス」という一症例に還元しようと思っている。

しかし無意識は私を苛んでいる。特に私は周りが私を無能だと思うだろうことに恐怖を感じる。看護師が、上級医が、研修医が私を見下すことを恐れる。

私は北陸の妙好人のようなひとすじの信心の世界に憧れる。雪の冬の晴れた日に潤い冷たくわずかな気流が鼻を抜けるような感覚を感じる。小テレジアのようなひとすじの信心に憧れる。暗い部屋の中に光が差し込むようなひんやりとして温かい感覚に憧れる。

ただ信じる、ただ耐えることはとても難しい。私は疲れ、なぜ昨日はあんなにどの症例でも頭が動かなかったろうと疑問を持つ。等身大の私の実力だと思う。「もっと鍛える」必要はある。自力。自力の伸長。

他力に全てを任せるというのは自力の伸長を放棄することとは違う。

いわば自分の意識や素地が他力のことしか考えぬので、客観的には遅鈍ながら自力にてわずかに努力している。その努力の遅鈍なことはしばしば責められる。しかし、客観的な努力の向上すら、実は弱い者にとっては一切を他力に親しんだ方が良好である。頭の中には他力しか目に見えておらず、安心の境にあるのみなのに、客観的にはそちらのほうが仕事はしている。

ピオ神父は「不安や焦りは沢山の仕事をするように見えて実は何もしない。まず祈り、安心しなさい」と言った。これは真実である。

「夜と霧」の中で、歌を歌う人間や神に信心する人間がかえって生き残ったという話を読んだ気がした。

私は大きな危機があると、苦しみ悶え母や兄に恨み言を喚き散らした後、安全弁のように北陸の妙好人や小テレジア、ピオ神父のイメージが訪れる。

浄土教と、カトリックと、神道と、あるいは他の一筋の信心とが、互いに異なりながらどこかで同じものになることを期待している。

空谷子しるす

そんなこと言ってたら、あかなめから電話くるよ

6歳娘が、だだをこねる3歳息子をたしなめる
娘:そんなこと言ってたら、あかなめから電話くるよ
息子:ママ、こないよね?

母親が、風呂に入らない3歳息子に教え諭す
母親:お風呂入らないと、あかなめがきて舐め回すんだからね
息子:ママ、あかなめ来ないよね?
母親:お風呂に入ったらこないよ

3歳息子が母親におねだりする
息子:ママ、あかなめやって
母親:あかなめ-、なめなめ-
息子、娘:きゃー

やはり子どもには異界の言葉がなじむらしい

念仏三昧、症状三昧、つまり享楽

ある末期癌の高齢者は、沈静して欲しいと強く強く訴えた。
彼には多くの末期癌患者がもつ身体の痛みや呼吸困難がなかった。
じっとしていると不安で仕方がないから眠らせてくれと。
彼の訴えは我が国で禁止されている安楽死の希望ではなかった。
しかし沈静であっても、死期が迫っている状況でなければ実施できない、と我が国(の緩和医療学会の)の倫理は判断する。
私は何を思ったか「息が苦しい人も、痛みでしんどい人もいる中で、あなたは随分と気楽なはずですよ」と応じたが、病者には何も響かなかった。
振り返って反省するとともに、なるほど、症状がなければある種の苦痛が顕在化するのか、と気がついた。

ある思春期の少年は、コロナワクチンを接種後にさまざまな症状が出現し、学校に行きづらくなった。
元々周囲の刺激に対して過敏で、緊張・不安が高まりやすい性質であったのだろう。
その少年が、よく眠れた日は頭が働いて様々に考えて不安になってしまうから苦痛だ、と訴えた。眠れなかった日のぼんやりした感じの方がむしろ不安が少ないと。

私はかつて大学生であった頃に庭づくりのアルバイトをしていた。
春先に小振りのモモやサクラを皆で掘り起こし、運んで植えて見栄えを整えていた。
夏には北山杉に水やりをしていた。
今思えば優雅な日々であった。
様々な人間がアルバイトにきていた。
その中に、前職は警備員だったという寡黙な青年がいた。
その青年は、肉体労働と警備職を比較して次のように述べた。
警備員の仕事はきつかった。ぼーっと立っているだけで仕事になるから、あれこれ考えなくてもいいようなことを考えてしまう。その点、こうやって体を動かしていると時間を忘れるからありがたい。

緩和ケア医の岸本は、子どものみならず、がん患者もまた異界に接する言う。
従って、子どもだけでなく、がん患者においても言葉にならない、イメージを大切にしなければならない、と。

岸本の文章を読みながら、これら違うライフステージにいる、三者の訴えは全て同じことを指していることに思い至った。
彼らは皆、異界に触れたのである。
子どもや病者のみならず、人間が自由というものに接すれば、その時すでに異界が口を開けており、半分片足が入っている。
異界の歩き方を知らなければ、緊張を緩和できず、不安を惹起させるらしい。

我々は症状をもつことで、自由の緊張を、不自由を緩和しているのだろうか。享楽しているのだろうか。
異界を歩くには症状があったほうがいい。
埋没できる症状が一つはあった方がいい。
ガイドブックにはそう記載しなければならない。

症状なき者が異界の歩き方を知らずに不安と向き合うと、現代医学は貧しいことに病気にしてしまう。
全般性不安障害などさぞ使いやすかろう。
余分な名前だけ与えて緊張を緩和せぬ貧しさよ!

鎌倉初期に浄土門の念仏が普及したのは、そういう消息だろう。
念仏という日々の症状をもつ方が渡世によい。
念仏は症状であり享楽である。
統合失調症者の幻聴、一なる声は念仏かもしれぬ。
念仏がなくなれば寂しかろう。
われわれがここにしょっちゅうあれこれ書きつけるのも、症状であり、排泄である。
親鸞は念仏の行よりも信心の信に重きを置いた。
量ではなく、質であると。
一念、多念の差異など瑣末なことである。
親鸞は教義にこだわりこの点を見逃した。
臨床はすべからく、苦しむ者の具体的な困りごとに添わねばならぬ。
具体的な困りごとを差し置いて抽象をうんぬんするなど、エロスを解さぬむっつりスケベに任せておけばよい。

さて、かくいう私はいかなる症状を、いかなる享楽を処方しようか。
念仏を処方することは、この時代には困難である。
未熟者の私にはまだ答えがでない。
従って人様を批判できたものではない。

日々の緊張を緩和するにはいかんせん。
人々がセルフマッサージ、ストレッチができるような具体的手法はなかろうか。
やはり、緊張の緩和=笑いという枝雀の直観に魅了される。
ボケ、ツッコミ、笑いという舞台を現前せしめることが私の具体的な臨床アートである。
それは一つの運動で、緊張をほぐすマッサージとも言える。
思えば私はボケ病、ツッコミ病である。
常にボケようと頭が働き、常に何かにツッコんでいる。それを享楽している。
私が連続しているという信念に、保守に、ツッコミを絶えず入れようとしている。
緊張に笑いを。
この病を広げることが、宗教なき世の私の手練手管となるだろうか。


小児科2

「僕が1、2年目のときは君なんかよりずっとくそ真面目だったよ」と指導医は言うのだ。

彼は20年目以上の医師であり神戸中央市民病院で初期研修をした人である。

黎明期の神戸中央市民のような卓越した病院で研修をしたならば間違いなく私は屑だろう。

喘息の患者が来て入院することになった。

「僕がやるか、君が全部やるかどうする」と言われ、

当たり前だが無能の私より有能の指導医がやった方が患者には好ましいのだから私は正直に「自信がない」と言った。

指導医は「2年目だろう」と言い呆れた。

しかしあるとき病棟でカルテを書いていると消化器内科のNo.2の先生が隣に来た。

「小児科で主治医になってるじゃないか。すごいな」と言われた。

なぜ彼が専門と関係ない小児科のことを知っているのかわからなかったが嬉しかった。その患者が何もやることのない退院待ちだとしても嬉しさを感じた。

誰だって自分を馬鹿だと思いたくない。

「いっときだって自分を馬鹿だと思っていられるか」と志ん生の『火焔太鼓』の主人は言う。

しかし明らかに私より同期や一年目の方が優秀であり、小児科指導医は彼らをよく褒め、私のことは褒めない。

こんな汚い無様な男が35歳の初期研修医なのだ。人から褒められないとかけなされるとかで精神の平衡を失う。小学生のような幼稚さを固持している。こんな醜いことがあるか。「大人の男」になれていない醜い中年男性というものはこの世で最も唾棄すべき存在だ。一体いままで何をしてきたのだと言われたら、わずかに生きていたとしか言いようがない。大量の言い訳はできる。背負わなくてもいい労苦ばかりだった。私に関係のない災難は大量に降ってきた。脆弱な体躯の私にそれらを跳ね返す力は無かった。しかし世の中は目に見えることが全てだ。私はこの世に生きている必要がない。無能の醜い中年男性だ。私のしてきた苦労だって、平均的な男性なら必ず克服できただろう。つまるところ私は生きるのに必要な資質がない。

私はよい医者になりたい。

しかし無能であればよい医者にはなれない。

私はどうしたらよいのか。35年生きてまだ無能の私はさらに無能として憎まれながら進むしかないか。

私はとても醜い。

空谷子しるす

覚書7

携帯電話に下書き保存されているテキストを読んでみると、ちっとも記憶にないことばかり書かれている。

私が書いたのか私のために誰かが書いてくれたのか、わからないが日付をみると何年も前に保存されているようで、ということは私は何年かしてようやく何やら書かれていることに気づいたことになる。

とても頭が冴えている日は、私は私が忘れていることを忘れていたことに気づいている。忘れている日はもうただ忘れているのだろう。

私は下書き保存されているテキストを一つずつノートに書き写していった。書かれたものの手つきはさまざまで、私が書いたようにもみえるがそうでないようにもみえるし見当がつかない、ただそれを写してみると私は確かに書いたに違いない!と思えたり、やはり気のせいかもしれないと思えたり、それをさっきもやったかもしれないと冴えている私は薄々気づいており、ページを戻ると同じテキストを3回ほど写したところであった。

テキストに私はと書いている私は、酒を飲むとデリヘルを呼んだ。彼は彼女を迎え入れて、ただ話を聞いていた。彼女は看護師になりたいという。目が明るくて、躊躇いがない。私はお札を何枚か取り出して彼女に手渡す。ある人はB型肝炎だという。彼女も看護師になりたいという。虚な目をしていた。舌は少しもつれている。私は話を聞いていた。お酒を飲んでいるといつのまにか90分が経っている。ベルがなり、私はお札を何枚か取り出し彼女に手渡す。指名するかしないかで金額がかわる。ランキングもありNo1だとそれなりの料金になる。私は、という私はNo1を指名してみる。

No1は確かにスタイルが良いとか器量が良いとか、そういうことでNo1ということには納得がゆく。私はしかしお酒を飲んでおり、彼女と90分何を話したのかほとんど、というかまったく覚えていない。話だけして帰ったことはあるのかと聞いたかもしれない。ただそういうこともあると言ったかそういうことは初めてだと答えたかは今の私にはわからない。

彼は何をしたかったのだろうか。彼女に触れないということをしたかったのだろうか。触れないという特別なことをしたかったのだろうか。彼は何を買ったのだろうか。金を捨てる行為を買ったのだろうか。

呼んだのに、眠ってしまったこともある。朝気づいたら何件も着信が入っていた。看護師を目指している彼女だった。それから会うことはもうなかった。

別の人を呼んだときは、酔ってはいたが部屋を開けることはできた。マッサージをしてあげようと酩酊状態でなければ言わないようなことを言い彼女の背中を指圧しているうちに眠気に勝てずにすぐ眠ってしまったらしい。私は財布を放り出し取って行ってくださいと告げた。彼女は最初から笑顔一つ見せず、ただ金を回収し去って行った。怯えたような目をしていた。

私はそれから数ヶ月後のテキストでは、百万遍を歩いている。交差点で信号待ちをしているフランス人のような女性の尻を一生懸命眺めていた。信号が青になれば私はフランス人の尻を追いかけた。貪るように私は尻を追いかけていた。途中で彼女が銀行に入れば私は前を歩きながら、後ろの尻を追いかけていた。尾行も前からするのだから、お尻だって前から追いかけることがあっていい。私は後ろのお尻を追いかけながら背中のリュックが重いので喫茶店に入りたいと思っていた。

交差点を過ぎたところに一軒、喫茶店があったが入ろうとすると、店員が近づいてきて、学生か否かと問うのでわからないと言えば怪しまれるだろうから、学生ではない、と私は言った。彼は申し訳なさそうに、このカフエは学生限定なんです、すみませんとそそくさと言った。こんなにすいてるのに学生限定にしているのはどういうわけかわからなかったが、限定ではしようがない。

店をあとにして、よたよたと歩いているとまたフランス人の尻が後ろから現れた。私はそれを一生懸命、そう見えないように追いかけた。

大学のキャンパスには銀杏の実がぱらぱらと落ち始めていた。やがてこの道は異臭が立ち込めることになるだろう。少し肌寒くなってきた。いつも通ったような道だった。

学生の頃によく立ち寄った古書店に入ってみると、当時は気にもとめてなかっただろう本が目に入ってくる。古書店巡りの醍醐味は絶版本との出会いにあるかもしれない。テキストの私は時間に追い立てられているようで、平積みの本まで物色する時間もないまま、『精神分裂病』という今は絶版になっている書籍を1000円で購入し店を出た。

地元の精神医学教室の教授は、「統合失調症というのはよくない」と学生向けの講義の中で言った。黒板に丸を描いて、それに斜線を引いてみせた。このように風船が裂けるように精神が分裂してしまうのが分裂病なのだという。ブロイラーの言った分裂病は精神の分裂ではなく、連合弛緩のように連想が分裂するということで分裂というのは単に統辞法の問題を指摘しているに過ぎないと聞いたことがあったが、そのようなことを指摘する学生もなく彼は「分裂病は治らないですね」と続けた。私は治癒した例を一例しか経験したことがない、と臆面もなくのたまっていた。

かれこれ18年くらい前に住んでいたキャンパス前のアパートは今でも外観はほぼ当時のままのように見えた。暗証番号の入力が必要な玄関の前にぼうっと立ち尽くしていると中から人が出てきた。不審者と思われないように私は慌ててアパートを離れたが、アパートから出てきた男性も私と同じほうへ歩いてくる。車道を横断し、私は何食わぬ顔で男性の前を歩いていた。私が行きたい方角とは反対になってしまったが今更方向転換して不審に思われてもいけないと思いそのまま私は歩き続けた。やがて男性は私を追い越してコンビニへ入って行った。なにやらATMの操作をしているようだった。ぷりぷりとしたお尻の男性だった。だからどうというわけではないが。私は一生懸命お尻を見ていたに違いない。

男性がコンビニに入って機械に気を取られているうちに私はそっと踵を返した。

街路に彼岸花が咲き始めた。コオロギやスズムシも鳴き始めている。大学には当たり前のように常に学生がいて、同じような風景が20年近く変わらず続いていたのだろうか。石垣のカフェはとうの昔に撤去されたようだったが。

秘密基地への憧れは常にある。秘密のアジト、アジールである。木や石でできた頼りない階段を昇り、暖簾をかき分けて入る暗く小さな部屋といえるかどうかわからないが小さなひと区画に、いつもいるような人がいて、ただ10年経とうが20年経とうが昨日のことのように迎え入れてくれる、そういう人たちや場所はどこにあるだろうか。

私の一日と持たない記憶が鮮明なうちに、鮮明と思っているうちにも薄れているだろう不確かなものをそのまま残して、書き留めているうちに、記憶を持たない喫茶店のマスターのことを不意に想った。彼には記憶がないが、彼自身がその店の記憶であり年輪だった。

場所の記憶は大地への信頼だろう。私の記憶などどうでもよい。

覚書6

女がいたのだが彼女はなんという名前だったのか私はつくづく記憶の弱いからよく覚えていない。

ブラジルの豆を挽いたコーヒーを飲んで彼女は言ったのだ。あなたはだからだめなのですね。

あなたはだからだめなのですね。私は街を歩きながら一体なにがだめなのだろうと考えたのだがそれが分からないから、夜明かしの店に入っては安酒を煽って考えるのだけどそれでもよくわからない。

みんな私のわきをすり抜けていく。誰もが何かを見ているようで見ていないのは、きっと酒か女のことを考えているのだ。店の並びは木綿と麻の服を売りつけるのは夏が近いからだ。みんなスマートフォンを見ている。みんなスマートフォンの中の夢を見ながら、でも今の目の前もどうして夢じゃないのか誰が言えるだろう?

夢なのか夢じゃないのか、私がいま人間なのか人間じゃないのか、人間と獣は足の数が違うだけなのか、わたしはわたしなのか他人なのか、そもそもその疑問じたいが形にはならないのか、なんだかだんだんわからなくなると尻のあたりがむず痒くなり、考えたくなくても考えてしまうから私は私を麻痺させる必要を感じた。それで私はまた夜明かしに入って安酒を煽ったのだけど塩味がするだけでなんの染み込みもしなかった。

私はまだ酔わない。

「ニーチェは釈迦の真似事だよ」とにやにやしていたのは市場の爺いだ。

傷んだ魚を売りながらにやにやする爺いは先生のつもりなのか。僕がどこにも行けないと思っているのか。酒を煽る僕を愚弄することは許さない。私は獣であっても私は人間だと思っている。その私を愚弄することを許さない。許さないけどどうしようもない。

お節介はやめ給え!君は僕に説教をするつもりなのか。きみは私よりも偉いかも知れないが、私のことをなにも知らないじゃないか。私を救うつもりもないのにめったなことは言わないでくれ。私はもう分かっているんだ。私は分かっていないことを十分分かっているんだ。

おんながくるくる舞っている。随分きれいだが全部水の中だから見えるものは曖昧で、僕も女も窒息するんじゃないかと思うが案外生きている。女は僕のために舞っている。どうかそのまま舞っていてくれ。僕の酔いが覚めるまでせめて舞っていてくれ。どこにも行けないように見えても、僕もあなたも進んでいるのだ。だからどうか見放さないでくれ。その証拠に全部水の中でも僕たちは生きている。生きていることだけは信じても文句は言わるまい。狭隘なビルの谷間にあっても、僕たちの命は確からしいと言ってください。

私はまがいものの夢から覚めた。

夢から覚めても酒は残っているから、夢が本当なのかそうで無いのか区別はつかなかった。

三輪

よく三輪に参る。

細かいことはよく知らないし改めて調べることも何となく今は憚られるから書けない。

三輪の大神は大物主命と申し上げて大国主命の別名と伝わる。三輪の大神神社は本殿を持たない日本最古の神社にして山を直接奉る宮である。

三輪山の麓には磐座が多くある。岩に山の神が宿るのか岩そのものが神なのかよくわからないが岩を祀る。

三輪の山もとには金屋という土地がある。金属加工者の渡来人たちが住まいしたと思う。また海柘榴市という日本最古の市場がある。さまざまな人が往来した。出雲という土地も山もとにあり。出雲のはらからが住まいしたか。すぐ北には穴師兵主社あり。相撲の起源の地であり著名な渡来人たる秦氏の祖、弓月君ゆかりの古社なり。

なんとはなしに日本はさまざまな人々が入り乱れて国を作ってきたように思う。

奈良の都には中国、朝鮮はもとよりペルシャやインドから人が来ていたようだった。

破斯清道という奈良時代の官吏はペルシャ人だという説があるし奈良の大仏を開眼したのは菩提僊那というインド僧であった。

縄文時代の人々の交通は日本中に及び、各地の出土物は入り混じっている。

延喜式内社の中には八丈島の神社がある。上古の昔にどうやって人々は八丈島に渡ったのであろうか。

私はものを知らないし頭が悪いからきちんと話すを得ないが、どうも私には日本の昔はいわゆる「犬神家」みたいな閉鎖的な空間には思えぬ。

丹生川上神社上社の旧社地はダムの底だがそこには縄文中期の祭祀遺跡がある。宮の平遺跡と申す。奈良南部の深遠な山中にまで縄文人は入り込んでいた。何を思って古代に人々がこんな深山に入り込んだのか分からない。なにか外敵に追われてこんな山中にまで逃げたのであろうか。怨敵の残虐はよく人を奔らしむ。しかしよくここまで入ったものだと思う。外敵に追われたとか元の村の人口が増え過ぎて口減らしのため追われたとかいうには山の中が過ぎると私は思う。

十津川村には上古の昔からの社である玉置神社がある。べつに縄文遺跡が出たわけではないがそもそもこんな山の中になぜ極めて由緒の深い古社があるのかわからない。

なんだかよくわからぬが人は霊威を感じて動くこともあろう。姫路に広峰神社という社がある。牛頭天王を祀り元八坂を名乗る。吉備真備が遣唐使から帰る途中に広峰山に霊威を感じて社の創建を奏上した。

縄文の人々も霊威を感じて深山に入った気がしてならない。また交易で日本各地を移動していた。同時に種々の人々がさまざまな土地から日本の洲々に入った気がしてならぬ。

神仏の道に沿うことが何より大事であり、神仏の道に沿うたならば異なる風はむしろ淀みを清めることと思う。

偏狭、村八分、奇妙な実力競争主義、根性、つまらぬ血族主義などはいかにも日本古来の在り方ではあるまい。それらは日本人以外の諸民族においても有害な思想であろう。万民これを棄つべしと私は思う。

マーク・テーウェンなるオスロ大学の先生は2017年vol.45-2の「現代思想」に神道をテーマとして寄稿している。いわく「『神道』が根源的な『和』への回帰というユートピア的構造をまとって現れた」とある。テーウェン先生の言葉はその通りかもしれない。“日本人”はある種の危機を感じると、無形式で無教義ゆえに可塑性があり、しかしながら一定の儀式的定式は認める確かさもある神道にすがり、ユートピア的な思想を紡ぎ始めるのかも知れない。

そうだと思う。私もある種の理想を神道から紡ごうとしている。私は明らかに非論理的で直観的だ。

ことばにすると間違うことがある。人をことばで恣意的に動かすというのは深刻な誤謬である。人は動かすことはできない。騙して動かしたように思っても必ず穢れ誤つ。思想はしばしば過ちの素になる。人は各々の直観で動くこともある。ことばが相手の知らない部分に響いて、その人間の意識しない内に自然に変わることはある。人は変わる。人を変えることは絶対的に不可能である。

ことばにするなら直観にもとづいてなるべく率直に成したい。

空谷子しるす

若狭

麻酔科の研修が終わった。

当院の麻酔科医師たちは破格に優しいが、麻酔の緊張感にいよいよ耐え難かったから研修が無事に終わったのはありがたかった。人間は確かなことはひとつもない。自分が入れた薬の動向を片時も目が離せない。それは私が低能の医者だからかもしれないがそんなことはどうでもよい。麻酔科の医師たちやオペ場の看護師たちに大変守られて私の研修は終わった。

若狭彦神社の上社と下社は若狭国一宮である。

鯖街道沿いにあり、上古の昔から往来があった。若狭神宮寺の由緒によればワカサというのは朝鮮語のワカソ(往き来)から来ているという。若狭神宮寺には印度から来たと伝わる僧実忠がかつており、彼が今に伝わる東大寺修二会を始めたという。前にも述べたが越前敦賀の名の由来も新羅の王子に端を発する。若狭も越前も大陸との往来が盛んであった。

若狭彦神社には彦火火出見命を上社に、豊玉姫を下社に祀る。彦火火出見命は神武帝の祖父であり、宮崎や鹿児島に多く祀る。若狭彦神社を下って海側に行くと常神半島があり、そのあたりには日向という地名があちこち残る。そのあたりの人々は祖先が日向国から来たと伝わるとインターネットで記事を見たが本当かはしらん。

台風が近づいていると聞いたが風は柔らかく水は清らかであった。

若狭彦神社の二社は不思議に巨きく、剛毅でありながらどこか優しげである。

二社のさらに上流に若狭神宮寺と鵜の瀬がある。

鵜の瀬というのは東大寺修二会の際にお水送りをする淵である。淵が水中洞窟となっており東大寺若狭井の水に通じているという。

東大寺の創建に関わった僧良弁はこの鵜の瀬の集落下根来の出身なのだと知る。

鵜の瀬の水は澄んでいて淵が青い。流れる川の水を眺めながら私はなぜ自身に気分の浮沈があるのかなと思った。

ひとすじに夢中になることができないのは何故なのであろうか。

自分のことはいよいよ分からない。なにかが分かるというのは幻想にすぎんのかもしれぬ。私は自らの認知機能の低下を疑うほど茫漠としている。叢雲が十重二十重に棚引き、山の上に蒼穹が雲間から見える。

私はいよいよ祈る。

空谷子しるす