ほうちょうをもった女

6歳手前の娘と

娘:ほうちょうをもった男が電車にいたんだって
父:ねえ、こわいねえ
娘:ほうちょうをもった女が電車にいたらどうする?
父:うーん、こわいねえ
娘:そんなわけないじゃん、女の子は優しいもの。そんなことしないよ。
父:え〜そうかなあ、こわい女もいっぱいいるんじゃない?
娘:え〜、ももちゃん、変な人にはついていかないもん

消化器内科

消化器内科といえば緊急にて食道静脈瘤破裂や憩室出血が来る科であるが当院はゆるやかであるから時間外に研修医が呼ばれることはない。

研修医のやることは内視鏡の設置、移乗介助、鎮静剤の静脈路確保、生検介助、ルゴール液散布やインジゴカルミン散布介助、雑務であり、しかれどもやるべきことが明確なのは私にはありがたかった。

病態はどれをとっても分かりきることはない。わからぬものをわからぬでは話が進まぬからガイドラインを覚えて治療方針を立てよと言われる。私は私なりに必死を尽くすが、私の能力は至らぬからやりきるを得ぬ。

私は患者の方々とよく話す。彼らは寂しいのかしらぬがよく話してくれる。当院の周囲がのどやかな土地柄であることもあろう。

患者方と話す。神社に行って祈る。くたびれて眠る。相変わらず女からは相手にされぬ。いままで一度も相手にされたことが無い。このまま一生独身かとも思う。鏡を見て、おのれの醜さを思う。また神社に行って祈る。私には祈ることしかできぬ。

学生実習で神経内科を回ったときにさまざまな神経難病を拝見したのである。

若くして発症した場合、世間的に言う青春を諦めざるをえぬことが多くある。

チャプレンのごとき活動をする浄土真宗の僧侶が話してくれたことがあった。

「神経難病の若い男の子がね、お坊さん、あんたはいくら話しても僕の気持ちはわからないだろうと言うんですよ。だってお坊さんは学校も行って、仕事もして、結婚もしてるじゃない。僕はなんにもできないんだよ。お坊さんは僕の気持ちは絶対にわからないよ」

箕面の老師は言ったのである。

「司祭が一生独身なんは、いろんな都合で結婚できない人らの気持ちがわかるようにということもあるんちゃうかな」

私は神経難病患者のようにやむにやまれぬ事情もない。司祭のように自ら貞潔を誓ったのでもない。ただ女に厭われるのであって、それはある意味では最も惨めな立場なのかも知れぬ。

実用、実用の病院のことどもがうまくいかぬ。私は知能が足らず医者に向いておらぬと思う。しかし飯を食うためにやれる限りのことをやり、やりたくないことは極めてやりたくないと思う。

出町柳の柳月堂でケーキを食いコーヒを飲みながらこの文をものしている。

背後で女子大生がよい男をひっかける算段をしている。

私は現代日本社会から結果的に疎外されている。

日蓮のごとく正しいがゆえに世が逆らうと思うべきか。

もはや努めて楽しいことを探し求める時期に来ている。

空谷子しるす

ぴーかん

ぴーかん

最近よく聞くお経のフレーズを
寝床でおもむろに発してみた

隣の5歳娘がただちに反応する

ぴーかん?

やや遅れて2歳息子も身を乗り出して応じる

ぴーかん!?

二人の嬉々とした声色は新しい玩具を見つけたようだ
言葉は精神にとって玩具のように機能することもある
だじゃれ、連歌、ラップなど玩具性が際立つ

ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ

と言えば、谷川俊太郎の絵本だが、玩具そのものである

娘:ぴーかんってなに~?
父:・・・・ぴーかん、のんりき

娘、息子:ぴーかん!

素寒

はたらきつづける

5歳の娘と

娘:あした、おしごとなの?
父:うん、そうよ
娘:え〜、なんで?
父:う〜ん、だって、毎日働かないとお金もらえないものね
娘:はたらきつづけないといけないの?
父:うーん、そうね。ももちゃんは、今日だけご飯食べるの?毎日ご飯食べるの?
娘:毎日たべるよ
父:じゃあ、今日だけ幼稚園に行くの?それともこれからも行くの?
娘:これからもいくよ
父:ご飯を食べるのにも、幼稚園に行くのにもお金を払わないといけないものね
娘:じゃあ、幼稚園のバスにもお金をはらってるの?
父:払ってるよ
娘:ガーン!
娘:お金チョコ買わないと
父:え?
娘:お金チョコ知らないの?イオンで売ってるよ

素寒

一日

日野西光尊の「衆生ほんらい仏なり」を読んだり、関山慧玄禅師伝を読んだり、インターネットでゲーム実況動画を聞いたり、ある炎上した配信者を数年にわたり罵倒するスレッドを見たりしている。

苦しみとは日野西が言うように己の心が描き出すのみのものなのだろうか?

仏道にある人はしばしば、世の中のことはすべて自分の心が描き出したに過ぎず、無我になって暮らせばいきいきすると言うのだ。

さまざまな残忍な事件や病気や障害や迫害をうけて人は苦しむのだがそれらは自分の心の捉えようだと言うのだろうか。

幼稚園の時、私はオーストラリア人の神父が師であった。師は怒ったことは一度もない。真実やさしい人であった。

彼はなんらかの癌になり天理よろづ相談所病院にて帰天したのだったが、最後まで痛みにかかわらず微笑み病棟の患者や看護師に優しさを見せていたと言うのは病棟看護師の言葉だ。これは無我の人だったろうか。人が無我になるには神の御助けがなければ無理だと思う。

私は苦しいのである。腰が痛い。眠りが浅い。患者の管理がわからない。必死になって内視鏡を台に吊り下げる。医者になるには頭が悪すぎるように思う。

同期の研修医がたびたび研修の苦しみを訴える。私も苦しい。みなそれぞれに苦しい。

外に光が出てきた。雨は落ち着いてきたのだ。

私は神社に詣でようか考える。しかしこのあと、研修医と昼間から室の内で酒を飲む約束をしている。遠出はしがたい。

床の間に神社の御札を置いて神棚としている。毎日塩と水と米を上げる。手をあわすと心が落ち着くようだが、別に頭が急に良くなったり体の疲れや腰の痛みが取れるわけではない。伊勢の神宮を心に描き、拝殿の前に平伏して額着く想像を描く。「成る」と言われているような気がする。なんだか物事がうまく行く気がするが、苦しみは苦しみのままである。

無我になってひたすら人のために生きるとよいと日野西は言う。人のため人のためというと潰れはしないか。大学の救急の教授は自分が幸せでないと医療なんかできないと言っていた。

私自身が苦しいのに人の苦しみを聞くというのは救いがない。いまは酒はいらない。眠りたい。

空谷子しるす

ぼちぼち

就寝時、5歳娘と

母:今日忙しかった?
父:ぼちぼちやなあ
娘:ぼちぼちってどういうこと?
父:まあまあってことかなあ
娘:まあまあってどういうこと?
父:うーん・・・ママァ!ってことや
娘:違うでしょ!
父:うーん。6割くらいってことかなあ
娘:6割ってどういうこと?
父:10あったら6くらいってことかなあ
娘:それってどういうこと?
父:うーん・・・
父:どないでっかって聞かれたら、ぼちぼちでんなって答えるねん
言ってごらん、ぼちぼちでんなって
娘:ぼちぼちでんな
父:ちゃうちゃう、ぼちぼちでんな、や。
娘:言ってるでしょ〜
父:いや発音がちゃうねん。ぼちぼちでんな、や。言ってごらん。
娘:ぼちぼちでんな。
父:ちゃう。ぼちぼちでんな、や。
娘:ぼちぼちでんな
父:そういうことや

素寒

こころのかぜ

帰宅後、5歳の娘と

娘:ダニアレルギーってどういうこと?
父:あ-・・・アレルギーかぁ
父:例えば、パン食ったら、ももちゃん、ぶつぶつでてくる?
娘:でないよ
父:中にはパン食ってぶつぶつでちゃう人がおるんよ。そしたら、その人は、パンにアレルギーをもってる、っていうねん。ほんで、ダニアレルギーは、ダニのうんことかにアレルギーをもっちゃうわけや
娘:じゃあ、ももちゃんはパン食べてもいいの?
父:いいよ。ももちゃんはパンにアレルギーないもん。
娘:ふーん。じゃあ、こころが風邪をひくってどういうこと?
父:うーん、心と体があるやん?
娘:うん。
父:心がくしゃみしたり咳したりすることかなあ
娘:ふーん。ももちゃん、こころ好きだよ。
父:あー、それ焼き鳥な。
娘:うん。

素寒

患者さんのことなど5

その人は指導医の外来に来ていた人であって、大動脈弁置換後にワルファリンを服用していたのであったがINRが伸びすぎたのであった。あと何故かよくわからない低ナトリウム血症があった。そして今回の入院原因は肺炎なのであった。

肺炎は抗菌薬によりただちに軽快した。

低ナトリウムも正体不明ながら持ち直した。

INRもだんだん調整できてきた。

しかしながら、この人は、4年前から全身が痛むらしいのだ。すでに膠原病内科にも受診済みだ。CEAとMMP-3が高値である以外は全て陰性だ。上部内視鏡、下部内視鏡、全身CTも異常はない。頭部MRIでも脳炎のような所見はない。本人は全身が痛いというが苦悶の表情はない。そもそも仮面様顔貌というのか、表情自体が乏しい。筋剛直もない。四肢に把握痛もない。Xpでも骨折はなさそうだ。かつて脊柱に圧迫骨折の歴があり、いくつか派手に潰れてはいるが、それは4年前よりもっと前の話だ。

病床を尋ねると決まったことを言う。

「しんどさはかわらないね。」

痛みに対してNSAIDsやトラムセットを用いたが何の効果もなさそうだ。最終的に線維筋痛症も疑ってアメリカリウマチ学会の予備診断基準に従いスコアをつけた。合計で33点になり、診断基準は満たしそうであった。

サインバルタを用いたらすこし飯を食べるようになった。

飯の摂取は日に日によくなったが、本人は変わらないようだった。「かわらないね」を無表情で言うだけだ。「全身が痛い」

それでも飯を食うようになったのは嬉しく思ったものだ。そうは言っても治療方針を組み立てるのは私ではなく全て指導医な訳で、私はなにもしていないから、私がどうこう悩むのはどうでもよいことだった。しかしそれでも私なりにあれこれ考えて、苦しむ患者の前に行き、自らの無能にさいなまれていたのは事実であった。

私は阿保である。

悩まぬことを悩む一人相撲をして、くたびれ果ててロクに勉強もしない。

私は何をやっているのかと思いながら毎日病棟に向かう。

私より賢い研修医なら彼を救うかあるいは指導医とうまく連携できるのだと思う。

患者は退院していった。最終的に飯は10割食べていた。

そして数日後、CPAとなって救急に運ばれてきて、そのまま逝ってしまった。

救急隊は誤嚥で窒息したのが原因かと言った。車の中で残渣がかなり吸引できたらしい。しかし救急外来ではあまり引けなかった。自己心拍は戻ったが、翌日明朝またCPAになって逝った。

彼が運ばれてきたとき、私は半休を取って病院にいなかったから、翌日に彼の亡くなったのを知ったのであった。この病院は研修医を休日に呼び出すことは無い。

空谷子しるす

循環器

ある研修医は言った。

「気にしすぎなんだよ。『すみません』で流していけばいいじゃない」

またある研修医は言った。

「できるようになったことに目を向けた方が楽しいですよ」

循環器は6,7月の2か月だった。

指導医にひたすら金魚の糞をするという状態であって、カルテのことや採血、カテーテル治療のシース組みなどを教わった。教わったのであったが、物分かりの悪い私は何度も同じしくじりをした。

私は相変わらず病棟に行って患者方の話を聞く。

驚くべきことに、この6,7月は「ふつうの心不全」や「ふつうの不整脈」は来ず、私が見たのは正体不明の重症肺炎、正体不明の全身疼痛と低ナトリウム、プロテインS欠乏症などであった。

私は無能感にかられる。

私はたしかに疲れている。

来月からの消化器内科はより大変らしいから、これは仕方ないことである。

空谷子しるす