覚書7

携帯電話に下書き保存されているテキストを読んでみると、ちっとも記憶にないことばかり書かれている。

私が書いたのか私のために誰かが書いてくれたのか、わからないが日付をみると何年も前に保存されているようで、ということは私は何年かしてようやく何やら書かれていることに気づいたことになる。

とても頭が冴えている日は、私は私が忘れていることを忘れていたことに気づいている。忘れている日はもうただ忘れているのだろう。

私は下書き保存されているテキストを一つずつノートに書き写していった。書かれたものの手つきはさまざまで、私が書いたようにもみえるがそうでないようにもみえるし見当がつかない、ただそれを写してみると私は確かに書いたに違いない!と思えたり、やはり気のせいかもしれないと思えたり、それをさっきもやったかもしれないと冴えている私は薄々気づいており、ページを戻ると同じテキストを3回ほど写したところであった。

テキストに私はと書いている私は、酒を飲むとデリヘルを呼んだ。彼は彼女を迎え入れて、ただ話を聞いていた。彼女は看護師になりたいという。目が明るくて、躊躇いがない。私はお札を何枚か取り出して彼女に手渡す。ある人はB型肝炎だという。彼女も看護師になりたいという。虚な目をしていた。舌は少しもつれている。私は話を聞いていた。お酒を飲んでいるといつのまにか90分が経っている。ベルがなり、私はお札を何枚か取り出し彼女に手渡す。指名するかしないかで金額がかわる。ランキングもありNo1だとそれなりの料金になる。私は、という私はNo1を指名してみる。

No1は確かにスタイルが良いとか器量が良いとか、そういうことでNo1ということには納得がゆく。私はしかしお酒を飲んでおり、彼女と90分何を話したのかほとんど、というかまったく覚えていない。話だけして帰ったことはあるのかと聞いたかもしれない。ただそういうこともあると言ったかそういうことは初めてだと答えたかは今の私にはわからない。

彼は何をしたかったのだろうか。彼女に触れないということをしたかったのだろうか。触れないという特別なことをしたかったのだろうか。彼は何を買ったのだろうか。金を捨てる行為を買ったのだろうか。

呼んだのに、眠ってしまったこともある。朝気づいたら何件も着信が入っていた。看護師を目指している彼女だった。それから会うことはもうなかった。

別の人を呼んだときは、酔ってはいたが部屋を開けることはできた。マッサージをしてあげようと酩酊状態でなければ言わないようなことを言い彼女の背中を指圧しているうちに眠気に勝てずにすぐ眠ってしまったらしい。私は財布を放り出し取って行ってくださいと告げた。彼女は最初から笑顔一つ見せず、ただ金を回収し去って行った。怯えたような目をしていた。

私はそれから数ヶ月後のテキストでは、百万遍を歩いている。交差点で信号待ちをしているフランス人のような女性の尻を一生懸命眺めていた。信号が青になれば私はフランス人の尻を追いかけた。貪るように私は尻を追いかけていた。途中で彼女が銀行に入れば私は前を歩きながら、後ろの尻を追いかけていた。尾行も前からするのだから、お尻だって前から追いかけることがあっていい。私は後ろのお尻を追いかけながら背中のリュックが重いので喫茶店に入りたいと思っていた。

交差点を過ぎたところに一軒、喫茶店があったが入ろうとすると、店員が近づいてきて、学生か否かと問うのでわからないと言えば怪しまれるだろうから、学生ではない、と私は言った。彼は申し訳なさそうに、このカフエは学生限定なんです、すみませんとそそくさと言った。こんなにすいてるのに学生限定にしているのはどういうわけかわからなかったが、限定ではしようがない。

店をあとにして、よたよたと歩いているとまたフランス人の尻が後ろから現れた。私はそれを一生懸命、そう見えないように追いかけた。

大学のキャンパスには銀杏の実がぱらぱらと落ち始めていた。やがてこの道は異臭が立ち込めることになるだろう。少し肌寒くなってきた。いつも通ったような道だった。

学生の頃によく立ち寄った古書店に入ってみると、当時は気にもとめてなかっただろう本が目に入ってくる。古書店巡りの醍醐味は絶版本との出会いにあるかもしれない。テキストの私は時間に追い立てられているようで、平積みの本まで物色する時間もないまま、『精神分裂病』という今は絶版になっている書籍を1000円で購入し店を出た。

地元の精神医学教室の教授は、「統合失調症というのはよくない」と学生向けの講義の中で言った。黒板に丸を描いて、それに斜線を引いてみせた。このように風船が裂けるように精神が分裂してしまうのが分裂病なのだという。ブロイラーの言った分裂病は精神の分裂ではなく、連合弛緩のように連想が分裂するということで分裂というのは単に統辞法の問題を指摘しているに過ぎないと聞いたことがあったが、そのようなことを指摘する学生もなく彼は「分裂病は治らないですね」と続けた。私は治癒した例を一例しか経験したことがない、と臆面もなくのたまっていた。

かれこれ18年くらい前に住んでいたキャンパス前のアパートは今でも外観はほぼ当時のままのように見えた。暗証番号の入力が必要な玄関の前にぼうっと立ち尽くしていると中から人が出てきた。不審者と思われないように私は慌ててアパートを離れたが、アパートから出てきた男性も私と同じほうへ歩いてくる。車道を横断し、私は何食わぬ顔で男性の前を歩いていた。私が行きたい方角とは反対になってしまったが今更方向転換して不審に思われてもいけないと思いそのまま私は歩き続けた。やがて男性は私を追い越してコンビニへ入って行った。なにやらATMの操作をしているようだった。ぷりぷりとしたお尻の男性だった。だからどうというわけではないが。私は一生懸命お尻を見ていたに違いない。

男性がコンビニに入って機械に気を取られているうちに私はそっと踵を返した。

街路に彼岸花が咲き始めた。コオロギやスズムシも鳴き始めている。大学には当たり前のように常に学生がいて、同じような風景が20年近く変わらず続いていたのだろうか。石垣のカフェはとうの昔に撤去されたようだったが。

秘密基地への憧れは常にある。秘密のアジト、アジールである。木や石でできた頼りない階段を昇り、暖簾をかき分けて入る暗く小さな部屋といえるかどうかわからないが小さなひと区画に、いつもいるような人がいて、ただ10年経とうが20年経とうが昨日のことのように迎え入れてくれる、そういう人たちや場所はどこにあるだろうか。

私の一日と持たない記憶が鮮明なうちに、鮮明と思っているうちにも薄れているだろう不確かなものをそのまま残して、書き留めているうちに、記憶を持たない喫茶店のマスターのことを不意に想った。彼には記憶がないが、彼自身がその店の記憶であり年輪だった。

場所の記憶は大地への信頼だろう。私の記憶などどうでもよい。

覚書6

女がいたのだが彼女はなんという名前だったのか私はつくづく記憶の弱いからよく覚えていない。

ブラジルの豆を挽いたコーヒーを飲んで彼女は言ったのだ。あなたはだからだめなのですね。

あなたはだからだめなのですね。私は街を歩きながら一体なにがだめなのだろうと考えたのだがそれが分からないから、夜明かしの店に入っては安酒を煽って考えるのだけどそれでもよくわからない。

みんな私のわきをすり抜けていく。誰もが何かを見ているようで見ていないのは、きっと酒か女のことを考えているのだ。店の並びは木綿と麻の服を売りつけるのは夏が近いからだ。みんなスマートフォンを見ている。みんなスマートフォンの中の夢を見ながら、でも今の目の前もどうして夢じゃないのか誰が言えるだろう?

夢なのか夢じゃないのか、私がいま人間なのか人間じゃないのか、人間と獣は足の数が違うだけなのか、わたしはわたしなのか他人なのか、そもそもその疑問じたいが形にはならないのか、なんだかだんだんわからなくなると尻のあたりがむず痒くなり、考えたくなくても考えてしまうから私は私を麻痺させる必要を感じた。それで私はまた夜明かしに入って安酒を煽ったのだけど塩味がするだけでなんの染み込みもしなかった。

私はまだ酔わない。

「ニーチェは釈迦の真似事だよ」とにやにやしていたのは市場の爺いだ。

傷んだ魚を売りながらにやにやする爺いは先生のつもりなのか。僕がどこにも行けないと思っているのか。酒を煽る僕を愚弄することは許さない。私は獣であっても私は人間だと思っている。その私を愚弄することを許さない。許さないけどどうしようもない。

お節介はやめ給え!君は僕に説教をするつもりなのか。きみは私よりも偉いかも知れないが、私のことをなにも知らないじゃないか。私を救うつもりもないのにめったなことは言わないでくれ。私はもう分かっているんだ。私は分かっていないことを十分分かっているんだ。

おんながくるくる舞っている。随分きれいだが全部水の中だから見えるものは曖昧で、僕も女も窒息するんじゃないかと思うが案外生きている。女は僕のために舞っている。どうかそのまま舞っていてくれ。僕の酔いが覚めるまでせめて舞っていてくれ。どこにも行けないように見えても、僕もあなたも進んでいるのだ。だからどうか見放さないでくれ。その証拠に全部水の中でも僕たちは生きている。生きていることだけは信じても文句は言わるまい。狭隘なビルの谷間にあっても、僕たちの命は確からしいと言ってください。

私はまがいものの夢から覚めた。

夢から覚めても酒は残っているから、夢が本当なのかそうで無いのか区別はつかなかった。

覚書5

早朝の車内で人々は同様に物憂げに揺れていた。
草が風で揺れるように電車の揺れに揺らされていた。

恰幅の良い中年男は、熱心にTwitterを検閲していた。
もりかけさくらをどれだけ説明してもまだ説明を求める連中に何を言っても同じだ。
そう書き込むと、こぜわしくその他の記事のチェックを再開した。

座席では制服の小学生が、帽子をのせた頭を上下にしながら眠りこけていた。
ドアの右側の猫背の小男は、せっせとスマホゲームに耽っていた。
小男はシャツをズボンに入れ、どうも中学生か高校生のようだった。
痩せた小男の埋没はある緊張を周囲に伝えていた。

車掌は駅が近づくと半身を乗り出し、外を確認していた。
帽子の下の目は眠たげに細められていた。
列車が速度を落とすにつれ、いよいよ閉眼し、駅に着くと物憂げに開眼し仕事を再開した。

私は、シモーヌが眼球を舐め回し、眼球に見立てた卵に尿を引っ掛けようとしている場面を想像していた。

ある駅で、座席の小学生はふいに立ち上がり、ドアに向かった。
車内に入り込む乗客たちと逆流しながら、降り遅れまいとドアに近づいた。しかし、彼は降りずにドア近くで立ち止まり人々を困惑させた。

シモーヌはマルセルを想い、浮かんだ卵の上に小便をひっかけていた。

終点に近づき、ますます車内は混雑を深めた。
ドア近くの小男は傍若無人にゲームに埋没していた。
小男にとってゲームのために必要なスペースを確保することが小男に唯一必要なことであった。
やがて小男の突き出す前腕は乗り入れる乗客の干渉することとなり、人々は乗車のために小男の前腕を避けなければならなかった。老人は避けることなく彼の前腕と衝突した。
老人は罵りながら突き進み、彼の前腕を跳ね返した。若い小男は虫のような鳴きながら老人の手を払い返した。
老人もまた奇声をあげながら小男をドアの外へと押し返し、小競り合いとなった。
後から入った若者が器用に両腕を間に挟み込み仲裁を図った。
覚醒した車掌も様子を伺いに来たが、役には立たなかった。
小男も老人も声にならぬうめき声を発し、電車の揺れに身を任せた。
私も含めたその他の乗客は何一つ表情を変えずに、黙って見ていた。

やがて終点に到着し、小男を含めた乗客は物憂げに走り去った。

覚書4

扉を開けると虚な眼のあなたがいた。小さな白いテーブルにはグラスに注がれた赤ワイン、ノートパソコン。酔っていたのでしょう。顔が少し赤らんでいる。

私は一つ仕事を終えたところで、身体には異物の感触がまだ残っていた。洗い流してもそれは消えない。

私を注文する人がいる。お陰様で店内ではNo.1、指名料もそこそこ。

運転手は無口で助かっている。前の運転手はおしゃべりで、何も話したくない気分でもおかまいなしに話しかけてくる人だった。彼なりに気を遣ってくれているつもりらしかったがそれが妙に恩着せがましく厚かましく、気遣いというより下衆の勘繰り。

書いても覚えてないでしょう。あなたはすぐ忘れてしまう。読んだことも読みながら。だから読んでいるそのときのあなたのために。

私はこの仕事を始めてから切るのをやめた。傷つけることをしたいのは何故だか忘れた。上書きしたいことばかりというのは嘘。でも思い出さないために何度でも上塗りしていく。

あなたは何もしなかった。ただ椅子に座りワインを飲み、私の話を聞いていた。

聞き終わるとあなたは私にお礼をいい一万円札を4、5枚渡して玄関まで送ってくれた。指一本触れられなかった。

雨が降っていて、車内に流れる水滴を追ってみていた。恋でもないし愛でもないし友情でもないし、憐れみでもない、と願う。ただそれだけのことで、たまにいる客のひとり。

あなたはいま、靴を履き違えて子供に怒られている。

もう一度、そう履き直せばいいと諭されている。私はあなたにとってなんでもなくあなたも私にとってなんでもないが、なんでもない関係が続いていることが、しあわせです。

初夏、木漏れ日のなかであなたは空を仰ぎ見て忘れたことも忘れて思い出そうとしたことも忘れて、私が隣にいることも忘れて、ただ忘れ続けて、たまに私のことを見て、唇が赤いねと初めてのことのように何度もいう。

シャワーを浴びて滑りけをとる。汚れるためにまたとる。

あなたが呼んでくれた日は、シャワーも浴びずただ座っていた。ワインを傾けながら、話を聞いてくれていた。

私は悪い男でねとあなたは言った。笑みを籠らせて。後ろのカーテンが少し開いていて、雨音が聞こえてくる。

扉を開けた途端に押し倒すとか、殴りかかるとか、お尻を剥き出して思い切り引っ叩くとか、服を全部脱がすとか、そういうのは悪い男ではなくて、普通の男だった。

普通の悪い男だよ、とあなたは言った。飲み過ぎてゲロ塗れになってみな忘れてしまう。

綺麗だよとも、好きだよとも、愛してるよとも、嘘でもあなたは何も言わない。

言わなくていい。もう何も言わなくていい。

あなたは右の靴を履いて、また脱いで履いて脱いで履いてしている。神妙な面持ちで。

諦めたのか、靴をすっかり脱いでしまい、そばの木におしっこを引っ掛けて芝生に横たわった。蟻が何度か顔の上を横切った。あなたは微動だにしなかった。雲の行方を眺めているようだった。晴れていて少し眩しそうにしていた。次第に日は傾き、夜になった。あなたは股間を掻きむしっていて、起きているのか寝ているのかもはやわからなくなった。夜が明けて私はまた空っぽになる。

プレ・トラウマティック・オーダー

大学時代に所属していた部活の学生達から相談があると声をかけられた。

部を離れて10年ほどが経過する。
私は平素大学との接点がない。
学生達は大学にいる年配のOBに相談していた。
学年的にもっと自分達に近くて話しやすいOBはいないか。
かくして、私が名指された。

大会に出るためにOBから寄付を得たいがそれをいかんせん。
私は彼らのために酒の場をもうけた。
現役の主将と、次期主将と、引退した学生OBがやってきた。
私は事前に、OBを動かすための文章を準備するようお願いしていた。

大会に出たいが、コロナ禍で収入が減ったという
コロナ禍以前は、OBが集う機会があり、当然それは集金の機会でもあった。
加えて、このコロナ禍のため、大会中の宿泊先が限定されることとなった
これまでのように安宿を自分達で探すことができない。
つまり、コロナ禍で収入は減ったが支出は増えるという。
従って、OBの寄付金もこれまで以上に必要となる。

文章には、そのあたりの経緯が書かれていた。
しかし、そこにはある別の意図についてもたっぷりと文量が割かれていた。

曰く、「大会へ参加するための費用を自らの足で集めるというのは道理かもしれませんが、 ご寄付集めを含め、部に関する様々な部員の負担を積みに積み重ねた結果、部員の減少・部 の衰退に繋がっていると考えます。そのような負担を少しでも減らしたい」
直接挨拶に訪れて集金するという慣習は部の衰退の原因であるらしい。

これはいらない。
コロナ禍で収入は減ったが支出は増えた。
それは事実だ。
しかし、部の衰退については、解釈でしかない。
その解釈に納得しないOBからは金を引き出せない。
なにせ、会いに行くのは面倒だから挨拶に行かないが金はくれ、というわけなのだから、それなりの反発は予想されそうだ。

あろうことか、現役の主将と学生OBが泣き出した。
「これをわかってくれないOB達って一体なんなんですか、もう絶望します」と。
この数年、部員数が著しく減っており、あたかも衰退の一途をたどるようだった
彼らは諸々の重圧に耐えながら、やめていく部員を尻目にみながら、細々と部を維持していた。
私はそのことを多とした。
しかし、寄付金をいつもより集めるには目的の腑分けをしなければならない。

主に学生OBが中心となり「もうそのようなトラウマの被害者を作りたくない。そのためにはどう改革ができるか。向こう10年間後輩がトラウマを」と論陣を張った。大会は2ヶ月後に迫っているというに、10年間のトラウマ防止計画を「今こそ大改革を」と銘打って意気揚々となっていた。
一方で私は、繰り返し、目的を明確にした方がよいと説いた。
OBの行動をどう変えたいのか、
トラウマをわかってもらいたいのか
お金をもらいたいのか

両者を同時に達成できない場合、どちらを優先するのか
それを冷静に考えてみたまえ
トラウマをわかってもらえれば、お金は引き出せなくてもよいのか。
つまり、大会に出なくてよいのか。

何のために何をしたいのかね。
それだけのために4時間費やした。
トラウマを生き抜いた学生OBと現役主将によると、10年間のトラウマ防止計画という大改革は悲願のようであった。
結果的に、私は彼らの抽象性と無邪気さを開始直後にほとんど一撃で粉砕したようだ。
学生OBに至ってはほとんど終始泣いていたと言ってよい
私はここまで努力してきたのに、と泣き喚き
新入部員には一緒に楽しもう、というだけでなく起こりうる辛いことを事前に全て説明して、トラウマの被害者となることを防ぎなさいよ、と次期主将に迫っていた。

現主将は学生OBのトラウマ論に引っ張られていた。
次期主将は具体的なことを具体的に計画していく冷静さを持ち合わせていた。

私は主将と次期主将に告げた。
次相談が必要なら、2人できなさい。
泣きじゃくっていた学生OBには、君はもう来なくていいと。
私は中枢の自立を促した。

それが引き金となったようである。
翌々日のことである。
午前中に私は外来をしていた。
そこへ外線がつながった。
(学生OBの)親と名乗る人が先生と話したいとおっしゃってますが、と交換は言う。
その母親と名乗る女性は、私のことをインターネットで調べて勤務先を知り、電話してきたという。
あの日の翌日、数年おさまっていた娘の希死念慮が再燃している、一体娘とどんな話をしたのかと。今晩、私たち(両親)と会ってもらえないかと。

私は危うくハラスメントの権化となりえた。

トラウマが汎化し常にそれに先回りして対処しようとする現代の生のありようと、そのようなトラウマによる失調を前提として社会を駆動するようになった現代文明をプレ・トラウマティック・オーダーと言うらしい(上尾真道「プレ・トラウマティック・オーダー」. In 田中雅一他編『トラウマを生きる』京都大学出版会, 2018)

若者との付き合い方を考え直さなければならない。
公共性と、それがもたらすリスク。
私はもう昭和の遺物になってしまったのだろうか。

覚書3

 今日は何もしていないと思う 思うか思うたけてあろう というのは もう今にも何もおほえていないようなのたから

 メールの文字を見るとこう書かれている。想像するに、私の持っている携帯電話は下の文字を打つパネルが外れており、濁音や半濁音や句読点が容易には打てないようになっている、それで打つのが面倒になったのだろう。それを打っている彼は、おそらく私は、携帯電話をメモ帳代わりにでも使っているようだった。

仮にやまたさんとてもよふへき人は言った たてますか はい すこいてすね はい 歩けますか はい すこいてすね

私はしまんけに歩いた かのしょにとひついてひっくりさせようとおもったか おもいのほかちからかはいらす ふらついて 数歩ていきかあかった 横のまとのそとのは あおそら 木のえた こともの頃 古い図書館てトイレの前のまとのそとからえたかのひ リスか えたを伝って 図書館のまとへへ入りこんてきていたことかあった それをおもいたした わたしはしょうへんをしなから まとのそとの あおそらを なかめていた ししゅうしつてかっこうのしゅくたいをしていたたろうか エアコンかきかす 常に蒸し暑く したしきてからたをあおいたり Tシャツの襟をはたはたさせたり机の足に足を押し当てたりしていた

たれもかれも私からはなれていくのか はしめから私ひとりたったのかもすてにわからない 部屋にひとり 気ついたら夜て 気ついたら朝て 気ついたら昼て 気ついたらたれもおらす まとの外をみると晴れているようたから 外にててみる てんしゃに乗る 駅の名前かわからないから たたたた乗って 乗った駅まて帰り降りようかと思い それも忘れたらしく 知らない駅て降りる 知らないと言っても知っていたかもしれないし おもいたすかもしれないか とにかく今はしらない駅て 降りる 

きっふはとうしたのかと問われる カートはあるのかと問われる わからないと言うと 30分もわからないと言っていたのかしらないか お金を払わせることを諦めたのか横から通してくれる

人か 駅前のすくらんふるこうさてんやほとうきょうやかいたんやひろはに あふれている

肩をむきたしにした筋肉質の男か白い女の肩に手を回して歩いていたり せいふくすかたの中高生か ともたちとうしか わらいなから歩いていたり 少しよたよたしなからろうしんか 杖をついて しめんに向き合いなから 歩いていたり ひろはて スケートホートというのか 薄い板をけとはしてあそんているひとたちかいたり 喫茶店てお茶をのんている あるいは 何かへんきょうてもしていたりパソコンをにらみつけたりしている人たちかいたり 私は河原にてて よこならひのさきをみて 川のなかれをみて 人の横切るのをみて 何か忘れたことも忘れていた 携帯に忘れていることいかいはメモと写真をのこした

(2022/05/29)

覚書2

 名前は忘れてしまったが、仮に山田さんとしておこう。その山田さんさんは私の手を引いて歩いていた。振り返り大丈夫?と言った。私は頷いた。しかし何度も躓いた。躓くたびに山田さんは振り向いて立ち止まった。そして私は頷いた。

 高いビルに挟まれた細い路地だった。ビルの隙間から雲が流れいく。手前では次々車が横切っている。座るところもないので、私たちは立ったまま休憩をした。だいぶ歩けるようになったと山田さんは言った。

 二足歩行になる前は私は四つ足で這っていたものだ。私は顔を上げるのもつらくてずっと地面を見ていた。砂利道よりも芝生が良い。雨の日よりも晴天が良い。土のにおいが好きだった。蟻が私の腕を時折間違えて登ってくる。そして間違えたことにも気がつかなかったかのようにいずれ同じ腕や別の腕から降りてくる、そして私よりも速く進んでいく。腕が疲れると、私は仰向けになり空を見上げた。子供たちがボールで遊んでいる声や音楽に合わせて踊りを踊っているらしい声が聞こえた。

 男が視界を遮った。私は体力を節約するために姿勢を変えず男が話し始めるのを待った。四つ足歩行は問題だという趣旨のことをどうやら言っていたらしい。私は話を長引かせないために、同意しますよという態度を示すつもりで微笑んだ。非難がましい目つきには慣れていた。そして男の助言の前には何もないことが明白だった。

 彼女を仮に山田さんと呼ぶとしよう。私が5日か1週間か、2週間か、横たわっていると、大丈夫ですか、としゃがみ込んで尋ねた。寒くもないし、暑くもないし、季節はいつだろうか。5月でも10月でもよいだろう。彼女が心配したのは寒さや暑さのことではなかったし、少なくとも私はそのような感覚に煩わされることなく横たわっていた。私は彼女の心配には同意いたしかねた。無為に見放され疲労を覚えた。これ以上の質問に晒されるくらいであれば、この場を彼女に明け渡そうと観念した。

 記憶違いがなければ、というよりほとんど記憶違いかもしれないが、私は四つ足をやめて二足歩行を始めた。逆だったかもしれないが大した問題ではないだろう。私は犬のように排泄すると汚れが少ないことを心得ていたので直立や座って用を足すことに戸惑いを覚えた。それでも慣れてくると最初からこうしていたような気がしてくるもので不便に感じていた頃の記憶も次第に薄れていく。

 しかし彼女は人の条件を満たすためにはもう少しうまくやらなければならないとでも言いたげだった。少し褒めてから、たとえば立ち上がる前に紙でお尻を拭くともっと上手にできるかもしれないとか、手を洗うときは石鹸をつけるとよいかもしれないとか、段階的に次の課題を提示することであるべき姿へ近づけようとしていた。私はどこまでも協力するわけにもいかないと思った。いずれにせよもうすぐ私の記憶は途絶えまた一からやり直しになるだろう。彼女は笑顔がいつも少し曇っていた。レポートの締め切りが迫っているのかもしれない。それでも申し訳ないがじゅうぶんに協力することはできなかった。

覚書1

覚書1
 足の裏に忘れるなと書かれているマジックの文字をシャワーで洗い落としながら、忘れてしまったことを思い出そうとしていた。必死ではない、というのも私はその頃には忘れたことも忘れているのだから。左足を洗い、右足を洗い、左足を洗い、右足を洗い、左足を洗い、左足を洗い、左足を洗い、右足を洗い、右足を洗い、左足を洗い、左足を洗ったかもしれない。そしてまた左足を洗い、左足を洗い、右足を洗い、右足を洗い、右足を洗い、右足を洗ったかもしれない。 

 私は仕事の一つを思い出した気がして外へ出た。「どうして靴を履いてないの」と問う子供がおり、私はまた靴を探しにいくはめになった。 

 十分くらいだったか、二時間くらいだったか、車窓から田園風景が続いた。電車の子供がどうして靴を履いていないのかと問うた。どうせまた忘れたのだろう。私は彼に微笑みかけ、忘れてしまったんだと答えただろうか、それとも失くしたんだと答えただろうか、だから探しにいくのだと。 

 車窓には黒いスーツを着た男ののっぺりとした顔が映し出されていた。ネクタイはしていない。シャツも襟が乱れている。靴は履いていない。髭は生えていただろうか。今は、生えている。私は、と言ってよければ、私は河岸の芝に座り込んで、じゃらじゃらとした水の擦れる音を茫然と聞いていただろう。ある女性は目を見開いて川とは反対方向に電話を掲げて口の端を持ち上げていた。もう一人の女性は長い柄をつけて、より高く電話を持ち上げていた。光が粒となり川面を弾いているようだった。 

 もし仮に、と私は、と言ってよければ、私は、考える。私が会社員であるとすれば、どうだろうか、私はそれなりに優秀な会社員で、会社のために何かしらの成果を上げていた。書類を仕上げたり、会社員達の前で会社のためになるような何かしらのプロジェクトについてプレゼンをしたり、仲のそれなりに良い同僚や上司と米の汁を啜り合ったり、そうしているうちにある人と結婚して、子供が産まれたりした。 

 水面は次第に赤く滲んでいく。遠くで竹林の葉の擦れ合う音がする。私は鞄から書類を取り出し、確認するというより思い出すために、一字一句を読み上げる。企画書の類だろうか。それはこう述べる、夜明けを知るためには、夜を知らねばならないだろうか、そのためにはもう一度夜を知らねばならないだろうか、忘れる前に忘れるために、手を触れる必要があるだろうか、というのもそうでなければ忘れたことを私は思い出したふりさえもできなくなるだろう。第一に、手順を決めることである。もし私が、こう言ってよければ私が、靴下や靴を履き忘れるとすれば、それは特別なことではないのだ、それがあなたにとって初めてだとしてもそれはもう何度繰り返されたことか、私はと言ってよければ、私は、ただ、それを知らないだけであると知ることである。第二に、手順をその都度決めることである。常に決めることである。あなたが仕事を忘れたとしてもそれは大したことではない、もうずっとそうである、あなたはもうずっとそうである。たとえば、金木犀の香りがした、それがあなたの家の玄関に植えられており、借家となった今でもそれはそこにあるだろう。春になれば、青黒い毛虫がつくのだ。子供は気をつけよと祖母の声がするだろう。マニュアル式の軽自動車で君は学校の裏門まで送り届けられる。サッカーボールとサッカーシューズを持って、君は駆けていく。早く終われば良いと思った。運動は楽しいものではない。もちろんいつもではないが、練習の繰り返しは退屈で試合はひどく体を酷使する。 

 ひぐらしの時雨れる山をその子供が親とその兄弟と従兄弟と登っている。傘をさしている。山の喫茶店は薄明かりで照らされ、打ちつける雨音と静かなBGMが流れていただろうか。子供はグラスの水滴をなぞり、照明を反射する氷の表面を話を聞くともなしに聞きながら眺めていた。それは光の粒が彼を眺めているのだった。何度でも繰り返す。彼は何度も忘れている、忘れたことにも気づかずに、世紀の発見をしたと目を輝かしている、それは正しい、彼は確かに発見した、その都度忘れ、その都度新しい発見をした。君が覚えていようがいまいが、どうでもいい。 

 竹林の中には線路が横切っている。君は線路の前に立ち尽くしている。子供が駆けてくる。彼は私の前を通り過ぎてゆき、笑顔で振り返り、また前を向いて全速力で駆けてゆく。