英彦山

英彦山は大分の山にして修験の霊場である。

私は引越し、行政手続き、古巣の病院への挨拶回り、彼女を私の親に引き合わせたりして、枯れた。実家、新しい居住地、近江湖東をなんども車で往復し、引越しは赤帽の気さくなオッチャンを手伝って荷物を運んだ。

疲れが高まると体が駄目だと言い始める。

私はしばらく停止した。貴重な予定を停止して不義理を行った。

そうする内に体が動くようになったので、私は英彦山に参ることに決めた。

英彦山は古くからの修験の山であり正勝吾勝勝速日命を祀る。

小倉から日田彦山線に乗る。香春岳の一の峰がセメント採取により消滅している。香春岳もまた古くからの信仰の山である。人の営みは山を削る。

添田駅に着いたら代行バスに乗る。日田彦山線は災害のために中途で断線し、この夏から鉄路に代わってBRTになるのだ。

彦山駅からは交通手段が絶無に近い。

駅から山に向かって歩く。アスファルトを歩くと車がつぎつぎと私を避ける。歩道の無い道を歩く。春の空はおだやかで日が暖かい。遠くに見えるのが英彦山だ。桜の白色が山のあちこちに見える。

旧参道に入ると一気に石段の道になり、一段一段を超えていく。山に登るのは、私の場合はどうしても山に助けてもらわねば登れるものではない。ハアハアと肩で息をしながらそれでも足が前に進むのは、山の神の許しがなければできることではない。参道にはミツマタの花が咲きこぼれている。淡く黄色い花がたくさんこぼれているのはとても可愛らしい。

ながながと伸びた斜度のきつい石段を超えきれば英彦山神宮の朱色の巨きな社殿だ。山は水が湧き、風がやわらかで空が近い。

私は祈った。いろいろなことを祈った。素朴な人の願いはただちに叶わないが、しかし祈ることで人の思惑と全然関係なく良いものとなりうる。人の望む形と同じではないが良いものとなりうる。

私は感謝してお山を去る。

遠足のこどもらがキャッキャとはしゃいでいる。

桜が咲いて里に山の神が降りて来ている。

今年もつつがなくありますように。

空谷子しるす

星田

星田神社と星田妙見宮は大阪は交野の土地にある古社であり、饒速日命を祀る社である。

初期研修が修了した。個人的にはできることは全てやった。一人でルンバールができるようになった。他にもいろいろとできるようになった。できないままのことも多く残った。

星田妙見宮は小高い丘の上にある。その丘は馬蹄型にえぐれた谷がある。これは隕石が墜落した跡なのだ。弘仁7年、弘法大師が交野の獅子窟にて修行の折、北斗七星にわかに三つにわかれ地上に降った。ひとつは今の降星山光林寺のあたり、ひとつは星の森、そして最後がこの妙見宮の丘に墜落して爆散した。

星田の名が示す通りこの土地は空と関わりがある。

天皇の一族に先駆けて高天原から降りたのは饒速日命である。彼は巨大な乗り物である天磐舟に乗って、生駒山麓北端の哮が峰に降り立った。その岩は今も磐舟神社とて大切に祀られている。その磐舟神社のあたりから流れる川が天野川といい、この星田の地を潤して淀川に合流している。

天野川というからには七夕の伝承もあって、

星田妙見宮は織女、天野川を挟んで対岸の天田神社には牽牛を祀るという。星田妙見宮の山頂には巨岩があり、これを織女石(たなばたせき)と言う。

この星田の地は他の土地と同じくとても古い。祖先のまた祖先から延々と人が暮らしてきた土地である。

人はどこから来てどこへ行くのか知らない。

春日大社の元宮司の葉室頼昭氏は、自らがむなしうなったら神霊の仲間入りをし、人々の助けとなることを思っていた。

私も自分がそうなればいいなと思う。

空谷子しるす

会うて

彼女の家族に会うた。

朝、家を出る前にfm cocoloを聴いていたら、安室奈美恵のheroがながれ、僕は自分が冴えなかった平成時代が大嫌いだから、アムラーのシノラーの言うていた時代にいいことがなかったから、すこし気色が悪くなった。

そのあとに爆風スランプのランナーが流れた。

ランナーは大好きな曲だからすこし気色がよくなった。たとえ小さく弱い太陽だとしても、のフレーズがとくに好きだ。

このラジオはおれに合わせて曲選んだるんかいなと、自他の境界があいまいな僕はなんとなく気をよくした。じっさいはDJがマラソン大会に出るので、heroもランナーもそれをはげますリクエストだったのだ。

今日は晴れた。伊吹山がきれいだ。

Googleマップが、琵琶湖線が架線点検で遅れていることを警告した。

よりによってなんでこんな日に点検しよんねんとまた気色がわるくなった。あさめしもひるめしもまだだった。コンビニでにぎりめしを買ったがレジ袋をもらうのを忘れ、めしをくってもゴミ袋がないやんけと思い絶望した。彼女の家にいくのに、かばんに握り飯のつつんだフィルムをつっこんで、見つかったらどないすんねんと思った。

結局にぎりめしは食った。フィルムはかばんのなかの目立たないところにおしこんだ。

家族にお会いし、駅まで彼女に見送られ、

帰りの電車でYouTubeのてきとうな動画を流したら、動画がかわって森山直太朗の御徒町ブルースがながれた。

高校のころに大好きだった歌だ。

茨木駅を電車が通過する。だんだん夕日が傾いてくる。

そうだ、おれは森山直太朗の歌が好きだったんだ。むかし森山直太朗の青い空に気球がとんでいるベスト盤ばっかり聴いていたことを思い出した。

僕のスマホはそのまま森山直太朗の歌を流し続けた。

電車は滋賀県にむかって走り続けた。

空谷子しるす

とても面倒な

京大に出す書類をとりあえず出し、臨床研修修了証や健康診断書の発行を待ち、

まだなおも、大学から指定された外勤先への書類や、コロナにまつわる誓約書、結婚相談所の契約破棄の書類、

さまざまなことがあってそれはとても面倒なことだ。

いまから彼女の家にあいさつにいく。

それは面倒というより気の使うことだ。

おとついパンペリの緊急オペに入った。

たまたま麻酔科の先生とめしを食べていたら、連絡が麻酔科の先生に入った。

私は興味本位でついていき、手伝いと称してうろちょろしていた。

ほんとうに私は迷惑かけたのだと思うが、まずいい経験だった。とくになにかを学んだわけではないが(ホットラインの組み方やケタフォールがわりとイケているトレンド麻酔なことを教わった)、いい経験だった。

いい経験だったがつくづく4月からやっていく体力に自信がない。でもやっていくだけしかない。

ヒマラヤを見に行きたい。3月末は休みをとったが、冬のネパールは大変だろう。

ヒマラヤのかわりになにを見に行こうかと思う。なにも見に行かないかもしれない。金もかかるから。

2週間皮膚科を回った。来週から2度目の脳外科を回る。

初期研修最後は脳外科である。

空谷子しるす

大量出血

先日膀胱全摘のopeで3800 mL出血した。

はじめは血圧が落ちてきて心拍数があがったのだった。血圧を維持できなくなった私は上級医を呼んだのだが上級医はすでに当該ope含め4件を並列しており、べつのopeでSBPが60という手の離せない事態になっており、彼は電話でCVにふたつつないだボルベンを全開しネオシネジンなどで持ち堪えてくれと指示した。

出血が3000を超えたとき、私はもっとさわぐべきだった。

私は、「これは術野を洗う生理食塩水のぶんを計上しているだけではないか?」と思い、致命的な出血とは考えなかった。なぜそう思ったのか?私は大量出血を認めたくなかったのだろうか。私はさらなる電話を上級医にかけなかった。彼は忙しいから呼べないと思ったのだ。

ボルベン全開でもエフェドリンもネオシネジンも反応しなくなった。

私は輸血のオーダーを自己判断でしたことがない。そもそも恐ろしいことに、輸血が必要だと判断できていなかった。

結局はその場にべつの上級医が来てくれて、さまざまに組み立てて事なきを得た。そうしている間に、もともとの上級医がきてくれて、さらに残りを組み立ててくれた。

もともとの上級医に「先生は言われたとおりにしてくれたから落ち度はない」と言われた。しかしきっと、他施設の研修医ならこんな場合でも自分で処理できる知識と経験があるだろう。自院でもほかの研修医ならもっとうまくやっただろうことを思うと、私はまた気色が悪くなった。

人とくらべることが習い性になっている。いい年をしているのだから、自分の能力をただしく評価して人と比べることをするなと兄に以前叱られた。これからますます責任と能力を問われることになって、たしかに他人と比べて落ち込むような無駄な不利益はならないことだ。

外科の先生が控え室におり、駆けつけてきてくれた方の上級医と私に言った。

「止まらない出血はあるけど、終わらないオペは無い」

私と上級医は笑った。上級医はアドレナリンで昂奮したいきいきした笑いで、私は水分のぬけた乾いた笑いだ。

世の中の事象のことごとくが私の無能と無価値を証明していく気がする。なにかが思ったとおりにいったことは、今までの人生で国語の試験だけはわりと思い通りにいった。ひとつでも思い通りにいくならいいのかもしれない。

苦しいときにはなにも考えたくなく、音楽を聞きたいと思う。しかしほとんど全ての音楽は優れた人や普通のくらしをする人の共感を呼ぶように思われる。聞いていても駄目な自分と乖離するような気しかせず、気はまぎれない。

それで江利チエミの「串本節」の、軽快で現代的なリズムを耳に流しながら私は電車に乗った。

京都に借りる部屋を見に行くのだが近江八幡の畑からは雪が溶けて、青々した麦の葉が伸びてきている。

「はだしのゲン最強ランク」で常に最強者の座をほしいままにするのは麦だ。麦は原爆にも克つからである。冬から春にかけて青々したみずみずしい葉を伸ばしていくのがとても美しい。「はだしのゲン最強ランク」は示唆に富んでおり、さまざまな馬鹿げたことがあってもぶち壊しにせんばかりの勢いをゲンが有していたことは私たちを勇気づけてくれる。

さいきん「じゃりン子チエ」を読んでいる。5巻「大阪カブの会ポリ公が来たらはいビスコの巻」のチエの祖母のセリフはすばらしい。

「人間一番悪いのは腹がへるのと寒いゆうことですわ 長いこと生きてますとな ほんまに死にたいちゅうことが何回かありますのや そうゆう時メシも食べんともの考えるとロクなこと想像しまへんのや ノイローゼちゅうやつになるんですわ おまけにさむ〜〜い部屋に一人でいてみなはれ ひもじい…寒い……もう死にたい これですわ いややったら食べなはれ ひもじい 寒い 死にたい 不幸はこの順番で来ますのや」

これは真実だ。

世の中の一部の人間は、自分の無能を証明する事件が発生すると申し訳なくて飯を食いたくなくなる。そうするともう死ぬしかない気がしてくる。追い詰められて飯を食えなくなるとほんとうに死んでしまう。

夏より冬のほうが死にたくなる。冬が好きというのは恵まれた人間のことばである。雪がいたく降り、水道は凍り、いてもたってもいられぬ寒さが肝をえぐるのが冬である。死にたくなる寒さが本当の寒さである。

めしと暖かさは大切なものだ。医療職というのは殺伐としたもので、死んだの死なないの、せん妄で暴れるの外来患者が暴言を吐くの、さまざまな事件が他職種と同じく発生するものだ。だからめしと暖かさは他の人と同じように医療職にも大事だ。

万人はめしを食べて暖かくしなければならぬ。そんな大切なことすら人間の多くは忘れてしまったり、あるいはどうしようもなく手に入れられなかったりする。

神の国はほど遠い。

空谷子しるす

言い訳

私の父はひどい父だった。

幼少のころからひたすら愚痴と宗教の話を一方的にし、聞かなければ怒り狂った。事実母は昔から何度も家を飛び出したし、兄は大学のころに家出してそのままずいぶん長いこと帰ってこなかった。

中学高校のころは父の愚痴を聞く仕事みたいなもので、夜中の2時まで延々と話を聞く日々が多かった。学校では医者の息子どもから勉強もスポーツもできないので見下され、馬鹿にされ、いないのも同然の扱いであった。廊下を歩いていたら押しのけられるのが普通だった。積極的に物理的な害は与えられなかったけれども、学校中から人間扱いはされていなかった。

父は怒ると手がつけられない。物をこわし、怒鳴り、出ていけといい、それで母と父はほぼ毎日のように喚きちらしていた。というのは商売が祖父や叔父のために破綻して我々は路頭に迷おうとしていたからだ。そうでなくとも父もまた不幸な育てられ方をして、精神的にまったく大人とは言いがたい人間だったのに、いよいよ餓え死にが目の前に迫ってくれば苛立つのはしかたなかった。

父は毎晩、借金におびえる祖父の話を聞き、そして私に愚痴を話した。

なぜ父を小さいころネグレクトししかも大人になってからは野村證券を無理にやめさせて(会社に祖父が直接乗り込んでわめきちらしたのだ。私の家系はものぐるいが多い)家業を手伝わせ、しかもあらゆる商売をうまくいったと思ったら長男の叔父の手に任せ、叔父はパチンコギャンブル狂いというのに、月々の払いのたびに店の金を持ち出した穴をうめるために父は寝ずにデイトレードしたのに、家業の店もとうとうつぶしたのに、祖父が勝手に我々の家に侵入し、ハンコを持ち出して我々の家に抵当権をつけたのに、

なぜ父は祖父が毎晩電話で呼び出して、借金がこわいの銀行がこわいのという話をさせられに祖父の家に行くのか、

なぜその話を毎晩私にするのか、

理解はできない。

虐待をうけた子が親から離れるのは難しいということだろうか。

今もって私の愚昧な頭では私の家のよくわからないことどもを整理できないのがとてもくやしい。

私はいまでも有能きわまりない研修医どもを見るたびに、私が青年期に多少とも安定した成長が得られていたならば、もう少しまともな知能と人生が得られていたのではないかと疑う。

彼らが着実な人生を美しい伴侶に支えられて歩む姿を見れば、ただ人の話を聞くだけ、ひたすら聞くだけの私は虚しくなる。私も自分のことを伴侶に気にかけてもらい、支えてほしい。しかしそれは無理な願いだと思う。私は人の話を聞いて、聞くしか能のない人間なのだ。私は面白い話はできず、知能は低く、体は脆弱で、性格は捻じ曲がっている。

私が毎晩父の話を、本当に毎晩聞き続けた経験など文章にすれば一行である。なぜなら同じ話しかしなかったし、すべて覚えていたら私の愚昧な頭はもうとっくに潰れていただろうから、あまり多くを覚えていない。だから書いたら一行だ。しかしそんな無意味な作業でも、もし私が父の話を聞き続けなければ、私の家はとっくに悲劇的に霧散していただろう。その苦行を私は小学生のころからしていたのだ。それが20年以上続いたことを思えば、私がいかに父を怒らさぬよう気を遣い続け、あげくにようやく自分の人生が多少ともはじまるかと思われた医学部入学後、解剖実習のはじまるまえのある朝に頓死されたとあっては、神だけは私の怒りや怨みやさまざまな感情は理解して当然だしそうあらねばならぬ。

もしその上で私をこれからもなお人から侮蔑されつづけねばならぬ立場に置くとしたら、私は理不尽に苦しむあらゆる人と同じように、神と全ての人間を恨む筋合いがある。

私はつくづく家族というものが呪わしい場合があることを知っている。その呪わしさを知るから家族が大事なことを知っているのだ。祖父も祖母も叔父も父もあらゆる係累が邪悪で、しかも邪悪になるには仕方ない理由があることを知る人間は世の中に少ない。しかし何を言って自分の虚栄心をなぐさめようが、私が事実無能なことには変わりない。だがそれは自己責任論でかたがつくような、生優しい世界ではなかったのだ。

このようなつまらない発作を、私の無能が露呈するたびに喚くのは本当に進歩のないことだ。しかし生きるためにはしかたがない。

空谷子しるす

麻酔科2

その人はfTURに来た患者であった。前回も同じ腎結石で来院して、その時は尿管が細くてカメラが通らずステントだけ置いて終わりになっていた。

つまり最近に全身麻酔をかけた記録があったので、その通りにやればよいということだ。

いつものように薬液を注射器に吸って準備していた私は、唐突に指導医からこの患者の麻酔を全部自分ひとりでやってみよと言われた。

それは本当は喜ぶべきことなのだろう。全ての研修医は喜ぶだろう。認められてうれしいとか、自分なりにやれてうれしいとか、経験ができてうれしいとか思うだろう。

しかし私は驚懼した。

手順も何もわからなくなり、あわてふためき、酸素飽和度の機械を患者の指につけようとして混乱して、男性看護師に手渡した。その看護師は私を見下したように鼻で笑った。私はああまただと思った。私はいつでも馬鹿にされる。やるべきことがわからず、要領を得ず、学習せず、人に迷惑をかけて馬鹿にされる。

一年目や同期の研修医なら全てうまくやれただろう。

私は男性看護師に軽侮されたと思った。それで過去の古傷をえぐられたように怒りを感じた。

気道確保はラリンジアルマスクであった。私の準備が遅れたためゼリーを塗ろうとしたときに看護師にマスクを持ち去られていた。挿管前に申し出てゼリーを塗り直す失態を演じる。

ラリンジアルマスクはうまく入らなかった。咽頭後壁に先があたりそり返ったのだ。左の人差し指を入れてもマスクの先端にとどかず、そり返りを修正できない。結局指導医が入れた。

とてもみっともないと思う。自分の無能のために恥をかいたと思う。しかし良い経験をしたと思うこともできる。

私はつまらない人間である。

空谷子しるす

喉頭けいれん

抜管した患者が喉頭けいれんを起こして再挿管になった。

私は2回目の麻酔科を回っている。上行結腸切除と肝部分切除の症例であった。165cm、85kgであって巨きな男である。挿管はうまく入った。AラインとCVはうまく入らず、上級医が交代した。

10時間を超える手術だった。術野では外科志望の1年目が始終カメラ持ちをしており、極めて役に立っていた。私は自分が1年目に劣ることに情けなく感じた。

手術が終わって抜管という段になり、上級医が呼吸数や覚醒度合いなどを確かめ、口腔内吸引した上で、私に抜管を任せてくれた。私は呼びかけながら管を抜きマスクをあてた。

しかしSpO2が下がるのだ。私はやんわりとマスク換気を始めたがなかなか入らない。経口エアウェイを入れよと言われ、入れてからマスク換気したが空気がやはり入らない。

SpO2は34まで下がった。

上級医はマックグラスで再挿管を試み、なんとか成功した。どうやら声門が完全に閉じていたらしい。らしいというのは、私はちゃんとマックグラスの映像を見ていなかったのだ。邪魔をするのが恐ろしくてやや後ろにいた。

私は何もできなかった。1年目の研修医は始終適切に動いていた。

私はこの事件から声門閉鎖しているときには強めに陽圧をかけ続けたらいつか気道が通ることを教えられた。

私は私の能力が低いことを改めて思う。1年目や同期の研修医は私のことをいてもいなくても大差ない人間と扱っている。無理もない。

私は厚かましく生きていく。

空谷子しるす

忘れられた日本人

大晦日には私の家の近くに提灯が出る。

というのは各集落の入り口に提灯をふたつ建てるので、この町に住んで22年ほどになるがいまだにその訳は知らない。提灯には「御神燈」と書いてあり村の名前が書いてある。これは何かの神社を目指したものか、あるいは年神を集落に迎えるためなのか、別の理由があるのかわからない。

私たちは足元のことをよく知らない国民である。

柳田國男が「この書を外国に在る人々に呈す」と遠野物語に記したのは100年前になる。それから順調に日本人は自分たちを意図的に、あるいは無意識に忘れてきたのだった。

むろん血筋や郷土が私たちの全てではない。むしろそれらよりなお重要なものがあるだろう。それは一切の誤解を恐れずに言えば神であり真実である。神と申して、なになにの宗教に金を納めねばならんとか、これこれの宗教は歴史上かつて教義のために虐殺や略奪をしたとか、いまだに犯罪が絶えないとか、そんな「具体的」の「神」は偽物である。しかしカトリック、仏道、神道、それらが各々訴えるところの内奥の真実はおそらく多にして一であり異なる。

そうした真実を目指すときに私たちの足元がしっかりしていなければどこにも行けない。具体的なことは具体的になされなければならない。私たちは日々に嘆きながらも目を開いて歩くことを要求されている。目を開いてつらい世の中を具体的に歩くためには真実が必要だし、真実はどれほど人間が理知的に否定しても存在する。真実というものは私たちがそれを意図的に道具に「する」ことはできるが、本質的に道具ではない。旧約聖書にあるように神の名は「私は在る」という名なのだ。真実は私たちの意図とは全く無関係にただ存在している。ちょうど未発見の物理法則が私たちの認識と関係なく存在するのと同じように。

宮本常一の「忘れられた日本人」を読んでいる。この本は地域の診療所の所長に勧められた。診療所の所長はかつて愛媛の山中に長らく赴任していた。なかなか動かない行政と渡り合い、住人と睦み、医療を行った。具体的なことを具体的に行おうとした人間である。その彼が宮本常一の「土佐源氏」を読むことを私に勧めた。理由はわからない。

人間は卑しい。田舎の人間には田舎の強烈な卑しさがある。都会に憧れる人の気持ちはよくわかる。東京にはきっとそんな卑しさは無いだろう。それは東京のいいところではないかと思う。卑しさは無くなるほうがよい。

しかし私たちは根無草になってはならない。目の前の足元を見なければ現実に自分も人も損なうだろう。東京の良くないところは根無草なところではないかと疑う。根無草というのは具体的なことを見失った状態である。人間の人間的な部分だけを愛することは具体的ではない。人間の卑しさだけを求めることは具体的ではない。文学も詩もそうだ。真実を目指さず、人間の卑しさだけを賛美するようならそれらは世の中に売れても何の価値も無いばかりか大勢の人を惑わす大罪を犯す。惑わしておきながら勝手に滅びて、あとは知らないと惑わされた人々を放り投げるのだ。私は小さいころから文学も詩も好む。しかしある話がある。私はそれを全て信じるとは言わないがある程度は真実性はある。その話というのはこうだ。パードレ・ピオというカトリックの聖人がいた。彼のところに人が尋ねて、その人はある小説家の作品が大好きだった。それで訪問者は、ピオ神父にその小説家がいまなにをしているか尋ねたのだ(その小説家は故人であった)。ピオ神父はわなわな震え、顔を紅潮させた。「ああ、彼はあまりに人間を愛し過ぎた!」と言った。

恐らく小説家は「人間」を愛しすぎたために煉獄に落ちていたのだろう。それでピオ神父はあわれな小説家のために悲しんだのだった。小説家は人間の人間的な部分を愛し過ぎたのだ。人間的な部分の多くは卑しい。あまり価値のないことだ。性交、暴力、濫りな酒食、勝負、そうしたものは「人間」が生きるには必要だが人間が救われるには節制すべきものである。「人間」的なものばかり見つめるのは具体的に生きているとは言わない。ただ欲望にまみれているだけだ。酒や賭博に溺れて自らの脳髄に麻酔をかけているのと同じではないか。人間の卑しさは具体的ではない。薬物にまどろむことを現実に生きていると誰も言わないのと同じように、人間の卑しさを描くことを具体的に生きているとは言わない。人間を描かざるを得ない小説家や詩人は、目指すべき軸がなければ卑しさにまみれる。全然具体的ではない。

具体的なことを具体的に。この言葉は箕面の神父から教わった。往々にして「まじめ」な宗教者(「まじめ」はくそまじめとは意味が違う)のほうが、在俗の人々よりはるかに具体的だ。抽象的と思われている神に祈ることは、きわめて具体的な行為だ。祈ること、日々のくらしをすること、食べること、飲むこと、家族とくらすこと、排泄すること、話すこと、全ての具体的なことはつながっているように思う。家族を見ず、めしも味わえず、安酒とうま酒の違いもわからず、化学物質のアルコール作用だけが酒と思い込み、生きることと大麻で酩酊することを混同しているかのような生き方は具体的とは思えぬ。

具体というのは必ずしも目に見える物体のことを意味しない。固定化された血筋や地域性は一見具体的に見えるがそれほど大事ではない。地縁、山や川の神々(キリスト教の神と日本語の神はもともと指す意味がある程度は異なると思う。それは単純な多神教と一神教の違いではないはずだがうまくは言えない。言葉にしたらその瞬間間違っている気もする)、家族、人々の内奥の軸(ただの「人々」ではない)を具体的に大切にすることが重要だ。私自身具体的なことを具体的にできているわけではない。私は自分の努力や自力が無い。だから祈り求める。

大晦日を越えて新年が来る。年神を迎えるということについての実感は私の中には無い。私もまた日本人のことを忘れているのかも知れない。年神という概念が日本のものか東アジアに普遍のものかは寡聞にして知らない。しかし具体的なことを具体的に学び、軸を祈り求めることはいつも重要だろう。

空谷子しるす

死に至る病

I先生に勧められてキルケゴールの死に至る病を読もうとしたのだが私にとってはあまりに難しくちっともわからなかった。

なんとなく

「すべてを可能にする神の可能性を信じぬことが絶望」
「みずからに課せられた十字架に従順でないことが罪」
という2点を論証しようとしているのかなと思った。合っているか間違っているかわからない。

自分に課せられた十字架に従順でないのはたしかに私のことだと思う。

私は自分がかしこいと思っている。しかし現実にはさまざまな人たちに劣っている。劣っていることがわかりながら、弱者の身振りをしながら、「おれはばかの振りをしているけど、実はいろいろわかっているのだ」とひがんでいる。

自分にできること、できないことを従順に受け止めること。それが十字架の従順ではないかと思う。不従順はキリスト教における罪だ。つまり自分を過度にいやしめるのも持ち上げるのもどちらも罪になる。

しかし自分の生のすがたを見つめたくなくて悶絶することも、自力では解決することは難しいように思う。

もしかしたら本来は自力で解決できるのかもしれない。自転車にどうしても乗れない、こわいと泣く子供が、なにかの拍子に乗れるようなもので、誰にも本来、生の自分を従順に見つめる力が備わっているのかもしれない。

生の自分を見つめることはとても恐ろしいことだ。

「自分はなにもできない」と言い放つより、「自分はこれくらいの人間だ」と認めることのほうが遥かに怖い。

死に至る病のほとんどの箇所は全然わからない。何度か読めばまた少し分かるだろうか。

神の全能性による可能性を信じることというのはこころよいことだ。

今の自分だけで全てを判断しなくてすむ。

空谷子しるす