死と花

死と花 

私たちは誕生と死の間で生きている
或はそう都合よく自らを納得させる
ほんとうは生まれると同時に死んでいる
一生涯の すべての永遠なる一瞬一瞬において
私たちは 日々誕生と死とを経験する花であろうとすべきだ
そして花としての生を生きるため
より多くの準備をする者であろうとすべきだ

だから私たちの生は限りあるゆえに
死とは より輝いた花を咲かせるための
友人であり助言者であると考えよ
あなたが永遠について理解し
死の幻想を求めること止めるようになるまでは
このことを考えるがよい
しかし あなたが最初の大いなる幻想を失うその以前には
このことを考えてはならない
それは"生 "という名の幻想である
このことを考えるためには幾度も死に
それを知るために 生きねばならぬからである

1974年12月5日,同タイトルのキース・ジャレットの詩を,翻訳した.Deep Lを使用した上で,筆者による修正を加えた.以下にオリジナルのライナーとして,他サイトに引用されていたものを引用しておく(筆者はこのアルバムを鳥取県米子市角盤町のTSUTAYAで借りた記憶がある.残念ながら購入はしていないため所有もしておらず,文章も,Webを頼らざるを得なかった.ついでに言えば昨今のストリーミングの隆盛で,音楽=楽音または動画コンテンツとなってしまったので,ライナーノーツの存在感はかなり希薄になったと感じている.歌詞も検索で分かってしまう.しかしSpotifyに対価を支払っているものとしては,出演者Personnelとアレンジャー,エンジニア,グラフィックのデザイナー,そして原盤のライナーノーツ!まではすぐに参照できるようになっていってほしい...それがレコードやCDを所有する愉しみのひとつであったのに・・・.ここではなくてSpotifyのカスタマーサービスにでも言うべきことと思うけれども.でも結局,少し調べたら分かってしまうので,Appleの方針のそれと同じで,シンプルがよいということかもしれない.なんでもかんでも書いて情報を盛ると,醜く見にくい絵面になってしまう.デザインとは難しい問題とおもいます.)

Death And The Flower
We live between birth and death
Or so we convince ourselves conveniently
When in truth we are being born and
We are dying simultaneously
Every eternal instant
Of our lives

We should try to be more
Like a flower
Which every day experiences its birth
And death
And who therefore is much more prepared
To live
The life of a flower

So think of Death as a friend and advisor
Who allows us to be born
And to bloom more radiantly
Because of our limits
On Earth

Think of this until you realise
Eternity
And cease to need
The illusion of Death

But do not do this
Before you lose the first great illusion:
The Illusion of Life

Because
To do this
You must die Many times
And live to
Know it

引用元:https://www.wikiwand.com/en/Death_and_the_Flower

Death and the Flower

死と隣り合わせに
生活をしている人には、
生死の問題よりも、
一輪の花の微笑みが身に沁みる

(太宰治『パンドラの匣』)

22,3の頃だったと思う。
2月のある日、私は鴨川を南へと走っていた。
Mozartのsymphonyだかpiano concertoを聞いていた。
ふと、西日に包まれたボケの赤が強烈に私を捉えた。
それは私の認識以前から土手の左手に正しく佇んでいた、に違いない。
その赤の美しさと私自身の無知がないまぜになり、忘我の中恍惚としていた。
しばらく動けぬまま世界と対峙したのち、
名も知らぬ美女に今までの非礼を詫びつつ辞去した。
以来、私の網膜に町中の花が飛び込んでくるようになった。
花がこちらに話しかけてくるようにすら感ぜられる。
勢い、こちらも話しかけてしまう。
今では親友の数は植物の方がずっと多い。

前後して、私は夢の中で首を落とされた。
小屋の中で私は椅子に座らされ、後ろ手に縛られていた。
何やら罪状を読み上げられながら、致し方がないと納得していた。
その後、首は切断された。
私は私の首が落ちる様を見ていた。
首は落ちて地面に着いた。
その瞬間、私は爽やかに覚醒した。
吉夢に違いないと確信しながら。

太宰の観察に科学的な根拠はなかろう。
私にしても、むろん実際に死んだわけではない。
しかし、夢の中で死んだその前後から、花と私が親密になったのは、紛れもない歴史的事実である。

他にも死と花に関する素朴な観察が歴史にはある。

野の百合は如何にして育つかを思へ、労せず、紡がざるなり。
されど我汝らに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その服装いこの花の一つにも如かざりき。
今日ありて明日、炉の投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。
さらば何を食らひ、何を飲み、なにを着んとて思ひ煩ふな。 

(新約聖書「マタイ伝」第六章)

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。

(『平家物語』第一巻「祇園精舎」)

ソロモン王、盛者はそれぞれ抽象と置換してよい。
抽象は見栄え良く耳に心地よい。
しかし、地に足がついていなければプラダのゴミ箱にすぎぬ。
美しい剃髪・僧衣は正覚のシニフィアンではない。
ゆえに、明恵は耳を切り落とした。

具体的なことを具体的に
やっていく他ない

私の恩師はかつて、繰り返し私に説いた。
地に足をつけて歩む他ない。
あらゆる病も死も、明日は、否今日は我が身である。
地に足がつけば、地に咲く花の美しさと儚さをもはや素通りすることなどできぬ。
西方でも上方でも彼岸でもない。我々の生は具体的なこの大地にある。
この大地という不自由の中でこそ、我々という花は咲いて散る。

P.S.
タイトルの”Death and the Flower”はKeith Jarrettのアルバムです。
どなたかどうしてKeithがこのようなタイトルをつけたかご存じの方がおられれば、どうぞ教えてください。邦訳の「生と死の幻想」というのでは納得がいきませぬ。

異界医療ことはじめ

気がつけば私は異界にさまよう様々な患者と関わっている。
私の自由意志によるものか、運命がそうさせるのか。
どうも私は異界のことがことの他気になるらしい。
ないし、異界が私を呼んでいるらしい。

子どもは、大人の常識的な世界とはまったく違う世界を持っている。
(中略)
昔、子どもは育ちにくかったこともあって、「七歳までは神のうち」と言われ、「あの世」に近い存在と考えられていた。しかしそれは昔だけのことではない。今も子どもは大人の常識的な日常の世界とは違う世界−これを「異界」と呼ぶことにする−に近い所に生きている。この世の常識とは違う世界での体験を踏まえて子どもは大人になっていく。言い換えると、大人になるということは、異界と距離をとっていくということになるかもしれない。
(岩宮恵子『生きにくい子どもたち』)

私がこのブログに子どもの言葉を記録するのは、異界での視力が高い子ども達の世界を仰ぎみたい一心からである。
振り返ってそう考えると得心がいく。
否、ただの親バカの一心からなのかもしれない、と謙虚になっておく。
子どもはかわいい(特に私の子どもが!)

岸本寛史は、子どもに限らずがん患者が体験する世界もまた異界であるとして、「がんを患うと、感覚が鋭敏化し、兆候空間が優位となり、見える風景が変化してくるのではないか」と問題定義し、夢や絵を用いた心理療法を提唱している(岸本寛史『がんと心理療法のこころみ 夢・語り・絵を通して』)。

統合失調症者はもとより異界の住人である。

異界とちゃんとした距離をとれるようになるためには、まず、しっかりとその世界に浸ることが大切である。
(中略)
異界との距離をどうとればいいかわからなくなり、現実と異界が混乱し、妄想ともいえる世界に陥ってしまうこともある。
(岩宮恵子『生きにくい子どもたち』)

私は気がつけばこれら異界の住人全てに関わるようになっていた。
いつのまにか小児の発達相談に関わるようになり、いつのまにか緩和ケア病棟で勤務するようになり、いつのまにか統合失調症者の訪問診療をしている。
全て、医師になった時点では予見できなかった。
摩訶不思議な縁の力が働いているようだ。

このような異界を歩き回る専門科は存在しない。
臓器を超えて、ライフステージをまたいで、ということになれば家庭医療が似た領域を有するかもしれない。そいう言えば、私は家庭医の専門医ということになっている。
しかし、家庭医は統合失調症者はみないだろう。発達相談を受けているといえど、初診から心理士と協働してその後のフォローまで全てするということはしないだろう。
多くの家庭医は、それは我々の専門ではないと臆面なく言ってのけるだろう。
専門のないのが我々の専門であると諧謔を言う彼らが!

元より専門性などどうでもよい。
専門性に拘泥して徒党を組むあさましさにはうんざりしている。
徒手空拳で事象そのものに向かう他ない。
異界医療、と名づけるのがよかろうか。
あらゆるライフステージをと謳うのではなく、あらゆる異界をと謳う。

りんぶんには異界が溢れている。
O氏すでに詳細な異人論考を世に出しているし、彼の描く人物はみな異人である。そもそも彼の偉大な父上は明らかな異人で、その薫陶を受けたO氏は異界語が母語らしい。
M氏の思弁的な言葉も異界語に違いない。おそらく異人なのだろう。
「こどものちから」はこどもが見る異界を切り取っている。
臨床文藝医学会は、臨床異界医学会と言い換えてもよかろう。
略語として収まりがよいのは臨床文藝医学会であるのだが。

まあよい。
岩宮は、大人になるとは異界と距離をとれることと言っている。
われわれは今後も異界と距離をとりあぐねた様々な人間と出会うであろう。
いっそ異界で遊ぶと不遜に表明してもよかろう。
距離、空間、あそび。全て同義である。
異界にかどわされ生じた緊張から距離をとりあそんで笑うほかない。
いずれにせよ明日はわが身である。
ふむ、今日ではなく明日だと?

われわれは同情をもたねばならない。しかし同情というものは、一人の人におこったことは万人におこりうるものであることを、本当に心のそこからわれわれが認めた場合に初めて真実なのである。その場合に初めて人は自分自身に対しても他人に対しても益あるものとなり得る。もしもある気狂い病院の医者が、自分は永遠にわたって聡明であるであろうし、自分にわりあてられた頭脳が人生において損傷をこうむるというがごときは断じてないように保証されている、という風に思いこむほどに愚鈍であるとすれば、彼はある意味においてはなるほど狂人たちより聡明であるでもあろうが、しかし同時に彼は彼らよりは一層愚鈍なのであり、彼が多くの人を癒すというようなことも、またないであろう。
(キルケゴール『不安の概念』1844)

光りうしないたる 眼うつろに
肢うしないたる 体担われて
診察台にどさりと載せられたる癩者よ、
私はあなたの前に首を垂れる。

あなたは黙っている。
かすかに微笑んでさえいる。
ああしかし、その沈黙は、微笑みは
長い戦いの後にかち得られたるものだ。

運命とすれすれに生きているあなたよ、
のがれようとて放さぬその鉄の手に
朝も昼も夜もつかまえられて、
十年、二十年と生きて来たあなたよ。

何故私たちでなくてあなたが?
あなたは代って下さったのだ、
代って人としてあらゆるものを奪われ、
地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。

許して下さい、癩者よ。
浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、
そこはかとなく神だの霊魂だのと
きこえよき言葉あやつる私たちを。

かく心に叫びて首たるれば、
あなたはただ黙っている。
そして傷ましくも歪められたる顔に、
かすかなる微笑みさえ浮かべている。

(神谷美恵子「癩者に」1943)

受診をやっつけて!

3歳息子と

父:明日受診してアルピニーをもらっておこう
息子:明日じしんあるの?
母:じ「ゅ」しん
息子:じしん?
父:じ「ゅ」しん
息子:じゅしんいやだ。お父さん明日じしんくるの?
父:地震はこないよ
息子:じゃあ、ひなんくんれんは?
父:ひなんくんれんってなに?
息子:にげるんだよ
父:何から逃げるの?
息子:じしんから
父:地震は嫌い?
息子:うん、きらい
父:避難訓練は?
息子:きらい。じしんも、じゅし「ん」もきらい。
   お父さん、明日じしんやっつけて
父:やっつけよっか。
息子:うん。じしんのかみなりやっつけて。

しばらくして

息子:じしん来たらみや(1歳)はどうするの?
父:みやも避難するよ
息子:じしん来たらみや(1歳)はどうするの?
父:みやも逃げるよ
息子:どうやって?はしるの?
父:お父さんが抱っこして逃げるよ
息子:Kちゃん(自分)とMちゃん(6歳姉)はどうするの?
父:みんなお父さんが抱っこするよ
息子:えっ。お母さんはどうするの?
父:抱っこするよ
息子:えっ!
   どうすんの、こうやってぴゅーって走るの?こうやって?

(1歳娘が起きて泣きだす)

精神科3

精神科はつくづく厭なところだ。患者の方々の話を聞くときの疲労感がすごい。しかも私は技術も知識も無く、勉強する気力も無く、ただ今この時を体験してなにがしかでも残ればそれでいいと思っている。それ以上に気張るのは私には不可能だ。自身の心身の容量では不可能だ。

私がいなくても病棟は続いていく。今日明るい彼らが明日は不機嫌になったり暴れたりめしを食わなくなったりする。自然と同じだが医療者はそうも言ってはおれず対応を迫られる。私は幸いだったのは指導医はガチガチの理論派ではなく、矛盾を知る人間だったことだ。人にはそれぞれいいところがある。そのいいところを見ていきたい。指導医は良い意味でよいかげんだったので私はこそこそ逃げ回るを得、結果的に生き延びた。

人間は善人であり悪人であるを地で行くのが精神科だったように思う。それは人間の自然だが、彼らはさまざまな理由でわがままなのでそれが余計顕著に見える。

ものごとが移りゆく。

エビデンスを重視する先生がいて、「私は不安だから勉強する」と言った。なにかしていないと不安で勉強するのだそうだ。

幼少のころおそらくASDであり、親から注意されることが多かった。学校では周囲から浮いて、「勝たねばならない」と思って勉強に打ち込んだ。それで医学部に来た。いまでもちゃんと臨床やれていると思わないから勉強を沢山する。

「そうしないとすぐに堕落するよ」と彼は言うのだ。

脳波の指導をしてくれると言ったが、私は脳波を読む努力をする体力が尽きていた。

「そんなものだよ。とりまぎれて読めないことはよくある。しかし医者はそうしてすぐダメになるから気をつけなさい」

天地神明にかけて私は私にできる最善は私なりに尽くしている。

「自分なりのやり方」ではなく優秀な人のやり方をまねろとひろゆき氏が動画で言っていた。でもできんものはできんから仕方がない。

私が祈らなければ到底前に進むことも生きることもできんのはそれだ。人のまねもできぬ、自力も乏しいとあれば祈るしかない。

それが正解かどうかは私が死んだ後に誰かが判断してくれたらいい。

空谷子しるす

椿

ああもう嫌だなあめんどくさいなあと精神科病院の控え室でひたすらサボり、スマホの動画やら坂口博信の新作ゲームfantasianばかりやっているのは自己嫌悪に陥るが潰れて死ぬよりマシだと開き直っている。

病棟の患者はめしを食べるようになったが別の患者に肝障害が出た。黄疸もないし腹部症状もない。薬剤性を疑う。患者の飲んでいる薬を調べる必要がある。しかし自分が必死こいて調べんでも指導医の方が自分より遥かに知識も技術もあるから、自分が切迫して調べんでも患者の安危に関わらんから適当にやってやれと思う。

私はバカにされても仕方ない生き方をしているがバカにされると腹を立てる。

椿大神社と書いて「つばきおおかみやしろ」と申すのは伊勢国一宮の古社である。松下幸之助や岸信介の崇敬も厚かった。そのうんぬんは別にして猿田彦大神の総本社であり、倭姫命が伊勢の神宮を建てたのと同じ時にこの社の創建にも関わったと聞く。詳しくはよく知らん。なにしろ鈴鹿の山中には磐座が散在していて、いつから信仰の土地だったのか誰も知る者がいないのだ。猿田彦大神とは何者だったのかは誰もわからない。もし明らかにしたければ日本のあちこちを掘り返して古いものを見つけるしかあるまい。

椿の炭は製鉄に用いたという。どうも若狭のほうにも椿という地名があって製鉄に関わる。鈴鹿というのもスズというのは金属のことを指すという見方もあるらしい。も少し北の員弁の方に行けば多度大社という古社があり、ここは製鉄の神様を祀る。鈴鹿というのは大昔は製鉄をやっていてだいぶ勢力があったのかもしれない。

椿大神社の境内には奥さんの天鈿女命を祀る椿岸神社があり。きれいでかわいらしい丹塗りの社だ。夫婦和合というのは一つの神秘だ。他人が家族になるのはとても不思議のことで、だからキリスト教でも結婚の秘蹟と言うのだろう。

精神科の外来には全般性不安障害になった妻を甘やかす夫とその家族、仕事に行くと嘘ばかりついて適当にバックれた上にトレカやソシャゲに浪費癖のある夫、仕事でいじめられて弱った彼女をヤバいヤバいと盛り上げていく彼氏、さまざまな男女が来る。

三界の火宅だ。世の中は一切がめんどうくさい。外来もめんどうくさければ病棟もめんどうくさい。病棟の患者たちはいろいろな人がいるがたしかに基本的にはわがままで、彼らの話を聞いて私が心を悩ますのは下らなく思える。

なんでもいいが一番の問題は私が楽しくないことだ。大乗にせよ小乗にせよ仏教的には他人に構うのが間違いの元なのだ。自分のことだけ考えておればよいのだ。自分が楽しければなんでもいいのだ。他人にちょっかい出すのは無駄だからだ。

しかし人は人に左右される。釈迦の理屈はわかるけど目の前に他人がいたら心が動かされる。それが困るから修行でもなんでもして不動心を養おうというのだ。そんなバカな話があるか。世の中に不動心なんかあるものか。そんなものは神様しか持っていない。私はバカなりにズルく生きるしかないのだ。

椿大神社はいいお宮だった。私もやっかいなことから離れて神仙の世界に生きたい。しかし他人に罵倒されながら自分のバカさに死ぬまでのたうち回るのが私なのだから、それなりに生きて最後激烈に苦しみ抜いた挙句に死ぬ。そうしたらもしかしたらなにがしか報われるかもしれん。

空谷子しるす

多賀

多賀大社は近江にあって伊奘諾命を祀る古社である。古事記に「伊耶那岐大神は、淡海の多賀に坐す」とあり、少なくとも古事記の頃から伊奘諾命をお祀りしている。

朝から着古したスクラブを洗濯に出しに病院に行くと循環器内科医とすれ違う。会釈すると彼もわずかに会釈し目を反らす。

医局秘書の女性は看護師と話している。私は以前自分はなぜモテないのかと秘書の女性に問い詰めたのですっかり嫌われてしまった。しかしどうしようもない時は周りにぶちまけるしかない。自分が潰れて死ぬよりましだ。

スクラブを洗濯かごに放り込むと妙にお多賀さんにお参りしたくなった。天気予報は雨だったのに空は徐々に晴れてきていた。もともと昨日は椿大神社が気にかかっていたが片道一時間半もかかるから無理だと思っていた。日頃からお世話になっているお多賀さんにお参りするのはとても適切に思えてきた。

多賀というのは不思議な土地である。

近隣の深い山の中に三本杉なる霊木あり、上古の昔伊奘諾命伊邪那美命の二柱はこの杉に降臨給いたのが多賀の宮の始まりという。多賀の山の中は深い。惟喬親王の都より逃げ給い、この多賀の山中に隠れ杣人に仏具を模した木椀をろくろもて作ったるが日本の木工のはじめだ。木地師というのは所謂木工職人のことで実に日本中の木地師は多賀山中の木地師の本拠地から印可をもらわねば商売する能わずと。大君が畑という地名は実に惟喬親王を讃えた地名ならん。なお政所とあるも惟喬親王のゆかりならん。政所に惟喬親王の墳墓あり。さらには政所は日本最古級の茶の木あり。樹齢三百年を数え、その味きわめて素朴ながら不可思議に複雑なり。政所茶は大津の中川誠盛堂にて販売せらる。

さて多賀三社参りとていつの頃から人の言うならん、多賀胡宮大瀧の三社もて三社参りと申すはいかにも滋賀県の観光誘致の方便なるべしと思い定めつれどもこれまた稀有なるご神縁の機会なれば本日いかにも晴天にて風涼しく、青竜山が私を誘うようだ。

胡宮神社は伊奘諾命伊邪那美命二柱をお祀りする古社にて創建の由緒不明ながら上古の昔より崇敬せらるるお宮なり。かの東大寺を勧進したる重源もまたこの胡宮神社にありし敏満寺に合力の依頼を書状にしたためてあり。青竜山背後にあり。標高三百三十三米なり。これ昔は神体山、すなわち山自体が御神体であったことと思う。その証拠に山頂には磐座と小さな池あり。この池かつてはこの磐座参拝の前に身を清めるのに用いられたと伝わる。この池のあるによって龍神の山に住まいたることが連想されたことから青竜山の名が付いたかと思う。磐座は社殿を必要とする以前の信仰のなごりだ。岩に神様が降りてくるという信仰だったかと思う。山の中の巌にて神様をおろがみ祀った。山そのものが聖地のなり、ふもとから山を拝むこととなったのが神体山の信仰と私は理解している。胡宮の信仰は大変古いことがわかる。また麓には石仏谷と申して古くは十二世紀ほどの時代からのあまたの石仏、あまたの墳墓あり。今なお発掘調査せらる。敏満寺は天台宗の大寺にてもともとの創建は飛鳥時代の敏達帝の御代になされた。以後拡大続け城郭を擁するようになったが十六世紀織田信長に焼討にせられて寺院ことごとく灰燼に帰す。焼け残った礎石のたぐいを古井戸に投げ込まれたのが、平成のいつごろかに掘り出して胡宮神社の境内に積み上げてあり。これを焼石の塚と申す。胡宮神社は多賀大社と同じ御祭神にて延命長寿の霊験あらたかなりとぞ。

さて多賀三社参りの最後は犬上川上流に御鎮座せらるる大瀧神社にて、きびしい巌を縫うような清流の傍らに坐すお宮なり。

これは犬上氏の祖先稲依別命にゆかりあり。御祭神は高龗神、闇龗神にて京都貴船の貴船神社と同じ御祭神にして水の神様なり。これは川の上流、水源地だからこうした神様をお祀りするのだと思い、「水の神」だったから後の世に水の神様である高龗神闇龗神を祀るとしたのだろうと思う。犬上氏は今の豊郷町に犬上神社あり、これは犬上氏の祖神稲依別命をお祀りする。なお稲依別命は日本武尊の王子なり。日本武尊は瀬田川の建部大社に祀られてあり。近江に日本武尊の足跡多い。そういえば伊奘諾命は琵琶湖を渡って大津の三尾神社に至った。長等山を目指して淡海を渡った。これは多賀の地から淡海を渡ったものか。近江には伊奘諾命の足跡も多い。三尾神社は全国に珍しい「兎」を神使とする宮である。

さて話を大瀧の宮に戻そう。

稲依別命、犬上の土地に至ってこの地を治めんとしたとき悪しき大蛇が犬上川に住まうと聞いた。これを討つため愛犬小石丸と共に探索に出たが中々大蛇見つからず。七日七夜過ぎて稲依別命疲れたものか寝入っていたら小石丸盛んに吠え始めて止むことがない。怒った稲依別命一刀抜き払って小石丸の首切り落としたら首は地に落ちずして飛んで薮の中に入り、薮に潜み居た大蛇が首に噛みついてこれを絶命せしむ。小石丸は主人を守るため盛んに吠えたのだ。稲依別命は愛犬の忠義に感じ、またその命失ったを悲しみ、愛犬をこの地に弔い松の木を植えた。これ犬胴松という。いつの世に枯れたか知らぬが大瀧神社道路挟んだ向かいに犬胴松の木の乾いたものが今でも祀られてあり。小石丸の首は大瀧神社の脇、巌を縫う急流を覗くような場所に祀られてあり。

さてさらに適当なことを書けば、敏満寺焼討の際に不動明王を救出したのは佐々木隼人庄宰相と申す者にて、今の世に至るまで不動明王を清涼山不動院とて敏満寺の集落内に守り伝えている。あまり調べていないがこの隼人庄と言うからには昔この地には薩摩隼人が移住したものか。たしか奈良時代に国策として隼人をあちこちに移住させたことありと開聞岳ふもとの資料館で見た記憶あり、その一例といえば山城は田辺の棚倉彦神社の隼人舞を見よ。舞に用いる盾には隼人の用いる赤い渦巻き模様が今も描かれている。

さらには近隣に楢崎古墳あり。横穴式石室。古墳の様式はよく知らんが渡来系の影響ありと言われていて、考古学に知識とぼしく不勉強だからこれ以上はわからん。

日本史では所謂遣隋使に犬上御田鍬が行ったのは有名な話だ。それは小野妹子もまた渡来系氏族の出にして派遣された(近江は大津の小野に小野神社あり。小野氏は実に日本に最初に「おもち」を持ち込んだ大偉人が先祖だ。なお「おまんじゅう」を日本に最初に持ち込んだのは大和奈良、高天の交差点近くに坐す漢国神社、その境内にある林神社に祀られている人だ)のと同じで、犬上氏も渡来系氏族かあるいは渡来の文化に詳しい氏族だったのであろう。

さても多賀、犬上、豊郷の地は面白い土地よ。歴史は深く複雑である。

よし、人から蔑まれることあったとしてそれが渡来、薩摩隼人の故に古代疎まれたならば、そのよし今は蔑むにあたらず。蔑まれることは別に近代江戸幕府のフィクションではなく古代よりのことだが、古代に遡ってその理由蔑むにあたらぬことを弁えるのが大切と私は思う。思うのだがこれはいかにも浅学の私が断言すべきことではない。

精神科の指導医に乞われるままに豊郷、犬上の自分の知っていること話したら喜ばれ、

「今からでもその道に行ったらどう」

と言われたのは医師が向いてないと言うより古代を話す私が楽しげだったからであろう。

実に文学部、古代史の研究で生き残るほどの卓越した実力は我に無い。無いが、医師として、またご神縁にて、こういう日本の神々のことは実は世界中の万国民に有用な気が私はするからできる範囲にて考えたい。神様が与えて下さるなら至るだろう。

多賀三社参りはよいお参りだ。

空谷子しるす

精神科2

患者の女性がまた飯を食べられなくなった。

彼女はまだとても若いが、小さいころから父親との関係に苦心した人だ。父親は教育水準の高い人で、繊細でしかも体格のよい男性だ。

どうも「ちゃんとしなければいけない」という観念が彼女を小さいころから苛んでいたように私には思われる。父親は弱いところがあり、「ちゃんとした」状況から逸脱するような彼女を打擲した。彼女は音声言語を発せなくなり、自傷、自殺企図が発生し、彼女が言うには複数の人格が彼女内に出現した。

彼女は東田直樹さんが自分に似ていると言うのだ。

難しい文章は書けるが文章を読んで理解することが困難である。知的な障害があるとみなされるが算出されたIQに見合わぬ情報を取り入れたり発信したりできる。東田直樹さんも自身の使用する語彙が豊富なことから周囲による文章の捏造を疑われることもあるようだ。彼女もまた、複雑な文章を読めるのに何故言葉が理解できないふりをするのか?不動産屋とメールでやり取りするのに慣用句も漢字も使うのになぜ普段ひらがなの曖昧な書き言葉を使うのか?本当は自らの症状を偽るところがあるのではないかと時に疑われる。真実は正直なところ私には分からない。しかし彼女が自分はこうした人間だと思うのなら私はそれでよいと思う。彼女は「そうした人間」なだけなのだ。あとは彼女が苦しみ過ぎぬ程度に世の中と折り合いがつけばよかろうと思う。

彼女はしばしば尿閉になるかと思えば、失禁してしまう時期もあった。自らの意識か無意識か、下部尿路は意のままにならぬようである。そうして精神的な負荷がかかると心窩部痛が出現する。ネキシウムやレバミピドを指導医が用いても奏効せず。ブスコパンもあまり効かない。一、二週間ほどすると収まる。EEGにも著明な所見はなくバイタルの変動もない。

この間から彼女は外出訓練をするようになった。しかしそのことが彼女を不安にしたようだ。外出自体も彼女に負荷を与えたが、さらには一人暮らしやグループホーム暮らしのことを考え、彼女はどうも自らの容量を超えた重責を得たようだ。再び心窩部痛を訴え、呼びかけても反応しない。

私は指導医に頼り、自らの遅鈍な頭脳で勉強を進める他にない。

看護師をはじめとした周囲が私を軽蔑している気すらしてくる。

「おいっ貴様医者なんだから患者を救わねばならんぞ。それができんオツムと体力しかないならば直ちに医者をやめよ」

かかることを言う内科医は多い。これは真実である。

しかしながら真実は正しからず。私は神にのっとって進む。

基本的に神様の言うことしか聞かぬ。

空谷子しるす

精神科1

「あの先生はエビデンスに基づいていない。注意したほうがいい」

ある医師が私の指導医について警告を発した。

私はと言えば、教科書やガイドラインをよく読まないので当該医師が標準治療から逸脱しているかはわからなかった。指導医のうけもつ患者の半分を担当し、彼らの話を聞いて回るので精一杯である。

しかし患者たちは安定を見せた。

私の研修病院ではどつぼにはまるしかなかったような高齢のアルコール依存患者が生き延びて、立って歩いて帰った。

入院したらどのみちある程度落ち着くものだろうか。外来患者のコントロールも悪くないようだった。

統計をとれば医師たちの「優秀さ」は評価できるものだろうか。エビデンスは有用であるが万能ではないことは全ての医師が認識している。その上で、多くの医師はエビデンスに基づかない治療をする医師のことを憎悪し、知識の浅い研修医を侮蔑する。

「エビデンスというのは医者の勝手で、患者からみたらいい医者というのは全く別だ」

箕面の神父は言った。

「自分が信頼できるかどうかだ」

医療界には「やさしいヤブ医者」という言葉がある。

患者にやさしく、信頼されるが、医学が疎漏なので患者を死なせるというのだ。

こうした医師がただのヤブ医者よりもはるかに有害だとされ、平凡な医師たちは日頃己の命を削ってエビデンスを追究する。医学は無限に更新され、常に「お前の治療はエビデンスにもとる」と陰に日向に侮蔑される恐怖と戦わなければならない。

少し話がそれる。

こうした状況下で「頭の悪い奴は医者をやめろ」という言説が現場で飛び交う。無能な人間は有害だと言うわけだ。そこには互いに補い合うといった発想はない。体育会系部活動に表れるような、日本の学校教育における実力至上主義を背景とした無能を排除する構造を私は疑う。それはとても合理的に見えて人間を使い潰す思考である。組織はむしろ脆弱になり、慢性的な人員不足から優秀な人間までも破滅していくことを私は予想する。

話を戻す。

優しいヤブ医者という現象は本当に出現し得るのだろうか。

箕面の神父によればそれは嘘だと言う。

それはそうだ、患者も馬鹿ではないから、おのれに真摯に向き合う医師かどうかは分かる。真摯な医師であれば、真摯さ故に完璧でなくとも最善の治療を彼ないし彼女の力の範囲内で行うはずだ。結果的に現代の標準治療を「すべての点において」遂行することができずとも、患者は不平であろうか。

むしろ知識で武装した上で高慢かつ冷徹な態度を取る医師を患者は納得するだろうか。

私の兄は刑事だ。ある人が死亡し、死体検案書を要することは多い。三次救急病院にかかりつけであった場合、そこの医師はしばしば死体検案書を拒否する。「警察はなにもわかっていない」「私は今忙しいんですがね」彼らの苛烈な職場環境は彼らを残忍な人間にしていく。彼らが愚かだと思う人間たちを見下し、人の死を軽侮し、自らが修羅道を往くことのみに誇りと生き甲斐を感じる。

やむを得ないことだ。理知、合理の修羅道におかれた人間がしだいに修羅に変ずるのは当人の責任ではない。本居宣長は古事記伝の中で理知、合理の精神を「からごころ」と呼び批判した。細かくは覚えていないが、実用性がなく硬直的で戦闘的という欠点があるということだったように思う。実用性の無さについてはどうだかはわからない。西洋科学の理知、合理は患者たちの疾患に一定の有用性があるからだ。しかし理知、合理の追究は人をだんだん戦闘的にする。医療はおのずから人間と向き合う領域である。人間の不合理性も認識せねばならない。理知のみの修羅に果たして人間が診られるだろうか。理知のみの修羅に診てほしくないから「共感と傾聴」などという言葉が昨今の医学教育に頻繁に出現するのではないか。患者も馬鹿ではない。理知の修羅の形式的な共感と傾聴は無価値であることを見抜いている。

しかしながらエビデンスというものの有用さも大切なことは論を俟たない。

できる範囲で私もやろうと思う。

できる範囲でだ。

空谷子しるす