筥崎 香椎

宇佐、石清水、筥崎の三つを称して日本三八幡宮と言うらしい。香椎は神功皇后の夫仲哀天皇の崩りましました地で古くから皇室の崇敬厚い。筥崎は応神天皇のへその緒を箱に入れて埋めたから筥崎と名前がついたという。

八幡神はいくさの神である。神功皇后の三韓征伐に端を発する。応神天皇、神功皇后、比売神の三神を一般には八幡神と申し、古くから仏教との習合が深い。応神天皇の代に弓月君という秦氏の祖先が日本に来た。歴史は複雑である。

昔のことを調べるのは楽しい。あたまが悪いのできちんと知識を整理できない。できないながらも神々をたずねるのは楽しい。

筥崎に至り、大きな楼門を仰ぐと心がのどやかになるようだ。

憎むべきは悪心である。尊ぶべきは赤心である。神様に祈れば私はましな人間になるのであろうか。

新幹線にて博多より関西へ帰る。

帰って病院に来ると相変わらず一部の研修医たちから挨拶もろくにされぬ。馬鹿にされている。

神社に詣でても仕方のないこともある。

空谷子しるす

覚書5

早朝の車内で人々は同様に物憂げに揺れていた。
草が風で揺れるように電車の揺れに揺らされていた。

恰幅の良い中年男は、熱心にTwitterを検閲していた。
もりかけさくらをどれだけ説明してもまだ説明を求める連中に何を言っても同じだ。
そう書き込むと、こぜわしくその他の記事のチェックを再開した。

座席では制服の小学生が、帽子をのせた頭を上下にしながら眠りこけていた。
ドアの右側の猫背の小男は、せっせとスマホゲームに耽っていた。
小男はシャツをズボンに入れ、どうも中学生か高校生のようだった。
痩せた小男の埋没はある緊張を周囲に伝えていた。

車掌は駅が近づくと半身を乗り出し、外を確認していた。
帽子の下の目は眠たげに細められていた。
列車が速度を落とすにつれ、いよいよ閉眼し、駅に着くと物憂げに開眼し仕事を再開した。

私は、シモーヌが眼球を舐め回し、眼球に見立てた卵に尿を引っ掛けようとしている場面を想像していた。

ある駅で、座席の小学生はふいに立ち上がり、ドアに向かった。
車内に入り込む乗客たちと逆流しながら、降り遅れまいとドアに近づいた。しかし、彼は降りずにドア近くで立ち止まり人々を困惑させた。

シモーヌはマルセルを想い、浮かんだ卵の上に小便をひっかけていた。

終点に近づき、ますます車内は混雑を深めた。
ドア近くの小男は傍若無人にゲームに埋没していた。
小男にとってゲームのために必要なスペースを確保することが小男に唯一必要なことであった。
やがて小男の突き出す前腕は乗り入れる乗客の干渉することとなり、人々は乗車のために小男の前腕を避けなければならなかった。老人は避けることなく彼の前腕と衝突した。
老人は罵りながら突き進み、彼の前腕を跳ね返した。若い小男は虫のような鳴きながら老人の手を払い返した。
老人もまた奇声をあげながら小男をドアの外へと押し返し、小競り合いとなった。
後から入った若者が器用に両腕を間に挟み込み仲裁を図った。
覚醒した車掌も様子を伺いに来たが、役には立たなかった。
小男も老人も声にならぬうめき声を発し、電車の揺れに身を任せた。
私も含めたその他の乗客は何一つ表情を変えずに、黙って見ていた。

やがて終点に到着し、小男を含めた乗客は物憂げに走り去った。

宇佐

宇佐八幡宮は国東半島の付け根にある。神武の帝にゆかりがあり、もともとは宗像三女神が御許山に降臨したのが始まりともいい、八幡神が大神比義の前に顕われた土地である。

大きな参道沿いに「ねぎ焼き」を売っていた。

「ねぎ焼きですよ。どうですか」と中年の女性が呼び込む。彼女ひとりで店を回している。

ねぎ焼きを食べながら宇佐とはどういう土地なのだろうとぼんやり考えた。

参拝は叶った。

八幡宮の広大な神域を後にして私は駅に向かって歩き始めた。

はるかに山々が聳える。かつては内陸深くまで海岸線があり、今に田畑に見えるところは恐らく全て海であったろう。

私は歩いた。台風が近づいているらしかったが雨も降らず、雲はむしろ次第に薄くなるようだった。

青い山を見ながら歩いていくと生きている気分になる。

世は揺れ動くようだが本当のところは動かない。

頭で考えるより(正しいことにあっては)素直に思ったほうが良いように思われた。

八幡神は不思議である。

空谷子しるす

鉄輪

鉄輪温泉と言うのは別府八湯の一にしていわゆる湯けむりの街として有名である。

貞観九年(西暦867年)に別府の高峰鶴見山爆裂せり。おそらくその噴火は辺りの野を焼き、火砕流、噴煙の類いが麓を焼きかつ埋めたのだろうと思われる。その惨状を治めたのが火男火賣神社の神だ。

由緒にいわく

「大音響とともに無数の岩石を吹き上げ、溶岩が流出して河川をなした。鳴動は三日間続き、人々は神の怒りであると恐れたが、これを止めたのが当社で読み上げたとされる『大般若経』であった。(中略)大般若経は九人の山伏に命じ三日間読み続けられたとされている。そしてこの時に出来たのが別府温泉であり、その守護神としても崇められている」(加藤兼司宮司「火男火賣神社由緒」)

この鶴見山の大爆発以後別府は今に至るまで人々の業苦を緩和している。噴火を鎮めた功績を讃えて火男火賣神社は延喜式の式内社に列せられている。大分県には式内社は6社しかないから朝廷からの認識の重さは並々ではない。さすが別府温泉だ。

台風が電車を止めたので別府に一日いることにした。

地獄めぐりをやってみようと思って鉄輪の方にバスで来たのだ。

鉄輪の近くに火男火賣神社が坐す。台風の強風が境内のイチイガシを大きく揺さぶる。空も海も青い。

私はなんだか湯に浸かってめしが食べたくなった。

「焼酎にかぼすを入れるとおいしいですよ」

と定食屋の女将が教えてくれた。

言う通りにするとたしかに爽やかでうまかった。

めしを食い、湯に入り、鉄輪の温泉街を歩くといろいろなことがぼんやりするようだった。

どうせ病院に戻ればまたはっきりしたことがたくさん出てくる。今はむしろ積極的にぼんやりしたい。

空谷子しるす

覚書4

扉を開けると虚な眼のあなたがいた。小さな白いテーブルにはグラスに注がれた赤ワイン、ノートパソコン。酔っていたのでしょう。顔が少し赤らんでいる。

私は一つ仕事を終えたところで、身体には異物の感触がまだ残っていた。洗い流してもそれは消えない。

私を注文する人がいる。お陰様で店内ではNo.1、指名料もそこそこ。

運転手は無口で助かっている。前の運転手はおしゃべりで、何も話したくない気分でもおかまいなしに話しかけてくる人だった。彼なりに気を遣ってくれているつもりらしかったがそれが妙に恩着せがましく厚かましく、気遣いというより下衆の勘繰り。

書いても覚えてないでしょう。あなたはすぐ忘れてしまう。読んだことも読みながら。だから読んでいるそのときのあなたのために。

私はこの仕事を始めてから切るのをやめた。傷つけることをしたいのは何故だか忘れた。上書きしたいことばかりというのは嘘。でも思い出さないために何度でも上塗りしていく。

あなたは何もしなかった。ただ椅子に座りワインを飲み、私の話を聞いていた。

聞き終わるとあなたは私にお礼をいい一万円札を4、5枚渡して玄関まで送ってくれた。指一本触れられなかった。

雨が降っていて、車内に流れる水滴を追ってみていた。恋でもないし愛でもないし友情でもないし、憐れみでもない、と願う。ただそれだけのことで、たまにいる客のひとり。

あなたはいま、靴を履き違えて子供に怒られている。

もう一度、そう履き直せばいいと諭されている。私はあなたにとってなんでもなくあなたも私にとってなんでもないが、なんでもない関係が続いていることが、しあわせです。

初夏、木漏れ日のなかであなたは空を仰ぎ見て忘れたことも忘れて思い出そうとしたことも忘れて、私が隣にいることも忘れて、ただ忘れ続けて、たまに私のことを見て、唇が赤いねと初めてのことのように何度もいう。

シャワーを浴びて滑りけをとる。汚れるためにまたとる。

あなたが呼んでくれた日は、シャワーも浴びずただ座っていた。ワインを傾けながら、話を聞いてくれていた。

私は悪い男でねとあなたは言った。笑みを籠らせて。後ろのカーテンが少し開いていて、雨音が聞こえてくる。

扉を開けた途端に押し倒すとか、殴りかかるとか、お尻を剥き出して思い切り引っ叩くとか、服を全部脱がすとか、そういうのは悪い男ではなくて、普通の男だった。

普通の悪い男だよ、とあなたは言った。飲み過ぎてゲロ塗れになってみな忘れてしまう。

綺麗だよとも、好きだよとも、愛してるよとも、嘘でもあなたは何も言わない。

言わなくていい。もう何も言わなくていい。

あなたは右の靴を履いて、また脱いで履いて脱いで履いてしている。神妙な面持ちで。

諦めたのか、靴をすっかり脱いでしまい、そばの木におしっこを引っ掛けて芝生に横たわった。蟻が何度か顔の上を横切った。あなたは微動だにしなかった。雲の行方を眺めているようだった。晴れていて少し眩しそうにしていた。次第に日は傾き、夜になった。あなたは股間を掻きむしっていて、起きているのか寝ているのかもはやわからなくなった。夜が明けて私はまた空っぽになる。

麻酔科

当院の麻酔科もまた破格に優しい。

質問攻めも無ければ侮辱の言葉も無い。その上で部長先生は私の研修が順調だと言う。私は矛盾に頭を悩ませる。不勉強なのはどの科でも同じだ。聞かれたことはほとんど全て知らない。なのにある科のある医師からは侮辱され、別の科の医師からは褒められる。

人間はいいかげんなものだ。

私は叱られたく無い。気分が滅入るからだ。叱られた方が勉強になると言う人がいる。本当に駄目な奴は叱られないから、叱られる内が花というのだ。しかし嫌なものは嫌だ。できるなら平穏に話をして欲しい。

青やかな稲穂は次第に早稲から始まる順に黄色に変わってきている。近江の田は収穫に向けて時間を刻んでいる。

私は相変わらずできる限りには懸命にやっている。アンプルを切り、バイアルから薬液を吸うのが多少うまくなった。挿管も筋弛緩がきまっているから割合に入るようだ。しかしこれを私の実力と言うわけにはいかない。麻酔のことは何もわからぬ。わかるということはない。2年目の医師にわかるほどしょうもない事柄が医業のはずがない。救急を恐れぬ優秀な研修医がいる。彼らは頭がどうかしている。私は自然が恐ろしくて仕方がない。2年しかやらないのに全てが分かるというのは絶望的な誤謬だ。

週頭に夏休みをもらえた。

病棟に患者がいないのだから今取っておきなさいと言うのだ。

病棟に患者がいると盆も暮れも休めないのでは医者は極めて不健全な職業だ。

しかし休んでパァッと遊びに行くというのも私には分からない。

学生時代は金と時間がなかったから遊ぶ間はなかった。賢い研修医たちは東北一周をしたり北アルプスにこもったり男と遊び回ったりしている。そんな遊び方は私は知らない。

結局どこかに祈りに行くことにした。遠くの中々行けぬところへ。それは江戸時代の伊勢参りをする町人と同じ精神性なのかと一瞬疑ったが、彼らは私よりよほど「参詣以外の付随物」が主目的であったろう。私は参詣に行くために行く。そのためにいささか銭湯に浸かるくらいの楽しみは許されようと思っている。

空谷子しるす

死と花

死と花 

私たちは誕生と死の間で生きている
或はそう都合よく自らを納得させる
ほんとうは生まれると同時に死んでいる
一生涯の すべての永遠なる一瞬一瞬において
私たちは 日々誕生と死とを経験する花であろうとすべきだ
そして花としての生を生きるため
より多くの準備をする者であろうとすべきだ

だから私たちの生は限りあるゆえに
死とは より輝いた花を咲かせるための
友人であり助言者であると考えよ
あなたが永遠について理解し
死の幻想を求めること止めるようになるまでは
このことを考えるがよい
しかし あなたが最初の大いなる幻想を失うその以前には
このことを考えてはならない
それは"生 "という名の幻想である
このことを考えるためには幾度も死に
それを知るために 生きねばならぬからである

1974年12月5日,同タイトルのキース・ジャレットの詩を,翻訳した.Deep Lを使用した上で,筆者による修正を加えた.以下にオリジナルのライナーとして,他サイトに引用されていたものを引用しておく(筆者はこのアルバムを鳥取県米子市角盤町のTSUTAYAで借りた記憶がある.残念ながら購入はしていないため所有もしておらず,文章も,Webを頼らざるを得なかった.ついでに言えば昨今のストリーミングの隆盛で,音楽=楽音または動画コンテンツとなってしまったので,ライナーノーツの存在感はかなり希薄になったと感じている.歌詞も検索で分かってしまう.しかしSpotifyに対価を支払っているものとしては,出演者Personnelとアレンジャー,エンジニア,グラフィックのデザイナー,そして原盤のライナーノーツ!まではすぐに参照できるようになっていってほしい...それがレコードやCDを所有する愉しみのひとつであったのに・・・.ここではなくてSpotifyのカスタマーサービスにでも言うべきことと思うけれども.でも結局,少し調べたら分かってしまうので,Appleの方針のそれと同じで,シンプルがよいということかもしれない.なんでもかんでも書いて情報を盛ると,醜く見にくい絵面になってしまう.デザインとは難しい問題とおもいます.)

Death And The Flower
We live between birth and death
Or so we convince ourselves conveniently
When in truth we are being born and
We are dying simultaneously
Every eternal instant
Of our lives

We should try to be more
Like a flower
Which every day experiences its birth
And death
And who therefore is much more prepared
To live
The life of a flower

So think of Death as a friend and advisor
Who allows us to be born
And to bloom more radiantly
Because of our limits
On Earth

Think of this until you realise
Eternity
And cease to need
The illusion of Death

But do not do this
Before you lose the first great illusion:
The Illusion of Life

Because
To do this
You must die Many times
And live to
Know it

引用元:https://www.wikiwand.com/en/Death_and_the_Flower

Death and the Flower

死と隣り合わせに
生活をしている人には、
生死の問題よりも、
一輪の花の微笑みが身に沁みる

(太宰治『パンドラの匣』)

22,3の頃だったと思う。
2月のある日、私は鴨川を南へと走っていた。
Mozartのsymphonyだかpiano concertoを聞いていた。
ふと、西日に包まれたボケの赤が強烈に私を捉えた。
それは私の認識以前から土手の左手に正しく佇んでいた、に違いない。
その赤の美しさと私自身の無知がないまぜになり、忘我の中恍惚としていた。
しばらく動けぬまま世界と対峙したのち、
名も知らぬ美女に今までの非礼を詫びつつ辞去した。
以来、私の網膜に町中の花が飛び込んでくるようになった。
花がこちらに話しかけてくるようにすら感ぜられる。
勢い、こちらも話しかけてしまう。
今では親友の数は植物の方がずっと多い。

前後して、私は夢の中で首を落とされた。
小屋の中で私は椅子に座らされ、後ろ手に縛られていた。
何やら罪状を読み上げられながら、致し方がないと納得していた。
その後、首は切断された。
私は私の首が落ちる様を見ていた。
首は落ちて地面に着いた。
その瞬間、私は爽やかに覚醒した。
吉夢に違いないと確信しながら。

太宰の観察に科学的な根拠はなかろう。
私にしても、むろん実際に死んだわけではない。
しかし、夢の中で死んだその前後から、花と私が親密になったのは、紛れもない歴史的事実である。

他にも死と花に関する素朴な観察が歴史にはある。

野の百合は如何にして育つかを思へ、労せず、紡がざるなり。
されど我汝らに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その服装いこの花の一つにも如かざりき。
今日ありて明日、炉の投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。
さらば何を食らひ、何を飲み、なにを着んとて思ひ煩ふな。 

(新約聖書「マタイ伝」第六章)

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。

(『平家物語』第一巻「祇園精舎」)

ソロモン王、盛者はそれぞれ抽象と置換してよい。
抽象は見栄え良く耳に心地よい。
しかし、地に足がついていなければプラダのゴミ箱にすぎぬ。
美しい剃髪・僧衣は正覚のシニフィアンではない。
ゆえに、明恵は耳を切り落とした。

具体的なことを具体的に
やっていく他ない

私の恩師はかつて、繰り返し私に説いた。
地に足をつけて歩む他ない。
あらゆる病も死も、明日は、否今日は我が身である。
地に足がつけば、地に咲く花の美しさと儚さをもはや素通りすることなどできぬ。
西方でも上方でも彼岸でもない。我々の生は具体的なこの大地にある。
この大地という不自由の中でこそ、我々という花は咲いて散る。

P.S.
タイトルの”Death and the Flower”はKeith Jarrettのアルバムです。
どなたかどうしてKeithがこのようなタイトルをつけたかご存じの方がおられれば、どうぞ教えてください。邦訳の「生と死の幻想」というのでは納得がいきませぬ。

異界医療ことはじめ

気がつけば私は異界にさまよう様々な患者と関わっている。
私の自由意志によるものか、運命がそうさせるのか。
どうも私は異界のことがことの他気になるらしい。
ないし、異界が私を呼んでいるらしい。

子どもは、大人の常識的な世界とはまったく違う世界を持っている。
(中略)
昔、子どもは育ちにくかったこともあって、「七歳までは神のうち」と言われ、「あの世」に近い存在と考えられていた。しかしそれは昔だけのことではない。今も子どもは大人の常識的な日常の世界とは違う世界−これを「異界」と呼ぶことにする−に近い所に生きている。この世の常識とは違う世界での体験を踏まえて子どもは大人になっていく。言い換えると、大人になるということは、異界と距離をとっていくということになるかもしれない。
(岩宮恵子『生きにくい子どもたち』)

私がこのブログに子どもの言葉を記録するのは、異界での視力が高い子ども達の世界を仰ぎみたい一心からである。
振り返ってそう考えると得心がいく。
否、ただの親バカの一心からなのかもしれない、と謙虚になっておく。
子どもはかわいい(特に私の子どもが!)

岸本寛史は、子どもに限らずがん患者が体験する世界もまた異界であるとして、「がんを患うと、感覚が鋭敏化し、兆候空間が優位となり、見える風景が変化してくるのではないか」と問題定義し、夢や絵を用いた心理療法を提唱している(岸本寛史『がんと心理療法のこころみ 夢・語り・絵を通して』)。

統合失調症者はもとより異界の住人である。

異界とちゃんとした距離をとれるようになるためには、まず、しっかりとその世界に浸ることが大切である。
(中略)
異界との距離をどうとればいいかわからなくなり、現実と異界が混乱し、妄想ともいえる世界に陥ってしまうこともある。
(岩宮恵子『生きにくい子どもたち』)

私は気がつけばこれら異界の住人全てに関わるようになっていた。
いつのまにか小児の発達相談に関わるようになり、いつのまにか緩和ケア病棟で勤務するようになり、いつのまにか統合失調症者の訪問診療をしている。
全て、医師になった時点では予見できなかった。
摩訶不思議な縁の力が働いているようだ。

このような異界を歩き回る専門科は存在しない。
臓器を超えて、ライフステージをまたいで、ということになれば家庭医療が似た領域を有するかもしれない。そいう言えば、私は家庭医の専門医ということになっている。
しかし、家庭医は統合失調症者はみないだろう。発達相談を受けているといえど、初診から心理士と協働してその後のフォローまで全てするということはしないだろう。
多くの家庭医は、それは我々の専門ではないと臆面なく言ってのけるだろう。
専門のないのが我々の専門であると諧謔を言う彼らが!

元より専門性などどうでもよい。
専門性に拘泥して徒党を組むあさましさにはうんざりしている。
徒手空拳で事象そのものに向かう他ない。
異界医療、と名づけるのがよかろうか。
あらゆるライフステージをと謳うのではなく、あらゆる異界をと謳う。

りんぶんには異界が溢れている。
O氏すでに詳細な異人論考を世に出しているし、彼の描く人物はみな異人である。そもそも彼の偉大な父上は明らかな異人で、その薫陶を受けたO氏は異界語が母語らしい。
M氏の思弁的な言葉も異界語に違いない。おそらく異人なのだろう。
「こどものちから」はこどもが見る異界を切り取っている。
臨床文藝医学会は、臨床異界医学会と言い換えてもよかろう。
略語として収まりがよいのは臨床文藝医学会であるのだが。

まあよい。
岩宮は、大人になるとは異界と距離をとれることと言っている。
われわれは今後も異界と距離をとりあぐねた様々な人間と出会うであろう。
いっそ異界で遊ぶと不遜に表明してもよかろう。
距離、空間、あそび。全て同義である。
異界にかどわされ生じた緊張から距離をとりあそんで笑うほかない。
いずれにせよ明日はわが身である。
ふむ、今日ではなく明日だと?

われわれは同情をもたねばならない。しかし同情というものは、一人の人におこったことは万人におこりうるものであることを、本当に心のそこからわれわれが認めた場合に初めて真実なのである。その場合に初めて人は自分自身に対しても他人に対しても益あるものとなり得る。もしもある気狂い病院の医者が、自分は永遠にわたって聡明であるであろうし、自分にわりあてられた頭脳が人生において損傷をこうむるというがごときは断じてないように保証されている、という風に思いこむほどに愚鈍であるとすれば、彼はある意味においてはなるほど狂人たちより聡明であるでもあろうが、しかし同時に彼は彼らよりは一層愚鈍なのであり、彼が多くの人を癒すというようなことも、またないであろう。
(キルケゴール『不安の概念』1844)

光りうしないたる 眼うつろに
肢うしないたる 体担われて
診察台にどさりと載せられたる癩者よ、
私はあなたの前に首を垂れる。

あなたは黙っている。
かすかに微笑んでさえいる。
ああしかし、その沈黙は、微笑みは
長い戦いの後にかち得られたるものだ。

運命とすれすれに生きているあなたよ、
のがれようとて放さぬその鉄の手に
朝も昼も夜もつかまえられて、
十年、二十年と生きて来たあなたよ。

何故私たちでなくてあなたが?
あなたは代って下さったのだ、
代って人としてあらゆるものを奪われ、
地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。

許して下さい、癩者よ。
浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、
そこはかとなく神だの霊魂だのと
きこえよき言葉あやつる私たちを。

かく心に叫びて首たるれば、
あなたはただ黙っている。
そして傷ましくも歪められたる顔に、
かすかなる微笑みさえ浮かべている。

(神谷美恵子「癩者に」1943)

受診をやっつけて!

3歳息子と

父:明日受診してアルピニーをもらっておこう
息子:明日じしんあるの?
母:じ「ゅ」しん
息子:じしん?
父:じ「ゅ」しん
息子:じゅしんいやだ。お父さん明日じしんくるの?
父:地震はこないよ
息子:じゃあ、ひなんくんれんは?
父:ひなんくんれんってなに?
息子:にげるんだよ
父:何から逃げるの?
息子:じしんから
父:地震は嫌い?
息子:うん、きらい
父:避難訓練は?
息子:きらい。じしんも、じゅし「ん」もきらい。
   お父さん、明日じしんやっつけて
父:やっつけよっか。
息子:うん。じしんのかみなりやっつけて。

しばらくして

息子:じしん来たらみや(1歳)はどうするの?
父:みやも避難するよ
息子:じしん来たらみや(1歳)はどうするの?
父:みやも逃げるよ
息子:どうやって?はしるの?
父:お父さんが抱っこして逃げるよ
息子:Kちゃん(自分)とMちゃん(6歳姉)はどうするの?
父:みんなお父さんが抱っこするよ
息子:えっ。お母さんはどうするの?
父:抱っこするよ
息子:えっ!
   どうすんの、こうやってぴゅーって走るの?こうやって?

(1歳娘が起きて泣きだす)