昔ひとりの男がいた。
彼は子供のとき、きびしいキリスト教教育を受けた。
彼は普通、子供たちの聞く話、キリストの嬰児のときのこと、天使たちのことなどについて、あまり聞かなかった。
そのかわり、それだけ十字架にかけられた人の姿が彼の眼前に示されることが多かったので、この姿が、彼の救世主についてもっている唯一の姿となり、唯一の印象となった。
まだ子供なのに、彼はもう老人のように老いていた。
十字架にかけられた人の姿は、その後、彼の全生涯を通じて、彼につきそいつづけた。
彼はけっして若くなることがなく、その姿からけっして解放されることがなかった。