扉を開けると虚な眼のあなたがいた。小さな白いテーブルにはグラスに注がれた赤ワイン、ノートパソコン。酔っていたのでしょう。顔が少し赤らんでいる。
私は一つ仕事を終えたところで、身体には異物の感触がまだ残っていた。洗い流してもそれは消えない。
私を注文する人がいる。お陰様で店内ではNo.1、指名料もそこそこ。
運転手は無口で助かっている。前の運転手はおしゃべりで、何も話したくない気分でもおかまいなしに話しかけてくる人だった。彼なりに気を遣ってくれているつもりらしかったがそれが妙に恩着せがましく厚かましく、気遣いというより下衆の勘繰り。
書いても覚えてないでしょう。あなたはすぐ忘れてしまう。読んだことも読みながら。だから読んでいるそのときのあなたのために。
私はこの仕事を始めてから切るのをやめた。傷つけることをしたいのは何故だか忘れた。上書きしたいことばかりというのは嘘。でも思い出さないために何度でも上塗りしていく。
あなたは何もしなかった。ただ椅子に座りワインを飲み、私の話を聞いていた。
聞き終わるとあなたは私にお礼をいい一万円札を4、5枚渡して玄関まで送ってくれた。指一本触れられなかった。
雨が降っていて、車内に流れる水滴を追ってみていた。恋でもないし愛でもないし友情でもないし、憐れみでもない、と願う。ただそれだけのことで、たまにいる客のひとり。
あなたはいま、靴を履き違えて子供に怒られている。
もう一度、そう履き直せばいいと諭されている。私はあなたにとってなんでもなくあなたも私にとってなんでもないが、なんでもない関係が続いていることが、しあわせです。
初夏、木漏れ日のなかであなたは空を仰ぎ見て忘れたことも忘れて思い出そうとしたことも忘れて、私が隣にいることも忘れて、ただ忘れ続けて、たまに私のことを見て、唇が赤いねと初めてのことのように何度もいう。
シャワーを浴びて滑りけをとる。汚れるためにまたとる。
あなたが呼んでくれた日は、シャワーも浴びずただ座っていた。ワインを傾けながら、話を聞いてくれていた。
私は悪い男でねとあなたは言った。笑みを籠らせて。後ろのカーテンが少し開いていて、雨音が聞こえてくる。
扉を開けた途端に押し倒すとか、殴りかかるとか、お尻を剥き出して思い切り引っ叩くとか、服を全部脱がすとか、そういうのは悪い男ではなくて、普通の男だった。
普通の悪い男だよ、とあなたは言った。飲み過ぎてゲロ塗れになってみな忘れてしまう。
綺麗だよとも、好きだよとも、愛してるよとも、嘘でもあなたは何も言わない。
言わなくていい。もう何も言わなくていい。
あなたは右の靴を履いて、また脱いで履いて脱いで履いてしている。神妙な面持ちで。
諦めたのか、靴をすっかり脱いでしまい、そばの木におしっこを引っ掛けて芝生に横たわった。蟻が何度か顔の上を横切った。あなたは微動だにしなかった。雲の行方を眺めているようだった。晴れていて少し眩しそうにしていた。次第に日は傾き、夜になった。あなたは股間を掻きむしっていて、起きているのか寝ているのかもはやわからなくなった。夜が明けて私はまた空っぽになる。