比叡

京から比叡に登るには雲母坂を行かねばならない。

花崗岩の風化した砂礫がざらざらする。木々は茂り、くぼんだ坂道を湿気と暑さの中に汗を垂らしながら登るしかない。

坂本のがわには日吉大社があり。東面した金大巌が太陽の光を浴びると鏡のように光るという。比叡山は古くからの信仰の山である。いかなる人間の歴史も、山の霊威を塗り隠すことはできない。いかなる人間の信仰も、山の霊威を置き換えることはできない。

山はやや涼しくなってくる。

都のそばの山であるのにこの勢いはどうだ。

比叡の山の上、西塔、さらには横川のほうまで行けば日枝の山のまことの姿が垣間見えるだろう。

なぜ全ての人は救われぬのか。

一切皆苦の果てに救いがあるのか。

救われるために苦しまねばならぬのか。

あたまの悪い私はどうしたらあたまが良くなるのか。

見よ蒼穹を突く大比叡を。真実は身近にありながらしかも一切がわからない。裏も表もないのに目に見えない。

賢い人は幸いである。祈らずにすむ。

空谷子しるす

専攻医7

病棟の児はまた別の問題が発生し、しかもその病態は難しくてなかなかどの医師も分かりきることはないのだから、これは困ったことだ。

さまざまな化学療法の数々が治療期間の終わりに特定の検査を要求する。しかもそれらはすぐに予約できる類の検査ではなく、さまざまに調整しなければならない。ひとつずつ弁えればよいのだが、その余裕はない。自分の余力を削ればやれるかもしれないが、自分が死んでは何にもならない。

6月から中間医と研修医の先生が変わる。担当患者や病棟規則を知る人間が私だけになる。私もそれらを充分には認識していない。明日のことは知らない。そうだ。だから私は祈る。他の人々が祈らずに自力で生きていけることは私には信じられない奇跡である。私には不可能のことである。私は自力で生きていない。祈るうちに…他人からはなにか合理的に後付けで説明されるけれども…なにかの形で解決を見る。それは決して私や他人が望むような浅い形の解決ではない。

週末に比叡山に登った。比叡というのはもともとは日枝と申し、日吉大社の神山であった。その霊威はいまだ息づいている。西塔を遍巡り、明らかな初夏の日差しに緑苔がきらめく様は応えられないほど美しい。その落ち着いた雰囲気の中に伝教大師の御廟がある。つつましくも美しい空間は比叡の権威とは無縁なようだ。

伝教大師この世を身罷らんとし給う時に仰すには「我が志を述べよ」と。きっとまじめな人だったのであろう。

一切皆苦は変わらない。変わらない中に私はどうなっていくのか全くわからない。私は医者になれるのかわからない。いま私はどうなっているのかわからない。

彼女が私の優しさを愛すると言う。私は自分の優しいことを思わない。彼女は彼女の私を好きな理由を私が信じないと言って悔しがる。

世の中にはわからないことがあるということを私は知っている。人間だから当然同じだという前提がないことを知っている。彼女はもしかしたらその前提を信じられる人間である。幸福な人間である。私はそうした意味では人間ではない。

私は理解したい。私以外のものは全て私と異なっている。異なるものを理解したい。しかし私が他と異なることを信じられる人間はほとんどいない。私が同じでないことに気づくと、私の無理解や消極性をなじり、怒る。私は他者を理解したいと願っている。しかし自分の心身を犠牲にしてまで同化することはできない。

私には常に疑念がある。全ての他者が私を心の中で愚弄している疑念がある。それで常に全ての人間関係について割り引いている。常に信頼しきることがない。なぜならば私の能力を、全ての他者は大きく超えているからだ。私のあらゆる実務的能力を全ての他者は超えるからだ。

だからもし私より実務能力が劣る稀有な人間が現れたら私は無意識に笑みが止まらないだろう。本能的に見下すだろう。いままで見下された劣等感が原初の癒しと救いを求めて裏返り、渇いた魚のように貴重な優越感を貪るだろう。

私は優しい人間ではない。劣等の人間だから低姿勢でいる。弱者の身振りをして自分を全力で守るだけである。

見たまえあの大比叡を。元三大師の切なる祈りを見たまえ。浄土教の先駆者たちの切なる修行を見たまえ。日枝の神を拝見したまえ。

一切はわからない。一切は私の能力を超えている。祈ったところで何かを変えるわけではない。

しかし祈ることが何よりも重要で何よりも具体的で唯一有用な手段である。

祈ることだけが卑怯な私の持つ唯一の真実である。

空谷子しるす