第1日

正確には、転院第一日です。3週間前、私は高校の部活の同級生とともに、高校の部活の顧問が退職後にひらいていたで呑んでいたのです。その夜と、その夜までの事とは、今でもよく覚えています。うまい酒で、いい夜でした。そして、その日まで、記憶で困った経験は、ほんとうの意味では、ありませんでした。勿論、すっとぼけた性格をしていますので、約束が抜けてしまうことも、これまでの人生、一度や二度ならずありはしましたが・・・私個人の基準では、まあなんとか人並み(か、ややそれ以下か)に収まっているものと考えられていたのでした。ただ、それでも、成人後、慣れ親しんだ人以外の人とする対話、あるいは留学、学会、勤務先(病院)・・・そういった社会のつきあいは、私にとって、まあまあ、ハードルというかストレスが高いものでした。勿論人間は、我が身を振り返るときには、欠けたる所が目につく生き物であろうと思います。とはいえ、一方で、その状態を認識しながらも、少しでも欠けた所を補おうとする、そのような存在でもあると思うのです。そういう意味で、私もなんとか、外れがちながらも、なんとか人並みの範囲内ではなかろうかと、そう考えていたのでした。

しかし、今になってみると、一方で、どんどんとお酒が飲めなくなったり、コーヒーが飲めなくなったり、金遣いが変わったり(定額系サービスを2022年頃から複数利用するようになった)、といった変化があったようにも思います。それくらい普通、と言われてしまうとそれまでなのですが(そして自分でも、そうとも思うこともできますが)、・・・ただただ、そういう目で振り返って見ている、ということです。

そんななか、今からおよそ3週間前から記憶が曖昧になり、家でひっくり返っていた私は(このあたりもまた機会があれば詳しく書きます)、2週間前から勤務先に入院することになりました。診断は、脳腫瘍疑い。月並みですが、やはり驚きました。色々な方に報告、連絡しました。そして本日、大学病院に転院することとなりました。学生以来の大学病院です。場所としては生まれて始めて足を踏み入れる病院です。きれいな病棟でベッドも上等です。ただ、昨日まで職場のはからいで個室に入院していましたのが、今日からは4人の相部屋、総室入院となります。いまのところ、大事はおきていませんが、目下の問題として音(例えば自分の放屁等)が、気にかかります。プライバシー、は時代とともにその概念が移ろう、面白いものだと思います。基本的には、とはいえ、時代を経るごとに個々人の思想や信条、性的指向といったポイントは尊重されこそすれ、おざなりにされる方に進むことはなく、一方向的趨勢を感じます。そこに噛み合うのがコミュニティの論理です。いちコミュニティである病院の存在論理は、最大多数の病人が、癒しを得るための構造を提供することにあるのですから、どうしたって個人の領域が侵犯されます。そもそもケアするとか一緒にくらすこと自体が、ひとりでできることではなく、それは病院でも行われていますが、家庭とか、会社とか、ひとがひとりでいるのではない場所で日々営まれていることです。(H)