坐摩

坐摩と書いて「いかすり」と読む。坐摩神社は摂津国一宮であり大阪メトロ本町駅15番出口上がってすぐのところに鎮座まします。

昨日は繁昌亭で落語を見、天神橋筋を彼女と歩いた。仲がいいのか良くないのか?私に女性の気持ちはわからない。一年目の女医からもすっかり嫌われた。なにかどうでもよくなる。白山の比咩神様から承認を得た上は、誰に嫌われてもしばらくは心は平気だ。おみくじには「恋愛 愛情を与えよ 縁談 他人の言動に惑わされるな」とあった。

私は侮辱されていると思うとてきめんに不機嫌になる。最近「男の星座」と「KIMURA」を読んだ。力道山は大スターで、無邪気で人を魅惑するが、反面自分に関心が向けられることを強く欲し、よく不機嫌になったようだ。

私は力道山のような英雄でないが周りよりも軽い扱いを受けたら露骨に不機嫌になる。

それが周りは唐突に怒っているように見えて、それで周りは私にどう接したものかわからなくなるのだそうだ。

私は寂しい。人間とうまく付き合えない。ごくわずかに良くしてくれる人たちがいる。嬉しくなる。しかし普段の生活に戻ると、大抵嫌われる。寂しくなる。神様が仲良くしてくれるから生きていられるのだ。

私はデートの翌日有給を取った。

ノラ・ジョーンズのライブがあったのだ。

彼女は5年振りの来日だ。当日券があることをFM COCOLOが宣伝していた。

その前に時間があるから坐摩神社にお参りした。

上方落語の寄席がはじめてできたのはこの坐摩神社である。

江戸時代に初代桂文治がここに高座を作った。

雨が柔らかく降る中に鉄筋コンクリート製の社殿と三輪三鳥居は優しく迎えてくれる。

大阪の社殿は鉄筋コンクリートが多い。先の戦争で焼けたものかと思う。焼けた記憶が人に鉄筋コンクリートを建てさせる。名古屋城も大阪城も鉄筋コンクリートなのは単に予算の都合ばかりではないと思う。焼ける名古屋城を見るのは辛いことだったと私の祖母は語った。

戦争は優れた若者を死なせてしまう。芸術が怒りと憎しみと悲しみで歪む。文化が潰える。

坐摩神社は古式のしるく、御祭神はとても特殊だから調べてみると面白い。

大阪のビルの合間に歴史が狭隘している。

私は行宮の整備に奉賛した。行宮とは坐摩神社の旧社地である。一万円したが満足感がある。

空谷子しるす

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