岩宮恵子「生きにくい子どもたち カウンセリング日誌から」

私は子どもが怖い。彼らの社会的な人格は未熟だが彼らの自然の威力は大きい。

彼らの自然は複雑で彼らはそれを表現する術を知らない。あらゆる理不尽な形で私たちを試す。私はその表現がわからない。彼らをどうすればいいのかわからない。

岩宮恵子の「生きにくい子どもたち」をI先生に薦められて読んだ。一対一の土壇場で彼女はどうやって生き抜いてきたのかわからない。

「普通」の人々が、大きな労力を払い続けて「適応」し続けていることを思う。

広瀬香美が「ゲレンデが溶けるほど恋したい」歌の中で性格変えた方がいいかもよと言う。「普通」の人々は適応するために労力を費やして性格を変えることができるのかもしれない。元の自分というものが死んでいくことの恐怖に耐えることに慣れていく過程が適応なのかもしれない。

果たしてこの世の中は適応する価値があるのかと思い続けてきた。神社、カトリック、一部の寺、本屋に生かされてきた私には現実界は痩せて見える。私は適応していないからだ。適応していないから毎日苦しみがある。普通の人々は適応しようとしない私を無意識的に憎しみ侮蔑し無関心になるかもしれない。

岩宮恵子氏は異界に片足を突っ込みながらどうして異界の子どもたちの助けになれるのかわからない。驚異的な知能と体力と精神力の持ち主かと思う。

私はいよいよ怖くなった。

私は頭で考えると間違う。良いように導かれることを祈り求める。

空谷子しるす

多賀2

昨日は土曜日であった。午前中病棟に行くと部長先生がおり、彼の患者を共に診察して色んなことを教わっていたら午前が過ぎた。

私は自慰をすべきか否か悩んでいた。中学2年に精通して以来、自慰をすると自分が醜く、さまざまな能力が低下し、他者からもますます嫌われるような思いがしてきた。

南方熊楠いわく、南水漫遊という本に鉄眼なる高僧あり。雪中庵にて閑居しておれば一人の見目麗しい婦人来たりて宿を乞う。鉄眼若き丈夫なれば己の煩悩の火がつくをおそれて婦人に宿を貸すを渋ったが外は大雪だ。婦人は人の妾なれば本妻に妬まれて追い出され郷里に帰る途中の大雪なり。婦人このままでは野垂れ死すべしとて鉄眼に涙ながらに訴える、鉄眼もとより心清ければこの婦人の命救わざる能わず、やむを得ず婦人と一晩同じ屋根の下にいることになった。婦人命拾いしたりといえどもやはり若い男と同じ屋にいること不安でならず、床より鉄眼の様子伺えば鉄眼あろうことか己の屹立したる男根に自ら灸を据えて必死に仏念じては耐え居たり。夜が明け女出でて、本妻死にたる上に改めて自らが本妻になったる後夫にかの雪の夜の顛末語る。夫、大きに感心して鉄眼探し出し寄進することひとかたならず、寺が建ち一切経を出す手助けとなったと。

性欲を一生がまんしたら私も少しは立派な人間になれるだろうか。鉄眼のような立派な人間になれるだろうか。私の陰茎は勃たないのに性欲だけは多少ある。

貝原益軒の養生訓にいわく30代の男は8日にいっぺん射精すべしと。

貝原益軒が正しいのかどうかわからない。射精をがまんするのはむしろ体に悪いのか。

真剣に考えていたら腹が減った。卵と牛乳が尽きていたからコンビニに向かった。

外に出ると空は青く空気は澄んでいた。私はお多賀さんに参りたくなった。

夕に近くなりお多賀さんは閉門まぢかであった。

秋の夕の傾いた日に照らされてお多賀さんの檜皮はいよいよ美しい。

多賀の杜には人はまだいささか居り。女子中学生の群れがみくじを見せ合ってきゃあきゃあ騒いでいる。大型観光バスで来た高齢者たちが写真を撮っている。夫婦づれが並んで歩いている。

私は小あゆの煮付けと一合の酒を買って帰った。

結局その日私は自慰をした。筒井康隆がやってしまった後の背徳感があるから自慰はいいというようなことを書いていた気がする。筒井康隆の言うことはいつもよくわからない。

自慰をした私は日曜の当直を無事に乗り切れるだろうか。

自分のやれることをやり神様の御助けを期待するしかない。

空谷子しるす