聖女リタ

聖女リタはカトリックの聖人で他の聖人と同じように大層苦労した人である。

俗世で旦那は乱暴であった。しかしリタの祈りの甲斐あって旦那は穏やかになった。しかし旦那はある者に殺害せられてしまい、憤慨した息子が仇討ちに向かいこれもまた死んだ。

世を儚んだリタは出家せんとて尼寺に向かうも年増のリタを尼寺は請けない。リタ再三祈り、尼寺の尼僧いくたびも断るが閉じたはずの門扉の内側にいつのまにかリタ入りおったりしてこれは神の奇跡なのか、とにかく本来認められぬ尼寺への異例の入門となった。

しかしながら尼寺に入ったあともリタは苦労ずくめだ。ただでさえ高齢の入門者で疎まれている。リタはイエズス・マリア・ヨゼフ・諸聖人しか頼る者もおらなかったかと思う。なのに、ある日彼女が御堂で祈っておると、あろうことかイエズスの像のいばらの冠よりいばらのかけらが射出されてリタの額に命中、傷跡は治らず膿をはなち悪臭ひとかたならないからこれは大したことだ。リタはいよいよ憎まれるし隔離されて幽閉されて暮らさねばならんくなった。

リタの物語はもう少し詳しく知りたい。竹下節子女史の本を読みたいと思っている。

亡くなってのち、リタの遺体は腐敗せず、生前の悪臭はうってかわって素晴らしいよい匂いを放ちはじめたというからこれは奇跡である。

リタは不可能を可能にしてくれる聖人と申す。

いったい世の中は不可能なことが多い。私も医学部に入る折には毎日聖女リタの御取り次ぎを祈ったものである。

キリスト者にとってキリストと共に歩む以外の意味のあることは存在しない。天文学者のヨハネス・ケプラーもまた天文学が神に一番近い学問としてその学びに与かれる栄光を心から喜んだのであった。神への敬愛が科学の原動力の重要な一要素である場合がある。

思想や科学に信仰のない今の世はまさに塩味のない塩のような時代だ。そこに味わうべき妙味も情熱も感じがたく、すべては脳髄の神経接続の出来栄えを誇って生き馬の眼を抜く遊びをしながら、緩慢な全員の退廃に気づかず日々を貪るのみである。

とはいえなにもできるわけではない。

同じ思想が巡る。

人から軽侮される道こそは真実の道なのは間違いなく思える。イエズスもまた軽侮され、愚弄され、蹴飛ばされて惨殺されたのであった。日蓮の、迫害されるほどにおのれの真実であることを信じたように、乞食のラザロが神の右に座り金持ちが平伏するように、弱い人間こそ真実である。それはおそらくマルクスやウェーバーの言うような社会不安を緩和する麻薬や魔術としての宗教ではあるまい。それは実際面にはたしかに人々の業苦をごまかしてなんらの社会改善をすることのない麻薬であり魔術である。だが弱く、陰を歩く人間が祈るときに正しさと真実があり、唯一弱い人間が良くなりうる契機があるとしたら真摯な祈りのみによる。

空谷子しるす

地域医療

滋賀の北部は順調に寒くなり、伊吹山は今年初めて雪が降った。

長浜の息長のあたりでは伊吹山に三度雪が降れば三度目には里にも降ると言う。

息長はいわゆる息長氏の故地であり、すなわち八幡神の発祥の地とも言えるだろう。山津照神社という宮が息長氏の祖神を祀り、境内には古墳がある。

私は診療所の所長から褒められた…「先生はいい医者になる」。しかし診療所の奥方の看護師にはあまり受けが良くないようだ。相変わらず一年目の研修医や、同期の優秀な研修医からは軽侮されている。

診療所の所長は農学部を出てから医師になったので、コメの起源を調べるため東南アジアに繁く通った人間だ。

私はコメの道を思う時、さまざまな人間の流れを思う。ある種の憧憬が湧く。力と理力で人を圧倒し恫喝する生き方ではない、弱い人間の生き方に憧れる。

ちかごろ長谷寺験記の和訳を読んだ。長谷寺の観音は願いを叶えてくださると言い、古くから藤原氏の崇敬厚い。

仏教ではしばしば今の世の理不尽な苦しみは前世の業によるものと説明される。長谷寺の仏は定業亦能転と申し、自力でどうしようもないその業を転じて助けてくださるという。

世の中は不合理である。生まれ持った豊かな心身、家の財産、整った両親、そうした数多の利益のいくつかをもとにして成功した人間が努力の大切さを語ることは無尽蔵に愚かなことだ。

私が医師免許を与えられたのも、私の体が弱いのも、私の頭が鈍いのも、顔が醜いのも、全て賜物である。私がことごとく社会に馴染めないのも賜物であるかもしれない。

恐ろしい理不尽な災禍は仏教では前世の悪因といい、キリスト教では神のみわざが顕れるためという。私は自力の無さゆえに抑圧を感じる。抑圧を感じるゆえに苦しむ。私は何のために生きるのかわからなくなる。

私は極端なことを言えば、自らの抑圧のゆえに、全ての恵まれた自力信心の人間をことごとく滅ぼしてしまいたい。しかしそれは自力の不足のゆえにできず、また神仏の望むところでもない。私はただ不真面目に祈りながら抑圧されているのみである。しかも非力な自分の生存に適した場所に行くことなく、なにかに憑かれたようによくわからぬ道を進もうとしている。

いったい神は私に何を望まれるのか。いったい私は何を望んでいるのか。自分のことは常に一切が分からない。

地域医療で出会った患者や医師は珠玉である。私はとても疲弊したが形にならぬ体験をした。

診療所の所長は私を大陸引き揚げ者の昼食会に招待してくれた…人間の営みは変わらず、惨憺の中になおも普遍的なことを求めなければならない。

ばかな私になにができるというのか。小テレジアの歩んだ道、ドンボスコの歩んだ道を私も歩まねばならないというのか。彼らより遥かに愚かで矮小な私は、それでも聖人と同じ道を歩まねば救われないというのか。しかもカトリックに至ることではなく、日本社会の人間たちが等しく私をいらない人間と憎むのに、日本の神々と親しむ道を歩まねばならぬ。

万人は私を知能の低い人間、つまらない人間、ものぐるいになりかかった見るべきもののない人間、そもそも存在に気づくことのできぬほど不明な人間と思うだろう。

どうか私を導いてください。

空谷子しるす

覚書11

彼は言葉を発しなかった。ジャングルのような髪の毛の茂みに蟻が絡め取られていた。同級生の悪戯に少年は静かに涙を流した。悪ふざけが過ぎたと彼らが手をひいたか火に油を注ぐ形となったかは定かでないが、私はその頬をつたう涙のあとだけは覚えている。

彼は何も言わず私が戯言をいうとむくむくと微笑んだ。ほくそ笑んだというほうがふさわしいかもしれない。学校で彼はよく白帳に絵を描いていた。入選したこともあったと思う。

彼がもっと大きくなったときに再会した日のことを想像して、書き物の一部にしたことがあった。若い頃の話。私は彼とドラえもんの学校の裏山のようなところで夕暮れ時を過ごしていた。彼はよく喋るようになっており、ドラムを空で叩いていた。秋の微風を感じ夕日に面していた。鴉の声が聞こえる。木々の葉のそよぎ、小川のせせらぎが聞こえる。

umaはいつもそうやって人に話を合わせたり合わせなかったりして、時々上機嫌にしている、と言いながら彼女が睨みをきかせていることにふと気づいた。地べたに横たわり天井が見える横に彼女の顔があり、名前は忘れたが仮に山田さんとすると山田さんは、「聞き覚えのあるような文字と声と顔つきあわせていつも風とか音とかいい感傷にひたる悪いくせだ」と言ったと思う。umaはいつもそうだと言わんばかりだった。umaとはumanoidのことで本当はumaではないだろう。ただそれを彼女は、名前は忘れたがumaと言ったのだろう。(私の記憶は不鮮明で彼女がumaと言ったのではなかったかもしれない。私がumaと思ったのかもしれない、彼女のことを)

umaはといい彼女は私の手をひいた。umaはこうするのだと言わんばかりに。

ある時は彼女はただひたすら喋り私が食べ終わるのを待っていた。それが彼女の義務なのかもしれず、終始つまらなそうに頬杖をついて眺めており、私がものをこぼすとuma!uma!と言った。言ったように思った。乱暴なてつきで彼女は私のこぼしたものと口周りを拭き取り、「仕事仕事また仕事、遊んではいけない、少なくとも勝つまでは、ろくなことを言わない、そう思うでしょう」と言い私は同意を示すために頷いてみせた。彼女は私の同意には満足しなかったようだが。

言葉を失ったのは私も一緒だった。彼は普通の言葉で考えていたかもしれないし、彼女は普通の言葉で語っていたかもしれないし、私は或いは普通の言葉で考え発声していたかもしれないが、読んでいる人間や聞いている人間は私たちの物したことどもを表層で変換して伝えようとするために、表記されるものがどうなっているか私たちの預かり知るところではなくなっているというわけだった。それも何かを隠そうととしたり、時空を跨ごうとしたり、二重三重に捻れ捩れ元通りにはならずこの現実へ帰ってくるその手前とその後の重なりを重なるものとして或いは重ならないものとして或いは同時に眺めようとして視線が定まらないから、私は彼女に限らずumaともumanoidとも言いがたく、私がそれなのか彼女かそれだったのかわからない次元でぼんやり佇んでいることになったのだろう。

コンピュータの言語変換に抵抗する、それも抵抗とわからぬよう強かに抵抗する、コンピュータに限らずしたためた物をただ届く人に届くよう、届かなくて良い人のもとを風のように通過するように、書くということがあるだろう、語るということがあるだろう。

それもumaだかumanoidだかわからないが、それを書き留めるもの、書き留めさせるものが語り手と一致しない場合は特にそうだと言えるかもしれない。

彼のことを私はかずくんと呼んでいた。仲が良くても人の家に遊びに行くということがなかったから、彼のことは学校の休み時間に話す程度の関係だったが親友だったと思っている。ジャイアンのように心友という人もいるだろう。時空を超えて声もなくいつでもフラッシュバックする友のことだ。

丹生

丹生というのは文字通り丹を生産するということで辰砂が採れた土地のことらしい。

だいたい川だ。

だいたい山の中だ。

だいたい綺麗な水が流れている。

丹生というのは日本中にある。

あああ、私はもう最近夜中によく目が覚める。寒くなってきたからだと思う。日中蒙昧である。認知機能が落ちている。

おれは来年からやっていけるのか?

引っ越さねばならないけど部屋はどうするのか。

私は京大の小児科プログラムに進むことにした。

なぜ?兄貴の直観に頼ったのもある。京大に行かねばならぬ気がした。

車はどうする?今年車検だ。お金が減る。小児科学会に入らないと。CVもPICCも自分一人で入れられない。縫合もほとんどやらずに来た。どの研修医よりも誰よりも時間と内面とで患者に向き合った事実はある。しかし大学では能力だけを見られるだろう。

伊勢の大神様を心に拝すれば、全く問題ないと言われている気がする。

診療所の実習を近頃行っている。所長の先生には毎日とてもよい昼飯を食べさせてもらっている。私は大した働きもせず大層な昼飯をご馳走になるから恐縮している。所長の奥方は看護師で有能な人だ。彼女から恐らく私は嫌われたらしい。2日目に5分遅刻したのが発端かもしれない。ただでさえ私は女性から嫌われることが多い。私がおどおどしているからかもしれない。それは私が不器用で、何をしたらよいかいつも困っているからだ。私は自分に何らかの発達障害的な傾向があることを疑う。近頃いよいよ認知機能が落ちて来た気がする。

先日人を吉野に案内した。

吉野は神代の土地だ。古い神々と天皇家のゆかりの土地だ。私の曽祖母もまた吉野の人間であり、みかどへの感情や雰囲気は理解できる。

丹生川上神社中社は日置川の清流のたもとにあり吉野宮の伝承地である。

「どこが本当の丹生川上神社なのか」という論争にあまり意味があるとは思えない。そのあたりの論争に詳しくないし興味がないから書かない。

川は美しく水清く紅葉が赤く色づく様は万人を感動させる。

神社にお参りして「そのままではいかん」と思ったことはあまりない。特に医者となった後は全く無い。俗界でさんざん軽んじられ、私自身自らの無能に喘いでいるのに、神前では何も問題無く思える。膨大なことに悩みながら手を合わせても、格別に願い求めることが何もない。

世の中は嫌なものだ。人間は嫌なものだ。ものごとをどんどん複雑にして喜んでいる。

空谷子しるす

覚書10

何十年も前に言うべきことを言えずに離れた人とすれ違いざまに、もっと前に暖炉のある家でワインを傾けて、頬を照らし何も言わず、むしろ毒づいていっそ嫌われようとしたその人と施設で再開したときには互いに顔もわからず、記憶も曖昧で言葉も出ないが静かに微笑みを交わし合い、「どこかでお会いしましたっけ」と昨日のことも忘れて、それでも他生の縁と思うのは巡りめぐってただ正しいこと以上に実に正しいことのように思われた。

彼は若い頃に男に接吻された話をした。「そういうことも何度かあった」テーブルの吸い飲みを加えて少し咽せ込んだ。車椅子を挟んだ正面に窓があり、眩しそうに揺れる木の枝のあたりを見つめている。

私は彼がするテレビゲームの画面を見ていた。彼はゲームの最中、ローディングの時間だったか、おもむろに振り返り唇をあててきた。産毛のような髭の感触が口元に残る。彼はじっと私をみて、何事もなかったかのようにゲームを続けた。

彼はまた吸い飲みに手をかけたが、今度は飲まずに少し吸い飲みのお茶を揺らしただけだった。

彼が何度唇を押しつけてきたのかもはや覚えていない。中学の頃の話だ。彼はもっと親密になろうとした。私がそれを拒んだのはある種の羞恥からで、けして彼のことを拒んだわけではなかったが、それから彼は私の家に来なくなった。高校に上がった頃には綺麗な彼女とうまくやっているらしいというのを風の便りで聞いた気がするが、夢かもわからない。私もそれからだいぶ先の話にはなるが、女性と付き合うようになった。男性との関係は一切なかった。世にこんなにも男がいるのに勿体ないと言う人の気持ちはわからないことはない。ただあえて出会おうとする気がなければ、機会は極端に少なく女性のほうに結局流れるのだろう。

彼は別室の彼女のところを足繁く訪ねた。尿道に繋がった管に気づかずに、尿の入ったバッグを置いたまま走り出すものだから看護者にとっては厄介な行動であったかもしれないが、彼は手を縛られようと、体を縛られてようと、手袋をつけられようと、囚人服のような服を着せられようと、何をされようが拘束具をひきちぎってでも彼女のもとへ向かおうとした。彼は「妻だ」という。彼女のもとへ無事辿り着くと、奇妙なことだが自然と懐かしい気持ちが溢れてくるのか、穏やかな表情になり布団を掛け直し、今日もいい天気だねと窓の外を眺める。彼女は視線が合わないまま遠い方を見つめている。

南宮

人間的な意味が充満している。

私は相変わらず病院内でなにもわからず棒立ちで、中堅の医師や一年目の優秀な研修医から見下されている。

一年目の医師たちは器用で人付き合いもよくさまざまな社会基盤を作り上げていく。それは鮭の遡上やかっこうの托卵のような本能的な仕草で、幼い頃から続けてきた成功の道筋を今もなぞっているかのようだ。

幼い頃からといえば私もまた幼い頃から変わっていない。人から見下され、能力がないので何をすべきかがいつも見えない。目に霧がかかったようにぼんやりしている。あまりに何もできないから自分が生きていても仕方なく思える。

人間的な意味が私の頭の中に充満している。私は人間的な世の中に適応できていない。だからといってどこかに私が適応できる場所があるわけではない。神社も本屋も行くだけなら自由だがその中で私は仕事ができないだろう。

南宮大社は美濃の一宮で鉄の神様を祀る。

南宮にお参りしたのは随分前で今年の春ごろだったろうか。なんだかよくわからないが裏手の南宮山にも登拝した覚えがある。

特に南宮大社にこだわる意図はないのだが文章の主題を医療の言葉にしたくなかった。なんだか癪なのだ。私はいよいよ「医療」とか「医者」とかが嫌いになってきた。しかしながら医療は好むのである。なんとか助けになる手立てを知りたいと思う。しかしいわゆるガイドラインや教科書を見ても何をどうしたらよいかわからない。自分の知能の低さが嫌になる。

私は医療現場に向いていないのか、そもそも能力が低くて複雑な仕事に向かないのか、年季でなんとかなる問題なのか、私には何もわからない。

人間的な意味が充満している。その人間的な意味は時代や空間によって異なる。

私は人間はこの上なく好ましく思う。しかし私は人間を心底嫌う。

もろもろの罪穢れを祓い給い清め給えと切実に願う。

大祓詞のように罪穢れは流れに流されて遥か遠く海の向こうの底に流され、よくわからない異次元に消えてほしく思う。

私のような馬鹿は生きていくのが困難である。頭が良くなってほしいと願うがそうはならずに来たからこれからもそうはなるまい。

空谷子しるす

鏡 赤穂

私は母を伴って春日の若宮社に詣でた。

若宮社の御遷宮が終わって新しい朱色の社に鎮座されたのにご挨拶に伺った。

母の転倒による打撲は軽快してきた。頭の方も今のところは問題ない。

鏡神社と申すのは藤原広嗣公を祀る社にして春日の社家が個人的な願いを祈ることがあると聞く。

鏡社は奈良の高畑、新薬師寺のとなりにあり。高畑は春日の社家がもともと住まいした土地で、いまは高級住宅街である。

藤原広嗣公は奈良の都を乱した(と藤原氏からは捉えられている)吉備真備と玄昉と争い、却って朝敵となり処罰された男である。奈良の都には広嗣公の怨霊や玄昉の四散した遺体にまつわる話が残っている。広嗣公亡き後、筑紫に左遷された玄昉を雲の中から広嗣公の霊が現れて掴みあげ、四肢と頭部をばらばらにして奈良の都にばら撒いた。頭は頭塔、腕は肘塚、眉と目は眉目塚、胴は胴塚に埋まったという。真偽は知らない。

時代はいつも分からない。人と人の争いはわからない。なぜ正しいと思われることが虐げられるのかわからない。力のみの世の中だろうか。弱い人間は生きる甲斐がないのだろうか。

慣れぬ医者をしている私はどう生きたらよいか。

同期の研修医に劣る私は二年目にあるまじき低能力なのか。

赤穂神社は鏡神社から西に百メートル程度のところにまします。

昔祭りの際に赤丹穂を吊り下げたから赤穂と言うらしい。赤丹穂は収穫された黄金の稲穂のことである。

天武天皇の娘と夫人を葬った土地という伝説がある。

高畑は秋の空だ。

私は奈良に不要な人間である。

奈良は私のふるさとではない。

私は脆弱で鷹揚な性格だったが、さまざまなことがあって医者となっている。慣れないことをしている。

自分の趣味や創意を出だして暮らせたらよいのだろうがそうはならん。神様が何を考えておられるかはわからないが今後いよいよ苦しみがやってくる。

空谷子しるす

覚書9

そんなあなたが、すとれいと、というチームにいるっていいうのは変な話ね、と女は言った。

そもそもヘテロをストレートということ自体がおかしいでしょ、私はこれでストレートよ、と男は言った。

なんで同性愛者だけ同性愛者と名乗らないといけないのよ、あんたは自分が異性愛者ですって言うの、と続けた。

言わないわね。なるほど、あなたはすとれいとなわけだ。

そういうことよ。どこかにいい男いないかしら。

どんな男がタイプなの。

やっぱり身体の相性よね。

まず寝てから始まるってとこあるよね。

そうそう。そういうことなのよ。

でも、終わった後に、そのままそばにいて、いつのまにか眠ってる、みたいなこともあるよね。

そう?私は終わった後は一緒には寝たくないわ。私寝相悪いもの。

里親という関係性の処方

日本で唯一の治療的里親という土井高徳氏の講演を聞いた。

支援者と違って、里親は親なのだ、と彼は控えめに言った。
私は社会的な親になろうとした、と。
翻って、お前に親業をする覚悟はあるか、と問われているような心持ちになった。

彼は京都では朝の挨拶はどんなですか、とフロアに問いかけてから
土井ホームでの朝の風景を紹介した。

A:おい、殺すぞ
B:なに、埋めるぞ
A:なに、沈めるぞ

これまでホームレスや精神障害者、発達障害児・者、薬物の依存者、少年院や刑務所から社会復帰を目指す人など、ともすれば社会から排除され、行き場のない人たちを引き受けてきました。(寄付を募る書面より)

自立、退所して7年たった青年が窃盗をしたと警察から電話がくることもままあるようだ。
親として30万円をだせないか、と。
もう退所して縁はないのだから、と言ってしまえるところだろうが、
それでも唯一の頼れる存在として自分を名指したその絆を絶つわけにはいかないと、彼は30万円を立て替えてやったという。

薬でしか対応できなかった子供たちが、暮らしの中で関係性を築いていくなかで薬が不要になる。
私は関係性の処方をしている、と彼は朗らかに言った。

このような子供たちにドイツは26歳まで社会支援をするが、日本は15歳で社会に出してきた。
土井ホームはいつでも帰ってきなさい。いつでも帰ってきていいよ、いつでも腹一杯食べたらいいということでアパートをたてた。
退所は子供が決める。そうした方が帰って自立しやすいのだという。
24時間の生活を共にすると、サポートする者として逃げ場がなくなるのではとよく問われるが、むしろ24時間観察してケアもでき、それが強みになる。

これは日本の福祉への挑戦なのだ、と彼は強く言った。
行き詰まったら、お酒を飲んで、明日のことはまた明日、と寝てしまうという。
神業のようなことをやってのける彼はやはり神ではなく、一個の酒好きの人間らしい。

彼にかかれば統合失調症者も発達障害者も変わらない。
皆それぞれに凸凹がある。
周囲はボコが気になって、幻覚でも妄言でも問題行動として修正しようとするが、
デコをこそ評価せよ、さらに、彼の内面がどうなってるかを想像せよ、という。
前者は病者の健康な部分をみよ、という中井や神田橋を思い起こす。
後者はビンスワンガーが記述的現象学派を批判して現象学的人間学を展開したことを思い起こす。

症状や問題行動があるからこそ、周囲が助けようとする。それでいい。
自立は適切に依存すること。迷惑をかけずに生きることはできない。迷惑をかけることに日々感謝すればいい。
だから、症状や問題行動はなくそうと躍起にならなくてよい。
これは中井が妄想がなくなると寂しいと指摘したことや、サリヴァンが病気はもっと悪い事態 からその個体を守っているのではないか、と指摘したことと重なる。そして私はそのことを享楽、念仏として先般記事に書いた。

自分が疲弊しないために、彼が日々自分に言い聞かせて自分をイメージ操作する手法がとても面白くすぐに臨床を助けてくれそうだ。
・弓はいっぱい引く。大きな問題であればあるほど、ぴゅーっと飛ぶ。
・島は一つずつしか渡れない。
・コップの8割まで水が入っている状態をどうみるか。2割足りないとみるか、8割もあるとみれるか。
・面接室に入る前に、自分は硬質のゴムになると言い聞かせる。風で倒れもしないし、相手の心の動きにも合わせられる。
・小池に小石を投げるつもりで接する。土井ホームは朝の挨拶は「おい、殺すぞ」「なに、埋めるぞ」「なに、沈めるぞ」。そういう子にも、めげずに普通の挨拶を繰り返す。心の底に、私の投げた小石が少しずつたまるかな、とイメージして毎日投げる
・時熟、マラソン。結果が早く出ないと待てない。施設に入れろ、病院に入れろ、と向こうの世界にやろうとする。成熟を待ってやらないと。マラソンの伴走をしてやらないと。子供、利用者の成熟を待ってやる。
・まっすぐは成長しない。ぐるぐるぐる回って、円環的に成長してく。支援も円環的に。
やはり彼は中井や神田橋をよく読んでいるようだ。

我々は精神病院を解体することに関心を持っている。
ドキュメンタリー「精神病院のない社会」を見て、しかしディテールが描写されていないことに不満を抱いた。
バザーリアはいかにそれを実現したのか。
精神科薬はさまざまにあるが、結局どれもその人をぼんやりさせる薬であることに変わりはない(『精神科の薬について知っておいてほしいこと』)
薬物をなるだけ使わずに、つまりなるべくその人をぼんやりさせずに、拘束もせずに社会で生きるサポートをするにはどうすればいいのか。
そのディテールの一部を土井氏に見たように思う。
我々に親業をやれるか。理屈ではなく親業を。
子にイライラする自分に日々うんざりしているこの私に。