飲み会

そこは大学や病院の同期や先輩医師が集まって、留学や専門の難しい話をしていたのである。

優秀な人間には見えるものが私とは違う。留学には若くなければ良い奨学金も得られぬこと、すでに数本英語の論文を書いていること、ある人はずいぶんと救急の症例をこなしていることなど。

私はとてもつまらなかった。私自身がそれらの話を楽しむ力がなかったのもあるし、参加者の幾人から私が疎まれていたのもあるだろう。

私は疲れた。私はいったい何をすべきなのかはいまだに分からない。

こんなにまで苦労して医者になったのは糊口の術と人のためになる術を得るためだった。その上で生きる上での真実を考えられたら…これに勝ることはない。

理化学は金と知能が必要であり、年取って優秀でもない人間にはそれらは与えられない。哲学や思想も大変難しい。そもそも哲学や思想が生きる上での真実に近いのかもわからない。

私は何をすべきなのだろうか。医者になったときのように、切実に祈らねばその答えは得られないだろうか。

多くの人が私をあるいは軽蔑し、あるいは優秀と誤認するがすぐに間違いに気づいて去って行った。いよいよ祈らなければならない。私の真実のために祈らなければならない。私の中には何もなく、ただ祈る時のみ問題は解決する。

空谷子しるす

由布院

妻と由布院に行った。

というのは我々は新婚旅行がまだだったので、勤め先の病院が変わる際に休みが取れそうだったからそれで二泊三日で旅に出たのだ。

九州は線状降水帯がやってきていた。

私はちかごろは雨に降られぬことが多く、それは或いは神様の賜物かとも思うのだが、果たして大して降られもせずに旅を終えた。

私ははなはだ疲れた。観光客向けの店が疲れさせたのもある。妻が将来大阪に住みたい住みたいというのが心にのしかかるのもある。三次救急病院のつとめが苦しかったのもある。小児科専門医のための論文が書けないのもある。

私は限界をとっくに迎えている。しかしそれを限界と思わずに歩いている。そうして私はこれからどうなる?壊れて死んでしまうか、あるいは別種の私になってしまうか、そこは本当にわからない。

由布院には宇奈岐姫神社という古社がある。由来はわからない。延喜式内社だから相当古い。うなぎひめとはなんであろうか。いまだ知らない。

由布岳は雲がかかりその頂きはついぞ見えなかった。由布院の里は清らかな水が流れ、美しい流麗の緑の藻が乙女の髪の毛のように滑らかだった。

しかし私の目はそれを楽しむ力はまだあっても、私の頭はそれらを楽しむことができなくなってきている。

産まれてくる児のこと、仕事のこと、大阪に住むとか住まないとかいうこと、それらから逃げるためだろうか、最近物理学のことを楽しみたくなった。物理学の本を読むようになった。しかし理解はできない。

世の中の真理が知りたいと思うのだが、実際は苦難から逃げたいのであろうと思う。私は物理学を理解して新しい知見を得るだけの知能が足りてはいない。

私は何をすべきなのか(わたしはなにをすべきかは分かっている。そうではなく、私は何をすべきかが知りたいのだ)。私がよく生きるためになにをすべきなのか。それは人間は答えを持たない。一切全ての人間は答えを持たない。神様のみがご存知で、或いは私に知らせてくださることと思う。

空谷子しるす

節分

矮小である。

というのはいつものように私は自分が惨めになっているのであって、妻との衝突、仕事の失敗、過重な精神的肉体的負担が私を痛めつけた上に、寒いし腹も減っているので、とても捨て鉢な気持ちになっているのである。

妻は言った。

「NHKばかりしか見ないとか変わり者だ」

私からしたら民放のバラエティを見て芸能人のあれこれに詳しい妻は変わり者である。

吉田のラーメン屋「みみお」に来てラーメンを待っている。

今日は節分だから街に人があふれている。節分は好きだ。春めいているし、正月や夏祭りより馬鹿騒ぎしないからだ。ひいらぎも、いわしも、いりまめも全部好きだ。

昨日は熊野神社で福袋と八つ橋を買った…福袋に挿してくれた梛の枝は家に帰る間に取れて落ちてしまった。最近落とし物や忘れ物が多い。今日の朝は電磁式切符を落とした。私の頭が限界を訴えているのだ。

否定的な感情が湧き上がるのは自分が理不尽な目にあっていると思うからだ。それは一面には正しくないが、ある面では正しい。私の自力のなさゆえに人を苦しめることは私もつらいことである。妻は自力の人である。改善すればいいと私に言う。そうかもしれない。妻は本来難しいことは言っていないのだろう。私にとってそれが難しいのは何故なのだろう。私がもしかしたら定型発達者ではないからだろうか。

私は生きていてはいけないという思いが出てくる。腹が減っているからだ。ラーメンはまだ来ない。店長は忙しく働いている。節分の客が店内を埋め尽くしている。店内は不思議な調和がある。私はみみおのラーメンが好きだ。

結婚。あの披露宴というものは本当に私に不向きで、似合わないことばかりだった。脳が回らなくてまったく事態を把握できなかった。

新しいことを行うというのは多かれ少なかれ傷がつくことである。新しいことの全てには苦しみが伴う。傷がつくのは悪いことではない。人生は全てが苦しみであり、傷を負うために生きているからだ。多くの傷そのものが私なのだ。そして、私につけられた過去の傷を、さまざまな新しい状況が否定していく。古傷の上に新しい傷をつけていくのだ。傷は悪いことでは無い。傷そのものが人そのものだからだ。生きる上で全てのあらゆる一切が苦しみを伴うからだ。

私の長所。人へのやさしさ。多くの人が評価するらしい部分。それは私そのものではない。大量の傷の上に浮かんだ油粕みたいなものだ。私の本質は傷そのものである。

節分は好きだ。悪いものを出して新しいものがくる日だからだ。実際には来なくても、「新しいものがくる」とみんなが言う日だから私は好きだ。

ラーメンはまだ来ない。

もしかすると傷は私そのものではないのかもしれない。私は傷の上に浮かんできた油粕が本体なのかもしれない。そうすると妻は正しい。私の優しさというものを眺める妻は私の本質を見ており、私の傷を眺める私は私の本質を見ていない。

彼女は正しいのかもしれない。

空谷子しるす

日吉

比叡山の近江がわのふもとは坂本と言い、そこには山の神と三輪の神を祀る日吉大社がある。その社をさらに湖側に降ったところに私たち夫婦の住まいがある。

夫婦になってひと月が経ち、いまはまだ妻も機嫌が良いようだが元来私は不器用で物事をうまく処理するを得ないから、ときおり妻に叱られるのが今後はいよいよ加速して愛想をつかされることも十分にあり得ることである。よし子どもができたらなおさらであろう。さまざまな手続き、育児そのもの、家事、それら全てを仕事をしながらやらねばならぬとあれば、私は対応できる気がしない。小児科医としての仕事も全然不十分であれば、これはもう妻に怒り狂われ、仕事のうえでも疲弊することは容易に想像できるのである。妻はとても器用な人間で、みずからが思い描く状況があり、それはしばしば言葉で表現されない。私は彼女の器用さについていく能力がないのだから、彼女の理想を満たさず、彼女の不興を買うことが常のことだ。それを自力で「がんばって」改善することは絶対的に宇宙的に普遍的真理として究極的に一切不可能なので、いよいよ祈り続ける。

養老孟司氏の「ものがわかるということ」という本を読んだ。

彼はつねに「情報」と「身体」のちがいについて述べているようだ。身体が私たちそのもの、私たちの個性であって、私たちを捨象した情報は私たちではない、ということかなと私は彼の本を読んで勝手にそう思っている。「個性」というのは幻想なのかと。

情報は変わらない。「私」というものを規定していると思い込んでいた数々の思想やこだわりは実際には私そのものではない。私が身体であるとするなら私は変容していくはずである。頑迷とは愚かさなのかもしれない。変容することを考えなしに受け入れることが「いい」ことかもしれない。

とくに私は人より考えすぎるようで、箕面の神父にもそのようにたしなめられたから気をつけなければならない。考えることなく、妻との暮らしで変容していく。変容して適応しようとしているのだ。しかしいくら適応を試みたところで。私の能力が不十分である以上、妻との間にいずれ深刻な相剋が待ち構えているだろう。人間の愛情や感情はそれこそ生きたものであり、かならず変わり続ける。それは人間の「自力」による努力などでは保つことのできないものだ。

祈らなければ何一つ行うことはできない。

祈らずにいられる人は幸いである。なぜならば彼ないし彼女は私と違って能力に恵まれているからだ。

空谷子しるす

須賀

須賀神社は聖護院のあたりの鎮守様である。

康治元年に美福門院の建てた歓喜光院の鎮守として岡崎のあたりに創建され、その後場所を聖護院の前に移して今に至る。

須賀というのは素戔嗚を祀る宮のことだ。出雲の須賀に素戔嗚が至り、「吾が心此処に至って清々し」とのたまったのが須賀のはじまりと言う。

このところ当直が続いたり、期限の過ぎた症例発表の準備をしたりで私はとても疲れている。当直明けに聖護院まで来て、五大力さんと須賀社にお参りするのが常のことである。

この近所にはちいさな蕎麦屋があり、そこの中華そばが何とはなしに滋味深くて好ましいのだ。

めしを食べて部屋に戻ると寝る。仕事のこと、結婚のこと、これから生きられるか、さまざまに気になることは多いが、「客観的の」立場に立てばすこし気持ちは楽である。

客観的の立場というのは正岡子規が「飯待つ間」か「墨汁一滴」かに書いていたことだ。正岡子規は結核で床にふせって褥瘡もできて痛くてたまらなかったわけだが、「死」を主観的に見ると恐ろしくてたまらないというのだ。しかしその見方がふと客観的になることがある。客観的の死というのは、自分が棺につめられて、野辺の送りをやって、埋められたあとは小さな石を墓標にして皆が帰っていく。その有様を見ると、なんだか落ち着いて静かで、むしろ滑稽味さえ出てくる。恐ろしさも苦しさもしばらく忘れると言うのだ。

正岡子規の命の瀬戸際に及ぶことはないが、この客観的の見方というのはいいもので、私のようにその場その場で相対的に劣る人間にとってはありがたいことだ。主観的に見ると周りが圧迫して、蔑み、要求された仕事ができないという思いで苦しまなければならない。

客観的に見ればできぬものはできぬのである。できぬなりにおのれの利益になるようにやれるだけやるしかない。なんにしても他人の言うことは意味がない。客観的に見れば、私は私に利益になればなんでもよいのだ。

しかし自分のことだけを考えるというのは主観的なようにも思える。正岡子規の客観的と私の言う客観的は全然違うものかもしれない。かもしれないが多分同じものだ。

空谷子しるす

難波

難波神社は第十八代のみかどである反正天皇が、父君である仁徳天皇を祀ったことに始まるという。

結婚式の相談に本町まで来た私は早く着きすぎたのであった。

小雨が止まない。大阪の街はしとど濡れ、船場の高層建築は勤め人もおらず北御堂も雨の中である。

御堂筋を車が行く。ひどくうるさい音の二輪車が行く。ベントレーの店の中では高そうな車が睥睨している。親しみ深いのは御堂筋のイチョウの木で、銀杏はもうほとんど回収されたがまだいくつか地面に落ちているから鼻を凝らすとかすかに嗅ぎ慣れた臭い匂いがする。

イチョウはまだ緑色である。

延々と街を歩いて、瀟洒な革鞄の店や、マリメッコの店や、ゴルフ用品の根明な店やを見ていくと、私もしだいに普通の人間の感性が刺激されるようだ。私は街にも慣れず、自然の中で生きるほど強くない。どこにいてもイマイチだ。だから祈る。

難波神社は多くの大阪の寺社と同様、空襲で焼けたから本殿は鉄筋コンクリートでできている。境内のクスノキは奇跡的に焼けなかった。巨きな木姿はとても力強くて美しい。さわるとやんわりとして優しい。

神道はしばしば人間を神に祀るが、それは人間信仰にならぬ。どこか土地の霊や神の霊とへだてが無くなってくるようだ。

何もかも全てがうまく行きますように。

空谷子しるす

白山

京都の洛中に白山神社がある。

治承元年、加賀の白山比咩神社が都へ強訴した。神輿を担いだ僧兵が押しかけたのであったが、訴えは聞き届けられなかった。それで僧兵どもは担いできた神輿をその場にうっちゃって加賀に帰ってしまった。うっちゃられた神輿を祀るようになったのがこの神社の始まりという。夫婦和合に験があり、歯痛にも効く。

私はコロナに罹患した。COVID-19という鹿爪らしい名前の不愉快な病気である。一週間、私は熱と咽頭痛と強い倦怠感、めまいなどに悩まされ、一日中部屋の中にいてはyoutubeを見ていた。

それがどうにか治ってきたので私は白山神社に参ることにしたのであった。

外はもう秋であった。小雨が降りかかる合間に木々はようやく色づいて、軒先の大きな萩の花がやや散りかかったのが匂やかだ。近所のデュランタの花は終わろうとしていた。季節は徐々に巡っていた。

私は大学の業務に圧迫されていて、院内の症例発表の準備をしなければならない内に病を得たのであった。発表の準備は、上の医師たちの求める水準には到達しないが、これ以上は無理なようである。私には何がしかの学びになったからよいと素直に思う。上の医師たちは私のことを使えぬ奴と烙印を押すのだろう。

私は病床にあって、助平なことを考えるか、ある卑しい配信者(おそらく軽度の知的障害がある)に憎しみを燃やすか、そんなことばかりしており、あとは世界樹の迷宮というゲームをやってはようやく終幕まで来たのであった。私が祈りに行くのは一つのバランスかもしれないし、あるいは私の行いの全てが祈りかもしれない。

小雨の中で白山神社は街中に寓居せられており、きれいに整えられた境内はどこかかわいらしく、やはりこれは白山宮なのだと、うっすらと懐かしい気持ちを嗅ぐ。白山はまことに尊く美しくておわします。

お参りが終わり、また帰路につくのであったが小雨はやむことなく中京の街中に降るのである。私はとても白山にまたお会いしたい気持ちがあるが、なかなか果たせそうにない。その雪も、草も木も、清らかな川、きびしい大岩、全てが美しく、あそここそは本当に人間の住むべき場所なのだ。ここいらは、街中というところはいずれの街中だとしても、今の時代にあっては人の住むべきところではないように思えてくる。極楽も地獄も無い人間は本当の地獄にいる。極楽も地獄もなく神も仏もいない真の地獄だ。そのような地獄にいる人間たちが集まって生きる算段をつけるのはいいが、主客が顛倒しては生きられない。

空谷子しるす

神峯山寺

神峯山寺は大阪の高槻から山深いところにある。

開山は役行者といい、伏見宮邦家親王による「日本最初毘沙門天」の親筆が見つかったことで知られる。

結婚云々のことは彼女がさまざまに奔走してくれ、徐々に進んでいた。

彼女は言った。

「結婚式でクイズをするのはどう?たがいの家族のことを出して、丸が多い人は引き出物のお菓子を変えたりして…」

私はいささか難色を示した。あまり当家の人々がそうしたクイズを好むとも思えなかったのもあるが、当家の人々のこまかな性向にさまで関わらぬことで平穏を保っていた私がそのようなクイズになるような事項を考えられるべくもなかった。

「…ならクイズはやめにしよう 手紙の読み上げはどうしよう?」

私は自身は母に手紙にて伝うべきことは何もないと言った。

「なら私は母への手紙を渡すだけにするね…」

彼女は落胆したようであった。

彼女は私の快い同意のもとに催しをしたり二人相互に手紙の読み上げをしたりしたかったのだろう。しかし私はそれらを良いものとは思えず、「いいね」と嘘をつくことはできなかった。手紙を読み上げて泣いたりするのは小さいころから見ていて好きでなかった。結婚する当人とその親にとっては大事なことだが、それほど親しくない他の親族にとっては共感できぬこともあるだろうと思われた。またゲームというものも、大勢と親しむことの苦手な私には小さいころから苦痛であることの方が多かった。

つまるところ私は陰気な性格である。彼女はごく普通の、愛し愛されてきた尋常の人間である。彼女のほうが常識的であり、私のほうが非常識である。しかし世界中の誰でも、私自身ですら、私の価値観をまげることはできない。

私はお寺に詣でることにした。

神峯山寺へは国鉄高槻駅北口から原大橋行きのバスに乗る。十数分揺られるとふもとにつくからそこから歩く。樒のしめ縄をくぐり、もう少し歩けば幽谷の山門が見えてくる。

山の中は涼しかった。晩夏の高槻は街中は暑けれど沢のそばは風が通って心地がいい。

山中は広いわけでもないけれど落ち着いた有様で、みどりの楓が光に透かされて風に揺れているのがとても美しい。

神峯山寺には九頭竜滝があり、行者の方々はここで滝行をするのだそうだ。役行者は葛城山にて修行の折、遠く北の山中にひらめく光を見出してこの九頭竜滝に至り神峯山寺を開いたという。以来神峯山は龍神の坐す山と仰がれている。

このあたりは摂津と山城の国境で古くから交通の開けた土地と見え、古い信仰の場所がいくつもあるようだ。山崎は天王山の式内社酒解神社などもそのひとつだろう。とても興味深くゆかしいことである。

私は寺を辞して山を下った。

高槻の駅前でロッテリアのハンバーガーを買った。彼女がいちばん好きなハンバーガーはロッテリアなのだそうだ。私は十数年ロッテリアを食べておらず、味を思い出したいと思った。

温かくふんわりしたバンズのそれは、ごく普通のおいしいハンバーガーだった。

空谷子しるす

専攻医12

様々な児がいる。いままた児が危うい。

私はとても疲れている。血液グループのローテーションが終わり、また別のグループにいるが、血液はとても大変だった。首筋のあたりにじっくりした重みが被さっている。

世の中はお盆であって、先祖の霊を祀るのか、ただ遊ぶのかは人それぞれだが、めいめいが焦熱の中を休んでいる。私も、ああ、どこかに祈りに行きたい。神仏に委ねたい。

ちかごろはまた日本とヘブライの関わりに興味がある。大昔からこのたぐいの話は父がよく話をして私に身近だったから、ふるさとに帰ってくるような気持ちである。荒唐無稽な話のようで、しかし何らかの影響はあったかもしれないと思うと、やはり日本の神仏というのは多様にして全て異なりながらも一なのではないかと思われてくる。たぶん「私にとっては」それが神仏についての真実なのだろうと思う。

余分なことを考えたくないのは私がとても疲れているからだ。私はなにか、安定した楽しい時代というものは無いままに、ただ背負う荷物ばかりが重たくなっていく気がする。しかし考えてもしかたがない。だからこそ祈りながら、考えずに生きていくしかないし、それでようやく生きられるのだ。

空谷子しるす

専攻医11

イエズスのように生きることはとても難しい。

血液のローテーションが終わり、神経免疫グループに移った。血液ではまだ様々な児が様々な困難に直面していた。悪性腫瘍という大病を乗り越えるにはめちゃくちゃな治療を必要とする。そのために圧倒的な労苦を必要とする。親も児もいらいらしたりわめいたり疲れたりする。本来生きられなかった者が生きられるかもしれないとなると、次は様々な要求も出る。あの症状を止めよ、この症状を止めよということになる。本来が無理を通して不治の病を治そうとしているからさまざまな症状は出る。その全てを予防したり治したりすることは不可能である。医者も人間だからそのできることはしたいと思う。

どうも体調がよくない。今週末は二日連続の当直である。

どうか神様がお守りくださいますように。

すべての人が幸せになりますように。

空谷子しるす