専攻医12

様々な児がいる。いままた児が危うい。

私はとても疲れている。血液グループのローテーションが終わり、また別のグループにいるが、血液はとても大変だった。首筋のあたりにじっくりした重みが被さっている。

世の中はお盆であって、先祖の霊を祀るのか、ただ遊ぶのかは人それぞれだが、めいめいが焦熱の中を休んでいる。私も、ああ、どこかに祈りに行きたい。神仏に委ねたい。

ちかごろはまた日本とヘブライの関わりに興味がある。大昔からこのたぐいの話は父がよく話をして私に身近だったから、ふるさとに帰ってくるような気持ちである。荒唐無稽な話のようで、しかし何らかの影響はあったかもしれないと思うと、やはり日本の神仏というのは多様にして全て異なりながらも一なのではないかと思われてくる。たぶん「私にとっては」それが神仏についての真実なのだろうと思う。

余分なことを考えたくないのは私がとても疲れているからだ。私はなにか、安定した楽しい時代というものは無いままに、ただ背負う荷物ばかりが重たくなっていく気がする。しかし考えてもしかたがない。だからこそ祈りながら、考えずに生きていくしかないし、それでようやく生きられるのだ。

空谷子しるす

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