その方は肺炎と心不全を患っておられた。
大正うまれであって、戦争を経験されたようなのである。
「ようなのである」とは、本人が認知症なので、また発声がいささか不明瞭なので、はなしがよくわからぬのである。
「南方で航空隊やったんよ」
と、その方は仰った。
「兵長やったんや。飛行機の整備をやっていた。二等兵から兵長になるのは、並のことやないんよ」
私は旧日本軍のしくみに明るくないが、一兵卒が兵長になるのは、たしかに大抵のことでないように思われた。
15歳でバルブ工場につとめたらしいのだ。
バルブの中の溝を、手作業で削っていたらしい。
その技術力が上官にかわれたのかもしれない。
水道管やバルブは、私の研修地の名産である。
「あたらしいバルブを、開発せなあかん」
彼の「あたらしい」ことへの情熱は強かった。
「ふるいものと、あたらしいもの、そのいれかわりが難しい」
先のいくさから、とにもかくにも日本は変わったし、世界は変わったのであった。
べつに欲しいといったわけでもないのに携帯電話が出た。パソコン、タブレット、スマートフォンに、そうした高価なものがなくては生きていけぬ習いとなった。
バルブも、今は彼の言うような古典的な削り出しでは作らなくなったようだ。
「この◯◯(患者さんの名前)がいたということを忘れないでください」
彼は歯のない顔で笑った。
そうして彼は私の手を取った。
「えい!えい!」
彼は私の手に、みずからの手を勢いよくなんども重ねた。
それはなにか、かたちにならぬものを渡そうとしているかのようだった。
しかし、それがなんだったのかは、いまだにわからぬままだ。
空谷子しるす