ある当直明けの書簡

忙しい当直を終え、ビールを飲んでいます。
当直の後のこの高揚をおさめるには飲む他ありません。

昨日も印象深いエピソードがありました。
あるおじいさんがショック状態(循環不全)にあるが、その原因が分からないと日勤帯から引き継がれました。
間質性肺炎という病気がもともとあり、ステロイドというお薬が減量されていたことから、残る原因として副腎不全が疑わしい、と申し送りを受けました。
しかし、ステロイドの漸減はゆるやかなものであり、副腎不全をきたすペースとは思えませんでした。
加えて、血液検査では低Na高Kや低血糖といった所見はみられませんでした。
ショックのよくある原因として、敗血症を伴う感染症がすぐに想起されますが、四肢は冷たく、好中球の左方移動も見られません。
心電図は心筋梗塞のようではありません。
レントゲンでは肺炎の陰影に変化はなく、気胸だとか縦隔の拡大もありませんでした。
心臓の超音波検査では下大静脈はぺこぺこに虚脱しており、左室にはkissing signが見られました。
血を吐いたり、血を下したりといった病歴はなく、元々腹部大動脈瘤がありますが、超音波検査では腹水もみられませんでした。
大血管や心臓を観察するにhypovolemiaと思われましたが、生理食塩水を1000ml以上負荷しても血圧は回復していませんでした。
なんともヌメっとしたショックに、これは血管系だろう。早くCTで評価したい。しかし、血圧が70前後をふらふらしてERから移動できない、どうしたものかとヤキモキしていました。

このように奮闘しながら、なんとかCT撮影にこぎつけ、やはり元々もっていた腹部大動脈瘤が破裂していることを見出しました。
しかし、肺の悪いおじいさんは手術に耐えられる状態ではありませんでした。
元々お腹に抱えていた時限爆弾が破裂してしまったのです。
もはやフェンタニルという医療用麻薬で痛みを緩和する他ありませんでした。
結局、そのおじいさんはERにいらっしゃって、5時間くらいで亡くなりました。

診察中は家族を入室させることはできないことが多いです。
特にこのおじいさんのように、急変する可能性がある患者さんの場合には。
僕はなんとか方向性を定めて、長年寄り添った老妻を呼び入れ、2人が言葉を交わす機会を設けることができました。
振り返るにそれはギリギリでした。
最期には妻、中年に達した息子・娘、小学生や中学生と思われる孫達に取り囲まれながら、息を引き取る手引きをしました。
我ながら少し誇らしいお看取りでした。

忙しいERでお看取りをするというのは実は難しいです。
なにせ、(予定で入院する緩和ケア病棟などと違い)ERに受診したわけですから、本人にとっても、家族にとっても唐突にことが起きたわけです。
そして僕によって、まもなくご老人は死ぬこととなる、手の施しようがないと、突如告知されます。

僕はクリスチャンではないんですが、
高校がカトリックの高校でして、ある司祭に僕は発見され、卒業後も教育を受けました。
さまざまな書物とさまざまな人を紹介され、僕の世界は豊かになりました。
時に自力ではおよそ解決できなかったであろう知恵も授かりました。
僕は、神なき世に、司祭的機能をどのように担保できるか、
つまり、彼のようになりたい、という想いがあります。

医療者は宗教者と同様、生と死に携わる数少ない職種の一つです。
僕は昨日、あの激務の最中に、おじいさんが数時間以内にこの世を辞去することを見てとり、家族に告げました。
宗教者にもできない、医学的判断に基づいた宗教的支援ができる類い稀ないタイミングです。

ERでは患者さんと、その家族に関わらないで済ませるための弁解がたくさんあります。
まず、忙しい。
他に死にそうな人を救命しなければいけない、あの患者を待たせている、入院が必要と判断した患者のもろもろの同意書を得なければならない、またホットラインが鳴った、などと、文字通り忙殺されています。
あの時の僕も他に重篤な患者を診ていました。
原因不明の意識障害でけいれんが止まらない高齢者です。
その他軽症・中等症の患者もいました。

そのおじいさんの脈がのびはじめたと看護師より聞いた時、
忙殺されていた僕は、一瞬、ああそうですかと流しかけた。
それは10分だかそれくらいで心停止をきたす医学的サインです。
忙しい医療者にとって、死の間際の徐脈というのは、心停止手前を示す一兆候にすぎないのです。
しかし、ほぼ同時に、個室の中で大家族が旅立たんとするおじいさんを取り囲んでいるのを窓越しに僕は見た。
一見して、そこに緊張があった。
その緊張が私の精神に反響した。
彼らが、医学的な導きなしには、呼吸がやがて止まりゆく爺さんをみて、受け入れるということは極めて難しいだろうということがすぐに分かりました。
医療者は、どのように患者がひたひたと死に向かっているのか、それを知っています。
終末期に起こる嵐のような「こと」は、「もの」としての医学的な言葉が求められていました。
僕は、家族のそばに侍って、案内しなければならないと思い立ちました。

先般ご紹介した『複雑性PTSDとは何か』という対談集の中で、神田橋先生が緩和ケアについて僕に教えていました。
いまわの際の時には、戸惑う家族に患者の額を撫でさせて別れの支援をした方がよい、と。
これまでも臨終の際のさよならの支援に僕はこだわってきました。
7歳の男児がお家で亡くなった時、尻込みする兄の手をとって、頑張ったなと手を握ってやるよう導いたことがあります。
あの時も終末期の嵐の中、全く動物的勘でそのような僕はそのような援助を思い立ち行動に移しました。
あの僕の援助に、兄の手をとって、旅立った瞬間の弟の手をとるよう促したことに、医学的に肯定的な意味はあるのだろうか、
とその後もことあるごとに思い出していました。
ですので、神田橋先生の言葉は、僕の過去の(トラウマというともちろん大袈裟ですし、現代的すぎますが)ふるまいを肯定する役割を持ち、すぐに僕の心に響きました。

昨日はそれをすぐに実践しました。
小学生と中学生の孫は、死体となりつつある愛すべきおじいさんに近づくことを躊躇っていました。
僕は、家族皆に、いま耳は聞こえているから、ありがとうと言ったらいい、ちゃんと聞こえているからね、と支援しました。
皆、泣きながら、応じました。
手をとって頭も撫でてあげたらいい、ちゃんと聞こえてるからと。
そうか、そういうことなんだ、という具合に僕の言葉を受けていました。
孫もみな、そのようにしました。
下顎呼吸をとらえて、この呼吸は大丈夫ですか、と問う息子に、
これはあちらの世界に旅立つ準備をしている呼吸ですよ。大丈夫ですよ、みんなに見守られながら穏やかにみんなを感じていますよ、と答えました。

あの場で起きた「こと」は、僕がこのような言葉という「もの」で切り取るよりも、豊かななにかがありました。
特にあの場の老夫婦の間におきていた交流を僕はうまく描くことができない。
しかし、僕の試みた「もの」化は、「こと」の事後的な記述には適切でなくとも、あの時あの場所で緊張状態のなか皆がさまよっている「こと」をある程度緩和する機能は果たしたようです。

喪の作業では、やはり泣いた方がよいと僕は思います。
涙は精神が絶えざる循環の中にある根拠です。
泣けないことは精神の循環不全を示します。
涙として溢れ出ないと緊張した高圧状態がその後も続きます。
緊張は人間のふるまいを一へと閉じ込めます。
それはデタラメも遊びも笑いもない冷たい不自由な世界です。

このような援助は現代においては医療者にしかできないことです。
そして、それをしないですませる弁解が医療者にはたくさんあります。特に忙しいERにおいては。
僕は(今回おそらくたまたま)弁解せずに、彼らを導くことができた。
こういうことをするために僕は医者になったのだと、今は振り返る余裕があります。

昨日起きたことをすでに僕は美化し、都合のいいように歴史として記述していますが、後悔が残ることもあります。
もっと早く診断できればいずれにせよ死を避けられなかったおじいさんと家族の時間を少しでも増やすことができたかもしれない。
そのことを一緒に関わってくださった看護師さんにこぼすと、
でももしそうなら臨終の前に入院病棟に移動してしまって、あのように家族全体で見送るということはできなかったと思いますよ。だから、診断が遅れてよかったんです。
と励ましてくれました。

すみません、直明けにたかまった交感神経をアルコールで鎮めているもんで、筆が走ってだらだらと自画自賛するという恥ずかしいことをしています。

しかし、こういった人々の魂の緊張を和らげ、生じる心的外傷と喪失をどのようにケアするか、それが僕の目指す全てです。

素寒

『現象学の理念』

3年ほど前のプライマリケア連合学会でビブリオバトルに参加し、本書を紹介した。
その時の原稿を残していたので掲載する。
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みなさんは患者さんをケアするとき、寄り添うとき、どうすればケアになるのか、寄り添うことになるのか、困ったことはありませんか?

私は、非常に困っています。
訪問診療で例えば終末期ガン患者さんと向き合うとき、
手を握って傾聴したり、関係性に着目したり、自律性に着目したり、痛みには麻薬で調整したり、家族と医療従事者と連携します。
しかし、十分に寄り添えている、などとは決して思えません。
思ったとたん「お前はこの苦しみを経験したことがないから分からないだろう」という心の声が直ちにわきあがってきます。

例えば、家庭医療で有名なマクウィニー先生は死にゆくひとに注意を払いなさい、と指摘しています。
それもただの注意ではなく、完全な注意を、と指摘しています。完全な注意とはなんでしょう。
非常に抽象的です。しかし彼はわざわざ言い直しています。
イギリスのジョン・フライ先生は16世紀の外科医のアンブロ・パレを引きつつもケアの重要性を再三指摘します。
科学には限界があり、キュアにも限界がある。しかし、キュアはできなくてもケアは常にできると。
この学会はプライマリケア連合学会ですが、プライマリキュアではなくプライマリケアです。

でも、ケアがなんであるかを端的に明言したものは私はみたことがありません。
従って、普段はわたしは、例えば終末期がん患者さんに接する時、非常に困ります。
はて、よりそうとは?完全な注意を払うとは?

でもそれは、もしかしたら本来的に概念として定義できないもの、であるからかもしれません。
そのような時、この本はヒントを与えてくれるかもしれません。

この本の著者エドムント・フッサールは現象学の創始者です。
皆さんも最近ケアの領域で間主観性という言葉を聞かれたことがあるかもしれませんが、あれはもともとフッサールの仕事です。
この本は彼の仕事の最初期のものです。
彼は、認識とは何か、を非常に深く深く問い考え抜きました。
彼は認識とは、直接に、明晰に、直観することだ、と繰り返し指摘します。
その時、その認識から概念は排除せよ、とも指摘しています。
なぜなら、概念は、外側にあるからです。
ではなくって、直接的に知覚されるもの、目の前にあるものをしっかりつかんで、そこに注意を払え、と言っています。

例えば、私が、自分は何者かと考えた場合
男性で日本人である私、2000年代を生きる私は〜と記述してもよいでしょう。
愛国心ある自分として記述することもできます。
自然に考えるとそうなるだろう、でも哲学的に考えるとは、そのように考えることではないとフッサールは言います。
私は日本人でなくたって私だ。私は男でなくたって私だ。
日本人だとか男性だとかは、外部の概念であり色眼鏡にすぎない。
そういった外部の概念に頼ら判断を一旦中止してみよ、現象をそのまま直観せよ。
色眼鏡を外しなさいと言っています。
これが現象学的還元です。

この本は哲学書ですから、もちろんケアについての本ではありません。
しかし、フッサールによると、苦しむ患者さんに寄り添うとき、どんな教科書にあるどんな概念で、この人に向き合えばいいのか、と考えるのではありません。
外部に頼らず、内へ内へ。
今認識していること、患者さんとの間で起きている現象をそのまま掴む。
目をそらすな、完全な注意を払え。そうですマクウィニーの指摘する完全な注意と重なってきます。

ケアが定義できないかもしれないと言いましたが、現象学的に言えば、ケアは相手ありきです。
ケアとは何ですか、と言った場合に、それは誰のケアですか、誰との間でおきている現象のことですか?という問いが立ち上がります。
したがって相手不在の簡潔な定義はできません。

哲学書はだいたいそうですが、読むのが非常に困難です。
僕はこの本を30回くらい読みました。
10回読んで薄ぼんやり
20回読んでなんとなく
30回読むと、ああなるほど
非常に難解で、時に放りたくなりますが、頑張って読んでみてください。
哲学は実学としては役に立たない、なんてことは全くありません。
必死にしがみついてみてください。
苦しむ患者さんに寄り添う時、逃げるな、退くな、今起きていることをしっかり見よ、感じよ、そんなフッサールの息遣い、励ましが聞こえてくるでしょう。

素寒

ぼけ、再び

道すがらボケの赤をみとめ、思わず立ち止まった。
20年ほど前に、やはりぼくを釘付けにしたボケ。
その出会いの唐突さに世界が少し揺れた。

一週前までは刺すような冷たい外気があった。
暖かくなった春の日差しに包まれると記憶がゆらゆらと、
ふと解離から覚める。

回診で寝て過ごす高齢者達にボケのことやユキヤナギも咲きそうなことを報告してみた。
みな認知症をもっている。
ある者は年相応に、ある者はすっかりいろんなものがわからなくなっている。

ボケがもし古い記憶としてあるならば、その索引性でもって何かを手繰りよせられないか。
歌を歌ってもらって手拍子をとるなどすると活気づく場面はこれまでにも経験している。

5人中3人は普段と変わらぬ無表情を維持した。
1人はほんまか、ととぼけていた。
同室の誰かが笑っているのが聞こえた。
おそらく、ぼけ、という音に惹かれたのだろう。
味をしめたぼくは追撃を試みる。
ぼけてますね、なんて失礼言ってるわけじゃないですからね、ぼけてるのはみんな同じですからね
ぼけを見たぼくがぼけた。
予想通り、同室の誰かの笑い声が大きくなった。

もう1人は泣きつつ笑った。
彼女にサクラとボケはどちらが好きですかと問うと、
知らん、
と返答があった。

知らん、
という快活な響きは我が家の3歳男児を思い出させた。
彼は好きなことを自分で訴えられるようになった。
しかし好きな理由を問うと、
知らん、
と明快に答え、爽やかな風が吹く。
彼も3歳で正しくツッコミを入れられるようになった。
順調に言葉の海を楽しんでいる。

両者は認知機能としてはどちらも十分ではないという点で共通している。
片や上り坂に、片や下り坂にいる。
機能が十分でない場合に日常生活の自立がままならず、サポートが必要となる。
それは高齢者であっても小児であっても同じだということが、両者を診ているとよく分かる。
機能が十分でないことに対する他者によるサポートが必要である。
しかし、医師(親)という他者の主体性が、ケアを受ける者の主体性を凌駕してはいけない。
いや、時に避けがたいこともある、がしかし。
機能、イメージ、他者の喪失とその外傷に関わることがライフワークとなるだろう。
物心ついたときから私のまなざしはなぜかそこに向かっている。

随分前に妻と議論したことがある。
花が咲いていると、君はだーれ?なんていうの?
と聞きたくなる。
君は気にならないのかい。
美しいと感じることが大事なのであって、花の名を知ることは重要だと思わない。
じゃあ君は、好きな人の名前が気にならないのかい。

花の名を知ることは、花に気をかけ、愛するということだ(寺尾紗穂)

いまわのきわの方針についての意思表示が重要であるとよく言われる。
ACPのP、planningは現在進行形であって、動名詞ではないなどと。
心肺停止時に延命処置をするかどうか以外に、
好きな歌や、好きな花など意思表示しておくとよいかもしれない
好きな食べ物でも、好きな馬でもいいだろう。

僕がボケた暁には、
真っ赤なボケが咲いたよ、だとか、
ハクモクレンが妖しくも美しいよ、だとか
サルスベリは雨に濡れるとやっぱり色っぽいね、
などと話しかけて頂きたい。

素寒

島行 

その島でパラサイトという映画をみた。
映画の中で父親は、計画を立てるから失敗するのだと、息子に教え諭した。
彼は決定論者ではないにしても、運命論者ではあった。

この島はかつて砕石で財をなし、バブル時には本土よりも地価が高騰していたという。
港は錆で覆われ、古びたビルが乱立していた。
この島をあの滑稽な父親がみれば、計画をたてるからこうなったのだとやはり言うだろうか。

その異様なビル群に惹かれ、家族で移住を決めた。
これから島を盛り上げ外国人も誘致するはずが、このコロナで頓挫した。
港でカフェを営む男はそう言って冷たく笑った。
再び計画は頓挫した。

今やこの島は、見せるという目的を欠いていた。
老婆が化粧を忘れるように、老いたこの島も化粧を忘れ、湿度の欠いた荒れた皮膚をそのままにしていた。
鉄錆に覆われるのは単にこのまちが老化したからだけではない。
この港には造船所が複数あり、古びた船がやってくることになっている。
しかし、それでも錆で覆われているこの港町の外観は、私のオリエンテーションを失わせるのに十分に異様な雰囲気を有していた。

港には古い戦艦が夢破れて港に突き刺さっているように見えた。
港のまうらにある診療所の窓からは少なくともそのように見えた。
実際には造船所にドック入りしているだけのことであったのだが。
造船所にあるあまたのクレーンもまたもれなく錆び付いており、それらが群れた蟹の妖怪を思わせた。
我々は鉄錆を見ながら酒盛りをし、翌日は神社に詣で、また酒盛りをした。
港だけでなく、島全体に化粧気がなかった。
神社に化粧気が無いことはもちろんかえってよかった。
島民に色気が出てきたときにこのよき神社はどのように化粧で汚されるのだろうかとも案じられた。
子供たちにとって、化粧の有無は問題でないようだった。彼らにとって重要なことは、礼拝で鈴を何度も鳴らすことであり、海岸の石を物色することであり、よーいどんで誰が早いかを決めることであり、途中で暖かいミルクティーを買うことであった。O氏は、子供たちに参拝の仕方と神様について教えていた。

この島のあらゆるものが斜陽であった。
かつての繁華街には人気はなかった。
子供を遊ばせながら出会った老婆は、皆出て行ってしまって何も無いとこぼしていた。
唯一ある小さなスーパーでは、長屋の熊さんが先日亡くなったことを話題にしていた。レジ前では90歳代と思われる老婆がその死を知らなかったことに落胆し、繰り返し嘆いていた。

フェリーの駅には隣の島の求人があった。
砕石の求人で、日当は1.2万円とあった。
神社から見たその島は、スプーンでえぐられたプリンのように、削られていた。
その島の人口は500で、商店はひとつもなく、家が点在しているという。
彼らの世界はどのようであるのか。この島は半地下で、その島は地下なのか。

カフェの男も、港町の老婆もある種の具体性を欠いていた。
夜半にふと、彼らはあやかしの類ではなかったかと思われた。

患者を数名診た。
1人は70代の高齢者で、高血圧が心配と隣人を伴って受診した。
本人も隣人も独居だった。普段から支えあっているという。
1人は嘔吐を伴う頭痛の中年者だった。

島の診察は難しい。
本土に送るべきか、経過観察可能かどうかを検査に頼らず病歴と診察から判断しなければならない。
都会の救命センターであれば若年者ではなく、初発の頭痛であれば、帰宅させる前に頭部CTを撮影しておくだろう。
救命センターでは検査機器があるのに検査をせず疾患を見逃すということが許され難い。島では夕方に受診した場合、本土への最終フェリーには乗れたとして島に帰るフェリーは無い、本土に泊まるところもない。
かくして救命センターの検査閾値は低くなり、島の診療所での検査閾値は非常に高くなる。
結局、心電図、簡易血糖に異常がないことを確認して観察することとしたが、祝日が終えるまでその患者の容態が変わりはしないか、ヤキモキした。

2日目の夜、やはり酒盛りをしながら、O氏とバラサイトをみた。
どのカットも並べれば写真展になりそうな美しい動画だった。
躍動感あふれるサスペンスに加えて、コメディの要素も多分にあった。
格差、学歴、計画、匂い
鑑賞後も象徴的なキーワードが頭に残った。

このコロナ禍に人々の移動は極端に制限されている。
私がこの島でアルバイトをするという計画は褒められたものではないだろう。
それがどのような島で、どのような診療所かということはまるで分からなかった。
賢い医者はそもそも選択しなかったろう。
しかし、私は選択、計画した。
給与目当てに?越境を試みた?進化を目指して?花が咲こうとした?
すると、島行の前日のPCRは陰性という結果となった(それ自体の感染を完全に否定するものではない)
前日にO氏に声をかけたところ、即座に同行するという返事を得た(それ自体が感染を拡散させる可能性があった)
これが理性的な動物のふるまいと言えるだろうか。

私は花が咲く必然性は信じたとしても、運命は信じない。計画も立てる。
しかし、その計画はいつも粗雑である。
粗雑な余地を残していると強弁しておく。
必要十分条件が揃ったとみるや事態をうっちゃってしまう。
そのようにした方がよいと計画するのではなく、うっちゃってしまう。
性癖がそのようになっている。

この斜陽の島で、この日O氏とバラサイトをみるということは、そうでなければならない必然の力が働いていたように思えた。

私は計画を立てつつも、計画の外にある。
自力でありつつも、他力に委ねて朗らかに笑う。
かくして私は偶然性を我が物としていく。
私の祈りの形はこのようなものかもしれない。
ナルホイヤといっても差し支えないだろう。

患者さんのことなど3

その方は緑膿菌肺炎であった。

若い時はタバコを吸っており、COPDと気管支拡張症が基礎疾患にあった。

朝、訪床すると、ぜいぜいいいながら寝台に腰掛けておられることがしばしばであった。

「話してると楽になるわ」

しばらく対話をしていると、たしかに落ち着くようだった。

「ありがとう」

話を聞くだけで病がよくなるなら安上がりでよいことだ。こちらだって、注射も、採血も、内服の計画もできんろくでなしなのだから、話くらいしかできんのだから、ありがたいことだ。

彼は宮大工であった。

「いままでに、そうやなあ…」

過去を思い出す彼の目は病室の中空を見る。

「大通寺の台所、竹生島の三重塔、石山寺、岩船寺なんか扱ったワ…。」

「それはすごい」

「そうやなあ。ありがたいことや…」

彼の左手の親指は短く変形している。

なにか事故によるのだろうか。

「石山寺でナ、あすこに縁側とか、渡り廊下があるやろ、昼休みにそこで昼寝すんねんな」

天下の昼休みである。

私は石山寺の、木漏れ日のなかで昼寝する男たちを想像した。

それは天下一の昼寝に違いなかった。

「趣味のないもんには、しかたないけどナ…」

彼は馬場秋星の「浅井三代小谷城物語」という本(絶版のようだ)を読んでいた。

「浅井の墓には行った?」

彼はそう尋ねたが、私は残念ながらまだ参らない。

「小谷山も、いろいろ面白いんよ」

彼はさまざまな寺の話をしてくれた。

岐阜、京都、近江、奈良…彼は休みのたびに寺に詣で、家族、こどもらを観光に連れ出し、みずからは寺をじっくりと見ていたようなのだ。

「大工仕事が平日、忙しいからゆうて」

と彼は苦笑した。

「こどもらは休みの日はオトウチャンに遊びに連れて行ってもらおうと思ってるしナ。家で寝てばかりいるわけにはいかへんナ。家族サービスせんとな…」

彼の緑膿菌は、抗菌薬によりだんだんとよくなった。しかし酸素の管は、外せぬままだ。

「こんなんなって、なさけないなあ」

酸素がなければ彼の酸素化は確保できず、息がくるしいのだ。

在宅酸素の機械は、大きすぎるというので彼は拒絶した。

「先生…」

「なんですか」

「長命寺は行ったことがある?」

「いえ、まだ…」

「いい寺よ」

彼はそう言ってニカッと笑った。

「いっぺん行ってみ」

長命寺は近江八幡にある古刹だ。

日本第一の長命で有名な、武内宿禰ゆかりの寺なのだ。

私は母をともない、長命寺へ登った。

よく晴れていた。八百八段を登り切ると、小さな涅槃のような境外の地が待っている。

私は境内のロハ台に座り、大きな本堂をつくづくと眺めた。

俗世には要求が山ほどある。

その切実な要求を「救う」寺が長命寺である。

それはつまり、俗世のどんな悩みも、仏の前にお願いしてよい寺ということだ。

仏門は超俗のものゆえ、欲から離れよなどとは言わぬお寺ということだ。

自分は、そうした古刹を、数少ないがいくつか知っている。

多くの人が、そうした寺に、かそけき切実な思いを抱えて石段を登ってくる…。

静かな山のなかに梵鐘が低く遠く響いている。

宮大工の彼は、この本堂をどう見たのであったろうか。

休みごとに寺に参じ、祈りをささげた彼は、なおらぬ肺の病と共に生きている。

やまいとはなんであろうか。

私は、短絡的には考えぬ。

私は、祈ることをあらゆる意味と段階において諦めることはない。

空谷子しるす

患者さんのことなど2

その女性はⅡ型糖尿病の教育入院であった。

かかりつけの病院で高血糖を指摘され、紹介されて来られたのだ。

「ブラジルでは、じぶんで血糖値をはかる器具を買って、じぶんではかります」

その方は日系ブラジル人であった。

ずいぶん前に日本人と結婚され、日本にきた。

「ブラジルにはカトリックとエヴァンジェリストが半々です」

ご高齢のブラジル人にカトリックが多く、若い年代にエヴァンジェリストが多いとのことであった。

彼女はカトリックであり、エヴァンジェリストはあまり得意でないようだった。

カトリックは貧しい人とお金持ち、エヴァンジェリストは貧しい人が多いとのことで、いわゆる教会への寄付は、カトリックでは「あの」馴染み深い皮袋に、いくらいれても、いれなくても自由だ。しかしエヴァンジェリストは、給与の1割を収めねばならんらしい。

それは酷なはなしである。

「娘の彼氏、ファベーラの人なんだけど」

ファベーラとはブラジルのなかで貧しくて危険な区画と私は理解している。

「ファベーラ、危なくないです?」

彼女は首を振った。

「ファベーラの人と友達の人、大丈夫。その人といっしょに行けば危なくない。」

でも、と彼女はいたずらぽく笑った。

「わたしはちょっとこわいね。ひとりではいかない」

彼女は、結婚する相手は心だと言った。

「男の人、よく、若いとか、顔で結婚する。よくないね。ブラジル、30代で結婚はふつうよ。」

「そうなんだ」

「私も、だんなさんすごい優しい人!」

そういう彼女の顔は明るく、太陽のようである。

「だから、あせらない、あせらないよ」

悪いことには子供のようであり、考え方については大人のようであれ、とは聖パウロのことばである(コリ1 14:20)。

人間のつきあい、人間のつきあい、

これはもう「赤心」をもって、こどものように、大人のように、臨むしかあるまい、と思った。

空谷子しるす

患者さんのことなど 1

その方は肺炎と心不全を患っておられた。

大正うまれであって、戦争を経験されたようなのである。

「ようなのである」とは、本人が認知症なので、また発声がいささか不明瞭なので、はなしがよくわからぬのである。

「南方で航空隊やったんよ」

と、その方は仰った。

「兵長やったんや。飛行機の整備をやっていた。二等兵から兵長になるのは、並のことやないんよ」

私は旧日本軍のしくみに明るくないが、一兵卒が兵長になるのは、たしかに大抵のことでないように思われた。

15歳でバルブ工場につとめたらしいのだ。

バルブの中の溝を、手作業で削っていたらしい。

その技術力が上官にかわれたのかもしれない。

水道管やバルブは、私の研修地の名産である。

「あたらしいバルブを、開発せなあかん」

彼の「あたらしい」ことへの情熱は強かった。

「ふるいものと、あたらしいもの、そのいれかわりが難しい」

先のいくさから、とにもかくにも日本は変わったし、世界は変わったのであった。

べつに欲しいといったわけでもないのに携帯電話が出た。パソコン、タブレット、スマートフォンに、そうした高価なものがなくては生きていけぬ習いとなった。

バルブも、今は彼の言うような古典的な削り出しでは作らなくなったようだ。

「この◯◯(患者さんの名前)がいたということを忘れないでください」

彼は歯のない顔で笑った。

そうして彼は私の手を取った。

「えい!えい!」

彼は私の手に、みずからの手を勢いよくなんども重ねた。

それはなにか、かたちにならぬものを渡そうとしているかのようだった。

しかし、それがなんだったのかは、いまだにわからぬままだ。

空谷子しるす

「さよなら」を臨床医学に

「さよなら」を臨床医学に取り戻そう。
その責務がわれわれにある。

ある宗教学者は、死によって無に帰すのではなく、「死はお別れ」と認識するようになった途端、死の恐怖が和らいだ、と自らの闘病生活を振り返った。

別れる。
では、その人はどこに?

患者に具体的な信仰があれば、その信仰に合う彼岸を前提とすればよいだろう。
しかし、神無き現代において、我々医療者が彼岸について具体的に言及することは難しい。

具体的な神は無い。
しかし、something  greatは存するか。

死の表現は様々にある。
終焉、絶命、永眠、死没
などと単に終わりを告げるものもあるが、

逝去、他界、辞世、不帰
などと移動を示唆する表現も多い。

しかし、どこに?

「さよなら」は世界一美しい離別の言葉。
アン・リンドバーグがそう賞賛したというこの言葉は離別を直接的に示してない。
「左様であるならば」

我々は死別に際して、どこかへ移動することを漠と想起しながら、「左様ならば」とおおらかに生を総括し、死と向かう。

これら素朴な言葉の中に、われわれの死に対する素朴な感覚が伺える。

翻って、現代の臨床医学は、この別れの様態をどのように捉えているのか。
「呼吸音、心音、対光反射がない」
医師はこの3つのないをもって、死があると診断する。
カルテにも「~時~分、死の三兆をもって死亡確認した」とのみ記載する。
医学的な死の記述として、この一行のみが記録として求められる。
もちろん、その時家族の誰がどのように振る舞ったかを記載する場合もある。
しかし、必要十分な記載は、この一行である。

「ない」という死の三兆が「ある」。よって、死が「ある」。
ないがあるからある
考えるほどに思考が迷子になる。
悪い冗談のようにも思える。

しかし、この冗談ともとれるロジックを展開しなければならない、やむにやまれぬ事情がある。
主治医といえど、24時間側にいることはできない。
急性期病院において、一睡もできない当直勤務を終えた夜に担当患者が亡くなることもある。
弁明のようで心苦しいが、われわれの体力にも限界がある。
そのような激務を緩和するために、当直医が担当では無い患者の死亡診断を行う。
会ったこともない、すでに生体反応の途絶えた患者に、上記三つの無いでもって、死を宣言する。
このとき、死の3兆以外の何かを見出すことは不可能と言える。

しかし、だからと言って、死別を常に死の3兆で切り取るのみで済ませてよいわけではない。
と私は考える。

われわれは否定ではなく、肯定でももって死と向き合うことができるだろうか。
「さよなら」についての考察が、死の肯定性を捉えるヒントをくれるだろう。

「さよなら」を臨床医学に。

病院と在宅療養の違い

① 医療者が患者のもとへ行くまでにかかる時間
 ・病院:ナースコールを押して数分
 ・在宅:看護師に相談してから30〜1時間後(夜間は特に)

② 点滴の種類、在庫
 ・在宅では3,4回/日の点滴は困難
  従って、例えば抗菌薬の場合、ペニシリン系はまず使えない。
  もっぱらセフトリアキソン。
 ・基本的に末梢ルートはとらない。
  ルートをとった後に、自己抜去のリスクが病院より高い。
  脱水補正目的であれば、皮下に留置し、生食などを500ml/日滴下する。
  しかし例えば老衰なら浮腫などデメリットのため数日で中止となる事が多い
  例外)CVポートがある場合
 ・たくさんの在庫を抱えられない

③ 病棟と違って、カルテの共有ができず、方針を伝えづらい
 ・難しいケースは朝礼後に毎朝カンファレンスをした方がい
 ・その内容を簡潔にまとめ、訪問看護STや薬局など関係各所に送った方がいい

Prisoner

人工呼吸器をつけた患者さんが亡くなり、家族は病院へ向かっている途中。いつ呼吸器を外そうか、このことで看護師さんと若干モメた。呼吸器がついているので胸郭が運動し、患者さんはあたかも呼吸をしているかのようだ(ペースメーカーでも相似した問題は生じる)。私は、モニターや呼吸器、あらゆるデバイスがついた状態の人を見るのがそもそも、好きではない。すぐに外してしまおうとした。ところが看護師さんはそんな私を制し、家族が来るまで待つべきだと言った。つづいて、倫理観が問題なのだ、と看護師さんから言われたため、柄にもなく私の陰性感情が募ってしまった。(外すかつけておくか、事前に打ち合わせしていないのなら外せない、とも言われそんなこと生前にホンマに決めるんかいな、と思ったりもした。)
こんなとき大切なことは遺される家族さんがどう思われるかと想像すること、そして医師より長く患者にふれてきた看護師さんと息をあわせることだ。そうでないと医療の空気が醸成されない。
看護師さんが指摘された真の対象は、私がその場に居合わせたスタッフの理解を得ようとするような態度を取らなかったことであった。後に私の指導医は、その時呼吸器を外すかつけておくかは正解の無い問題だが、私が私の考えにとらわれていたことを指摘した。私は大いに反省するとともに、批判していただいた看護師さんと指導医に感謝した。
されこの方のご家族様には、説明をした上で呼吸器を止めた。生物的に死亡してから30分くらいは経過していたが「死に目にあえた」と家族は満足されているようにも見えた。今回は看護師さんの選択が正しかったようだ。(H)