椿

ああもう嫌だなあめんどくさいなあと精神科病院の控え室でひたすらサボり、スマホの動画やら坂口博信の新作ゲームfantasianばかりやっているのは自己嫌悪に陥るが潰れて死ぬよりマシだと開き直っている。

病棟の患者はめしを食べるようになったが別の患者に肝障害が出た。黄疸もないし腹部症状もない。薬剤性を疑う。患者の飲んでいる薬を調べる必要がある。しかし自分が必死こいて調べんでも指導医の方が自分より遥かに知識も技術もあるから、自分が切迫して調べんでも患者の安危に関わらんから適当にやってやれと思う。

私はバカにされても仕方ない生き方をしているがバカにされると腹を立てる。

椿大神社と書いて「つばきおおかみやしろ」と申すのは伊勢国一宮の古社である。松下幸之助や岸信介の崇敬も厚かった。そのうんぬんは別にして猿田彦大神の総本社であり、倭姫命が伊勢の神宮を建てたのと同じ時にこの社の創建にも関わったと聞く。詳しくはよく知らん。なにしろ鈴鹿の山中には磐座が散在していて、いつから信仰の土地だったのか誰も知る者がいないのだ。猿田彦大神とは何者だったのかは誰もわからない。もし明らかにしたければ日本のあちこちを掘り返して古いものを見つけるしかあるまい。

椿の炭は製鉄に用いたという。どうも若狭のほうにも椿という地名があって製鉄に関わる。鈴鹿というのもスズというのは金属のことを指すという見方もあるらしい。も少し北の員弁の方に行けば多度大社という古社があり、ここは製鉄の神様を祀る。鈴鹿というのは大昔は製鉄をやっていてだいぶ勢力があったのかもしれない。

椿大神社の境内には奥さんの天鈿女命を祀る椿岸神社があり。きれいでかわいらしい丹塗りの社だ。夫婦和合というのは一つの神秘だ。他人が家族になるのはとても不思議のことで、だからキリスト教でも結婚の秘蹟と言うのだろう。

精神科の外来には全般性不安障害になった妻を甘やかす夫とその家族、仕事に行くと嘘ばかりついて適当にバックれた上にトレカやソシャゲに浪費癖のある夫、仕事でいじめられて弱った彼女をヤバいヤバいと盛り上げていく彼氏、さまざまな男女が来る。

三界の火宅だ。世の中は一切がめんどうくさい。外来もめんどうくさければ病棟もめんどうくさい。病棟の患者たちはいろいろな人がいるがたしかに基本的にはわがままで、彼らの話を聞いて私が心を悩ますのは下らなく思える。

なんでもいいが一番の問題は私が楽しくないことだ。大乗にせよ小乗にせよ仏教的には他人に構うのが間違いの元なのだ。自分のことだけ考えておればよいのだ。自分が楽しければなんでもいいのだ。他人にちょっかい出すのは無駄だからだ。

しかし人は人に左右される。釈迦の理屈はわかるけど目の前に他人がいたら心が動かされる。それが困るから修行でもなんでもして不動心を養おうというのだ。そんなバカな話があるか。世の中に不動心なんかあるものか。そんなものは神様しか持っていない。私はバカなりにズルく生きるしかないのだ。

椿大神社はいいお宮だった。私もやっかいなことから離れて神仙の世界に生きたい。しかし他人に罵倒されながら自分のバカさに死ぬまでのたうち回るのが私なのだから、それなりに生きて最後激烈に苦しみ抜いた挙句に死ぬ。そうしたらもしかしたらなにがしか報われるかもしれん。

空谷子しるす

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