「この気持ちはなってみないとわかりません」
と彼女は言うのだ。
「さびしい気持ちですか?」
彼女は遠くの山を見ながら言った。
「そうとも言えん」
彼女は89歳で拡張型心筋症にICDが埋め込まれている人だ。もともとB型肝炎もあり、今回は著明な腹水貯留で入院した。
彼女はもう自宅に帰れそうになかった。
「早く死にたい」と彼女は言うのだ。
「最近、よく実家と弟の家とが思い浮かぶ。自分の家はまったく出てこない」
それだけ実家や弟さんが馴染み深かったのかと聞くと、「そうかもしれない」と言う。
彼女の病室から低い山が見える。
その山は弥生時代の遺跡や古墳があり、山頂に荒神様を祀っている。その山に彼女の実家の歴代の墓がある。
「息子はよくやってくれてる…」
彼女は弱い声で息子を誉めた。
彼女が息子を誉めるのは私は初めて聞いた。
「珍しいですね」と言うと「そうやな」と言って笑う。
「早く死にたい」とまた言うのだ。
そのたびに私は「人の命は人は決められんですからね」と言う。
「そうやなあ」と彼女はうなずいてくれる。
伊勢の大神様や多賀の大神様がいいようにしてくれますよ、とも言う。いつも祈っています。だからあなたも僕のために祈ってください。彼女はそれらの神様への崇敬がある。彼女は私の独身を心配してくれている。
「ありがとう」と彼女は言う。「先生のことも祈ってます」
彼女はものが食べられなくなり、せん妄を起こすようになって亡くなっていった。
彼女がのぞましい死を得られたかだけが気がかりである。
私は自由になりたくなった。
空谷子しるす