「ここの研修医は三年目が心配になる」
と脳神経外科の部長先生は言うのだ。
しかし私の兄は、
「おれの仕事も似たようなものだけどそんな言葉は嘘だと断言できる」
と言うのだ。
埋没縫合せよと言われ、してみたところ、無言で切断され、
「もっといっぱい救急でナートさせてもらいなさい」
と言われた。
しかし皮膚科で縫うと、「べつに二年目ならこんなものだろう」と言われた。
当院は救急車が到着してから頭にカテーテルがつっこまれるまで二十五分くらいである。
とても早くて腕が立ち、そして脳神経外科医たちとしては破格に優しい。
しかし生の脳を見ることを期待した私は、あまりその機会が無いことを残念に思った。
脳神経外科医たちは常に病院にいる。
「僕が初期研修医のときは、自分で希望して胆摘をひとりでやった」
と部長先生は言うのだ。
「もっと積極的にきなよ」
しかし未熟な私には、万全の力を身につけた上で積極的に前線に出よという要求に応えることはできなかった。
少なくとも私は脳神経外科医には向いていないことがはっきりわかったのでとても有意義であった。
同時に病院や医者の考え方がますます嫌いになってきた。
空谷子しるす